魅了する色






 極東に浮かぶ島国――日本国。その国の化身――日本の家には、イギリスとプロイセンの化身が遊びに来ていた。
 何故この三人が、とか。異色の組み合わせだ、と思われるかもしれないが、そうでもない。接点は主に日本という存在だが、イギリスとプロイセンはなかなかに共通点が多いのだ。日本の指導に当たったことがあるとか、弟がいることだとか、不憫だとか。
 お互いに喧嘩もするが、決して仲が悪いわけではない。
 そんな二人は困っていた。果てしなく困っていた。

 ――じぃぃぃ……。

 見られている。それも猛烈な勢いで。日本の化身によって。
 日本は普段、目をそらす癖がある。彼の性分と国民性から目を合わせることが苦手なのだ。
 そんな日本に見られている。穴が空きそうな勢いで。いっそ気圧されるほどに。


「あー……その、日本。どうしたんだ?」


 日本があまりに熱い視線を向けてくるものだから、イギリスがかすかに頬を染めて日本に問いかけた。
 いつもならまっすぐに相手を見る緑の目が泳いでいる。
 まぁ、そうなるよな、とイギリスの気持ちがよくわかるプロイセンが内心で同意を示すようにうなずいた。
 どんなに訓練しても、日本は視線を合わせることだけはいつまでも苦手としていた。それがこんなにも積極的に自分達の目を見つめてくるのだから、その動揺もうなずける。
 つまりはプロイセンも動揺していた。


「……お二人の目は本当にお綺麗ですねぇ……」
「「…………は?」」


 話を聞いていたのか否なのか。先程まで微動だにしていなかった日本が、しみじみと頷いた。
 イギリスとプロイセンは呆気にとられた。
 前々から不思議国家だとは思っていたが、とうとう話も通じなくなったのかと、プロイセンは戦慄する。
 イギリスに至っては思考が停止していた。


「……いきなりどうしたんだ、爺。年か?」
「その通りですが何か?」
「いや、否定しろよ」


 だって爺ですもの、といって日本がころりと笑った。
 プロイセンとイギリスは見た目は若いが、それなりの長寿国だ。しかし、一番若く見える日本は、彼らの倍以上の歳月を生きてきた。日本という国は、見た目は幼いが、二千六百年余りの長きを生きているのだ。
 自らを爺と認めるのもうなずける。ただ、見た目と年齢のギャップが恐ろしいけれど。


「ま、まぁとりあえずそれは置いておこう。それよりも、日本の発言の真意を知りたいんだが……」


 軌道修正を図ったのはイギリスだった。
 日本はきょとんと眼を瞬かせ、それから納得がいったようにうなずいた。


「私ども日本国民は黒髪黒眼です。まれに茶の方もいらっしゃりますが、大半は黒ですよね」
「あー、確かにな」
「皆さんのおうちは多彩ですから、私どもはその鮮やかな色合いに魅了されてしまうのですよ」
「魅了って……」
「恥ずかしながら、私もお二人の色彩に見惚れてしまったのです」


 ――ガンッッッ!
 イギリスとプロイセンの二人が、机に額を打ち付けた。それはもう強かに。
 驚きと心配の声が日本から上がるが、二人はなかなか顔があげられなかった。
 曖昧な言葉を重ね、相手を気遣うのを美徳としている日本の率直な物言いは、なかなかどうして珍しい。それも褒め言葉。幾多もの言葉をもらってきた二人も、この時ばかりは盛大に照れた。


(何なんだよ、こいつはあああああああああ! いっつも微妙なことばっか言いやがる癖にこういうときに限ってえええええええええええええええ!!!)
(うわあああああああああああああああああ! 日本が素直とかっ! 魅了とか見惚れたとかっ! 恥ずかしいだろばかぁっ!!!)


