ワンメーター・ラブストーリー
宇髄先生――もとい、宇髄さんとはじめて話したとき、私は高校二年生だった。とにかく派手好きで目立つ人だったので、学園中の人が彼を知っていたと思う。
ケンカがべらぼうに強い番長なんて呼ばれていたが、在校期間がかぶっていた二年間、学校行事で張りきる姿を至る所で見かけていたおかげで、お祭り男的な印象がすごく強い。運動会では恐ろしいくらいの俊足で走り、旗を振り回し、怒鳴っている姿を。文化祭ではステージの上で爆音でハーモニカを吹き、歓声の中で「俺は神だ」と叫んで、人差し指と中指をくっつけた両手で謎のポーズをとる姿を。
学年が一つ下の自分から見ていて、いつも楽しそうな人だなあという印象だ。モブ中のモブみたいな図書委員の自分とは決して人生が交わることのない、漫画の中のメインキャラを見ている感覚に近かった。
そんな接点のない私たちの日常が交じったのは、本当に偶然だった。
十一月の初旬。カウンター内で貸出や返却をする係だったが、暇な時間だったので、本の表紙に透明なフィルムを貼るブッカーかけをしていた。カッターマットの上でカッターを走らせて、本の大きさに合わせてカットしたフィルムを気泡が入らないように貼り進め、プラスチックの定規で空気を押し出す。こんな地味な作業が好きで、黙々とやっていた。
ガラッとドアが開く音の後に、シュタシュタシュタッという足音。身の危険を感じて身体を硬直させていると、大きな物体が、一メートルほどの幅があるカウンターを飛び越えて入ってきた。そして、さっさとカウンターの下に潜り込んでしまった。
恐怖と驚きで声も出せないでいる私を見上げたその人は、「悪ィな。ちょっと隠れさせて」と言った。これが、宇髄さんの紅い瞳に私が映った初めてだ。
本人自体が白く発光しているようで、とんでもなくキレイな人だとは思ったが、よくケンカをしているという噂の番長がこんなにも逃げるなんて余程のことだろう。とにかく関わりたくなさすぎた。
「こ、困ります」
「はぁっ? 頼むよ」
「怖いですよ……。何から逃げてるかも分からないのに」
「後で説明するって。聞かれても、俺はいねえって言って――あ、来た」
「えっ」
数秒後、ドタドタという足音が廊下から聞こえきた。入ってきたのは女の先輩が四人。先頭の人は怒りのオーラを放っていて、後ろの三人は入館と同時に周りを見回している。全員、女子高生という時代を思いきり謳歌しているような、華やかな人たちだ。
シーンと静まりかえった館内。あの男がこんなとこ来ないでしょ、でもルート的にここしか逃げられる場所ないよ、などと口々に話す声が聞こえていたが、先頭の人が声をかけてきた。
「ねえ、ここに宇髄来なかった? やたら派手派手うるさくて、でっかい奴」
つやつや潤んだリップには似つかわしくないトゲがある言葉が出てくるあたり、トラブルの相手はこの人なのだろうと思った。そして、なんとなく愛情の裏返しなんだろうな、とも。
「――誰も、来ていないですね」
気づいたらこう答えていた。何の変哲もないモブの日常に突如として降ってきたスリルを楽しんでいたのか、どっちが悪いか分からない状態で突き出すのは嫌だと思ったのか。自分でも分からない。
先頭の人がお礼を言いながら微笑んで、良心がちょっと痛んだけど時は戻せない。やっぱりあいつが図書館なんて来るはずないんだよ、と口々に言いながら出口に向かう四つの背を見送った。
「ありがと」
カウンター下から出て立ち上がった宇髄さんは、目を見て話そうとすると、仰け反る必要があるくらい大きかった。
「罪悪感がすごいです……。一体何があったんですか?」
「んー、チジョウノモツレ? 話せば話すほど、派手にヒートアップする系のな」
片眉を上げてちょっと考えるような顔をしてから、そう言った。痴情のもつれという単語はニュースでしか聞いたことがない。リアルで使われているのを聞くのははじめてだ。
「あの人、宇髄さんのこと好きなんじゃないですか」
「俺さあ、ド派手にモテるんだよ。お前の想像どおり」
「は?」
想像どおりとは? 何も言ってないのに?
