糸師冴の幼馴染み
「お邪魔しまーす、凛いますか〜?」
ㅤ人気のない糸師家に珍しく元気で優しい声が響き渡った。
ㅤその声は玄関から遠いはずの凛の部屋までバッチリ聞こえていて、凛は夢中になって見ていたホラー映画を慌てて止めた。
ㅤ止まったテレビの画面に後ろ髪惹かれる思いをしながら出来るだけ急いで玄関へ向かう。
ㅤ玄関に着くと遠目からでもわかる見覚えのあるシルエットに少し安心して、誤魔化すように前髪を流した。
「いたいた、お休みで気ぃ抜いてるとこごめんね〜」
「ううん、別に」
ㅤ暇だったから、と最後の方は弱々しく呟く凛に「そっか」と納得したような聞き流したような返事をして四葉は用事に取り掛かった。
「はい、今年のバレンタインチョコ」
「ん、ありがと姉ちゃん」
「どういたしまして〜」
ㅤ素っ気ない反応で表情は無いものの、凛はたしかに喜んでいた。
ㅤ毎年女子からのバレンタインチョコは、兄・糸師冴が返却する様を見て凛もその場で断るようにしていた。
ㅤしかし、凛は貰えたら嬉しいと思うタイプで、尊敬する兄の真似とはいえ毎回断るのはなかなかに苦しかった。
ㅤそんな様子を見かねた姉ちゃん、隣に住む雀居四葉が冴にバレンタインチョコを無理やり渡すようになった。
ㅤ四葉が突き返される度渡し返すので面倒になった冴は毎年四葉や雀居家から貰う分は断らなくなった。
ㅤ冴が貰うなら凛も貰う、凛は兄に唯一我儘を押し通せる人として、凛にも優しい姉として純粋に四葉を尊敬していた。
「今年は米粉でマドレーヌ焼いたんだよ、お口に合うかな?」
「たぶん、大丈夫だよ」
「そうだと良いなぁ」
ㅤ毎年四葉から貰うバレンタインのお菓子はもちろん、趣味で焼いたクッキーもどれもが外れなく美味しかったことを凛は知っている。
ㅤ今年初めて米粉を使ったマドレーヌを焼いたと言っても、今までの経験上姉の焼いた菓子が不味かったことは無い。
ㅤそれはドライと言われることで有名な冴すらYESで返すことだった。
「来年からはこういう事、してあげられないから」
「...うん」
「だから、ホワイトデーは大丈夫だよ」
「... ... ...いつ行くの」
「そうだね、卒業式には出れないかな」
「早いね」
「冴くんはもっと早かったからなぁ」
「兄ちゃんと比べるのはズルい」
ㅤ兄ちゃんと比べたら、誰も追いつけない。凛は本気でそう思ってたし、今だって密かにそう思っている。
ㅤスカウトされた時の兄と同じ歳になっても、兄と同じように声が掛からなかったのに焦りを覚えてから兄が遠い存在に思えてしまっていた。
ㅤ自分と同じように兄に期待された姉が、やっと身を結んで海外に行くというのだから本当は心から喜んであげるべきなのに素直に喜べなかった。
「正直ね、寂しいよ。全く知らない土地でサッカーするしかないって、キツいよ」
「うん」
「でもね、ちょっと楽しみ」
「...うん」
ㅤ嬉しそうに頬を緩める姉に凛は複雑ながら同意するのだった。
ㅤ四葉がサッカーを冴ほど愛していないのを凛は知っていたし、本当は冴も知っていた。
ㅤだから四葉がサッカー以外の趣味を持っていても必要以上に口出ししなかったし、四葉が糸師兄弟に甘いが故にサッカーを辞めることもしないと知っていたのでサッカーを強制したこともなかった。
ㅤそんな四葉が海外を少しだけ楽しみにしていた理由を知っているのは凛だけだった。
ㅤ『なんか、最近パス出しても味方が遅いなって感じることが多くて、つい自分でゴールしちゃう時があるんだよね』
ㅤ『姉ちゃんMFじゃなかったっけ』
ㅤ『うん、だから悪いって話じゃないんだけど、あんまりにもゴール奪うからチームメイトとギクシャク中なのよね』
ㅤ『FWに変わればいいじゃん』
