変な人に好かれやすい天童さんの話
白鳥沢学園は、全国から優秀な生徒達が集まる学び舎だ。文武両道を誇り、特にスポーツの分野において優秀な成績を収める者が多く、全国的に顔を知られている生徒も存在していた。天童達が所属しているバレー部も全国出場の常連校であり、中にはファンを獲得している者も多数在籍していた。特に“怪童”と呼ばれる牛島は中学の頃から有名で、全国各地にファンが存在している。それに伴い、ファンレターや応援グッズなどが届くこともしばしばあった。
実家からの仕送りなど、受け取り側から要請が無い限り、それらは一旦学校側で預かり、危険物などがないかのチェックを行ってから個人に受け渡すことになっている。過去に何やらよろしくないものを送りつけてきた不届き者がいたことで、そう言った措置が為されるようになったという。有名税とはよく言ったものだが、受け取る側としてはたまったものではない。
「相変わらず凄いねぇ、若利くん」
「今回も大量だなぁ」
ファンからの応援メッセージだと思われるものは部活単位でまとめられ、部室に届けられる。段違いで多いのはエース格の生徒だが、それに引けを取らないのが牛島だ。段ボールにみっしりとファンレターや応援グッズが詰め込まれており、天童は感嘆の息を漏らした。
けれど、当の牛島はあまり関心が湧かないのか、平時と変わらない。涼しげな顔でチラリと一瞥しただけだった。
ふと、牛島が自分への贈り物ではなく、その横に置かれた手紙の山に目を向けた。気になるものでもあったのか、一番上にあった手紙を手に取る。
「天童にも来ているようだが」
「えっ?」
一個人にほんの数通だけ送られるファンレターは、ひとまとめにされている。そこまで面倒は見切れないと、勝手に持って行くよう言い渡されているのだ。
何となしに目を向けた先に見慣れた文字列があったものだから、牛島は思わず手に取ってしまったようだった。
牛島に手紙を渡された天童は、目を瞬かせて宛名を読んだ。「天童覚」と書かれたそれは、どうやら本当に自分宛のものであるようだった。
「え、誰からだろ……。手紙送ってくるような人に心当たりないんだけど……」
試合に出て活躍した選手であったならば、ファンレターだと喜んだことだろう。しかし、天童はようやっとベンチ入りしたばかりだ。試合にも出ていない控え選手にファンが付くとは思えない。
親族という線も考えたが、親族であれば直接連絡を寄越すだろう。差出人の名前を見ても、全く知らない人間の名前だった。
眉間に皺を寄せて手紙を睨み付ける天童に、山形達は顔を見合わせた。
「差出人に見覚えはないのか?」
「それは全く無いんダヨネー……。でも、ベンチ温めてただけの俺にファンなんて付くとは思えないし……。えー、マジで何だろ……」
「一回中身開けてみるか? 怪しいもん入ってそうなのは避けられてるはずだし、危険はねぇと思うけど」
「……ん、まぁ、悩んでても仕方ないしネ。ちょっと読んでみるヨ」
瀬見に促され、封を開ける。中身は至って普通の便箋が入っていた。
数枚にも及ぶ手紙。何をそんなに書くことがあるのやら。一枚目から読み進めていくと、天童は読み始めてすぐに顔を顰めた。
「うへぇ……」
心底嫌そうな声を出した天童に、嫌がらせの類いだったのだろうか、と山形達の顔が険しいものになる。それに気付いた天童が、何とも言えない表情で手紙の内容を要約した。
「何かねぇ、中学の俺の試合見て、“かわいそー”って。“今もそうなんでしょ?“ってさ」
「はぁ? 何だそれ……」
天童の中学時代、否、幼少期から中学までの彼の環境が、あまり良いものでないのは薄々察していた。ほんの些細な言葉の掛け合いを心底嬉しそうに行い、肩に触れる程度のスキンシップにも満面の笑みを浮かべる。おそらく、そう言った友人間で行われるごく当たり前の行為が、彼にとっては酷く尊いものなのだ。ずっと欲しくて、けれど見ているしか出来なかったもの。それをようやっと与えられて、彼は宝石を愛でるように、大事に大事に抱え込んでいる。それを目の当たりにすることになる、同級生達が思わず面映ゆい気持ちになるくらいに。
確かに彼の過去は“可哀想“と表現されるものかもしれない。けれど、彼の幼少を“可哀想”と言うのは、彼に対する侮辱に等しい。天童は環境に恵まれなくとも腐ることなく、強豪で知られる白鳥沢で推薦を勝ち取れるほどの実力を身につけたのだ。誰に認められずとも、己の信念を曲げずに戦ってきたのだ。
6人で一つのボールを繋ぐ。それがバレーという競技だ。だから、共に励む仲間が居ない状態で、それほどまでの実力を身につけるのは至難の技である。その苦難を乗り越えて、今の彼があるのだ。故に同情は、彼の努力に対する冒涜だった。
