いつもの寄り道

 ドッドッドッドッ。
 体内にひびくバスドラムに似た重低音。
 伝える決心はついたものの、強くはげしく動く心臓がオーバーワークでどうにかなってしまいそうだ。
「話したいことがあって……さっきは本当ごめん」
「もういいって。まじでどうした? 過去一へこんでんじゃん。またカラオケでもバッティングセンターでも付き合ってやるから、はやく完全復活しろよ」
 完全に勘違いされている。
 とっかかりの言葉をなんとかしぼり出したところで、のどが細くちぢんでしまった。
 もうちょっと。あとひと息なのに。刻一刻と大きくなる黄色い光に急かされるが、息を吸って吐いてをくり返すのが精一杯だ。

「いや、ちがくて、さっきのとは関係なく……あ、なくないのか」
「卒業したら、今みたいにバカやってつるめなくなるけどよ、形がどう変わっても、お前とは一生関わってたいわ。俺んなかではそんくらいの存在なわけ。ごちゃごちゃ言ってねえで、なんかあるなら話せば」
 まあ、さっきみたいなのは却下するけどな、と小さく笑った。
 宇髄め。さらっとすごいことを言いやがる。一生って、死ぬまでってことだよ。わたしが好きにならなければ、なんの心配も気負いもなく一生関わっていられたのにね。でも、出会ったが最後、好きにならずにはいられなかった。今から宇髄の願いを壊すよ。ごめんね。
 身体の奥からふつふつわき上がるなにかが、足踏みばかりしているわたしを力いっぱい動かした。

「わたしたちってさ、めっちゃいい友だちだよね」
「ド派手に最高のな」
 緊張を通りこした身体から、体温が外に流れ出て冷えていく。 
「宇髄のこと好きなの」
「は?」
「なんていうか、友だちとしてだけじゃなく」 
 いちばん伝えたかった言葉が、ついに闇夜に踊り出た。しかも、言った自分が驚くほどの早口と大きな声で。
 お尻を支えてくれていた手の力が弱まったので、ずり落ちないようにあわててしがみついた。
「好きだったんだよね。えっと……初めて会ったときから、ずっと。でも、そういう対象じゃないのはよく分かってるよ。ごめん、ほんとごめん。こんなこと言って。でも、もう今までみたいにいられない。隠せなくなっちゃった」
「まじ?」
 何度もうなずくと、まじかあ、と足を止めてしまった。

 言葉を発さず、微動だにしない宇髄の髪だけがかすかに揺れる。
 怖い。怖くてしょうがない。これでもう今までどおりにはいられない。まくし立てるように伝えたことを、後悔していないかといえば嘘になる。
 よく知っているはずの町も道も別物だ。きれいな赤紫色の目を通して見ている錯覚を起こしながら、地上二メートルの世界を必死で目に焼きつけた。
「なにを言い出すかと思えば――」
 語尾に向かって、ぎゅっとボリュームをしぼっているような声。
「な」
「ド派手にそういう対象だわ!」
 なに、と聞き返そうとした瞬間、突然の大声にさえぎられた。
 半分振り返った宇髄のこめかみには青筋。目も口も、くわっと大きく開いているのがありありとわかる声音。青天の霹靂という言葉を、これほど実感したのははじめてだ。
「へ、なに」
「俺も好きってこと」 
「うずっ、いっ、いやいやいや、宇髄がわたしをって、それは絶対ないよ。だって、うずっ、うずいが――」
「落ちつけ。うずいうずいうるせえし、派手に全否定すんな」
「だって、さっきわたしとは無理って」
 ああ、と吐息まじりの声が夜の空気にとろける。
「あれは、俺とそんな適当な関係でいいんかって、ショックっつうか、くっそ腹立った。そんなんするほど好きな男がいんのもおもしろくねえし、別れたさみしさぶつけられてヤるとかまじで無理」 
 今、どんな顔をしているんだろう。
 こんなに近くにいるのに、顔が見えなくてさみしい。顔が見たい。目を合わせたい。宇髄が見せるものを少しも漏らしたくなかった。
 身をよじって背から降りると、まっすぐ向かい合った顔はいつもより白かった。

「本当、なの? 全然……気づかなかったよ」
「それはこっちのセリフだ。笑えるくらい隙も脈もねえし、普通に男いたし。関係がぶっ壊れんのだけは避けたくて、お前が俺に友だちを望むなら、全うしてやるって決めたんだ。不本意でもな」
「そんなの、宇髄、らしくない」
「だよな。自分がこんな地味な男だと思わなかったわ。でも、いなくなんのが怖かった、っつかそんだけ好きだったんだよ」

