お母さんの魔法の手
イタリアの様子がおかしいことに気づいたのは、やはりというかドイツだった。
世界会議――各国の化身が会する会議で、イタリアはずっと伏せっていたのだ。
いつものことだろう、と言われるかもしれないが、今日はシエスタ目的で伏せっていたわけではないようで、いつもなら怒鳴ってでも顔を上げさせるはずのドイツが声を上げることが出来なかった。顔を伏せていることには変わりないのに、なぜだかそうすることがためらわれたのだ。
それ以外は変わりなく、いつも通り会議は踊り狂ったまま進み、終了予定時刻を大幅に超えて終わった。
いつもならすぐに顔をあげて、食事だなんだと言いながら自分の元に来るのに。しかしイタリアは会議が終わっても顔を上げなかった。
「イタリア? どうしたんだ?」
具合でも悪いのだろうか?
出来るだけ刺激しないように肩に手を置く。ピクリと肩が動き、イタリアがゆっくりと顔を上げた。
顔を上げたイタリアを見て、ドイツがギョッと目を見開いた。
「ドイツ……」
顔を上げたイタリアは今にも泣いてしまいそうな情けない顔をしていた。
ドイツは動揺した。
イタリアは気弱で、すぐに涙目になることが多い。しかし、こんなにも苦しそうな顔で泣くのを我慢しているイタリアを、ドイツは知らない。
「ど、どうしたんだ……。医務室にでも行くか? 顔色が優れないぞ」
ゆるく肩を撫でて問いかける。するとイタリアはどこか焦点の合わない目でドイツを見上げた。
――あ、と思ったその時だ。イタリアの頬を涙が濡らしたのは。
「い、イタリア……!」
ドイツは良くも悪くもマニュアル人間だ。予想外の出来事に弱い。
まさかこんなに静かに泣くイタリアを見ることになるとは思わず、ドイツの動揺はもはや混乱の域にまで達していた。
――どうすればいい? どうしたら泣きやむ?
イタリアは落ち込みやすいが、その分復活も早い。
イタリアが落ち込んでいたらドイツはもちろん励ますが、あまりうまく励ませていない自信がある。しかしイタリアはそんなドイツを見てそうそうに立ち直るのだ。不器用ながらも励ましてくれる友人の優しさに触れて。
つまりドイツの助けを借りて、けれど最後は自分で立ち上がるのだ。イタリアは。
けれど、今日は常とは違う。女性に振られたとか、そんな単純なことで落ち込んでいるようには、とても見えないのだ。
イタリアが泣く理由がわからず、励ます言葉も見つからない。冷静になろうとすれど、余計に頭の中はぐちゃぐちゃになる。
――こんな時、兄さんならどうしただろうか。
泣いている自分を慰める優しい兄を思い出し、ドイツまでもが泣きたくなった。
どう対処したらいいかわからない状況に不安を覚えたドイツの思考は、ほとんど停止していた。
――誰か助けてくれ! 誰でもいいから……!
「イタリア君。ドイツさん」
ぽん、と優しい掌がドイツの腕に、イタリアの肩に置かれる。穏やかなテノールが耳に届き、イタリアとドイツはそろって声の方を見た。その先にいた優しい笑みを浮かべた日本に、ドイツは何故だかひどく安堵した。
「イタリア君。何か辛いことでもあったのですか?」
「……っ、ゆめ、みて……っ」
「夢、ですか?」
「むかしの、ゆめ……」
辛い辛い夢。大切な友人を失った、悲しい過去の夢だ。
楽しい思い出の夢だったらよかったのに。思い出すのは苦しい過去ばかり。胸が痛くて、苦しくて、涙が止まらない。
「それは苦しかったですね。辛かったですね。でも、もう大丈夫です。私とドイツさんがついていますからね」
「う、ん……っ」
「さぁ、もうひと眠りしてください。次はきっと、とても楽しい夢が見られますから」
「ん……」
そっと包むようにイタリアの背中に腕を回し、優しくなでてやる。イタリアはその手に安心したのか、日本に体を預け、すぐに寝息をたてはじめた。
イタリアが眠りについたのを確認し、日本はまた優しく微笑んだ。
それから日本はドイツにも同じ笑みを向けた。
「ドイツさんも、よく頑張りましたね」
「……何を、だ。俺は……」
何もできなかった、とは口にできなかった。自分は無力だ、とそう認めてしまうようで。
けれど日本は暖かい笑みを湛えたまま、ゆっくり首を振った。
「涙腺ってね、安心すると力が抜けて緩んでしまうんです。ドイツさんの顔を見て、イタリア君はほっとしたんですよ。もう泣いてもいいんだって」
会議中、ずっと耐えていたみたいですよ、と日本が眉を下げる。
「泣きたいのを我慢するのはとても辛いことです。そんな苦しみから、あなたはイタリア君を救ってあげることが出来たのですよ」
無力だなんて、そんな風に思わないでください。
そう言って、日本はドイツの目尻をなでた。
「…………っ」
視界が歪む。安心したのだ。安心して、涙腺が緩んだのだ。
もう大丈夫だと、そう思わせる何かが日本にはあって。
「偉かったですね、ドイツさん」
陽光の様な笑みを浮かべた日本に頭をなでられたドイツは、一筋涙を流した。
あるはずのない、母の気配を日本に感じて。