いつもの寄り道
「で、元気でたんか」
「うん、超でた。お腹いっぱいだし。さすが宇髄! ありがと」
赤や緑の装飾がすっかり消え去り、年の瀬の夜の町はその顔を急速に変えていた。
クリスマス直前に別れちゃったからなぐさめて、と頼んでもぎ取った今夜の約束。オニオンリングタワーとかコンソメ味のポテトチップスをつまみながら、飲み放題付きのカラオケをしこたま楽しんだ。そして、宇髄おすすめのラーメン屋で大盛りのチャーシュー麺をおごってもらった帰り道だ。
けれど、本当は彼氏と別れたことなんて痛くもかゆくもない。わたしの人生のほんの一時と、身体の上をなんとなく通り過ぎていった存在にすぎない。それよりも、ぶつくさ言いながらも甘やかしてくれる宇髄の思い出が、残りわずかな大学生活に増える嬉しさしかなかった。
「前から言ってんだろ、付き合う相手は選べって。まあ、俺が言えたことじゃねえけど」
「まじで宇髄にだけは言われたくないんだよなあ。どうせ今だって」
「俺は今、貴重なひとり期間を楽しんで次に備えてんのォ」
いつものやり取りをして、二人でくすくす笑った。でも、今日はこれで終わらなかった。
「まじな話さ、お前いい奴だし、ちゃんと好きになれる奴と付き合えよ。んで、派手に大事にしてもらえ」
ちゃんと好きになれたけれど、付き合うことができない相手にこんなこと言われ、上手い返しが瞬時に思いつかないし、笑いにも変えられなかった。
「変なうずい……。急にどうしたの」
「もうすぐ卒業だろ? お前のおかげで楽しかったし、これでも感謝してんの。ありがとな」
「……」
鼻の奥がツンとして、目がしょぼしょぼする。
ちょっとでも気を抜けば、塩からい涙の粒が、見た目以上にコシがある白銀の髪を濡らすだろう。いつも明るくてバカをやれるスタメンに、涙は似つかわしくない。
「なんか言えや。地味にスベらせんな。まさか、このタイミングで寝ようとしてんじゃねえだろうな」
のどをガーガー鳴らしていびきの真似をすると、ふざけんなよ、と笑われた。
ちゃんと好きになれる子と付き合って宇髄も幸せになってね、なんて返せない。次の恋はわたしとしようよ、なんてもっと言えない。『ちゃんと好きになれる奴』という前提条件をクリアしているのだから、宇髄が派手に大事にしてよ、なんて口が裂けても腐っても言えそうになかった。
いびきの真似が、今の自分にできる関の山。
しょうがないので、心のなかだけで素直になった。大きな白いスニーカーの右足が一歩前に出れば「好き」、左足がその後につづけば「好き」。おびただしい告白。言っても言っても言い足りない。宇髄が大きく踏み出す一歩一歩に気持ちをのせて、つかまる腕の力を強めた。
でたらめのおまじないに夢中になっているうちに、眼球の表面にたまっていた涙は目の奥に引っこんでいた。
「あとな、飲む量と場所も気をつけろよ。社会人になってからもそれだとやべえぞ」
「わかってますよぉ」
「そもそも男の前でそんな姿さらしたら、誘ってんのと同じだからな」
待て待て。今まさにリアルタイムで宇髄を誘えてないが?