 どこに行ったんだろう。わたしのよく知る宇髄がいない。自信満々な笑みを浮かべ、いつどこにいても明るい光をはなつ世界一かっこいい人がいない。
 今、目の前にいるのは、照れたような怒っているような表情が過ぎ去り、困ったように笑う愛おしい人だった。
 抱きよせられ、チェスターコートが頬に触れる。ごわごわした冷たい生地の感触は、普通に抱きしめてもらいたいという夢が叶ったわたしに現実味を与えてくれた。
 はあっと大きく吐き出された息の音につづいて、まじで嬉しすぎる、と頭の上から降ってきた熱のこもった言葉に心がふるえる。夢オチを疑うほどの奇跡を受けとめきれないが、熱も声も表情も、宇髄のすべてはどこまでも本物だった。
「なにやってたんだろうね、わたしたち」
 それな、と答える声に笑いがにじんでいる。
「お互い何年も我慢したわけだし? もう、より道もまわり道もするつもりねえけどな。派手に幸せにしてやる」
 背にまわした腕を強めると、宇髄がくすぐったそうに笑う。
 一生忘れたくない。少しも色褪せてほしくない。いつでも取りだして、咀嚼して、じっくり愛でてひたれるように、この空気ごと自分のなかに刻みつけるにはどうしたらいいんだろう。

 カンカンとかん高く鳴る遮断機の音が現実を連れてくる。腕のなかから目をやると、上下に往復しながら点滅する赤い丸まで追いうちをかけてきた。時計なんて見たくないけれど、きっと今夜の電車も残りわずかだろう。
「さっきの誘いって、まだ有効だよな」
「誘いって?」
「はぁ? お前、まじでひでえな。あんだけ派手に誘っといて」
「あ、あれか!」
「朝までといわずに一緒にいようぜ」
「……」
 漫画やドラマなら、思いが通じた二人はすぐに恋人たちの空気をまとい、それに見合った姿に生まれ変わる。けれど、現実はそうはいかない。四年ものの『友だち』の鎧が身体と融合していて、簡単には脱げそうにない。   
 確実に変わった関係性を前にして、どんな自分で向かい合えばいいのだろう。顔すらまともに見られそうになかった。

「乗れ」
 ほら、と背を向けてしゃがんだ。
「大丈夫だよ。もう全然酔ってないし」
「いいから」
「なんで?」
「なんでも」
 勇気を出しきって告白をして、思わぬ答えに心の底から驚いて、夢よりも夢みたいな現実で夢見ごこちだ。アルコール成分なんて身体に一ミリリットルも残らず蒸発したように酔いが醒めている。
 なにを考えているか分からないが、大きな背中がはなつ魔力はすごい。吸い寄せられるように乗ると、高度が一気に上がった。
 宇髄が首をひねり、ん、と顔を近づけてきた。
「なに」
「お互い好きなのが分かったんだし、ほら」
「えっ、今、ここで?」
「そ。今。ここで」
 はやくしろよ、とニヤニヤした顔がさらに近づいて、根元が立ち上がるクセのある宇髄の前髪がわたしのおでこをくすぐった。
「ちょっ……わたしからするの?」
「見りゃ分かんだろ。こっちはお前を背負ってるせいで動けねえんだよ」
「ええ……」
 言ってることがめちゃくちゃだ。
 恥ずかしさで爆散しそうになりながら、そっと触れるだけのキスをした。ふにっとして、冷たい。
 信じられない気持ちでゆっくり唇を離すと、動けないと言っていたはずの宇髄が追いかけてきて、もう一度。一度目よりも少し深いキスだった。
 とろけるような赤紫がわたしを見つめ、照れすぎ、と笑う。首から下がびっしょりと大汗をかいていて、熱くて寒くて気持ちわるい。
「ガッチガチに緊張して、大人しくなっちまってるからさあ」
「もっとガチガチになったよ! どうやって宇髄と話せばいいんだろうとか考えちゃって……今までのままはさすがにやばいし」
 かわいく見られたいし、と心のなかで付け足す。
「んな地味なこと考えてたのか。どんだけ一緒にいたと思ってんだ。どのお前がいいとか悪いとかねえよ。もっと好きになることはあっても、逆はねえから安心しろ」
「……心臓がやぶれそう」 
 ははっ、という宇髄の屈託のない笑い声が澄んだ空気を大きく揺らす。
 しっかりつかまっとけ、とものすごいスピードで走り出した。びゅんびゅん通り過ぎる夜気の冷たさすら楽しくて、二人で白い息をもくもくと生み出しながら、こみ上げる途方もない幸せを爆発させて大笑いをした。
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