冗談を言っている感じでもないし、まぁそうだろうなと思わせる人ではある。まったく読めない流れに驚いたが、黙って話を聞くことにした。
「で、付き合うだろ? でも、お互い楽しいのは最初だけ」
すぐに出て行くと思っていたのに、ちょっと離れた場所からイスを持ってくると、どかっと腰を下ろした。
「最初だけ、ですか」
「そ。後から好きになってくれればいい、一緒にいられるだけでいいって言われて始まるんだけどさ。まあ、自分を好いてねえ相手といるのはしんどいわな」
「なるほど」
「俺だって、次こそ好きになれっかなって毎回思ってんだよ」
「はあ」
事象的にはなんとなく理解できるものの、中学時代に一ヶ月間付き合った元彼が一人いるだけの私には、実感を伴わない話だった。
「本気で人を好きになったことないでしょ、とか言われるし」
「そうなんですか?」
宇髄さんが天井に顔を向けると、寄りかかった背もたれがギィッと音を立てた。虹を閉じこめたような銀髪が、さらさらと背中に流れる。
「――そうかも」
やけに平坦な言葉が出るまでの数秒間。一体何を考えていたのか。鼻筋が通った横顔が、影のパウダーをまぶしたようにほんの一瞬だけ曇った気がした。
「偉そうなこと言えませんけど、きっといつか好きになれる人に出会えますよ」
ほとんど恋愛経験のない自分が、恋愛経験が豊富なモテる人にこんなことを言うなんてどう考えても滑稽だ。でも、その横顔を見ていたらつい言いたくなってしまった。
宇髄さんは小さく笑うと、ありがと、と私の頭をわしゃわしゃ撫でて、図書館から出て行った。はじめて話すのに、まさか恋愛事情を聞くことになるとは思っていなかったけれど、さっぱりして話しやすい人だった。
有名人と話しちゃったというミーハー心と、宇髄さんと話すのも最初で最後だろうなというさみしさが心の中に同時に訪れた。
ケンカがべらぼうに強い番長なんて呼ばれていたが、在校期間がかぶっていた二年間、学校行事で張りきる姿を至る所で見かけていたおかげで、お祭り男的な印象がすごく強い。運動会では恐ろしいくらいの俊足で走り、旗を振り回し、怒鳴っている姿を。文化祭ではステージの上で爆音でハーモニカを吹き、歓声の中で「俺は神だ」と叫んで、人差し指と中指をくっつけた両手で謎のポーズをとる姿を。
学年が一つ下の自分から見ていて、いつも楽しそうな人だなあという印象だ。モブ中のモブみたいな図書委員の自分とは決して人生が交わることのない、漫画の中のメインキャラを見ている感覚に近かった。
そんな接点のない私たちの日常が交じったのは、本当に偶然だった。
十一月の初旬。カウンター内で貸出や返却をする係だったが、暇な時間だったので、本の表紙に透明なフィルムを貼るブッカーかけをしていた。カッターマットの上でカッターを走らせて、本の大きさに合わせてカットしたフィルムを気泡が入らないように貼り進め、プラスチックの定規で空気を押し出す。こんな地味な作業が好きで、黙々とやっていた。
ガラッとドアが開く音の後に、シュタシュタシュタッという足音。身の危険を感じて身体を硬直させていると、大きな物体が、一メートルほどの幅があるカウンターを飛び越えて入ってきた。そして、さっさとカウンターの下に潜り込んでしまった。
恐怖と驚きで声も出せないでいる私を見上げたその人は、「悪ィな。ちょっと隠れさせて」と言った。これが、宇髄さんの紅い瞳に私が映った初めてだ。
本人自体が白く発光しているようで、とんでもなくキレイな人だとは思ったが、よくケンカをしているという噂の番長がこんなにも逃げるなんて余程のことだろう。とにかく関わりたくなさすぎた。
「こ、困ります」
「はぁっ? 頼むよ」
「怖いですよ……。何から逃げてるかも分からないのに」
「後で説明するって。聞かれても、俺はいねえって言って――あ、来た」
「えっ」
