それは圧倒的な






 ――プロイセンとイギリスが殴り合いの喧嘩をしている。そう言って涙ながらにドイツとアメリカ、そしてフランスに助けを求めに来たのはイタリアだった。
 何をやっているのだ、と全員が頭を抱えたのは仕方ない。ここは世界会議の場である。例え踊り狂って一向に進まない会議だとしても、世界各国の化身が一同に介する場所である。そんな場所で殴り合いの喧嘩が起きるなど、非常に稀な出来事であった。それも、根は真面目で理性的なプロイセンと、策略家であり紳士を自称するイギリスが殴り合いの喧嘩をするなど、誰が予想できただろうか。
 特に頭を抱えたのはドイツとアメリカだった。彼らはプロイセンとイギリスが育てた、言わば弟のような存在だ。ドイツはともかくとして、アメリカは断固として否定しているが。それでも、身内であることは確かだ。
 幸いにもホスト国がイギリスであったからよかったものの、世界会議の場で暴力沙汰を起こしているのである。頭を抱えるのも無理はない。
 ヴェーヴェーとすすり泣くイタリアを宥めつつ、フランスは二人の肩をそっと叩いた。


「とりあえず、二人をどうにかしなきゃね……」


 問題となっている二人は腐れ縁と悪友。どちらとも関わりが深いフランスは、この中で誰よりも肩を落としていた。





 ――これは手に負えない。そう思ったのは誰だったか。おそらくイタリアに連れられてやってきた、イタリアを含めたドイツ、アメリカ、フランスの全員であろう。
 連れられてきたのは談話室。華美すぎない装飾が美しい一室だったはずだが、それはもう見る影もない。
 プロイセンの長い脚から生み出された蹴りはイギリスが盾として使ったテーブルを叩き割り、その威力を物語る。イギリスがふるった拳はプロイセンの髪をかすめ、その毛先を散らした。


(何であいつら本気で殴り合ってんのぉぉぉぉぉおおおおお!!?)


 フランスが心の中で絶叫した。それはフランスの予想をはるかに超えた本気具合で殴り合っていたからだ。
 まず目がマジだった。本気と書いてマジと読むくらい。
 プロイセンはその瞳の赤を更に燃え上がらせ、イギリスはその緑を深く沈みこませている。現役時代の、軍国と海賊の目だった。


(止められる気がしねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)


 フランスだとて、欧州の激しい攻防を生き抜いてきた猛者の一人である。現役時代とは比べるまでもなく衰えているが、それでもかなりの実力は有している。例え元軍国だろうが元海賊だろうが、ただの喧嘩ならば収められるつもりでいた。
 お得意の口八丁手八丁でその場を収めるもよし。実力行使に出るのも吝かではない。出来ることなら割って入る様な真似はしたくないが、そんなときには最終兵器として弟二人に活躍してもらう算段であった。
 しかし、フェイントを織り交ぜた攻防は、声をかけることすら躊躇わせ、いつ割って入ればいいのかを悟らせてくれない。その上、若い国であるドイツとアメリカにはその場にいることさえ厳しい様な殺気を放っている。フランスでさえ逃げ出したいほどの、激しい殺気を。


(だ、誰かこいつらより強い奴を……! って、そんな奴思い浮かばねぇよ!!!)


 幸か不幸か、ここは世界会議の場。世界中を探せば、この二人を止められる人物がいるかもしれない。ただ、残念なことにフランスにはその人物の顔が思い浮かばない。


(と、とにかく人数を……! この際スペインでもロシアでも誰でも……!)


 幸いに逃げ脚だけなら天下一品のイタリアがいる。彼の足を使えば、すぐに人数が集まるだろう。そう思いイタリアに声をかけようとしたその時、こつり、と小さな靴音が響いた。


「おやまぁ、一体何があったのです?」


 優しいテノールが耳を打ち、フランスたちは一斉に背後を振り返った。そこには予想通りの人物――日本の化身がいて、驚いたような顔を浮かべていた。


「に、日本んんんんんんん!!!」
「わっ! い、イタリア君……?」


 えぐえぐと泣きながら、イタリアが日本に抱きつく。日本は眼を白黒させながらもイタリアを受け入れ、その背中を撫でさすった。


「あの、これは一体どういう状況なんですか?」


 談話室にて乱闘を繰り広げるプロイセンとイギリス。泣くイタリア。呆然と立ち尽くすドイツとアメリカ。顔面蒼白するフランス。例え日本でなくとも、思わず尋ねるだろう。何がどうしてこうなった、と。
 日本の問いかけに我に帰ったフランスが切羽詰まった声を上げた。


