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よみきり

獄寺を不意に眠りから引き上げたのは、音だった。
ピアノの、音。静かな曲調。
完全に覚醒しない意識のまま、彼はその音色に耳を傾ける。
拙い演奏。けれどそれは歌うように、奏者の感情をまっすぐに伝えていた。
音の粒のひとつひとつが、ひどくかなしげで。
まるで泣いている様だと、獄寺は思った。
「楽器はね、奏でる人の心が写るのよ」
そう言ったのは、誰だったか。やさしいあの人だったか。
思いながらゆっくり、目を開くと。
そこは知らない部屋だった。
「…………あ?」
瞬きを繰り返しても、状況は変わらない。
自室のベッドに転がっていた筈の獄寺は、見知らぬ部屋のソファの上に寝かされていた。
首を横に向ければ、黒いピアノと黒い背中。茶の髪、どこか見覚えのある、けれど知らない姿。
ふ、とピアノの音が止んで、その姿が振り返る。
それは、彼は――
「十代目……?」
背格好、歳は違えど、彼は確かに沢田綱吉だった。
見間違える筈が無い。敬愛をひたすらに傾ける、だいじなひと。
「ようこそ、未来へ」
にこりと笑顔を浮かべ、綱吉は獄寺に話しかける。その笑みに、獄寺はなぜか、違和感を覚えた。けれどそれを追求する前に、別の疑問が彼の思考を塗り替える。
「みら、い?」
十年バズーカでも使われたのか、獄寺は思い返す。けれどそういう気配は無かった。爆発も煙も何も、彼は感じていない。
「ど、どうやってですか?何もなかったのに……」
「内緒。でもすごいや、うちのメカニックは。技術者というより魔法使いだね」
瞬きを繰り返す獄寺に、満足げに綱吉は言う。どうやら未来の技術者達により、獄寺はこの場に連れてこられたようだった。
大まかに事情を飲み込み落ち着いた獄寺はそういえば、と聞く。
「さっきのピアノ、十代目が弾かれたんですか?」
「うん。まだ下手でさ、たまに練習してる」
「…………何か、あったんスか?」
あんなかなしげな音色を響かせて。目の前の青年は何を想って、鍵盤に指を踊らせていたんだろう。
綱吉は静かな瞳で答えた。
「なにも、ないよ」
波の立たない凪いだ声。全てを突き放すように、ただ穏やかに、彼は言った。その言葉には何の感情の色も灯っていなかった。
あの音色と違って、なにも。
「――それよりさ、獄寺君にお願いがあるんだけど」
ふわり、綱吉が笑う。それにも、違和感。どこか陰のあるような、きれいな笑みで彼はねだる。
「獄寺君のピアノ、聴きたいな」
請われて、嫌がれる獄寺ではない。勿論嫌ではなかった。嬉しかった。そして少しだけ、疑問に思った。
この時代の自分に弾かせるという選択も、あったろうに。
「何を弾きましょう」
疑問を押し殺して、聞く。いつの間に立ち上がりピアノの横にもたれた綱吉はわずかに眉を下げて答えた。
「獄寺君が、一番好きな曲」
わかりましたと、獄寺は頷いた。




確かめるように、獄寺は鍵盤に指を置く。ぽーんと、歪みもないまっすぐな音。
年代もののピアノだったが、調律はしっかりされているようだった。
はて、と獄寺は考える。
自分の一番好きな曲。それは、何なのだろうか。
瞬間、脳裏に響くやさしい音。そうだ。自分は、あの人の音色が好きだった。
「…………」
小さく息を吸って、獄寺は両手を鍵盤に乗せる。一音弾き出せば、指は彼の思うままの曲を紡いだ。
十代目の為に。想いを込めて、獄寺は音を紡ぐ。
「……………ああ、獄寺君の、音だ」
囁くように小さな声で呟いた綱吉に、ふと獄寺の目が向いた。
そして、見えたのは透明な雫。
「……十代目?」
驚きに、獄寺は思わず指を止めてしまう。綱吉は、静かに涙を流していた。
「どうかされましたか?その、泣いて……らっしゃるんですが、」
「……あれ?」
獄寺が指摘すれば綱吉は目元を拭って、濡れた指先を感慨深げに眺めた。
それでも、はらはらと涙は零れる。けれど、綱吉は苦笑して獄寺に謝った。
「ごめん、驚かせて。……続けて?」
その声は凪いだまま、やはり先ほどと何一つ変わらない温度だった。