ㅤ『もー!簡単に言っちゃってこの子は〜』
ㅤそんな会話をした次の週にはFWに転向していた。そのおかげで四葉のチームは優勝して、エースストライカーとしてチームに多大な貢献をした四葉は海外ユースからスカウトされるに至った。
ㅤ四葉は古くからいるチームに思い入れがあったし、仲のいい友達も日本にはたくさんいたのでスカウトの話に最初は躊躇った。
ㅤしかし、スカウトを保留にした後チームメイトと練習をして、自分のレベルがこのチームではこれ以上上がらないと気づいてしまった。
ㅤチームメイトを見下すような感想が出てしまう自分に嫌気が差しながら、先に海外へ行った冴を思い出して海外でプレーする事を決意した。
「姉ちゃんのパス貰えるの、羨ましい」
「か、っわいいこと言うなぁ凛はぁ〜!」
ㅤ謙遜ではなく本心からの言葉だった。兄の代わりはいなかったが、凛にとっては兄と同じくらい自分に合ったパスを出してくれるのは四葉だけだったから。
ㅤ気持ちが高ぶって抱きしめて頭を撫でてくれる姉ちゃんに身を委ねながら。
ㅤ本当に一人でするしかないんだ、と兄ちゃんが海外へ行ってしまう時に理解していたはずのことを改めて思い知ったのだった。
ㅤこのまま帰らせるのも気が引けるので、ついでに映画の続きを一緒に見ようと誘えば姉ちゃんは嬉々として俺の部屋まで直行した。
ㅤ明らかにホラー映画が一時停止になってるのを見て、姉ちゃんは一瞬で固まりUターンして帰ろうとした。
ㅤその姿が面白くてつい、帰ろうとする姉ちゃんを片腕で止めてクッションに座らせて映画を再生させる。
「みゃっ、ダメだって〜来るじゃん、絶対来るじゃん」
「まっ、う〜〜〜焦らすなぁ焦らすなぁ」
ㅤ毎度の事ながら、怖がりのくせに俺の腕にしがみついてでも最後まで離席しない姉ちゃんを優しいなと思いつつ、男女5人が殺人鬼に追いかけられるスプラッター映画を大いに楽しんだ。
ㅤ人気のない糸師家に珍しく元気で優しい声が響き渡った。
ㅤその声は玄関から遠いはずの凛の部屋までバッチリ聞こえていて、凛は夢中になって見ていたホラー映画を慌てて止めた。
ㅤ止まったテレビの画面に後ろ髪惹かれる思いをしながら出来るだけ急いで玄関へ向かう。
ㅤ玄関に着くと遠目からでもわかる見覚えのあるシルエットに少し安心して、誤魔化すように前髪を流した。
「いたいた、お休みで気ぃ抜いてるとこごめんね〜」
「ううん、別に」
ㅤ暇だったから、と最後の方は弱々しく呟く凛に「そっか」と納得したような聞き流したような返事をして四葉は用事に取り掛かった。
「はい、今年のバレンタインチョコ」
「ん、ありがと姉ちゃん」
「どういたしまして〜」
ㅤ素っ気ない反応で表情は無いものの、凛はたしかに喜んでいた。
ㅤ毎年女子からのバレンタインチョコは、兄・糸師冴が返却する様を見て凛もその場で断るようにしていた。
ㅤしかし、凛は貰えたら嬉しいと思うタイプで、尊敬する兄の真似とはいえ毎回断るのはなかなかに苦しかった。
ㅤそんな様子を見かねた姉ちゃん、隣に住む雀居四葉が冴にバレンタインチョコを無理やり渡すようになった。
ㅤ四葉が突き返される度渡し返すので面倒になった冴は毎年四葉や雀居家から貰う分は断らなくなった。
ㅤ冴が貰うなら凛も貰う、凛は兄に唯一我儘を押し通せる人として、凛にも優しい姉として純粋に四葉を尊敬していた。
「今年は米粉でマドレーヌ焼いたんだよ、お口に合うかな?」
「たぶん、大丈夫だよ」
「そうだと良いなぁ」
ㅤ毎年四葉から貰うバレンタインのお菓子はもちろん、趣味で焼いたクッキーもどれもが外れなく美味しかったことを凛は知っている。
ㅤ今年初めて米粉を使ったマドレーヌを焼いたと言っても、今までの経験上姉の焼いた菓子が不味かったことは無い。
