そこには一振りの刀がある
――桜は人を狂わせる。
一人、蔵の前にたったプロイセンは耳鳴りの様に耳に残った日本の言葉に耳を傾けていた。
日本人は桜をこよなく愛している。
「生きている」ことを感じさせるほど生命力にあふれて咲き乱れ、散り際は見事なほど潔い。
生命の営みの様だ。
そんな花だからこそ、恐ろしいほどに美しい。それこそ、狂おしいような感情を抱かせるほどに。
日本の忠告は受け取っておいて正解だろう。世界でもまれなほど長くこの世に存在し続けてきた日本が化け物と言い”桜”に例えたのだから。
プロイセンは閂を抜き、ゆっくりと扉を押しあける。数百年開けていないとあって、開けた瞬間、埃が舞い上がった。
汚い、と思わず眉をしかめる。けれど、それだけの間、日本が逃げてきたということだ。この蔵に巣食う化け物から。
蔵は中のものの劣化を防ぐために日の光が入らないようになっている。現在は扉を開け放っているから光が入り、明かりも必要としない。懐中電灯を借りてきたが、必要なさそうだ。
(さて、)
きちんと整理されてはいるものの、いかんせんものが多い。目当ての物の名前すら聞いていないのに、どうやって見分けろというのだ。
(つーか”俺なら一目で分かる”ってなんだよ?)
自分にゆかりのあるものなのだろうか。そうやってあれこれ考えながら辺りを見回すも、これといって気に留めるようなものはない。
日本が買い被っているのではないか、と考えて、それはない、と首を振る。日本は確かな目を持っている男だ。
蔵に足を踏み入れる。埃と砂が舞い、足にまとわりつく。けれどプロイセンは気にも留めず、奥へと進んでいった。
(どこにある。日本の言う”桜”は)
目を凝らして闇を見つめる。そして、一つのものに視線が吸い寄せられた。
――刀だ。一振りの刀。鞘から抜かれ、祀られるように飾られた日本刀。
数百年間放置されていたとは思えないほど、濡れたような美しさを保っている。視線が絡み取られて他が目に入らないような、そんな感覚に襲われた。
なるほど、これは確かに――桜だ。
――綺麗だ、とプロイセンは刀に手を伸ばす。
刀身に触れるか触れないか、というところまで手を伸ばし、プロイセンは弾かれたように手を引いた。
鋭い熱を感じ、反射的に腕を引いたのだ。
掌を返し、指先を見て、目を見開いた。
血が滴るほどに深く、指が切れていた。
ゆっくりと視線を持ち上げ”桜”を見つめる。”桜”はまるで生き血をすするがごとく、プロイセンの血を滴らせていた。先程よりも美しさを増した容貌で。
――これは確かに手に負えない。
過去の血が騒ぐと同時に、得体の知れないものと対峙した時の恐怖が、一瞬にして駆け巡る。
化け物だ。間違えようもなく。他に例えようもなく。
これは危険だ、と本能が吠える。
この化け物は血の味を知っている。――血に飢えている。自分を使えと、血を啜らせろと叫んでいるのだ。
自分なら分かる、といった日本の言葉に、酷く納得した。
これは血に魅せられた者を狂わせる――”桜”なのだ。