うそつき

「あ、これ……」
 部屋の片づけの途中で、やってはいけないこと。それは、出てきた物をながめて、脳内から思い出を引っ張り出すこと。
 一度これをはじめると、時間が溶けるのは分かっている。分かってはいるが、どうしてもスルーできなかった。学生時代の思い出がいっぱい入った箱のなか。三分の一ほど使い終えた消しゴムが入った、チャック付きのビニール袋を手に取った。


 
 高校二年の、ある初夏の日。私は昼休みに教室内を徘徊していた。きっと、必死な顔をしていただろう。なぜなら、午前の授業中に机から転がり落ちた消しゴムを捜索していたからだ。
 こんなに限られたスペースで、なぜ見つからない? 机の脚の隙間、床に置かれた誰かのバックの横、教卓の下……。おかしい。誰かに拾われた? そんなの考えたくもない。
 次第にクラスメイトの好奇心を含んだ視線が私の動きを追いはじめ、何かを聞かれても困るので自席に戻った。これはもう、明日の朝早く登校して探すしかない。

「これ拾っちゃった」
 その声とともに、あんなにも探していた消しゴムが机上に現れた。消しゴムをつまんでいる大きな手の指先は、赤と緑に塗られている。
「……えっ」
 見なくても分かるが、顔を上げると、立っていたのは宇髄くんだった。おそろしく整った顔は、笑っていないとツンとして見える。
「お前のだろ?」
 まぎれもなく私のものだ。でも、何で分かるの? 何の変哲もない消しゴムのケースを外して出てくるのは、私の名前じゃない。宇髄天元、と緑のペンで書かれた四文字なのに。
  
 気づいたら、好きだった。吸い寄せられるように、いつも目で追っていた。大きな声で笑ったり、気持ち良さそうにあくびをしたり、窓の外をながめる物憂げな顔と光に透ける七色が混じる銀髪に見惚れて、思いを募らせていた。
 でも、告白どころか、なかなか仲良くなれるきっかけがなくて。私がすがったのは『消しゴムに緑のペンで好きな人の名前を書いて、誰にも触らせずに使い切る』という恋愛成就のおまじないだった。
 こんなの絶対気持ち悪がられるに決まっている。それに、宇髄くんの手に触れてしまった今、もう効力を失ったかもしれない。完全否定が最適解に思えた。
「ちがう。私のじゃないよ」
「本当か? 下向いてずっとうろついてたじゃん」
「……探してたのは、ちがうもの、だよ」
 宇髄君は片眉を上げて、探るような視線をよこした。
「あっそォ。残念だわ。お前のだったらいいなと思ったんだけど」
 予鈴が鳴り、消しゴムを手に立ち去る間際の一言に、身体が、心が、思い切り飛びねた。
「待って! ごめん! それ、私の!!」


 
「こら、ボーッとすんな。引っ越し、明後日だぞ」
 急かす言葉とは裏腹の、重量感たっぷりのあたたかさに背後から包まれる。そして、消しゴムに伸びてくる、赤と緑が塗られた指先。
「見て。これ」
「なっつかし! あん時のお前……、くくっ……『それ私の!』って大声出して立ち上がった拍子に、派手にイス倒してたよなあ」
 全体重を預けてもびくともしない身体が、笑ってふるえている。
「必死だったの。おまじないもダメになっちゃったと思ったし」
「そうか。じゃあ、俺のが叶ったんだ」
「えっ、なんのこと?」
 私の手から消しゴムを取ると、ケースを外していく。その動きに合わせて現れる、宇、髄、天、元の四文字。懐かしい緑色のインクは、色褪せていた。
 そして、くるっと九十度回転した消しゴムの、細い側面に現れた四文字――私の名前だ。おどろいて振り返ると、いたずらっぽく笑う顔があった。
「好きな奴の名前書いたら叶うんだろ? あの場でこれ見せたかったのに、自分のじゃねえとかうそつくから」
「ルール全然違うよ。それに、こんなの見てたら、叫んでイス倒すどころじゃすまなかった」
 
 俺みたいな神はルールなんか関係ねえんだよ、と笑う首元に顔を埋めると、ぽかぽかとあたたかい。
「効果抜群だな、こいつ」
「ほんと」
 私の手のひらにのせられた消しゴムは、どこか誇らしげに見えた。
1/1ページ
    LIKE♡