隠された牙






 中国は四千年の歴史を持つ老大国である。しかしその化身である王耀の見た目は酷く幼い。日本の化身――本田菊と並んで『東洋の神秘』と言われるほどに。
 確かに欧州に比べれば、アジアの人々は体つきも顔つきも薄く、幼く映るのはわかる。(認めたくはないが)自分が四千歳の爺にはあるまじき若さを誇っているのも認めるしかない。実年齢より幼く見られるそれは、東洋人の宿命とも言えるものなので、仕方ないと諦めるしかない。
 ――しかし、それが原因で侮られるのだけは、どうしても耐えがたいのである。

 『傾国』という言葉がある。これが生まれたのは中国だ。
 国を傾けるほどの美女。国の君主が美しさに溺れ、歓心を買うために国政を歪め、国家の存立を危ういものとした女性がいたために生まれた古い言葉である。
 それによりいくつもの国が滅んできた過去を持つ耀は、見た目に惑わされてはいけないということを誰よりもよく知っているのだ。そのため、耀は容姿により自身が軽んじられることが、何よりも腹立たしいことだった。


「あ゛ー……むかつくある」


 成人などという域はとっくに脱した男性にはあるまじき高さを誇る耀の声が、今はそれ相応に低い。大きな目は不機嫌そうに細められ、いやに鋭く感じられる。
 けれど、彼の前に立つ耀の幼い顔立ちを見て、少し脅せば金を差し出すだろうと考えた不良の青年達は、にやにやと下品な笑みを浮かべていて、それに気づかない。その上「女に見える」だの「この見た目なら食える」だの、更に耀の地雷を踏み抜いて行く。
 金と性欲と、その両方のよくがこもった目が耀を値踏みし、下心を持った手が耀の手首をつかんだ。



「ね、ねぇ、菊。大丈夫なの?」


 ヴェ~と鳴き声の様な涙声で自分よりも小柄な日本の化身に縋るのはイタリアの化身――フェリシアーノ・ヴァルガスだ。
 その横には同じように不安げに眉を寄せるドイツの化身――ルートヴィッヒがいる。
 彼らの後ろにはフェリシアーノの兄、ロヴィーノ・ヴァルガスとルートヴィッヒの兄、ギルベルト・バイルシュミットが控えており、事の成行きを静観していた。
 この2人も少なからず耀の身を案じているらしい。片やいつも以上に不機嫌そうに眉を寄せ、片やいつも浮かべている笑みを消している。

 彼らは踊り狂っているのが常である世界会議を終え、5人で食事に行こうとしていたのだ。その途中で耀が絡まれている場面に遭遇し、少し離れた場所からその光景を眺めることとなった。
 耀も国の化身である。ほぼ不死身であるし、戦闘の経験も一般人に後れを取るとはとても思えない。
 しかしながらいかんせん、体格差が酷過ぎる。相手の青年達は何かスポーツをたしなんでいるのか、筋肉隆々で、背も高い。
 耀は反対に小柄で細身だ。その上童顔。その体格差は親子のようで、どうしたって不安が残る。
 皆一様に心配そうな色をにじませて、耀をよく知る菊を見やった。しかし菊は何を考えているのかわからない澄ました顔をしていた。


「……心配ですねぇ」
「! そうだな。あの体格差ではさすがの王も……」
「いえ、そちらではなく、」


 耀と青年たちの間に流れる不穏な空気を収めようと、ルートヴィッヒが彼らの元へ足を踏み出す。しかし菊はゆるりと首を振った。
 その動作に濡羽色の髪が揺れ、一同は菊に釘付けとなる。その視線を意に介さず、菊は漆黒の瞳を伏せ、小さくため息をついた。


「耀さんを怒らせた、あの子たち……」



「我に触んじゃねぇある」


 青年に腕を引かれ、耀の目が鋭さを増す。
 耀が腰を落とし、ゆっくりと足を開く。
 何かの武術の型なのだろうと知れる、おぞましいほど整った動きだった。
 流れるような流麗な仕草に、青年らも『何か』を感じ取る。慌ててはなれようとした青年の腕に、鞭で打たれたような鋭い一撃が襲った。



「え……、」


 思わず声を漏らしたのは誰だったか。あるいは菊以外全員だったかもしれない。
 一同は揃って目の前で起こっている事象を食い入るように見つめていた。
 青年の腕に一撃を入れ、手を外させた耀に、青年達は呆然とした。――反撃の可能性すら、頭になかったのだろう。
 呆気にとられる青年達に、耀は不敵に笑みを向けた。


「威勢がいいのは口だけあるか?」


 耀の挑発に、不良たちは逆上する。怒り狂った青年たちが一斉に耀に襲いかかるも、独特な足さばきでかわされる。そして相手の背後や側面に回り込み、鞭のようにしならせた腕で打撃を与えていく。
 腕をふるうことによって遠心力を利用した打撃は、一撃一撃が鋭く重い。その上、連続的に攻撃を浴びせ、相手に反撃の隙を与えない。
 そのうち、疲労とダメージが蓄積した相手が膝をつく。それを見て、耀は薄く笑った。


