今日も今日とて東奔西走
「よっ」
「来てくれたんだ」
「まあな。ほら、これ好きだろ」
「あっ、カステラだ。ありがとう」
布団から覗かせた目を嬉しげに細めた。
明るい日差しが窓から射す、蝶屋敷の大部屋。空いた病床がずらっと並んで、俺たち以外誰もいない。こうしていると、目の前のコイツが夜ごと命を懸けて刀を振るっている剣士なんて嘘みたいだ。なんだか急に気恥ずかしくなって、わざと音を立てて椅子に座った。
「傷の具合どうなんだ。まだ痛むだろ」
「まだ塞がってない。どこもかしこも痛くて、髪も背中も思いきり洗えないんだよね。あ、そうだ。せっかく来たんだし、洗うの手伝ってよ」
「バッ……カじゃねえの。すみちゃん達に頼めや」
くすくす笑う声が静かな部屋に響く。冗談を言えるくらいに回復してきたのは良かったが、完全にからかわれている。
「後藤、あのね」
「なんだ」
「肩のこの怪我、気づいたら鬼の牙が突き刺さってできたの。避けるどころか、近づいてくる気配すら察知できなかった。こんなんじゃさあ、無惨に一太刀も浴びせることできないよね」
「……」
「早く治して、もっともっと、もっと必死に頑張らないと」
「お前は、今だって本当によく頑張ってるだろうよ」
「そうかな。でも、足りないんだよ。全然」
布団を強く握る手の甲にも、皮膚をむりやり閉じたようにぼこぼこ盛り上がる傷跡がある。そうだ。これも俺が手当てしてやったんだ。他に誰もいない木陰で、手から血を流して悔しそうに話していたっけ。
気力と体力と時間をありったけ使っても、それが少しも形にならない気がするのって苦しいよな。自分より後からきた人間が、ひょいっと軽々と超していったりさ。俺にとってのそれは剣技の才だった。だから、お前の気持ち分かるよ。すっげえ分かる。努力の全てが報われるほど人生は楽勝にできていないってこと、痛いほど知ってるよな。お前も俺も。
でもな、
でもさ、
だからこそ言いたい。ちゃんと伝えてやりたい。ずっとそばで見ていた俺の言葉で。
「いいや、お前は本当に頑張ってるだろ」
「後藤……」
「お前が自分を認めてやれねえなら、その分、俺が何度でも言ってやる。お前は本当によく頑張ってるよ。尊敬してる」
「……」
「って、俺にそんなこと言われても嬉しくねえか」
ひぃっ、と喉が鳴る音。そして、首がもげるんじゃないかってほど頭を横に振って泣きじゃくりはじめた。
「うっ、うれしくないわけ……ない、でしょ」
「ちょっ、おいおい、そんなに頭振ったら傷に障るぞ」
そんなこと分かってる、とでも言うように今度は縦にぶんぶんと振る。だめだ。堰を切ったように泣いていて、落ちつく様子がない。どれだけぎりぎりの状態で頑張ってきたんだ。ごちゃごちゃつまらないことを考えてねえで、もっと早く言葉にしてやれば良かった。
「あっ」
気持ちが溢れるままに抱き寄せた。
傷の手当や搬送以外で初めて触れた身体は、あたたかくてやわらかい。
ずっと触れたかった。こうしたかった。足かせや邪魔になりたくなくてずっと隠していたのにな。目しか出せない真っ黒の頭巾の下に気持ちを隠して、いつか伝えられる日を心待ちにしていたんだけどな。もう隠せそうになかった。
「俺はな、お前を尊敬してるだけじゃねえんだ」
「……なに?」
「ああ……なんだ。まあ、それは追々。うん。だから、最後まで一緒に頑張ろうな。ずっとそばにいるから」
絞りだすような泣き声が耳元で聞こえる。
正直に言えば、好きな女には指の先も心の端っこも傷ついてほしくない。負傷していれば心配で心臓がつぶれそうになるし、別れ際はいつだってこれが最後になったらと思えて怖い。でも、コイツが前に進もうとするなら、陰になり日向になりいつだって共にありたい。一人で苦しんでいるなら、傷を負った身体ごと俺の手で癒したい。
「後藤、あのね」
「うん」
「ありがとう」
「いや、俺は何もしてねえだろ」
「そんなことない。さっきの言葉、どれだけ嬉しかったか。ずっと好きだった人に言ってもらえたんだもの」
「うおっ……さらっと言うなや。それは、俺もっていうか、俺の方こそ」
「ねえ、後藤が隠の後藤さんなら、私が剣士の後藤さんって呼ばれる日は来る?」
「はっ?」
固まる俺に向けられるいたずらっぽい笑み。なんだよ。からかってるつもりみたいだが、顔が真っ赤じゃねえか。
「来るんじゃねえの」
傷と肉刺だらけの愛しい指が伸びてきて、口元の布をつまみ、めくり上げる。
「まじまじ見るほど大した面じゃねえぞ」
隠していた気持ちだけじゃなく、顔まで好きな女にさらけ出すのが恥ずかしいやら嬉しいやら。目を合わせて笑い、唇を触れ合わせて心を溶かした。いつかこの先に、隠と剣士ではない俺とコイツで寄り添える日々が待っていたらいい。
そんな日が来るまで今日も今日とて東奔西走。