「あああ日本丁度よかった! あの二人を止められそうな奴探してくんない!? もしくはできるだけ人を集めて! お兄さんじゃ止めらんない!」


 フランスの鬼気迫る態度に、日本が表情を引き締める。
 イタリアの背を撫でていた手でやんわりとイタリアを引きはがし、拳を振るい合うプロイセンとイギリスに目を向けた。


「あの二人を……止めればいいんですね?」


 そうだ、と答える間もなく、フランスの視界から日本が消えた。
 否、消えたのではなく、駆け抜けたのだ。フランスたちを追い越して、最早戦争と言っても過言ではない喧嘩が勃発している談話室へと。
 声を上げる間もなく、日本の細い体が二人の間に滑り込む。割って入られた二人は驚愕に目を剥いた。が、すでに相手に向かって突き出した拳を引くには遅すぎて、二人の目に焦りが生まれる。けれど、日本はそんな二人を静かな目で見つめていた。
 そして、拳が日本に当たろうかという瞬間、日本が二人の腕をつかみ、その勢いを殺すことなく二人を投げ飛ばしていた。


「ぐぁっ……!」
「ぐぅ……っ!」


 受け身を取らすことすら許さず投げられた二人は、背中を強かに打ち付け、息も絶え絶えに痛みに悶えることとなった。そして日本はそんな二人を、現役時代の冷たい眼差しで見下ろしていたのだった。





 プロイセンとイギリスは、ボロボロになった談話室の床で正座をしていた。椅子に座る文化の中で生きてきた二人には床に座るという習慣がなく、正座など当然したことがなかった。
 そんな二人が何故正座をしているのかというと、現在日本にお説教を喰らっているからである。


「二人とも、ここをどこだと心得ているのですか? イギリスさんにとってはお家でも、世界会議を開くために用意された場所ですよ? そんな場で喧嘩など言語道断です」


 いつになく厳しく言い放つ日本に、プロイセンとイギリスはバツが悪そうに眼をそらした。
 そんな二人の様子に、日本は盛大なため息をついた。


「一体何が原因で喧嘩をしていたんですか?」
「そ、それは……」


 いつもならはっきりと言葉を発するイギリスが、珍しく口ごもる。プロイセンも押し黙ったままで、日本が片眉を跳ね上げた。
 ドイツたちも二人を不審な様子で見つめており、その中で痺れを切らしたアメリカがイギリスの顔を覗き込んだ。


「何かやましい事でもあるのかい?」
「そ、そんなわけないだろ!」


 間髪いれずの返答に、アメリカは更に眉を寄せた。疚しいことがないのなら、なぜ答えられないのか。繰り返し問うてみるが、要領を得ない言葉しか返ってこず、アメリカが不機嫌になるのがわかった。


「弟自慢してたんだよ」


 言葉を発したのは問い詰められていたイギリスではなく、ドイツに訝しげな視線を向けられていたプロイセンだった。
 は? とこれまた珍しく間抜けな声を上げたドイツに、プロイセンが言葉を続けた。


「弟自慢だよ、弟自慢。そんで俺のヴェストがあんまりにも優秀なもんで、俺様が優勢になり過ぎて、こいつが殴りかかってきたんだよ」
「おまっ、言うなよ!!」


 さすが俺のヴェストー! と嬉しそうな声を上げるプロイセンに対し、俺のアメリカだってなぁ! とイギリスが声を荒げる。
 話題の中心にいるドイツとアメリカはお互いに首をかしげ、弩号の勢いで自分達を自慢する兄を眺めていた。そして会話の内容が徐々に脳に浸透していき、内容を理解して、二人は首元から頬までを真っ赤に染め上げた。


「「兄貴―――!!!/イギリス―――!!!」」


 顔を真っ赤に染めた弟二人に雷を落とされた兄二人は、そろって平謝りをしている。そこにはふざけた様子も、お得意の皮肉もない。ただ弟が可愛くて仕方ない兄の顔があった。
 弟達も弟達で、恥ずかしさと怒りの裏に、嬉しさが読み取れる。そんな様子にイタリアたちはほっと息をつき、微笑ましげに顔を緩めた。


