ワンメーター・ラブストーリー
しかし、これが最初で最後ではなかった。
あれ以来、宇髄さんは図書室にちょくちょく来るようになった。毎回、窓際の机に座るので、常連の生徒も暗黙の了解でその席を使用しなくなるほどの頻度で。
こっそり見ていると、本を読んでいるよりも、頬杖をついて外を見たり、下を向いて何かを書いていることの方がずっと多い。目を閉じた顔を窓の方に向けているときは、鼻が高くてうらやましいと思いながら、気兼ねなくじろじろ見た。
たまに失敗して、見ていることがバレると、おかしそうに笑いながら手を振られてしまうので、小さく頭を下げてから、あまり見ないように気をつけた。
そして、毎回一冊の本を借りていく。
ジャンルはバラバラで、近代文学の文豪の作品を選んだかと思えば、世界遺産の写真集や、海外の絵本を借りていく。大きな手が差し出す本のバーコードを読み取って、手続きが終わったら、「返却期限は二週間後です」と伝えてその日は終わり。二週間経たずに返却に訪れて、また借りていく。この繰り返しだった。
心の中で、今回はこの本なんだ、とは思うものの、声に出して伝えることはしなかったし、目を合わせて雑談することもなかった。
そんな日が幾日か過ぎた、ある放課後。私は張りきっていた。生徒から数件のリクエストがあった本がやっと届き、『新しい本が入りました』というお知らせを急いで作って、新刊コーナーに並べたくて仕方なかったからだ。
「なあ」
カウンター内で、ああでもないこうでもないとアイディアを練っていると、呼びかけるような男性の声が聞こえた。
「なあってば」
同じ声がまた聞こえた。でも、そっちを見なかった。今日は受付係ではなかったし、忙しいのだ。
「おーーーいーーーー」
さすがに何事かと思って声のする方を見ると、カウンターに両手をついて身を乗り出すようにしている宇髄さんの姿が目に入り、その顔がぱあっと笑顔になった。
「やあっと、こっち向いた。よォ」
ものすごく困った様子の受付係。宇髄さんと私を交互に見る、図書委員仲間。読みかけの本なんかそっちのけで、こっちを見ている来館者たち。館内に流れるなんともいえない空気。どうしたらいいか分からない私。そして、そんな状況を一切意に介さず、笑っている宇髄さん。
これは……あれだ。リアル針のむしろだ。
「ちょ、あの、うずいさん、声のボリュームが」
「わかったわかった。あの本ある?」
派手な登場で、何を言われるかと思いきや、正当な目的があって来館したようだった。聞いてみれば、日本画の画集を探しているという。蔵書検索用の端末を案内すればいいのだが、いたたまれなくなった私は、席を立って案内することにした。
「ここにありますよ」
さすがキメツ学園の図書館だ。今や絶版になっている日本画の画集が、書架の一番下にどっしりと鎮座していた。
「おー! ありがと。図書館なんて、ほぼ来たことねえからさ」
サイズの大きい画集も、宇髄さんが持つとそこまで大きく見えない。早速パラパラとめくりながら、俺もこういう絵描きてえな、と言った。
「絵、描くんですか?」
「まあな。今月末、美大の推薦だし」
推薦試験を目前にした受験生には思えないほど、ずいぶんと余裕がある。そして、絵を描くという行為は静かに黙々とやるイメージで、今まで校内で見かけていた宇髄さんの姿と上手に重ならなかった。
「なんだよ、そんなに意外?」
体勢を低くした宇髄さんが、紅い瞳でのぞき込んできた。この人の顔は、数十センチ下から見上げるくらいがちょうどいい。そんなことを思うほど、迫力があった。
「意外、でした。どんな絵を描くんですか?」
「基本は油彩。でも、気の向くまま色々だな。そういや、さっきお前も何か書いてなかった?」
「あれは新しい本のお知らせのポスターです。図書館入ってすぐのところに、貼るんですよ。目立つように」
あそこです、と指をさして、入り口前の掲示板に顔を向ける。
「へえ。目立つように?」
「はい。文字だけだと見てもらえないので、絵を描いたり、目立つように派手にしてます。絵、すごく苦手なんですけどね」
じゃあそろそろ戻ります、と頭を下げ、カウンターに戻ろうとした私を通せんぼするように腕が出てきた。
「え」
「目立つ、絵、派手――それ、俺が描くわ。ド派手なやつ」
「えっ?」
両肩をつかむ手にくるりと方向転換され、カウンターに向けて歩く。座って本を読んでいる人や、書架の前で本を選ぶ人の視線が、私たちと一緒に動くのが分かる。肩に置かれたままの手をやんわり避けると、宇髄さんが目を丸くした。
やっぱり宇髄さんは自分の知らない世界に住んでいる人だと実感する。
他人とあっという間に距離を詰めることにためらいがなくて、人から見られていることが当たり前。そわそわ落ちつかなくて、申し訳ないけれど居心地が悪い。
そんなことを思われているとは知らず、何描こっかなあ、と屈託なく笑っている顔を見て悲しくなった。
