そう。だから、さようなら

「そこに並んでる塵ども。練習は終わったんだから、そろそろ出てけ」
「これ、うっめぇな! もっとくれよ、祭りの神」
「伊之助,、ボロボロこぼしちゃだめだ」
「ったく。話聞けっての。お前ぇら、俺のこと教師だと思ってねえだろ」
「ぷぷぷ。だって、こんな反社そのものな教師いるわけなくない?」
「……なんか言ったか? 我妻よォ」
「ひッ! やだっ、なんにも言ってませーん!」

 この部屋からの退去を命じてもどこ吹く風。竈門・嘴平・我妻のクソガキトリオがソファーに横並びに座って、ピーチクパーチク言いながら菓子を食っている。今日みたいにバンドの練習がある日ならまだしも、呼んでもいねえ日もちょくちょく来やがるのは、美術室の充実した設備目当てだろう。
 コーヒーメーカー、冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロ、必需品のガムをはじめとした菓子や軽食なんかが入っている食糧庫(嘴平が食っている菓子は、ここから勝手に出したものだ)、そして俺が楽々寝転がれるくらいド派手にデカいソファーもある。これらはすべて俺が持ち込んだもので、露天風呂も密かに目論んではいるが、さすがにそれは無理か。美術室と美術準備室の間の壁も、窓があった美術室の壁も爆風で吹っ飛ばしてすっきりしているし、居心地をとことん追求した俺の城だ。
 言っても話を聞きゃしないクソガキは無視して、再びキャンバスに筆を走らせる。描き上げたってどこに出すわけでもない絵だが、自分の脳内を自由に表現できるこの時間は俺にとって大切だ。

 視線を感じて美術室のドアに目をやると、キャーッというかん高い声と走り去っていく足音が耳に飛び込んできた。細く開いたドアのすき間からは、翻る制服のスカートの裾が見えただけで、声の主の姿はほぼ見ることができなかった。
「ねぇぇぇ! なんなの、あの女の子たち! 輩先生を見に来たんじゃないだろうね」
「お前は、ほんっとにいちいちうるせぇな……。うしろのドアから覗いてた奴らだろ? 日常茶飯事だわ」
「はぁぁぁぁ? ああ、ヤダヤダ。モテてきた人はいいよね。苦しい思いとかしたことないでしょ」
「……まぁな。俺がそんな思いするわけねえだろ」
「ふんっ。なんでこう、いちいち嫌味な」
 嫉妬丸出しでギャーギャー騒いでいた我妻が、ハッとした顔で俺を見る。こいつは俺と同じように耳がいいせいか、異常に察しがいい。我妻の隣に座っている竈門は俺らの話に入ろうとする様子もなく、好々爺のような笑顔で嘴平の世話を焼いている。いつもながらの平和な光景は、見てるこっちまで毒気を抜かれて、全身の脱力感がやばい。まじで勘弁してくれ。俺の城を憩いの場にすんな。
「……そっか。輩先生も色々あるか。オッサンだもんね」
 思ったとおりだ。やっぱり察しやがった。めんどくせえ。
「派手にモテる人生だからな。色々あって当然だろ」
「そういうのはいらないんで。何があったの? 教えてよ」
「俺の武勇伝聞くか? 嫉妬でお前がおかしくならねえか心配だわ。あれは俺が保育園に入園する前、近所の……」
「ざっけんなよ! 俺が聞きたいのはアンタが苦しい思いをした話だよ!」
「……お前、発言やべえな」
「とにかく! 俺はアンタとは違ってのひとりの女の子を世界一幸せにするんだ!」
「んなこと、俺に宣言すんな。勝手にしろ。そうだ。なぁ、今から手当たり次第に当たって砕けて来いよ。ちゃんとなぐさめてやっから」
「ねえ、なんで砕ける前提なワケ? かわいい生徒の幸せを願ってアドバイスしようとか思わないの?」
「……」
「無視すんな! 俺、もうアンタとは金輪際口きかないんでッ」
 目を三角に吊り上げて、竈門のシャツの襟元をつかんでギャーギャー言いつけている。竈門は右に左に身体を揺らされながら、時おり我妻をなだめ、笑顔のまま平然と嘴平と菓子を食っている。
 我妻、お前は察しがいいが、こんな煽りで簡単に煙に巻かれるあたりやっぱりまだまだガキだな。表面はきれいに治って見えても、皮ふの下ではいつまでも治らない古傷みたいな思い出くらい、俺にだってあるよ。年を取ろうが、どんだけモテようが、心の内側の深い部分に入りこんでくる相手なんてそうそう出会えない。だから、そんな相手と出会ったらどうなるか。地味な話すぎて絶対に教えてやらねえけどな。
 ちょうど今のこいつらぐらいの時だから、もう六年も経つのか。まるで実の兄弟のようなトリオの声を聞きながら、次から次に思い出される昔の記憶と、その記憶が連れてくる鈍痛をかき消すように絵筆を動かしつづけた。
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