変な人に好かれやすい天童さんの話 2
白鳥沢学園に入学し、念願のバレー部に入部した白布は、一つ上の先輩達を見て首を傾げた。一つ年上の彼等が、一人のバレー部員に対して何だか過保護に見えたからである。
庇護対象はミドルブロッカーの天童覚。人懐っこく、いつも笑みを絶やさない男だ。お調子者のきらいはあるが、その実、よく周りを見ている人間でもある。少しの不調にも気が付き、すぐに声を掛けるのだから、彼の観察眼はずば抜けている。
しかし逆に、天童はあまり周囲に不調を悟らせない。強豪校の運動部にしては体力が少なく、季節の変わり目に弱い。もちろんフルセットを戦えるだけの体力はあるが、それでも他の部員よりへばるのが早い。よく床に倒れ込んでいるのを見掛ける。彼の周囲が天童に対して過保護なのは、不調を隠したりすることがあるからだろうか。しばし観察して色々と考えたが、どうにもそれだけが理由ではなさそうだった。
「何見てんの?」
「いや、先輩達って、何か天童さんに甘いなって思って……」
「ああ、確かに……。何つーんだろ、過保護?」
首を傾げた白布に声を掛けたのは、同級生の川西である。彼は白布の視線を辿り、体育館の隅で瀬見達と談笑する天童を視界に映す。いつ見ても、彼の隣には人が居て、一人で居ることが極端に少ないように思われた。特に練習試合や合宿など、学外に出掛けるときになると、より一層それが顕著だった。
天童は、そうは見えないが常識人だ。意外にしっかりしていて、実は結構頼りになる。学園内で天童が賑やかにしているのは、ある種の甘えによるものだ。楽天家な山形や、天然のきらいがある牛島の方が、実はよほど手が掛かる。一人にしておいても問題の無い天童よりも、そちらに目を掛ける方が、よほど建設的に思えた。
後で聞いてみようかな、と監督からの集合の声を聞きながら、ちらりと頭の隅に残しておいた。
◇
「先輩達って天童さんに対して過保護ですよね? どうしてですか?」
練習が終わり、部室で着替えているとき、丁度タイミングの重なった大平に、白布が声を掛けた。声を掛けられた大平は一瞬きょとんと目を瞬かせて、それから困ったように笑った。
「ちょっと色々あってなぁ。どうしても目が離せないんだよ」
「色々って?」
今度は川西が問いかける。後輩二人からの視線を受けて、大平は少し考える素振りを見せた。
「まぁ、もう少し一緒に過ごしてれば分かると思うけど、心構えがあるのとないのとじゃ、ショックを受ける度合いが違うよな……」
「え、何スか、それ。何か怖いんですけど」
「ショックを受けるようなことがあったんですか?」
「ああ、うん……。覚はなぁ、ちょっと変わった人に目を付けられやすいんだよ」
手紙や贈り物は特に酷いのだと、大平が疲れた顔をした。中には直接声を掛けてくる猛者もおり、とても一人にはしておけないのだと彼は言う。
嫌がらせを受けていると言うことだろうか。白布と川西の顔に、不快感がにじみ出る。
彼は敵を作りやすい。ブロックで相手のスパイクを悉く阻み、スパイカーの心を折る。その後でとどめと言わんばかりに煽り文句を口にするのだ。悪印象を受けるのも納得がいく。中には、害意を持ってしまうものも居たのだろう。それが膨らんで、わざわざ悪意を形にするのは理解しがたいものであるけれど。
(身内にはとことん甘いんだけどな)
天童は、懐に入れたものへの好意を隠さない。あからさまで、開けっぴろげで、好きで溢れかえっている。それを面映ゆく思うことはあれど、疎う事は無い。素直にそれを伝える気も無いけれど。
天童は好意を向ける相手には、どこまでも愛情深い。ネットの向こう側の相手には恐ろしく映る
けれど、そんな天童の“特別”が、どこの誰とも分からない相手に向けられるのも御免被りたい。あの優しさは、自分たちだけが甘受したい甘露なのだ。二律背反とは、まさにこのことである。
「嫌がらせとは、ちょっと違うかな。そういうのもあるにはあるけど、俺達が頭を悩ませているのはそれじゃない」
「「えっ」」
後輩二人の声が重なる。隣から聞こえてきた声に釣られて顔を見合わせると、お互いに同じように困惑を浮かべていた。
大平が、ロッカーの中から一通の手紙を取り出す。書かれた宛名は『天童覚』。普通のファンレターと変わらない。シンプルで飾り気のない封筒は味気なさを感じるものの、その程度だった。
「……これは?」
「見ての通り、覚宛ての手紙だよ。俺のところに混じっててな。中身を確認して、覚には見せられないと判断して、後で処分しようと思っていたやつだ」
