ジャミルの友達が姐さんだったら 10






 イデアは深いため息をついた。引きこもりを自称する彼は、極度の出不精である。そんな彼が寮の自室を出て、校内をうろついているのには理由があった。彼はクルーウェルが担当する魔法薬学のレポート提出をするために、植物園に向かっていたのだ。


「はぁ~~~~~……。レポート提出とか本当クソ。わざわざ紙媒体で提出なんて面倒なことせずに、PDFとかにして提出すれば良いじゃん……。そっちのがエコだし時間も省けるじゃん……。部屋から出なくて良いし……」


 レポートを抱えたまま、イデアは思い付く限りの悪態を垂れ流していく。のろのろと、重い足取りで進んでいく。
 なんやかんやで生徒達がかわいい教師達は、レポート提出だけでは終わらせない。イデアの場合は姿勢を指摘されたり、食事の摂取の有無だったり、そういった話題を提供されて、そこそこの時間を拘束される。教師達の思惑なんてちっとも思い付かないイデアは、そんな雑談すらも億劫なのだ。カメのような歩みになるのも仕方の無いことだった。
 背後から、ダダダッと廊下を走る足音が聞こえてくる。そこそこの速度でこちらに向かってくるのが感じられて、イデアは思わず背後を振り返った。思った以上にすぐ近くまで迫ってきていた足音の主に驚いて、イデアは慌てて廊下の隅に飛び退いた。そんなイデアの傍を、背後から現れた生徒は駆け抜けていく。
 ぶつからなかったことに安堵しつつ、驚きで高鳴った心臓を落ち着かせる。そして再び歩き始めようとしたところで、曲がり角に曲がった先ほどの生徒が、誰かとぶつかったのが見えた。


「おわっ!?」
「うっ……!」


 双方ともにバランスを崩し、尻餅をつく。曲がり角から出てきた方は誰かと一緒に居たようで、すぐに抱き起こされていた。
 うわ、とイデアが顔を顰める。ナイトレイブンカレッジは生徒同士が肩をぶつけるだけで乱闘騒ぎが巻き起こる治安世紀末学園だ。すわ乱闘が始まるか、と身構えたイデアだったが、意外にもそのようなことは起こらなかった。


「いてて……。すまん、気付かなくって……。大丈夫か? 怪我はないか?」
「だっ、大丈夫。僕もごめん。あ、ありがとう……」
「どういたしまして! 怪我がなくて良かったな!」


 白いカーディガンを羽織った青年に助けられ、深い紫の髪の青年が立ち上がる。彼は転んだのが恥ずかしかったのか、耳まで顔を赤く染めていた。再度謝って、その生徒は足早にその場を立ち去る。喧嘩にならなかったことに目を白黒させ、珍しいこともあったものだ、とイデアは肩を竦めた。


「あれ、イデア先輩……?」


 カーディガンの生徒を助け起こしたもう一人が、イデアを見て口を開く。誰、とイデアが肩を跳ねさせながら顔を上げると、そこには見覚えのある顔があった。ジャミル・バイパーである。少し前に召喚術教師の研究室で出会った生徒だ。


「こんにちは、イデア先輩。お久しぶりです」
「あ、ああ、うん……。こ、こんにちは……」


 愛想の良い笑みを向けられて、イデアは視線を逸らす。人の目を見て話をするのは、どうにも苦手だった。


「お、ジャミルの知り合いか? オレはカリム・アルアジーム! よろしくな!」
「ひぃっ!? よ、陽気の塊~! ま、眩しすぎて無理!」
「おーい? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから、顔を覗き込まないで! ぼ、僕はイデア・シュラウド。じ、自己紹介したんだから、もういいでしょ!? ぼ、僕を解放してくれ……!」


 カーディガンの生徒、カリム・アルアジームは1年生でありながら、イグニハイドでは要注意人物として認識されていた。おそらく、ほぼ全寮生が顔と名前を覚えている。彼は自分たちとは対極に位置する光属性の陽キャだ。イグニハイド寮内で行われた、関わりたくない人物ランキングのトップ5にランクインしているのである。もちろん、イデアもその顔を知っていた。そして、出来れば関わりたくないと考えていた。
 何故、出会ってしまったのか。やはりお外は危険がいっぱいだ。自室が一番であると再認識したイデアは、タブレットで顔を隠して、必死にカリムとの距離を取った。当のカリムは、そんなイデアを不思議そうに見つめている。


「あ、いであだ~!」


 ジャミルがカリムをいさめようとしたとき、ジャミルの影から、萌葱が飛び出してくる。護衛はすでに済んでいるが、折角呼び出しているのだからと、二人を寮まで送り届けることになったのだ。それが終わったら、護衛任務は完全に終了である。
 ぴょん、と軽やかに飛び出してきた萌葱はイデアの髪にすり寄って、イデアにじゃれついている。猫好きなイデアは、そんな萌葱にデレッと顔をとろけさせた。


「も、モエギタン……! 相変わらずの美猫様ですな~! はぁ、かわよ……」
「お、モエギ達と仲良くなったのか? こいつら結構警戒心強いのに、イデアは凄いな~」
「へ、へぇ……。そ、そうなんだ……」


 人にはなかなか懐かない猫が、自分にはあっさりと懐いてくれた。それは猫好きなイデアには、何とも甘美な事実だった。喉を鳴らして甘えてくる萌葱を撫でてやりながら、イデアは頬が緩むのを抑えられなかった。


「事件も解決したので、こいつらは主人の元に帰るんです。しばらくはこちらに来ることはないでしょうから、タイミングが良かったですね」
「マ? ベストタイミング過ぎて次のガチャ運心配なんだが???」
「ガチャ? まぁ、運は良いと思いますよ」


 彼等が帰ってしまうのは非常に残念ではあるが、当人達にとってはその方が良いのだろう。何せ、事件があったために護衛として送り込まれてきたのだから。
 事件でもなければ学園には来ない美しい猫たちを、今この瞬間に存分に堪能しておかなければ。イデアが萌葱の首元に抱きつくと、彼はくふふ、とくすぐったそうに笑って身をよじった。


「そう言えば、先輩はイグニハイドの方でしたよね? イグニハイドの方が、こんな時間に出歩いているなんて珍しいですね」
「せ、拙者らは基本的に引きこもりたい人間ばかりですからな……。拙者も出来れば部屋に居たいんだけど、クルーウェルにレポート提出しなきゃならなくて……」
「ああ、それで植物園に……。でも、植物園にクルーウェル先生はいませんでしたよ」
「うっそでしょ……。どこ行ってんの、あいつ……」
「多分、職員室じゃないか? オレ達もクルーウェル先生に用があるから、職員室まで一緒に行こうぜ!」


 陽キャの代表の一人を担っているカリムに腕を引かれ、その距離感に思わずか細い悲鳴を上げる。けれど、背後から身体を押してくる萌葱には逆らいがたいものがあった。一緒に行こうというように顔を覗き込まれ、美しい瞳で見つめられてしまえば、イデアに選択肢などない。結局イデアは萌葱の魅力に負けて、カリム達と共に職員室へと向かって歩き出した。




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