祭りのあと

「お客さま、お帰りでぇす。ありがとぉございましたあ」
 そんな棒読みの声を背にして酔っ払いたちが急な傾斜の階段を下り、ビルの前の空間にたまっていく。二次会会場はいつもの店なのだから、すぐに向かえばいいのに、高揚感や酔いでふわふわした気持ちのままたむろするこの時間がみんな好きなのだ。
 この謎の時間、私にはひそかな楽しみがあった。こっそりと視界の端に宇髄さんを入れて観察するという楽しみ。酔って上機嫌で大笑いする姿を見てうれしくなったり、パチッと目が合ってほほえまれただけで心臓が飛び跳ねたり、「はあ? 今からかよ……。分かった、分かった、行ってやるよ』と電話の相手に根負けした様子で二次会不参加になったことに心を粉砕されたり、隣を死守している女の子の存在に不安になったり、今まで本当に色んなことがあった。できるなら、そんな悲喜こもごもな過去の自分に伝えたい。今夜のこと。どんな反応をするだろう。質疑応答の時間をたっぷりと設けたとしても、きっとすぐには信じてもらえないだろう。

 二次会不参加組がなんとなく集まったので、駅に向かって歩き出した。口々に別れの挨拶をしながら二次会参加組の横をとおり過ぎると、楽しそうな酔っ払いたちの声は歩くにつれて小さくなり、最後は遠くで聞こえる音に変わって消えていった。
 居酒屋から駅までは五分ほど。その道中を共に歩く一行は七名だ。一列目が女子一名と男子二名。二列目が鈴木さんと私。三列目が山田くんと宇髄さんだ。
 うしろから聞こえる声にどうしても耳をそばだててしまう。なんの話をしているか分からなくても、「あっそォ」とか「地味だな」みたいな相づちが聞こえるだけでうれしくて、危険を察知した草食動物のように、自分の耳が後方に向いてピンと立っている感覚に陥るほどだ。
 焦ったような気持ちがずっとついて回るのは、今日のことがあまりに夢のようで、明日になれば全部なかったことになってしまう気がするからだろうか。それとも、酔いのせいで理性がゆるんで落ちつかないせいだろうか。明日だって明後日だって顔を見ようとすれば叶うのは分かっていても、やっと思いが通じて何かが起こるはずだったのに今日がこのまま終わってしまうのは嫌だ。
 今まで自分の中だけで大事に隠し持っていた気持ちが一旦あふれてしまったら、こんなにももどかしくなるものなのかと驚きながら、居酒屋から駅までの道が永遠に続けばいいのにと願わずにはいられない。宇髄さんが機会をつくってくれていたように、私もどうしても聞きたいことがあったのに。今夜はもう無理なのかもしれない。
「どうした? 大丈夫?」
「え?」
「なんか、苦しそう。ちょっと止まる?」
 最低だ。肩にそっと置いてくれた手も、心配そうに覗きこんでくれる顔もとてもやさしくて、そんな鈴木さんにうその体調不良の看病をさせたり、後方に意識が奪われていたせいで話をきちんと聞いていなかったことを心から申し訳なく思った。
「大丈夫です! ごめんなさい」
 慌てる私の言葉ににこっと笑ってくれたので、笑い返した。もう、駅はすぐそこ。残り一分もない。駅に着いたらそれぞれ電車に乗って、今日が終わる。家に着いたらメッセージを送ろう。今まで一度も個別で送ったことがなかったけれど、今日のことが本当にうれしかったこと、靴箱の木札を置き忘れて予定をぶち壊してしまって申し訳なかったこと、話したいことも聞きたいこともあること。全部ちゃんと素直に伝えよう。既読になるまで心臓がもつかしら。そんなことを考えながら心の整理をした。
「うわっ」
 突然、手をグッと後ろに引っ張られて大きな声が出た。驚いてふり返った先には、私の手をつかみ、真剣な顔の宇髄さんがいた
 どうしたんだろう。いたずらを仕掛けるときのワクワクした顔でもないし、触れたい気持ちが溢れているようなあまい感じでもない。眉根を寄せて、目尻が上がった大きな目で、何かを読み取ろうとしているように見える。 
「……」
 宇髄さんと私が手をつないで無言で見つめ合っているというめずらしすぎる光景に、全員が足を止め、そっくりの驚いた顔で観察している。手をにぎられている自分だって状況が理解できていないから、私たちの間を行き来する五人の視線に居心地が悪い。
「宇髄?」
 どうするのが正解なのかが判断できずに硬直している私の代わりに、口火を切ったのは鈴木さんだった。そう声を掛けられると、手をにぎったまま私の横まで来た宇髄さんは手の力を一層強めてこう言った。
「こいつが苦しそうって聞こえたから」
「ああ、うん。酔いがぶり返しちゃったのかな」
「いや。これは、俺しか治せねえやつだ」
「……え? あれ、もしかして、ふたりってそういう感じ?」
 ここにいるのはみんな、お年頃の男女だ。手をにぎりながらの発言と、私たちの間に流れる空気で何かがあるのを完全に悟ったのだろう。
「そういう感じっていうか……。いや、まだ何も。あっ、何もじゃないんですけど」
 宇髄さんは吹き出すと、手をギュッギュッと二回にぎった。落ちつけよ、と言われているのか、そういう感じで合ってるだろ、という肯定の意味なのかまでは判断できなかったが、口を閉じた。
「まあ、乞うご期待だな。わはは。じゃあ、俺たち抜けるわ」
「全然気づかなくて、いっぱい邪魔しちゃったじゃん……。ごめんね。仲良くね。また明日!」
「おお、気ぃつかわせて悪かったな。ありがとな。ド派手に仲良くするわ」
 祝福の意味であろう拍手たちに見送られ、駅に向かう御一行から離脱をした私たちは、手をつないだまま歩き出した。
 今日という日は本当に何が起こるか分からない日だ。そのすべてを引き起こしてた人はどこ吹く風で、つないだ手を前後に振っている。
 ずっと手が届かないと思っていた人と心が通じて、手をつないで歩いているという現実の非日常感を高めているのは、夜の闇と静けさの中を駅とは逆に向かって歩くのが自分たちだけだからかもしれない。

「あいつら、ド派手に驚いてたなぁ」
 楽しそうな声と、猫みたいに細めた視線がまっすぐに流れてくる。
「はい……。ちょっと自分も何がなんだかで」
「そっか。俺は、やっとふたりになれてうれしいけど」
 見上げると、本当にうれしそうな顔でそんなことを言うものだから、目をそらしてうつむいた。叶うことを想像することすらできず、ずっとしまっておいた気持ち。でも、溢れる気持ちを隠す必要がないんだということをすぐさま思い出した。
「うれしいです、私も」
 宇髄さんは少しだけ目を見開いてから、私の手の甲を自分の口元に近づけてくちびるを落とした。手の甲に触れるやわらかい感触や、いつもきれいに上がっている目尻がふわっと下がっている表情から、好きな人に好きになってもらえる幸せを改めて感じて心が震えた。本当にもう、どうしたらいいんだろう。どんどん好きになっていく。 胸がいっぱいになって何も言えなかった。
「おかえり」
 にぎった手をまるで宝物でも隠すみたいにパーカーのポケットにしまってくれた。
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