Unchained Love

「さっみーー」
「いやっ、ほんっとにやばい」
 上りと下りのホームが向かい合わせにされているだけで、さえぎるもののない空間を夜風がびゅうびゅう吹き抜ける。十二月の夜。吹きさらしのプラットホームの寒さはえげつない。
 あまりに寒すぎると笑ってしまうのは、寒冷地育ちじゃないからだろうか。冬季限定のアトラクションのようで、謎の笑いがこみ上げる。笑っても、しゃべっても、二人の口からはほわほわとした白い息が盛んに出ていた。
 今この瞬間のわたしたちはきっと誰から見てもまごうことなき仲良しカップルに見えるだろう。


 大きくて冷たい手に引かれ、駅のベンチに腰をおろす。プラスチック製のベンチは、寒さでさらに硬度を増しているように感じた。
「大丈夫か」
「……うん」
 まるで壊れものを守るように、わたしの手を包む。
「つうか、次の電車まで十五分もあんのか。こごえ死なねえようにしないと」
 発車標に表示された案内を見て、宇髄は大げさに身体をふるわせた。
 一定の距離で設置された照明と、発車標と、蛍光の緑に光る時計。今ホームにある光源はこれだけ。それなのに、風に吹かれるたびに揺れてきらめく白銀の彼の髪は夜の黒い世界によく映えていた。
「じゃあ、地下鉄で帰りなよ。そもそも宇髄はこの電車だと遠回りじゃん」
 まごうことなき仲良しカップルなんて、張りぼてだ。
 わたしは誰に対しても愛想がよくて、ありがとうもごめんなさいも抵抗なく言えるタイプだ。でも、対宇髄のときだけはのどの奥にいる性格のわるい誰かが勝手に口をひらく。特にひどくなるのは、宇髄がわたしを大切に扱うとき。どうしても反発したくなってしまう。
「なぁんで、そういう言い方すんのかねえ。しかも、宇髄呼び」
 うすい眉を寄せ、向かいのホームの方に顔をぷいっと向けてしまった。さっきまでさむいさむいと騒ぐ声が響いていたホームは、シーンという音なき音が聞こえるほど静かになった。
 横目でちらっと見ると、ツンととがった鼻先が特徴的な横顔がぶすっとしていて、口元もきれいに結んでしまっている。
 うんざりしたかな。
 さすがにもう離れたいって思ったでしょう。
 ね、宇髄。
「俺が――」
 わたしも口をきゅっと結んで、身を固くして、つづく言葉を待った。
「ちょっとでも、お前と一緒にいたいんだよ」
 いつの間にか緊張してこわばっていた身体から力が抜ける。
 まただ。どうしよう。
 だんまりを決めこむと、宇髄の身体の外に出た言葉は白い息とともに寒風に流されてしまった。

 ◇
 
「俺たち付き合うか」
 三カ月前、会社の同期みんなで飲みに行った帰り道。地下鉄の乗り口につづく階段が見えてきたとき、ふいに宇髄が言った。
「え? 付き合うって何のこと」
「合うと思うんだよなあ。俺たち」
 どのコンビニのスイーツが好きかを話していたが、互いの意見がまるで合わなくて終了した直後だ。おまけにすぐ目の前ではほかの同期がわいわい盛り上がっている。なんの脈略も情緒もない。
「意味わかんない。さっきも話したけど、彼氏どころか好きな人もつくる余裕ないよ」
「そんなむずかしく考えんなって。いいじゃん、お前も俺も相手いねえんだし」
「宇髄こそ、ひとりの時間を楽しむって言ってなかった?」
 多くの人のライフステージが変わりはじめるアラサーらしく、飲み会では恋愛や結婚の話をした。
 既婚者のグチに見せかけたノロケは、スピーカーが変わっても話の内容は似たり寄ったりだ。一方、未婚組は二パターンに分かれた。数珠つなぎで恋人が途切れないまたは長く付き合っている相手がいるグループと、別れた恋人が忘れられないまたは恋愛がめんどくさいグループに。具体的にいえば、宇髄は前者で、わたしは後者に属していた。女がいないの超ひさしぶりだからしばらく楽しむわ、とヘラヘラ笑ったことでブーイングを発生させてから一時間も経っていないはずだ。それなのに、なぜ。
「気が変わったんだよ。はいはい、ほら、もう駅着いちゃうから」
 地下鉄の入り口に次々とみんなが吸いこまれていく。わたしだけがここで別れることになっていた。にっこりしているが、やけに圧のある笑顔が答えを待っている。
「うーん……」
「あ。今、うんって言った? はい、じゃあ決まり。よろしく」
 しっかり断っていたら「あっそォ。後悔すんなよ」とか言われてきれいさっぱり終わった話だと思うが、一応は恋人の称号を得て今に至る。

 わたしがそうしなかったのには理由があった。
 同期会でもしぶしぶ話すはめに陥ったが、大好きだった人との長い恋愛が終わったところだった。
 はじまりは相手からだったのに、気づいたら自分の気持ちばかりが大きくねっとり育って立場が逆転していた。パワーバランスは、あっちが一万でこっちが五くらい。驚異のアンバランス。我ながらそれはもう痛いこととかっこわるいことだらけの恋だった。数か月経ってもキズはじゅくじゅくと膿んでいて、次に向かう気力も体力もない。
 さらに、独りになったわたしを悩ませたのは、どうしようもなく人肌恋しい日や、さみしい日の存在だった。それは頼みもしないのにルート営業みたいに律儀に訪ねてくる。たとえば金曜日の夜とか、なんの予定もないのにすこんと晴れた土日とか。なにもない時間をひとりで過ごすことに謎の罪悪感を感じ、焦燥感におそわれていた。
 そんなときに舞いこんできたのがこの誘いだ。
 宇髄の過去の恋愛ネタはたくさん聞いていたから、こんな時間をうめてくれる相手として考えてみれば最適任に思えた。
 ひとつ。立ち回りの上手さと飄々とした自由な性格で、来るもの拒まず去るもの追わずのプロであること。
 ふたつ。女や恋愛に夢を見ていないが、その上でそれらを存分に楽しめるタイプであること。
 みっつ。宇髄から乞われて恋人になったという事実に価値を感じたこと。
 同期や友人に毛が生えて色がついた関係を楽しめればいっか、くらいの軽い気持ちだった。容姿もいいし明るい性格で人気の男から誘われて恋人になったという事実が、底辺に落ちた自尊心を高めてくれるかもというゲスい狙いもあった。
 恋愛的な意味で好きにならずにいられる男と、いつか本当に好きな人ができるまでの関係。関係を良くしようとか、嫌われたくないとか、パワーバランスはどっちが上とか、そういう面倒なことがまったく気にならない関係。リハビリすら耐えられそうにない期間に、恋の上澄みを楽しむだけの関係。
 いつか終わることが前提で、この気楽な関係を受け入れた理由は損得だけだ。それがわたしの望むかたちで、宇髄に求めるものだった。
 身体をおおう皮を一枚剥いだら、こんな中身がつまっている女だと気づいていただろうか。わたしを恋人にすることでなんの得があるかは分からなかったが、宇髄もきっと似たようなものだと思っていた。
1/3ページ
LIKE♡