「しかし日本凄いね。よくあの二人を止められたよ」
「ホントホント! 気付いた時には二人が宙を舞ってて!」
「いえ、そんな……。あれは完全に不意打ちだったから出来たことで……」


 日本を凄いすごいと褒めるフランスとイタリアに、日本が慌てて否定の言葉を返す。二人はお世辞でもなく、本気で凄いと思って言っているのだが、日本は謙遜する。決して驕らないことは彼の美点だ。しかし謙遜も過ぎれば自信がないとも言い変えられる。誇れることを誇れないのは、日本の悪いところでもあった。
 本当に凄いことなのに、とイタリアやフランスは嘆息した。だって殺気をあふれさせた元軍国と元海賊の間に割って入るなんて簡単にできることではない。恐ろしいうえに、一歩間違えればこちらが危うい。その上、例え不意打ちでも彼らを投げ飛ばすなんて芸当は、相当の実力がなければ出来はしない。


「日本があんなに強いなんて知らなかったよ。お兄さんびっくりしちゃった」


 あの二人にも勝てるんじゃない? と、フランスが冗談めかした口調で笑う。


「あぁ?」


 それが聞こえていたのか、イギリスが不機嫌そうな声を上げた。地を這うような低音で。
 その声が聞こえたフランスはびくりと肩を震わせて、ゆっくりとイギリスを振り返った。振り返ったイギリスは相変わらず正座をした状態で座っている。けれどもその表情は日本の前で見せたものでも、アメリカの前で見せたものでもなく、不機嫌に歪んだものだった。
 それは現役時代に自分の思い通りにならなかった者に見せるときの表情によく似ていて、フランスは思わず顔を引きつらせた。


「い、いや、別にお前を馬鹿にしてるんじゃなくてー……」
「何言ってんだ髭。俺たちが日本に敵うわけないだろ」
「…………は?」


 言い訳めいた言葉を紡ぎ始めたフランスの言葉など無かったことにして、イギリスが呆れたように息を漏らす。そのあともいつもの調子で皮肉を漏らすが、それらはフランスの耳を通り過ぎ、一切入ってこなかった。


「だいたい――……」
「ちょ、ちょっと待って、イギリス。どういうこと? 日本に敵うわけないってどういう意味?」
「は? そのままの意味だが?」


 耳までおかしくなったか? とイギリスが鼻を鳴らす。しかし驚いているのはフランスだけでなく、爆弾を投下したイギリス本人と日本、プロイセン以外が驚愕に目を見開いていた。
 そんな様子に、イギリスが訝しげに眉を寄せた。


「知らなかったのか? 俺が日本に勝てたことなんて一度もないぞ」
「え? え? 現役時代から? 一度も?」
「一度も」


 ありえない、とその場にいる誰もが思ったのか、フランスたちの視線がイギリスと日本を見比べるように二人を行き来する。
 イギリスが憮然とした表情で、日本は肩身が狭そうにその視線を受け入れた。


「俺も一回も勝ったことねぇぜ」
「ぷ、プロイセン?」
「俺も、何度挑んでもこの爺にだけは勝てたことがねぇ」


 イギリスの隣で正座をしていたプロイセンが足を崩しながら鋭い視線で日本を見つめる。その視線はとても嘘偽りには見えず、誰かがごくりと喉を鳴らした。何故ならば、その瞳は戦場でもないのに、油断なく日本を見据えていたから。


「元からのセンスってもんもあったのかもしんねぇが、さすがに二千年以上存在してきた国だ。闘ってきた相手の数がちげぇ。その経験の差だけでも、俺様達は手も足も出ねぇよ」
「か、過大評価です。私もだいぶ衰えましたし、中国さんには勝てたことないですし」
「え?」


 また新たに増えた強者の名にイタリアたちは更に驚きを露わにする。プロイセンたちは納得したように頷いているが、フランスたちは納得できない。だって日本も中国も、とても戦闘向きとは言えない体躯をしていて、戦えることさえできるのかも疑問なのだから。
 しかしイギリスにもプロイセンにも、日本は勝てることは否定していない。その上で、中国には敵わないという。


「あの人こそ経験の差で勝てませんよ。武術は得意ではないくせに、その経験だけでこちらの動きをすべて読んでかわすんです」


 さすが仙人。これが年季の違いってやつですかねぇ……。そう言って首をかしげながら、日本は深く嘆息した。




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