大平が、人の手紙を勝手に確認したと言うことに驚く。そしてそれが、天童本人には見せられないと判断される程の内容だったことに戦慄した。一体何が書かれていたのか。気になるけれど、見るのは酷く恐ろしい。
見て良いぞ、と差し出された手紙を、白布が受け取る。破いて良いと言われたが、それは中身を見てからの話だ。
しばしの沈黙の後、意を決した白布は便箋を取り出す。少し目を通して、その顔がだんだんと険しいものになっていく。一体何が書かれていたのか、と川西が手元を覗き込もうとした瞬間、白布が便箋を破り捨てた。
手紙の内容は、悪戯にしては度が過ぎたものだった。自分の行為がいかに上手いか、どのようにして天童をかわいがってやれるかを延々と書き連ねられていたのだ。まるで官能小説のようだった。思わず破り捨ててしまった白布の反応は正しい。
「え、なに?」
川西が、白布が破り捨てた紙片を手に取る。内容を読んで、川西も同じように手紙を破り捨てた。
嫌がらせだとしても悪質で、本気だとしたら警察に持って行くかを見当するレベルである。
「なんなんですか、これ。嫌がらせにしてもセクハラにしても、度が過ぎていませんか?」
「え、毎回こんなんが来るんですか?」
「ああ。酷いときには、こういうのしか来ないときもあるよ。あいつが120点を出した試合のときとか」
そう言えば天童が、自分の分だけファンレターや差し入れが少ないことを嘆いていたことがあったことを思い出す。それにはこういう事情があったのかと、白布達は天を仰いだ。蛍光灯の光が目に眩しい。
「…………そう言えば、声を掛けられたりもするんでしたっけ?」
「ああ。前に、ロードワークの途中でへばっていた天童をホテルに連れ込もうとした奴がいてな……」
だから一人に出来ないんだ、と大平が胃の辺りを撫でさする。冗談ではなく、彼は本気で天童の身を案じていた。
天童は、妙に目を惹く瞬間がある。運動部にしては線の細い身体。しなやかな動き。不意に浮かべる表情。ふとしたときに香り立つ色香というのか、そわそわと落ち着かない気分にさせるときがあるのだ。刺さる人の心に突き刺さり、沼のように足下を絡めとってしまう人間なのだ、天童という男は。本人にその気はなくとも、相手側が勝手に落ちてしまう。
そう言えば、クラスメイトに天童について聞かれたことがあったことを思い出す。目立つ人だから気になったのだろうと思っていたけれど、もしかしたら彼も、深みに嵌まってしまった人間だったのかもしれない。
「…………先輩方は、どのような対処を為されているんですか?」
「とりあえず覚を一人にしないことを徹底しているかな。覚は何かあっても隠してしまいそうだし」
「ああ、確かに……」
「ちなみに、このことについて、本人は……?」
「隠しているよ。俺達に何かあったらって考えて一人になりそうだし。でも、完全に隠すと覚は気付いてしまうから、“こういうことがあったから、みんなで気を付けよう“ってスタンスで匂わせているんだ」
「ああ、なるほど。それなら天童さんは狙われそうな人の傍から離れませんね」
学園内では牛島にべったりであるが、学外に出たときは牛島と瀬見の間を行き来している事が多い。牛島は顔が良いことも理由の一つであるが、とにかくネームバリューに惹かれて様々な思惑を持った人間が集まる。だが、牛島は堅物であるイメージが強く、近寄りがたい印象を受けるのだ。彼の圧に耐えかねて、その圧に耐えられない人間が篩い落とされる。
対して瀬見であるが、彼はとにかく顔で人を集めてしまう。牛島ほどではないが、バレーに関心の高い人間には名が知れており、バレー雑誌に取り上げられたこともあった。その上、彼は牛島とは違い、愛想も良く、面倒見が良い。少しのやり取りで人の良さが相手にも伝わってしまい、とにかくモテるのだ。
“こういうことがあったから、みんなで気を付けよう“という注意喚起を、天童はこの二人に起きたことだと考えているのだろう。
「まぁ、そういうことだから、俺達は覚を一人にしておけないんだよ。お前達も気を付けなさいね。世の中には色んな人がいるんだから」
「「はい」」
たった今、“世の中にいる色んな人”の一部を見てしまった二人は、深く深く頷いた。
自分達も注意してみておこう、と決意した二人は知らない。路地裏に引きずり込まれそうになっている天童を目撃してしまうことになる未来が、ほんの少し先まで迫っていることに。
◇
「何で一人で出歩いてるんですか、ばかぁ!!!」
「賢二郎、口調が幼くなってるよ。大丈夫?」
「ほんっと、ほんっっっと勘弁してください……!!!」
「そんで太一は半泣きだし。俺は大丈夫だって。二人ともアリガトネー」
((駄目だこの人、危機感がなさ過ぎる!!!))