おねだり
わたしは、彼氏とケンカをしてみたい。
仲が悪くなりたいとか、売り言葉に買い言葉で言い争いたいとか、そんなことじゃない。わたし絡みで感情を激しく揺さぶっている姿を見てみたいのだ。
他人からは驚かれるが、付き合って三年、天元とは一度もケンカをしたことがない。それはなぜか。例え、ケンカの芽が小さく芽吹いても、彼はそれを上手に摘み取ってしまうからだ。そうして、気づいたら二人で笑ってご飯を食べていたり、「あれ? そういえば、なんか怒っていたような……」とお風呂で頭を洗いながら思い出したりする。
いつだって余裕を崩さないはずの顔を歪めて、大きい声を出して、目を見開いて、顔を紅潮させる――そんな彼を見てみたかった。
♢
大学の仲間が結婚することになり、仲間内だけで開くパーティーの案内が届いた。
「ねえ、九月の十八日、大学の子の結婚パーティーに行ってくるからね」
天元は赤い目でちらっとこっちを見て、ふうん、と言った。社会人になってから出会った天元は大学時代のわたしを知らないのに、男が参加するかを気にしたりしないんだなあと思うと、面白くなかった。逆の立場なら絶対に気になって、手を変え品を変え探ってしまうのに。
パーティー当日、鏡に向かってメイクをしていると、背後に立った天元がワンピースの背中のファスナーをしめてくれた。鏡の中から見る顔は、いつもと同じでキレイに整っている。
やっぱりなんだか面白くない。
「ネックレスもつけて」
はいはい、と言うと、ローテーブルに用意していたシルバーのネックレスを無視して、ゴールドのネックレスをアクセサリーケースから出した。
「シルバーのやつ置いといたのに」
「こっちの方が合うだろ」
留め具が外され、一本の線になったネックレスが肌に触れた。ひやっとした金属の感覚と、髪をアップにした首筋に押し当てられた熱く湿った感触。
「……え、なにっ?」
天元は首筋に唇をつけたまま、目だけを鏡に向けて悪戯っぽく笑った。動揺しているわたしを置き去りにして、「はい、できた」と唇を離した。ゴールドのネックレスがついた首も、パーティー用の華やかなメイクをのせている顔も、かあっと熱を帯びた。
やっぱりどうしても面白くない。自分ばかりが、動揺して、焦がれて、感情を乱している。
パーティー用の小さいバッグと携帯を手に持って、とぼとぼと玄関に向かった。ベージュのパンプスを履いて、くるりと振り返る。
「気をつけてな。帰り、駅まで迎えに行くから」
「うん。ありがと」
手の中の携帯が、ブブッと振動した。画面に表示されたのは、大学時代の男友だちの名前と「何時に駅につく? 会えるのまじで楽しみー!」という他愛もないメッセージだった。すぐに「十二時には着くよ。私も会えるのめっちゃ楽しみ!」と返信した。
「そいつ、誰?」
「――元カレ」
「……」
指一本握ったことのない相手を元カレに仕立てて、少しだけ憂さ晴らしをした。でも、こんな急ごしらえのリトマス試験紙の反応は悲惨な結果に終わり、天元の顔は変わらなかった。
「じゃあ、行ってき――」
玄関のドアがドンっと鳴り、気づいたときには、無機質で冷たいドアと、ドアに片腕を押し当てた天元に挟まれた空間にいた。
そして、顎に添えられた指で顔を押し上げられ、吐く息すら呑みこまれるように口を塞がれた。息が苦しくて天元の胸をドンドン叩くと、最後に唇を横に強く滑らせてから離れた。
「元カレとか、くっだらねえ嘘つきやがって」
息を弾ませ、顔を紅潮させた天元が目の前にいた。
「嘘じゃないもん」
「一目瞭然に嘘だろ。お前は嘘がド下手くそだから、すぐ分かるんだよ」
大きく見開いた赤い目が、わたしをじっと見ている。
「……」
「俺に嫉妬してほしいわけ? つーか、俺が嫉妬しねえと思ってるんだ?」
わたしの赤いリップが移った唇が、大きな声を出す。
「嫉妬なんかされたことないし、それに、嘘だって分かってるなら、そんなに怒ることないじゃん」
「例え友だちだろうがなあ、あんな連絡一本許せねえくらい俺は嫉妬深いんだよ」
いつだって余裕を崩さないはずの顔を歪めて、大きい声を出して、目を見開いて、顔を紅潮させる――そんな天元が確かに目の前にいて、不貞腐れたように言った。
こんなことで喜んじゃう彼女でごめん、と思いつつも、嬉しすぎて首に腕を巻きつけた。
「なんなの、お前……。分かったのかよ」
「すごくすごくすごぉく、分かった」
「そうかよ。分かったならいいけど」
顔を見合わせてもう一度キスをしながら、わたしの首もとで揺れるゴールドのネックレスが首輪みたいでいいな、なんて思ってしまった。
数十分後、駅で待っていた男ともだちに口の周りがリップで赤く滲んでいることを指摘され、言い訳に苦労することになるとは露知らず。三年目のケンカの甘い喜びに浸っていた。