「来てくれたんだ」
「まあな。ほら、これ好きだろ」
「あっ、カステラだ。ありがとう」
布団から覗かせた目を嬉しげに細めた。
明るい日差しが窓から射す、蝶屋敷の大部屋。空いた病床がずらっと並んで、俺たち以外誰もいない。こうしていると、目の前のコイツが夜ごと命を懸けて刀を振るっている剣士なんて嘘みたいだ。なんだか急に気恥ずかしくなって、わざと音を立てて椅子に座った。
「傷の具合どうなんだ。まだ痛むだろ」
「まだ塞がってない。どこもかしこも痛くて、髪も背中も思いきり洗えないんだよね。あ、そうだ。せっかく来たんだし、洗うの手伝ってよ」
「バッ……カじゃねえの。すみちゃん達に頼めや」
くすくす笑う声が静かな部屋に響く。冗談を言えるくらいに回復してきたのは良かったが、完全にからかわれている。
「後藤、あのね」
「なんだ」
「肩のこの怪我、気づいたら鬼の牙が突き刺さってできたの。避けるどころか、近づいてくる気配すら察知できなかった。こんなんじゃさあ、無惨に一太刀も浴びせることできないよね」
「……」
「早く治して、もっともっと、もっと必死に頑張らないと」
「お前は、今だって本当によく頑張ってるだろうよ」
「そうかな。でも、足りないんだよ。全然」
布団を強く握る手の甲にも、皮膚をむりやり閉じたようにぼこぼこ盛り上がる傷跡がある。そうだ。これも俺が手当てしてやったんだ。他に誰もいない木陰で、手から血を流して悔しそうに話していたっけ。
気力と体力と時間をありったけ使っても、それが少しも形にならない気がするのって苦しいよな。自分より後からきた人間が、ひょいっと軽々と超していったりさ。俺にとってのそれは剣技の才だった。だから、お前の気持ち分かるよ。すっげえ分かる。努力の全てが報われるほど人生は楽勝にできていないってこと、痛いほど知ってるよな。お前も俺も。
でもな、
でもさ、
だからこそ言いたい。ちゃんと伝えてやりたい。ずっとそばで見ていた俺の言葉で。
「いいや、お前は本当に頑張ってるだろ」
「後藤……」
「お前が自分を認めてやれねえなら、その分、俺が何度でも言ってやる。お前は本当によく頑張ってるよ。尊敬してる」
「……」
「って、俺にそんなこと言われても嬉しくねえか」
ひぃっ、と喉が鳴る音。そして、首がもげるんじゃないかってほど頭を横に振って泣きじゃくりはじめた。
「うっ、うれしくないわけ……ない、でしょ」
「ちょっ、おいおい、そんなに頭振ったら傷に障るぞ」
そんなこと分かってる、とでも言うように今度は縦にぶんぶんと振る。だめだ。堰を切ったように泣いていて、落ちつく様子がない。どれだけぎりぎりの状態で頑張ってきたんだ。ごちゃごちゃつまらないことを考えてねえで、もっと早く言葉にしてやれば良かった。
「あっ」
気持ちが溢れるままに抱き寄せた。
傷の手当や搬送以外で初めて触れた身体は、あたたかくてやわらかい。
ずっと触れたかった。こうしたかった。足かせや邪魔になりたくなくてずっと隠していたのにな。目しか出せない真っ黒の頭巾の下に気持ちを隠して、いつか伝えられる日を心待ちにしていたんだけどな。もう隠せそうになかった。
「俺はな、お前を尊敬してるだけじゃねえんだ」
「……なに?」
「ああ……なんだ。まあ、それは追々。うん。だから、最後まで一緒に頑張ろうな。ずっとそばにいるから」
絞りだすような泣き声が耳元で聞こえる。
正直に言えば、好きな女には指の先も心の端っこも傷ついてほしくない。負傷していれば心配で心臓がつぶれそうになるし、別れ際はいつだってこれが最後になったらと思えて怖い。でも、コイツが前に進もうとするなら、陰になり日向になりいつだって共にありたい。一人で苦しんでいるなら、傷を負った身体ごと俺の手で癒したい。
「後藤、あのね」
「うん」
「ありがとう」
「いや、俺は何もしてねえだろ」
「そんなことない。さっきの言葉、どれだけ嬉しかったか。ずっと好きだった人に言ってもらえたんだもの」
「うおっ……さらっと言うなや。それは、俺もっていうか、俺の方こそ」
「ねえ、後藤が隠の後藤さんなら、私が剣士の後藤さんって呼ばれる日は来る?」
「はっ?」
固まる俺に向けられるいたずらっぽい笑み。なんだよ。からかってるつもりみたいだが、顔が真っ赤じゃねえか。
「来るんじゃねえの」
傷と肉刺だらけの愛しい指が伸びてきて、口元の布をつまみ、めくり上げる。
「まじまじ見るほど大した面じゃねえぞ」
隠していた気持ちだけじゃなく、顔まで好きな女にさらけ出すのが恥ずかしいやら嬉しいやら。目を合わせて笑い、唇を触れ合わせて心を溶かした。いつかこの先に、隠と剣士ではない俺とコイツで寄り添える日々が待っていたらいい。
そんな日が来るまで今日も今日とて東奔西走。
2/2ページ