 内心で転げまわって悶えるくらいには。


「あ、あの、だ、大丈夫ですか……?」
「な、何とか……」


 のろのろと顔を上げる。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。強打した額とともに。


「本当に大丈夫ですか……?」
「おう……」
「それならいいのですが……」


 日本はいまだに引かない顔の赤みを心配しながらも、大人しく引き下がる。あまりしつこく心配すると、かえって相手を怒らせるだけだと心得ているからだ。


「つーか……俺様達の目なんて見慣れてるだろうが。俺様はお前の師匠やってたし、こいつとは同盟組んでただろうが」


 落ち着くために湯飲みのお茶を飲みほして、プロイセンが日本に問いかけた。
 確かに今更だよな、とイギリスも頷く。
 今までだって散々見てきただろう、色。今ここで言わなくたって、いう機会などたくさんあっただろうに。


「いえ……ただ単純に、私なんかに褒められても嬉しくないだろうな、と思っていまして……」


 卑屈ですいません、と日本が眉を下げた。
 日本は謙虚で健気だ。そして自虐的でもある。自分などが、と一歩引いたような姿勢が常であった。
 師弟時代や同盟時代は日本は指導を受ける立場にあり、格下に褒められても、という考えが先行したのだ。
 しかし現在は、日本も成長し、国としてではなく、個人で彼らと交友を深めている。自分が褒めたりしても、相手が嫌悪を示さないことも、だんだんわかってきたのだ。


「そろそろ、自分を許してあげようと思いまして」


 もう自分に自信を持って良い、と。
 袖で口元を隠し、日本がくすくすと笑う。日本も日本で照れているのか、うっすらと頬が赤い。


「日本……」


 イギリスが喜びに目を細める。
 目を合わせることを苦手とし、堂々と歩くことさえためらっていた日本。その日本が、自らを許した。喜ばしいことではないか。
 プロイセンも、優しい目を日本に向けている。
 声を出したのはイギリスで、イギリスの方を向き、目があった日本はにっこりとほほ笑んだ。


「イギリスさんの目は若葉のように瑞々しく、鮮やかですね」
「うぇっ!?」


 唐突に始まった褒め殺しに、イギリスが肩を跳ねさせる。
 プロイセンは顔をひきつらせた。


「きっとエメラルドも霞んでしまうでしょうね」


 日本がキラキラと目を輝かせる。笑顔が眩しい日本に、イギリスとプロイセンは戦慄した。
 殺される。日本の笑顔を褒め言葉に。


「一点の曇りもない緑は若々しい生命力に溢れていて、たった今芽吹いた新芽のような愛しい色をしています。生きる気力を与えてくれるような、希望の色です」


 国なら誰もが経験したでしょう、焦土と化した土地に立ちつくすあの絶望を。けれどもそんな土地にも若葉は芽吹き、民に生きる活力を与える。緑はそんな素晴らしい色なのです。
 この国はまだ終わっていないと、そう教えてくれる色。だから私にとって、緑は希望の色なのです。
 正面切って、それはもう輝かしい笑顔付きで褒められたイギリスは、顔から火を吹かんばかりの勢いで真っ赤に染め上がった。
 褒め言葉はよくもらう。端麗な部類に入ることも心得ている。けれどもなんの打算もなしに褒められることは、驚くほど少ないのだ。だから、純粋に愛でられ、イギリスは羞恥に悶えることとなった。
 それはプロイセンも同じである。彼もまれな美貌を有し、称賛だってたくさん浴びてきた。けれどもその裏にはいつだって妬み嫉みが含まれており、何の不純物も含まれていない言葉など、早々もらう機会はなかった。
 それに加えて、彼ら二人の世界共通の認識は『不憫』である。扱いもそれ相応で、得することは限りなく少ない。邪険に扱われることも多く、何度しょっぱい思いをしたかわからない。
 そんなわけで、二人は褒められ慣れていないのである。


(おいぃぃぃ! なんか予想外にこっ恥ずかしいこと言ってんだけどおおおおおおおおおお!!?)