数秒後、ドタドタという足音が廊下から聞こえきた。入ってきたのは女の先輩が四人。先頭の人は怒りのオーラを放っていて、後ろの三人は入館と同時に周りを見回している。全員、女子高生という時代を思いきり謳歌しているような、華やかな人たちだ。
シーンと静まりかえった館内。あの男がこんなとこ来ないでしょ、でもルート的にここしか逃げられる場所ないよ、などと口々に話す声が聞こえていたが、先頭の人が声をかけてきた。
「ねえ、ここに宇髄来なかった? やたら派手派手うるさくて、でっかい奴」
つやつや潤んだリップには似つかわしくないトゲがある言葉が出てくるあたり、トラブルの相手はこの人なのだろうと思った。そして、なんとなく愛情の裏返しなんだろうな、とも。
「――誰も、来ていないですね」
気づいたらこう答えていた。何の変哲もないモブの日常に突如として降ってきたスリルを楽しんでいたのか、どっちが悪いか分からない状態で突き出すのは嫌だと思ったのか。自分でも分からない。
先頭の人がお礼を言いながら微笑んで、良心がちょっと痛んだけど時は戻せない。やっぱりあいつが図書館なんて来るはずないんだよ、と口々に言いながら出口に向かう四つの背を見送った。
「ありがと」
カウンター下から出て立ち上がった宇髄さんは、目を見て話そうとすると、仰け反る必要があるくらい大きかった。
「罪悪感がすごいです……。一体何があったんですか?」
「んー、チジョウノモツレ? 話せば話すほど、派手にヒートアップする系のな」
片眉を上げてちょっと考えるような顔をしてから、そう言った。痴情のもつれという単語はニュースでしか聞いたことがない。リアルで使われているのを聞くのははじめてだ。
「あの人、宇髄さんのこと好きなんじゃないですか」
「俺さあ、ド派手にモテるんだよ。お前の想像どおり」
「は?」
想像どおりとは? 何も言ってないのに?
冗談を言っている感じでもないし、まぁそうだろうなと思わせる人ではある。まったく読めない流れに驚いたが、黙って話を聞くことにした。
「で、付き合うだろ? でも、お互い楽しいのは最初だけ」
すぐに出て行くと思っていたのに、ちょっと離れた場所からイスを持ってくると、どかっと腰を下ろした。
「最初だけ、ですか」
「そ。後から好きになってくれればいい、一緒にいられるだけでいいって言われて始まるんだけどさ。まあ、自分を好いてねえ相手といるのはしんどいわな」
「なるほど」
「俺だって、次こそ好きになれっかなって毎回思ってんだよ」
「はあ」
事象的にはなんとなく理解できるものの、中学時代に一ヶ月間付き合った元彼が一人いるだけの私には、実感を伴わない話だった。
「本気で人を好きになったことないでしょ、とか言われるし」
「そうなんですか?」
宇髄さんが天井に顔を向けると、寄りかかった背もたれがギィッと音を立てた。虹を閉じこめたような銀髪が、さらさらと背中に流れる。
「――そうかも」
やけに平坦な言葉が出るまでの数秒間。一体何を考えていたのか。鼻筋が通った横顔が、影のパウダーをまぶしたようにほんの一瞬だけ曇った気がした。
「偉そうなこと言えませんけど、きっといつか好きになれる人に出会えますよ」
ほとんど恋愛経験のない自分が、恋愛経験が豊富なモテる人にこんなことを言うなんてどう考えても滑稽だ。でも、その横顔を見ていたらつい言いたくなってしまった。
宇髄さんは小さく笑うと、ありがと、と私の頭をわしゃわしゃ撫でて、図書館から出て行った。はじめて話すのに、まさか恋愛事情を聞くことになるとは思っていなかったけれど、さっぱりして話しやすい人だった。
有名人と話しちゃったというミーハー心と、宇髄さんと話すのも最初で最後だろうなというさみしさが心の中に同時に訪れた。
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