「ほら、さっさと立つある。お前たちが散々バカにした女顔のガキやられてしまうあるよ?」


 にぃ、と口角を吊り上げたその表情は先程まで見せていた子供の様な幼いものでも、馬鹿にされてしかめていた顔でもない。いたぶることを喜ぶような、悪魔の様な、それ。
 青年達が震えあがり、転がるように走り去る。情けない悲鳴を上げながら。
 その光景を見て、フェリシアーノたちはどちらが悪役か分からなくなった。



「怖いよー、怖いよー! ルート、ルートー!」
「あの野郎、あんなに強いなんて聞いてねぇぞ、ちくしょー!」


 ヴェーヴェー、ちぎー。南北イタリアがルートヴィッヒの背に隠れ、震えあがる。
 耀の実力であれば一撃で終わらせられるはずであるのにわざと意識を失わせないやり方に、ルートヴィッヒとギルベルトが頬をひきつらせる。
 けれどもそれ以上に、元軍国であるからか、ギルベルトは耀の使っていた武術に興味があるようだった。


「なぁ、今のってなんて武術だ? 中国は武術が多すぎてどれがどれかさっぱりわかんねぇ」
「確かに多いですよねぇ。あれは劈掛拳、または劈掛掌と呼ばれる中国武術のひとつです。接近戦用の技法もありますが、主に遠い間合いでの戦闘を得意とする武術です」
「へぇ……」


 あいつちっせぇもんなー、と心の中で思ったが、隣の菊も小柄な体躯を気にしている一人である。存外短気で手が早いというのは師弟時代でよく知っているので、何とか口に出さずに胸の内で納めた。
 耀と青年らではリーチにかなりの差があった。遠い間合いでの戦闘を得意とする武術を選択するのは理にかなっている。
 しかし、戦い慣れしたものならば、懐に飛び込むことも不可能ではない。それなのにその”拳”での対応が、ギルベルトには解せない。
 それを読んだかのように、菊が控えめに笑う。


「あれは弱点の多い武術です。ですから、劈掛拳と対極的な八極拳と併習されることが多いのですよ」
「ハッキョクケン?」
「はい。敵と極めて接近した間合いで戦うことを得意とする拳で、数ある中国拳法の中でも屈指の破壊力を誇る武術です」


 八極と劈掛は対照的で、お互いの弱点を補えるのだ。
 ――『八極と劈掛を共に学べば神さえ恐れる』という言葉が生まれたほどに、と菊が軽く口元を隠した。


「まぁとにかく、八極拳を使わないで終わらせる程度には理性が残っていてよかったです。よその子とは言え、人の子の四肢がひしゃげるところなんて見たくありませんし」
「「「えっ」」」
「ああでも、彼もだいぶ衰えているようでしたから、骨折程度で済みましたかね」


 驚くロヴィーノたちに向けて、ころころと笑う。
 老いるって嫌ですね、と考えの読めない笑みを浮かべ、菊は食事を取るために向かっていたレストランを目指して歩き出す。それを呆然と眺め、ルートヴィッヒ達が立ちすくむ。
 そこから意識を浮上させたのは、背後から聞こえた耀の大きなため息だった。



「この程度で逃げるなんて情けねー奴らある。こんなんじゃストレス解消にもならねぇある」


 動いたことで乱れた髪を、自分でかき混ぜて更に崩す。ばらりと前髪が落ち、顔に影を作る。
 意外に長い前髪の隙間からのぞく目は、いやにらんらんと輝いていた。


「……次に女顔やら童顔やら言われたら、思いっきり暴れてやるのもいいかもしれねぇあるな……」


 中国四千年の歴史の重みを味わわせてやるのもいいだろう。赤子同然の童や自分の半分も生きていない欧米諸国に子供扱いされるのは、なかなかどうして腹が立つ。
 ――名誉棄損ってことで、容赦なんかしなくてもいいじゃねぇあるか?
 そう言って怪しく笑う耀に背を向け、少し先まで進んだ菊の背中を追いかけた。全力で。



 耀はあんなに好戦的な奴だったか。世界会議でも傍観の態勢を取ることが多かったような気がする。
 怒りもするものの、半分冗談のような、そんな怒り方が常で――。


「なぁ、そうは思わねぇあるか?」


 いやに近くで聞こえた声は、確実に菊を追うふりをして耀から逃げた自分達に向けられたもので、慌てて振り返る。
 いつから自分たちの存在に気付いていたのか、猫のような目が、フェリシアーノたちを捕らえていた。――四千年の時を生きた、その迫力を持って。


「なぁ? 糞ガキども」



 見た目に惑わされることなかれ。
 例え見た目が幼くとも、女のように細くとも、大の大人を倒すすべも、国を傾ける方法も、幾らでもあるのだから。

 ――この日西洋は東洋の恐ろしさを知った。




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