 恥ずかしさで天に召されそうになっているイギリスの隣で、プロイセンが肩を震わせた。
 褒めるといっても、照れ屋な日本のことであるから、綺麗ですねとか、かっこいいですとか、もっと単純な言葉で終わるものだと思っていたのだ。しかし侮るなかれ文学の国。比喩的表現や繊細な言い回しに定評のある日本は、実はとても褒め上手なのである。
 くるり、と日本がプロイセンに顔を向けた。


「プロイセン君も美しい色をしています。ルビーよりも赤く輝き、深い色をしています。まるで血の色です」


 光悦とした表情を浮かべる日本に、プロイセンの中で、何かが急激に冷えた気がした。


「――皮肉か?」


 自分でも思ったより、低く棘のある声が出た。雰囲気が変わったことに気づいた日本とイギリスが、プロイセンの顔を見る。刺々しく、けれどもどこか寂しげだった。
 血の色と言われたことなら、何度もあった。軍国としてそれに誇りを持っていたこともあったし、弟のドイツも恐れを抱くと同時に気に入っていたから、むしろ自分の瞳の色は好きだった。
 けれどもそれは戦時中の話で、現在は血を流すまいと必死に和平を解いている。そんな時代だ。今この世界で、血の様だと表現されるのは、嫌味にしか聞こえなかったのだ。
 そんなプロイセンの心情を読み取ったのか、日本は真剣な瞳で、プロイセンを見つめた。


「違います。皮肉なんかではありません。それは誤解です。私が言いたかったのは、人を生かす色だと、生命の色だと言いたかったのです」


 無意識に強く握り込んでいた拳を解かれ、日本の胸へと誘われる。丁度胸の中心、心の臓の上。そこに、宛がわれた。


「私が温かいのは何故ですか? 心の臓が動いているのは何故ですか? それはすべて血潮のおかげでしょう?」


 ――赤。真紅。血の色。とても残酷だけれども、それと同時にひどく温かい色。


「それに赤は、日本では太陽の色なのです。私達を照らしてくれる色なのです。だから、そんな顔をしないでください、師匠」


 日本が、顔を歪めているのを見て、プロイセンは苦笑した。よほど、酷い顔をしていたらしい。
 イギリスを見れば、彼も何とも言えない顔で苦笑し、肩をすくめていた。
 改めて、日本を見る。吸い込まれてしまいそうな、深い色をした瞳に、自分が映っている。それはもう、情けない顔をしていた。
 師匠、と震えた声が日本の口から洩れる。久々に聞いた呼称に、自然と口角が上がった。
 その笑みに、日本の顔にも安堵の色が乗る。そんな日本に、プロイセンは笑みを深めた。


「……だったら、日本の瞳は夜空色だな」
「え?」


 優しげでいて、それでいて愛しげな色をその目に浮かべるプロイセンに、日本が動揺を見せた。割れ物を扱うような手つきで、筋張った掌が頬を撫でる。
 言われた内容は予想外で、その美しい瞳に乗る感情も、思いがけないものだった。普段からは考えられないような柔らかい触れ合いに、何故だか頬が熱くなる。
 そこに更に、イギリスの甘い声が滑りこんできた。


「それ、凄くわかる。夜空を見ていると自分なんてちっぽけな存在で、国とかそんなものは関係なく、アーサー・カークランドという一つの存在でいさせてくれるんだ。日本の瞳は吸い込まれてしまいそうな深い色をしていて、夜空を彷彿とさせる」
「あと雰囲気な、雰囲気。何つーか、和むっつうの? 包んでもらってるような、そんな感じで、嫌なもんを忘れさせてくれるっつうか、落ち着くんだよな」


 ギルベルトっつう一つの存在でいさせてくれるってーのは、言い得て妙だぜ。そう言って、プロイセンは独特な笑みで笑った。
 そんなプロイセンに、イギリスは当然だろう、と言って得意げだ。
 そんなイギリスも、ガラス細工でも扱うような繊細な動きで、日本の頬を撫でた。愛しいと伝えるような、そんな温かさを持って。
 何なんだこの二人は。恥ずかしげもなく歯の浮くようなセリフを吐き、女性ならば一瞬で骨抜きにされてしまいそうな優しさで接することが出来るのか。――ああ、もう。


「二人とも、恥ずかし過ぎです……! 爺を殺す気ですか……!」
「「お前が言うな」」


 顔を覆って俯いた日本は、首筋まで真っ赤に染まっていた。
 そんな日本を更に照れさせるべく、プロイセンとイギリスは二人揃って日本の柔らかい髪を撫でるのだった。もちろん、とびっきりの愛情をこめて。




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