あれ以来、宇髄さんは図書室にちょくちょく来るようになった。毎回、窓際の机に座るので、常連の生徒も暗黙の了解でその席を使用しなくなるほどの頻度で。
こっそり見ていると、本を読んでいるよりも、頬杖をついて外を見たり、下を向いて何かを書いていることの方がずっと多い。目を閉じた顔を窓の方に向けているときは、鼻が高くてうらやましいと思いながら、気兼ねなくじろじろ見た。
たまに失敗して、見ていることがバレると、おかしそうに笑いながら手を振られてしまうので、小さく頭を下げてから、あまり見ないように気をつけた。
そして、毎回一冊の本を借りていく。
ジャンルはバラバラで、近代文学の文豪の作品を選んだかと思えば、世界遺産の写真集や、海外の絵本を借りていく。大きな手が差し出す本のバーコードを読み取って、手続きが終わったら、「返却期限は二週間後です」と伝えてその日は終わり。二週間経たずに返却に訪れて、また借りていく。この繰り返しだった。
心の中で、今回はこの本なんだ、とは思うものの、声に出して伝えることはしなかったし、目を合わせて雑談することもなかった。
そんな日が幾日か過ぎた、ある放課後。私は張りきっていた。生徒から数件のリクエストがあった本がやっと届き、『新しい本が入りました』というお知らせを急いで作って、新刊コーナーに並べたくて仕方なかったからだ。
「なあ」
カウンター内で、ああでもないこうでもないとアイディアを練っていると、呼びかけるような男性の声が聞こえた。
「なあってば」
同じ声がまた聞こえた。でも、そっちを見なかった。今日は受付係ではなかったし、忙しいのだ。
「おーーーいーーーー」
さすがに何事かと思って声のする方を見ると、カウンターに両手をついて身を乗り出すようにしている宇髄さんの姿が目に入り、その顔がぱあっと笑顔になった。
「やあっと、こっち向いた。よォ」
ものすごく困った様子の受付係。宇髄さんと私を交互に見る、図書委員仲間。読みかけの本なんかそっちのけで、こっちを見ている来館者たち。館内に流れるなんともいえない空気。どうしたらいいか分からない私。そして、そんな状況を一切意に介さず、笑っている宇髄さん。
これは……あれだ。リアル針のむしろだ。
「ちょ、あの、うずいさん、声のボリュームが」
「わかったわかった。あの本ある?」
派手な登場で、何を言われるかと思いきや、正当な目的があって来館したようだった。聞いてみれば、日本画の画集を探しているという。蔵書検索用の端末を案内すればいいのだが、いたたまれなくなった私は、席を立って案内することにした。
「ここにありますよ」
さすがキメツ学園の図書館だ。今や絶版になっている日本画の画集が、書架の一番下にどっしりと鎮座していた。
「おー! ありがと。図書館なんて、ほぼ来たことねえからさ」
サイズの大きい画集も、宇髄さんが持つとそこまで大きく見えない。早速パラパラとめくりながら、俺もこういう絵描きてえな、と言った。
「絵、描くんですか?」
「まあな。今月末、美大の推薦だし」
推薦試験を目前にした受験生には思えないほど、ずいぶんと余裕がある。そして、絵を描くという行為は静かに黙々とやるイメージで、今まで校内で見かけていた宇髄さんの姿と上手に重ならなかった。
「なんだよ、そんなに意外?」
体勢を低くした宇髄さんが、紅い瞳でのぞき込んできた。この人の顔は、数十センチ下から見上げるくらいがちょうどいい。そんなことを思うほど、迫力があった。
「意外、でした。どんな絵を描くんですか?」
「基本は油彩。でも、気の向くまま色々だな。そういや、さっきお前も何か書いてなかった?」
「あれは新しい本のお知らせのポスターです。図書館入ってすぐのところに、貼るんですよ。目立つように」
あそこです、と指をさして、入り口前の掲示板に顔を向ける。
「へえ。目立つように?」
「はい。文字だけだと見てもらえないので、絵を描いたり、目立つように派手にしてます。絵、すごく苦手なんですけどね」
じゃあそろそろ戻ります、と頭を下げ、カウンターに戻ろうとした私を通せんぼするように腕が出てきた。
「え」
「目立つ、絵、派手――それ、俺が描くわ。ド派手なやつ」
「えっ?」
両肩をつかむ手にくるりと方向転換され、カウンターに向けて歩く。座って本を読んでいる人や、書架の前で本を選ぶ人の視線が、私たちと一緒に動くのが分かる。肩に置かれたままの手をやんわり避けると、宇髄さんが目を丸くした。
やっぱり宇髄さんは自分の知らない世界に住んでいる人だと実感する。
他人とあっという間に距離を詰めることにためらいがなくて、人から見られていることが当たり前。そわそわ落ちつかなくて、申し訳ないけれど居心地が悪い。
そんなことを思われているとは知らず、何描こっかなあ、と屈託なく笑っている顔を見て悲しくなった。