ㅤそれはドライと言われることで有名な冴すらYESで返すことだった。
「来年からはこういう事、してあげられないから」
「...うん」
「だから、ホワイトデーは大丈夫だよ」
「... ... ...いつ行くの」
「そうだね、卒業式には出れないかな」
「早いね」
「冴くんはもっと早かったからなぁ」
「兄ちゃんと比べるのはズルい」
ㅤ兄ちゃんと比べたら、誰も追いつけない。凛は本気でそう思ってたし、今だって密かにそう思っている。
ㅤスカウトされた時の兄と同じ歳になっても、兄と同じように声が掛からなかったのに焦りを覚えてから兄が遠い存在に思えてしまっていた。
ㅤ自分と同じように兄に期待された姉が、やっと身を結んで海外に行くというのだから本当は心から喜んであげるべきなのに素直に喜べなかった。
「正直ね、寂しいよ。全く知らない土地でサッカーするしかないって、キツいよ」
「うん」
「でもね、ちょっと楽しみ」
「...うん」
ㅤ嬉しそうに頬を緩める姉に凛は複雑ながら同意するのだった。
ㅤ四葉がサッカーを冴ほど愛していないのを凛は知っていたし、本当は冴も知っていた。
ㅤだから四葉がサッカー以外の趣味を持っていても必要以上に口出ししなかったし、四葉が糸師兄弟に甘いが故にサッカーを辞めることもしないと知っていたのでサッカーを強制したこともなかった。
ㅤそんな四葉が海外を少しだけ楽しみにしていた理由を知っているのは凛だけだった。
ㅤ『なんか、最近パス出しても味方が遅いなって感じることが多くて、つい自分でゴールしちゃう時があるんだよね』
ㅤ『姉ちゃんMFじゃなかったっけ』
ㅤ『うん、だから悪いって話じゃないんだけど、あんまりにもゴール奪うからチームメイトとギクシャク中なのよね』
ㅤ『FWに変わればいいじゃん』
ㅤ『もー!簡単に言っちゃってこの子は〜』
ㅤそんな会話をした次の週にはFWに転向していた。そのおかげで四葉のチームは優勝して、エースストライカーとしてチームに多大な貢献をした四葉は海外ユースからスカウトされるに至った。
ㅤ四葉は古くからいるチームに思い入れがあったし、仲のいい友達も日本にはたくさんいたのでスカウトの話に最初は躊躇った。
ㅤしかし、スカウトを保留にした後チームメイトと練習をして、自分のレベルがこのチームではこれ以上上がらないと気づいてしまった。
ㅤチームメイトを見下すような感想が出てしまう自分に嫌気が差しながら、先に海外へ行った冴を思い出して海外でプレーする事を決意した。
「姉ちゃんのパス貰えるの、羨ましい」
「か、っわいいこと言うなぁ凛はぁ〜!」
ㅤ謙遜ではなく本心からの言葉だった。兄の代わりはいなかったが、凛にとっては兄と同じくらい自分に合ったパスを出してくれるのは四葉だけだったから。
ㅤ気持ちが高ぶって抱きしめて頭を撫でてくれる姉ちゃんに身を委ねながら。
ㅤ本当に一人でするしかないんだ、と兄ちゃんが海外へ行ってしまう時に理解していたはずのことを改めて思い知ったのだった。
ㅤこのまま帰らせるのも気が引けるので、ついでに映画の続きを一緒に見ようと誘えば姉ちゃんは嬉々として俺の部屋まで直行した。
ㅤ明らかにホラー映画が一時停止になってるのを見て、姉ちゃんは一瞬で固まりUターンして帰ろうとした。
ㅤその姿が面白くてつい、帰ろうとする姉ちゃんを片腕で止めてクッションに座らせて映画を再生させる。
「みゃっ、ダメだって〜来るじゃん、絶対来るじゃん」
「まっ、う〜〜〜焦らすなぁ焦らすなぁ」
ㅤ毎度の事ながら、怖がりのくせに俺の腕にしがみついてでも最後まで離席しない姉ちゃんを優しいなと思いつつ、男女5人が殺人鬼に追いかけられるスプラッター映画を大いに楽しんだ。