想いの行方






 それはある日の放課後のことであった。隣のクラスの下駄箱で、何やら見知った人物が立ちつくしている姿を見かけたのは。
 目立つ赤い髪を持つその人物は、天童覚。呆然とした姿を目撃した牛島や山形らと同じバレー部にマネージャーとして所属していた少女である。
 何かあったのだろうか、と牛島と顔を見合わせて、山形が天童に近づく。天童は何やら食い入るように手元を見つめていた。
 何を見ているのだろう。首をかしげながら、ちらりと手元に視線を向ける。そして、天童が呆けていた理由を悟った。
 天童が手にしていたのは、女の子が好みそうな薄桃色のメッセージカードであった。一瞬視線を向けただけなので詳しい内容は分からないが、何やら「空き教室で待っている」というようなことが書かれているようだった。
 告白、というやつをしようという輩が、天童に寄越したものだろう。カードに書かれている空き教室というのが、告白によく使用される場所であったから。
 天童はそのカードを見つめて困ったように眉を下げていた。それと同時に、今まで見たこともないほど頬を赤く染めていた。
 天童は見た目は派手だが、その中身は驚くほど初心で純情だというのが、バレー部一同の認識である。少しでも性別を感じさせるようなことがあれば、すぐに赤面して黙り込んでしまうことが多々あった。
 今回も、告白を受けることになると分かって、言葉を失っていたのだろう。


「……行くのか?」


 突然頭上から降ってきた声に、天童だけでなく山形もビクリと肩を震わせる。
 二人揃って音がしそうなほどの勢いで振り返れば、いつの間にかすぐそばにまでやって来ていた牛島が、どこか常とは違う雰囲気を纏わせて天童を見つめていた。


「わ、若利君!? って、隼人君も! もうっ! びっくりしたじゃん!」
「すまん」
「悪ぃ、声かけにくくてな」


 律儀に謝る牛島と山形を、天童は拗ねたように唇を尖らせてねめつける。
 カードの内容を盗み見た罪悪感もあって山形は苦い笑みを浮かべるが、牛島は天童の非難の目などお構いなしに、天童の大きな目に視線を合わせた。


「それで、どうするんだ?」
「と、とりあえず行ってみるよ。罰ゲームにしろ何にしろ、行ってあげなきゃかわいそうじゃん」


 赤面しながらもごもごと言葉を紡ぐ天童に、牛島が不機嫌そうに眉を寄せる。天童の言葉を隣で聞いていた山形もだ。
 天童は特別美人ではないけれど、愛嬌があって、コロコロと変わる表情が魅力的な少女だ。確かに少々騒がしいところもあるが、引き際もきちんとわきまえており、元気で明るい、という印象の方が強い。そんな天童を可愛いと思う者は少なくはないだろう。
 けれど天童は、自分に好意を寄せられることなどないというような物言いをするのだ。
 中学の頃の環境があまり良くなかったと聞いた覚えがあるから、おそらくはそのせいだろう。彼女は自分に対する評価が恐ろしく低い。


「……俺は行って欲しくない」
「え?」
「は?」


 牛島の、不機嫌を隠さない低い声に、天童と山形は驚きに目を見開いた。
 その意図が分からなかった天童は困惑し、珍しく山形が察した。牛島も、天童に好意を寄せる者の一人であるということを。


「それでも、行くのか?」
「い、行くよ……」


 いつもと違った様子を見せる牛島に気圧されながらも、天童は目をそらさない。


「返事はちゃんとしないと……、それが筋でしょ?」
「……そうか」


 心なしかしょんぼりと肩を落としたように見える牛島には気付かず、天童はもう一度カードに目を通す。しっかりと内容を確認して、カードをブレザーのポケットにしまった。
 行ってくるね、と山形らに手を振る天童の手首を、牛島が握る。それに驚き、動揺しているのをいいことに、牛島が天童を引き寄せる。そして、かぷりと天童の細い首筋に噛みついた。


「ひぇっ……!?」


 牛島の突然の暴挙に天童を見送ろうとしていた山形は硬直し、天童は首筋に感じる柔らかい感触に裏返った悲鳴を上げた。
 その悲鳴に、生徒玄関にいた生徒たちが振り返る。そして目を剥いた。
 あの牛島が、女子生徒を抱きしめ、あまつさえ首筋に唇を寄せているのだ。恋愛などただの雑念だとでも思っていそうな、あの牛島が。


「な、何してんの!?」
「若利っ!?」


 天童が驚きのあまり牛島を押しのけ、山形が天童の肩を抱いて距離を取らせる。
 首は大丈夫か、と首を見れば、天童の首筋には、赤い花が咲いていた。俗にいう、キスマークというやつだ。
 その執着心の塊に、ああ、本気で天童が好きなんだな、と山形は漠然と納得した。
 現に牛島は山形が天童の肩を抱いているのを見て不快そうに眉を寄せている。意中の相手に触れている男に嫉妬したのだろう。自分に非があるのを自覚しているためか、それには何も言わなかったが。


「俺は天童が好きだ」
「へっ!?」
「だから、その相手と上手くいって欲しくない」


 突然の告白に、天童が面白いほどうろたえる。告白現場の目撃者となってしまった生徒たちもだ。
 バレー部の誇るエースの一世一代の告白に、山形は天童の肩から手を離し、そっと距離を取る。
 それに気づいた牛島が、山形とは逆に、天童との距離を詰めた。


「だが、告白を受けに行くのをやめるつもりはなさそうだったので、つけさせてもらった」


 ―――相手が俺の都合のいい解釈をしてくれるように。
 そう言って、牛島が天童の髪を後ろに流す。武骨な指が天童の髪を傷つけないよう、細心の注意を払って。
 それにより、天童の細い首が露わになる。もちろん、牛島のつけた花弁の様な赤い痕も。


「痕をつけたのは申し訳なく思っている。だが、俺はお前を誰にも捕られたくない」


 ―――俺は、天童が好きだ。
 牛島らしくない、懇願するような声だった。迷子の子供が、助けを求めてすがりつくような、そんな印象を受ける声。
 あまりの衝撃の連続に、天童は持てる力のすべてを使って、その場から逃げ出したのだった。





 ちなみにこれは完全な余談であるが、全力を持って牛島から逃げ出した天童が逃げ込んだ場所は、くしくも指定された空き教室であった。
 告白場所として指定されていた空き教室には誰もおらず、「牛島君とお幸せに」と涙で滲んだ文字で書かれていたカードが黒板に張り付けられており、羞恥と申し訳なさで天童はその場にうずくまった。


「……若利くんへの返事、どうしよ……」


 返事を返すのが筋と言った手前、逃げるわけにはいかない。
 けれど、今は返事など返せない。考えられないのだ。
 だって、それほどまでの衝撃を受けた。


「っていうか若利君って、俺のこと好きだったの~!?」


 牛島から出る矢印の先にいるのが自分であるというのが、一連の出来事の後でも信じられない。
 牛島に好意を寄せられている。その認識を受け入れる。返事よりも何よりも、まずそこからであった。




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