酔いやすい芋焼酎を中心に飲みまくり、赤ちゃんでもないのに首が座らなくなるほど酔ったおかげで、おんぶしてもらうことに成功した。普通に抱きしめてもらえる方法が思いつかなくて、アルコール様の力を借りた作戦だ。肩を組まれたりスリーパーホールドをされたことだってあるから、くっつくのは初めてではない。けれど、長時間密着できるおんぶは至高かつ天国だった。
こんなにもなにか起きてもおかしくないシチュエーションだというのに、現実はどうだ。誘うどころか、清く正しく駅へと運ばれている。
「一応は女だもんね。わたしも」
「一応っつうか女だろ。だから、気をつけろっつってんの」
「……めっちゃ説教するじゃん」
めまいがする。
まわりにいる可愛い子に向けるような言葉なんか、いらないよ。ただのひょうきんな友だちポジに置いておいてよ。女として見られていないから叶わなかった、っていう言い訳すらできなくなるじゃない。
恋人として愛されて、この体温や匂いを知っている女は何人くらいいるんだろう。このパーカーの下の、Tシャツの下の、素肌に触れた女はどれくらいいるんだろう。
酒くさい。深いため息をつくと、芋焼酎の匂いがした。
酔いでタガが外れた頭のなかで、なにも響かないならなにしたって同じじゃん、と自分そっくりな声をした誰かが囁いた気がした。
重たい頭を動かして、口の先で首筋にそっと触れる。戸惑いを感じるほど、唇でひろった体温は熱い。しばらく待ってみたけれど、全く動じる様子がない。黙ったまま、まるでレールでも敷いてあるみたいに駅に向かってまっすぐ歩いている。
今度は唇を押しつけて、一度だけ啄んだ。唇に紅いリップの色素が少しでも残っているなら、移ってしまえばいい。見た目だけでいいからわたしのものになってよ、今夜くらいは。
すると、いままでなにをやっても無反応だった宇髄がかすかに唸った。
瞬時の逆上。煮えたぎった血が駆けめぐり、体内に火をつけて回る。
酔いにまかせた一夜限りでいい。今夜だけでいいから、お調子者の皮を脱いで、宇髄を好きな女でいさせてほしい。朝になったら、またいつものわたしに戻るから――。こんな思いが満ち満ちて、リップの色を移すくらいじゃ気が済まなくなった。
「うずい……。一緒に、いて。朝まで」
じわっとあたたかい首筋に唇をすべらせて、行き止まりにあったゴールドのピアスごと耳たぶを口に含んだ。冬の空気でよく冷えたそれは、筋肉だらけの宇髄の一部とは思えないほどやわらかかった。
「やめろ。さすがに酒癖悪すぎるわ」
「ごめ――」
宇髄が逆側に首をひねると、耳たぶがわたしの口から出て行った。氷点下を肺いっぱいに吸い込んだみたいに、痛くてくるしい。
ぐんぐん上がる歩くスピードにあわせて、酔いがみるみる醒めていく。なにも接点がないところから頑張って、死守してきたスタメンの地位すら消えかかっていた。
「ごめん……、宇髄、ごめんね」
カットソーの袖のなかに手をしまって、首筋と耳たぶをごしごし拭く。自分のキスの痕をこすって消すことに絶望を感じながら、そうせずにはいられなかった。
「――お前とは、そういうの無理だから」
ぴりぴり冷たい空気に、怒気を帯びた声が静かに響く。
確かにこの耳でとらえてしまった。
滑舌のいい宇髄の言葉を、言語として認識できてしまった。
けれど、その意味が自分のなかに染みこんでしまうことだけは全身が拒んでいた。
「うん、超でた。お腹いっぱいだし。さすが宇髄! ありがと」
赤や緑の装飾がすっかり消え去り、年の瀬の夜の町はその顔を急速に変えていた。
クリスマス直前に別れちゃったからなぐさめて、と頼んでもぎ取った今夜の約束。オニオンリングタワーとかコンソメ味のポテトチップスをつまみながら、飲み放題付きのカラオケをしこたま楽しんだ。そして、宇髄おすすめのラーメン屋で大盛りのチャーシュー麺をおごってもらった帰り道だ。
けれど、本当は彼氏と別れたことなんて痛くもかゆくもない。わたしの人生のほんの一時と、身体の上をなんとなく通り過ぎていった存在にすぎない。それよりも、ぶつくさ言いながらも甘やかしてくれる宇髄の思い出が、残りわずかな大学生活に増える嬉しさしかなかった。
「前から言ってんだろ、付き合う相手は選べって。まあ、俺が言えたことじゃねえけど」
「まじで宇髄にだけは言われたくないんだよなあ。どうせ今だって」
「俺は今、貴重なひとり期間を楽しんで次に備えてんのォ」
いつものやり取りをして、二人でくすくす笑った。でも、今日はこれで終わらなかった。
「まじな話さ、お前いい奴だし、ちゃんと好きになれる奴と付き合えよ。んで、派手に大事にしてもらえ」
ちゃんと好きになれたけれど、付き合うことができない相手にこんなこと言われ、上手い返しが瞬時に思いつかないし、笑いにも変えられなかった。
「変なうずい……。急にどうしたの」
「もうすぐ卒業だろ? お前のおかげで楽しかったし、これでも感謝してんの。ありがとな」
「……」
鼻の奥がツンとして、目がしょぼしょぼする。
ちょっとでも気を抜けば、塩からい涙の粒が、見た目以上にコシがある白銀の髪を濡らすだろう。いつも明るくてバカをやれるスタメンに、涙は似つかわしくない。
「なんか言えや。地味にスベらせんな。まさか、このタイミングで寝ようとしてんじゃねえだろうな」
のどをガーガー鳴らしていびきの真似をすると、ふざけんなよ、と笑われた。
ちゃんと好きになれる子と付き合って宇髄も幸せになってね、なんて返せない。次の恋はわたしとしようよ、なんてもっと言えない。『ちゃんと好きになれる奴』という前提条件をクリアしているのだから、宇髄が派手に大事にしてよ、なんて口が裂けても腐っても言えそうになかった。
いびきの真似が、今の自分にできる関の山。
しょうがないので、心のなかだけで素直になった。大きな白いスニーカーの右足が一歩前に出れば「好き」、左足がその後につづけば「好き」。おびただしい告白。言っても言っても言い足りない。宇髄が大きく踏み出す一歩一歩に気持ちをのせて、つかまる腕の力を強めた。
でたらめのおまじないに夢中になっているうちに、眼球の表面にたまっていた涙は目の奥に引っこんでいた。
「あとな、飲む量と場所も気をつけろよ。社会人になってからもそれだとやべえぞ」
「わかってますよぉ」
「そもそも男の前でそんな姿さらしたら、誘ってんのと同じだからな」
待て待て。今まさにリアルタイムで宇髄を誘えてないが?