仲が悪くなりたいとか、売り言葉に買い言葉で言い争いたいとか、そんなことじゃない。わたし絡みで感情を激しく揺さぶっている姿を見てみたいのだ。
他人からは驚かれるが、付き合って三年、天元とは一度もケンカをしたことがない。それはなぜか。例え、ケンカの芽が小さく芽吹いても、彼はそれを上手に摘み取ってしまうからだ。そうして、気づいたら二人で笑ってご飯を食べていたり、「あれ? そういえば、なんか怒っていたような……」とお風呂で頭を洗いながら思い出したりする。
いつだって余裕を崩さないはずの顔を歪めて、大きい声を出して、目を見開いて、顔を紅潮させる――そんな彼を見てみたかった。
♢
大学の仲間が結婚することになり、仲間内だけで開くパーティーの案内が届いた。
「ねえ、九月の十八日、大学の子の結婚パーティーに行ってくるからね」
天元は赤い目でちらっとこっちを見て、ふうん、と言った。社会人になってから出会った天元は大学時代のわたしを知らないのに、男が参加するかを気にしたりしないんだなあと思うと、面白くなかった。逆の立場なら絶対に気になって、手を変え品を変え探ってしまうのに。
パーティー当日、鏡に向かってメイクをしていると、背後に立った天元がワンピースの背中のファスナーをしめてくれた。鏡の中から見る顔は、いつもと同じでキレイに整っている。
やっぱりなんだか面白くない。
「ネックレスもつけて」
はいはい、と言うと、ローテーブルに用意していたシルバーのネックレスを無視して、ゴールドのネックレスをアクセサリーケースから出した。
「シルバーのやつ置いといたのに」
「こっちの方が合うだろ」
留め具が外され、一本の線になったネックレスが肌に触れた。ひやっとした金属の感覚と、髪をアップにした首筋に押し当てられた熱く湿った感触。
「……え、なにっ?」
天元は首筋に唇をつけたまま、目だけを鏡に向けて悪戯っぽく笑った。動揺しているわたしを置き去りにして、「はい、できた」と唇を離した。ゴールドのネックレスがついた首も、パーティー用の華やかなメイクをのせている顔も、かあっと熱を帯びた。
やっぱりどうしても面白くない。自分ばかりが、動揺して、焦がれて、感情を乱している。
パーティー用の小さいバッグと携帯を手に持って、とぼとぼと玄関に向かった。ベージュのパンプスを履いて、くるりと振り返る。
「気をつけてな。帰り、駅まで迎えに行くから」
「うん。ありがと」
手の中の携帯が、ブブッと振動した。画面に表示されたのは、大学時代の男友だちの名前と「何時に駅につく? 会えるのまじで楽しみー!」という他愛もないメッセージだった。すぐに「十二時には着くよ。私も会えるのめっちゃ楽しみ!」と返信した。
「そいつ、誰?」
「――元カレ」
「……」
指一本握ったことのない相手を元カレに仕立てて、少しだけ憂さ晴らしをした。でも、こんな急ごしらえのリトマス試験紙の反応は悲惨な結果に終わり、天元の顔は変わらなかった。
「じゃあ、行ってき――」
玄関のドアがドンっと鳴り、気づいたときには、無機質で冷たいドアと、ドアに片腕を押し当てた天元に挟まれた空間にいた。
そして、顎に添えられた指で顔を押し上げられ、吐く息すら呑みこまれるように口を塞がれた。息が苦しくて天元の胸をドンドン叩くと、最後に唇を横に強く滑らせてから離れた。
「元カレとか、くっだらねえ嘘つきやがって」
息を弾ませ、顔を紅潮させた天元が目の前にいた。
「嘘じゃないもん」
「一目瞭然に嘘だろ。お前は嘘がド下手くそだから、すぐ分かるんだよ」
大きく見開いた赤い目が、わたしをじっと見ている。
「……」
「俺に嫉妬してほしいわけ? つーか、俺が嫉妬しねえと思ってるんだ?」
わたしの赤いリップが移った唇が、大きな声を出す。
「嫉妬なんかされたことないし、それに、嘘だって分かってるなら、そんなに怒ることないじゃん」
「例え友だちだろうがなあ、あんな連絡一本許せねえくらい俺は嫉妬深いんだよ」
いつだって余裕を崩さないはずの顔を歪めて、大きい声を出して、目を見開いて、顔を紅潮させる――そんな天元が確かに目の前にいて、不貞腐れたように言った。
こんなことで喜んじゃう彼女でごめん、と思いつつも、嬉しすぎて首に腕を巻きつけた。
「なんなの、お前……。分かったのかよ」
「すごくすごくすごぉく、分かった」
「そうかよ。分かったならいいけど」
顔を見合わせてもう一度キスをしながら、わたしの首もとで揺れるゴールドのネックレスが首輪みたいでいいな、なんて思ってしまった。
数十分後、駅で待っていた男ともだちに口の周りがリップで赤く滲んでいることを指摘され、言い訳に苦労することになるとは露知らず。三年目のケンカの甘い喜びに浸っていた。
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