ワンメーター・ラブストーリー

 宇髄さんが広いところで描きたいと言って、それはこちらとしても館内だと目立ちまくりそうなのが気にかかるので好都合だった。カウンター内から大きな模造紙とマーカーの二十四色セットを調達して、隣の図書準備室に向かった。 
「で、どんな本の紹介すんの」
 シャツの袖を二の腕までたくし上げながら、子供のようにわくわくした顔をしている。いかにも喧嘩の強そうな二の腕は、私の太ももくらいの太さがあった。
 ポスターに載せる本の内容や、元々考えていたレイアウトの説明をしている間、ふんふんとか、へぇとか相づちを打ちながら、じっと私の目を見て聞いていた。
 正直、意外だった。
 こういう事前説明的なものはそこそこで切り上げられてしまって、「わかったわかった。俺は好きに描くんだよ」なんて言うだろうと予想していたのに、最後まで聞いてから、了解、と笑った。
「俺は、ここ描くからよ。お前はこっち描けよ」
「私も描くんですか?」
「あたり前だろ」
 まさかまさか。まさかの流れで、並んで描くことになった。
 大きな模造紙の、私に割り当てられた大きなスペース。まっすぐ引いたつもりが斜めになった線や、小さすぎた丸、何を描いてもありきたりでつまらなく思えて、うっすらとした鉛筆の下書きを、考えては描き、描いては消し、それを繰り返していた。
 宇髄さんは、片膝を立てて、そんな私をじっと観察していた。
「あの、すごい見てません?」
「お前さ、あれが描きてえとか、これ伝えたいとか、色々考えてたんだろ? 上手いとか下手とかよりも、派手に自由にやってみ」
「……でも、変かなとか、ありきたりだなとか、色々気になっちゃうんですよ」
「じゃあ俺がお前の絵に合うようなの描いて、ド派手に最高なポスターにしてやるから」
 めったにお目にかかれないレベルの、一点の曇りもないドヤ顔を向けられ、すとんと肩の力が抜けた。

 紹介する本はSFで、侵略された地球から自分だけ逃がされてしまった主人公が、運命と抗って地球と人類を救うというものだった。
 すでに作ってある紹介文と合うように、舞台となる惑星を描く。宇髄さんに見守られ(見張られ?)ながら、イメージを手に脳直で連動させて、すいすい描いた。
「できました!」
 謙遜ではなく本当に下手な絵だ。でも、文字を追いながら想像していた風景を、自分なりに形にできたことが嬉しかった。自分の行動パターンにはない「こうしたい」と思うことをストレートにやってみるのは、とても気持ちが良いことだった。
「よし。派手で良いッ!」
 嬉しげに笑うと、次は俺の番だな、と言った。

 床に置かれた紙に視線を落とし、ほんの数秒、何かを考えた顔をしたかと思うと雰囲気が一変した。 
 キュッキュッというマーカーの音。大きな手が動くたび、まっさらだった模造紙が鮮やかに色づいて、華が溢れていく。いつの間にか紙から移った私の視線は、うつむいた顔にかかってさらさら揺れる銀髪や、絵を描くことが本当に好きなのが伝わる、少し微笑んだ口元から動かせなくなっていた。 
 胸がワクワクして、心臓がトクトク鳴る。

「できた! どうよ?」
 顎を上げた、自信満々の顔。 
 下書きなしの一発勝負。あっという間で魔法みたいだ。私が描いた惑星に宇宙船が不時着していて、寂しげに宇宙空間を見つめる主人公の後ろ姿があった。いろんな色が踊っていて派手なのに、全体が不思議と調和していた。
「……」
「ん? 気にくわねえか?」 
「――気にくわないどころか!」
「うお……」
「本当にすごいです! みんな絶対に目を留めてくれるはずです!」
「おお……」
「自分がこんなに楽しく描けたのも、すっごい嬉しくて! 宇髄さんのおかげです。ありがとうございます」
 違う自分になれたような高揚感。テンションが上がって、力説してしまった。宇髄さんは口を薄く開いたまま、暑苦しい私を見つめていた。
「すみません。ベラベラと……」
「いや。そんなに派手に喜ぶ奴だと思ってなかったから」
 勢いに気圧されて驚いていた顔が、ほんのちょっとだけ照れたように、小さく笑った。

 宇髄さんが私の頭を撫で、お前かわいいわ、と言った。
 斜めに向かい合うように座って、二人きり。狭い準備室が、急にもっと狭く感じる。目じりがゆるんだ紅い瞳に見つめられ、力説していたときに身体の前で握っていた拳を膝の上に置いた。
「えっ……! 戻ります、戻らないとっ」
 その顔が息がかかる距離まで近づいていたことに気づき、金縛りがとけたように慌てて準備室を飛び出した。せっかく描いてもらったポスターも、マーカーも、宇髄さんも置いてけぼりにして。
 これ以上、耐えられそうになかった。あたり前のように境界線を超えてこようとするから。
 きっと気まぐれ。人を本気で好きになれず、恋のはじまりだけを楽しんできた人のことを、うっかり好きになったら大変だ。
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