曲が終わる。すると、綱吉は後ろから獄寺の首元に腕を回して、彼をそっと抱きしめた。
ふわりと、甘い香水の匂い。どきまぎして耳まで赤くする獄寺に、綱吉は言う。
「ねえ、獄寺君。約束して」
「……何ですか?」
「この未来に来ないって。十年前のオレと、別の未来を生きるって」
「え?」
戸惑う獄寺に、綱吉は腕の力を強めて、厳しい口調で言う。
「君は、こっちに来ちゃいけないんだ」
振り返って、間近で見る琥珀色。涙の止まらない瞳はひどく真剣な色を帯びて、そしてとても、さびしげだった。
「理由は、言えないけど。でも、オレは――」
そこで綱吉は言葉を詰まらせる。瞬きに落ちた雫が獄寺の頬を濡らした。獄寺は頷いて答えた。
「十代目がそう願われるなら、俺はそれを叶えます」
「うん、よろしい」
おどけた口調で綱吉は笑う。その笑顔だけは、昔の彼と同じだった。
不意に、獄寺を急激な眠気が襲う。
「…………っ…!?」
「……ああ、もう、時間だ」
がくりと落ちた頭を、綱吉は優しく支えた。そして、銀の髪を掻き分け、獄寺の耳元に口を寄せて囁く。
「さよなら、獄寺君。……ありがとう」
それが、薄れゆく意識の中で聞こえた、最後の言葉だった。




ピアノの音が変わって、やがて止んだ。
けれどいつまで経っても部屋から出てこない綱吉に痺れを切らして、山本は部屋に押し入る。
「ツナ?」
綱吉は、ピアノの隣に立ち尽くしていた。山本の声に気付いて、ゆるりと振り返る。
その琥珀色の目が、涙で濡れていた。ぼろぼろと大粒の雫が零れる。どれだけ泣いたのか、目尻は赤い。
「やまもと……」
綱吉はぐす、と鼻を鳴らして涙を袖で拭った。けれど止まらないそれに、彼は困り果てた声で言う。
「涙腺、壊れた……」
何年ぶりだろう。ツナの、泣き顔を見るのは。静かに山本は過去を辿る。
思い返したらどうやら三年ぶりのようだった。いなくなる前の獄寺と大騒ぎを繰り広げたあの時、以来。
「どうしよ、山本、止まんないよ…」
余程混乱しているらしい、子供のような口調で訴えてくる親友の頭を胸元に引き寄せて、山本はできる限り優しく言い聞かせた。
「……そーゆー時はな、思いっきり泣いちまえ」
涙を止めてやろうとは、思わなかった。
三年分積もりに積もった感情が、一気にあふれ出したんだろうと推測して、山本はそれでいいと結論付ける。
山本が大事にしたいのは、ドン・ボンゴレよりも沢田綱吉だ。今だけは、虚構から開放してやりたいと願って、彼はついに声を上げて泣き出した綱吉の頭を撫でた。
涙が、止まったら。彼は笑ってくれるだろうか。作り物ではない、ホンモノの笑顔を。
昔のように。
少しだけ浮かぶ期待に、山本はもういない少年に感謝した。




*****
綱吉を救ってやれるのは、獄寺君だけでした、と。
そういうつもりは全然無いのに、段々獄寺←綱吉←山本に見えてくるという。違うから。戻ってきて自分。
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