その手紙を不快に感じたのは、瀬見だけではなかった。大平はもちろん、山形、果ては牛島でさえも眉を寄せている。
人間というものは、上だけを向いて生きていけるものではない。どうしたって足下が気になることもあるのだ。その中には、“自分より下が居る”ことに安心感を覚える人間もいる。また、他者を哀れむ自分に酔ってしまうような人間もいるのだ。可哀想な弱者に手を差し伸べることで、まるで自分が救世主にでもなったかのように思い上がってしまう人間が。人間は、所詮人間でしかないというのに。
(いや、嫌がらせって可能性もあるな……)
人の悪意に限りは無い。同じ人間であることすら疑いたくなるような、悍ましい考えを持つ者も存在するのだ。誰でも良いから人を傷付けてみたいだとか、そんなふざけた理由で悪意をぶつけてくる人間もいる。天童は良くも悪くも目立つ人間だ。悪意をぶつけるのに丁度良いと、標的にされてしまった可能性だって十分にあった。これが正解であったならば、それだけの理由で、わざわざ手紙まで寄越してくるのは、本当にどうかしているとしか思えないけれど。
どんどんと嫌な想像が膨らみ、牛島達は天童の持つ手紙を、まるで親の仇を見るような目で睨み付ける。その間にも読み進めていた天童は心底うんざりした顔で、ひらひらと手紙を振って見せた。
「“僕なら君を理解してあげられる”とか、話したこともねぇのに何言ってんだか」
続けられた言葉に、大平が首を傾げる。チームメイトの顔をそっと伺うと、瀬見も同じように違和感を覚えているようだった。
「極めつけに“僕なら慰めてあげられるよ”だって。ご丁寧に連絡先まで書かれてるし……。慰めなんてイラネーっての!」
ここで、鈍い部類の山形と牛島も何かがおかしいことに気が付いた。
弱っている相手に理解を示し、慰めの言葉を掛ける。失恋した相手の心を手に入れる際によく使われる手法である。それを知っている彼等は、天童に送られた手紙に下心しか感じられない。ファンレターの中にはそういったものも確かに混じっていることはあるけれど、これに関しては異常性が際だっていて、かわいらしいラブレターと同列に扱いたくない。
手紙の送り主は、中学の頃の天童の様子を知っている。けれど彼は全く無名選手であり、その進学先など関係者でもなければ知ることは出来ないだろう。しかし、この手紙の送り主は、そんな天童の進学先を調べ上げ、こうして手紙を送りつけてきたのだ。『ストーカー』という言葉が、大平達の脳裏に過ぎる。大人に報せるべきか、と四人が視線を交わし合う。
もう少し判断材料が欲しいと、瀬見が封筒を手に取った。そして、まだ中身が残っていることに気が付いた。
「……あ? まだ何か入って……?」
中身を取り出して、その正体を見る。瀬見が目にしたのは、勃起した一物の写真だった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!?!?」
脳がその画像を認識した瞬間、瀬見の口から絶叫が迸る。何事かといち早く振り返った大平が写真を目にし、身体を硬直させた。同じく写真を見てしまった牛島が、咄嗟に写真を奪い取り、天童の視界に入らないように後ろ手に隠す。彼等の反応から何か良くないものだったことを察知した山形が、天童の身体を引っ張り、写真から遠ざけた。渦中の天童だけが、訳も分からずオロオロとしていた。
「え? なになに? どうしたの、みんな。何が入ってたの?」
「天童は知らなくていい!!!」
瀬見の悲鳴のような言葉に、天童はびくりと肩を震わせる。何が何だか把握できなくて、それが恐ろしいような気がして山形の服の裾を掴んだ。不安げに視線を彷徨わせながら一同の顔を見つめていく。瀬見は顔面蒼白。大平は難しい顔をしていて、牛島は怒りを顕わにしている。山形も、眉間に皺を寄せていた。
「…………監督に報告しよう」
「えっ!!?」
重々しく、大平が口を開く。瀬見と牛島も、それがいいと同意を示した。山形も、彼等がそう判断するなら、と深く頷いた。天童だけが、事態の重さを認識していない。
「そ、そんなやばいもん入ってたの!? カミソリでも入ってた!? 怪我してない!!?」
慌てて瀬見に駆け寄ろうとして、山形に押さえられる。あわあわと慌てふためく天童を宥めるために瀬見の方から歩み寄り、安心するように言葉を掛ける。その際に天童の手から手紙を取り、大平に渡す。それを受け取って、大平は牛島と共に部室を後にした。そして監督である鷲匠に報告し、後は大人達に任せることとなった。
教員達で残りのファンレターを調べていくと、天童へのファンレターは全部で3通あり、そのどれもが似たり寄ったりであったため、教師達は揃って戦慄したのだった。