酔いやすい芋焼酎を中心に飲みまくり、赤ちゃんでもないのに首が座らなくなるほど酔ったおかげで、おんぶしてもらうことに成功した。普通に抱きしめてもらえる方法が思いつかなくて、アルコール様の力を借りた作戦だ。肩を組まれたりスリーパーホールドをされたことだってあるから、くっつくのは初めてではない。けれど、長時間密着できるおんぶは至高かつ天国だった。
こんなにもなにか起きてもおかしくないシチュエーションだというのに、現実はどうだ。誘うどころか、清く正しく駅へと運ばれている。
「一応は女だもんね。わたしも」
「一応っつうか女だろ。だから、気をつけろっつってんの」
「……めっちゃ説教するじゃん」
めまいがする。
まわりにいる可愛い子に向けるような言葉なんか、いらないよ。ただのひょうきんな友だちポジに置いておいてよ。女として見られていないから叶わなかった、っていう言い訳すらできなくなるじゃない。
恋人として愛されて、この体温や匂いを知っている女は何人くらいいるんだろう。このパーカーの下の、Tシャツの下の、素肌に触れた女はどれくらいいるんだろう。
酒くさい。深いため息をつくと、芋焼酎の匂いがした。
酔いでタガが外れた頭のなかで、なにも響かないならなにしたって同じじゃん、と自分そっくりな声をした誰かが囁いた気がした。
重たい頭を動かして、口の先で首筋にそっと触れる。戸惑いを感じるほど、唇でひろった体温は熱い。しばらく待ってみたけれど、全く動じる様子がない。黙ったまま、まるでレールでも敷いてあるみたいに駅に向かってまっすぐ歩いている。
今度は唇を押しつけて、一度だけ啄んだ。唇に紅いリップの色素が少しでも残っているなら、移ってしまえばいい。見た目だけでいいからわたしのものになってよ、今夜くらいは。
すると、いままでなにをやっても無反応だった宇髄がかすかに唸った。
瞬時の逆上。煮えたぎった血が駆けめぐり、体内に火をつけて回る。
酔いにまかせた一夜限りでいい。今夜だけでいいから、お調子者の皮を脱いで、宇髄を好きな女でいさせてほしい。朝になったら、またいつものわたしに戻るから――。こんな思いが満ち満ちて、リップの色を移すくらいじゃ気が済まなくなった。
「うずい……。一緒に、いて。朝まで」
じわっとあたたかい首筋に唇をすべらせて、行き止まりにあったゴールドのピアスごと耳たぶを口に含んだ。冬の空気でよく冷えたそれは、筋肉だらけの宇髄の一部とは思えないほどやわらかかった。
「やめろ。さすがに酒癖悪すぎるわ」
「ごめ――」
宇髄が逆側に首をひねると、耳たぶがわたしの口から出て行った。氷点下を肺いっぱいに吸い込んだみたいに、痛くてくるしい。
ぐんぐん上がる歩くスピードにあわせて、酔いがみるみる醒めていく。なにも接点がないところから頑張って、死守してきたスタメンの地位すら消えかかっていた。
「ごめん……、宇髄、ごめんね」
カットソーの袖のなかに手をしまって、首筋と耳たぶをごしごし拭く。自分のキスの痕をこすって消すことに絶望を感じながら、そうせずにはいられなかった。
「――お前とは、そういうの無理だから」
ぴりぴり冷たい空気に、怒気を帯びた声が静かに響く。
確かにこの耳でとらえてしまった。
滑舌のいい宇髄の言葉を、言語として認識できてしまった。
けれど、その意味が自分のなかに染みこんでしまうことだけは全身が拒んでいた。