ジャミルの友達が姐さんだったら 10
「嘘だろう………?」
実家のサーバーに纏められている報告書を閲覧していたツバキが、げんなりとした顔で端末を放り出す。サイバー課から送られてきた報告書を確認していたのだ。
サーバーには、部門ごとにファイル分けされており、その中でも更に細分化されている。後進が困らないように、どういった事態がどのような方法で解決されたのかを閲覧出来るようにするためだ。
その中でもサイバー課の仕事量は桁違いだ。その分、人数が多く振り分けられているが、きちんと休めているか心配だ。サーバーもパンクしてしまいそうである。
しかし、現代のインターネットミームを舐めてかかってはいけないのだ。信じられないスピードで話が広がり、どこで誰がどのような尾鰭をつけるか分からない。面白おかしく話を広めたい輩は、それが正しいとか正しくないとか、そのようなことは二の次なのだ。そのあとに起こる事態が大きく、自分にとって愉快であればそれでいい。そんな無責任な輩に見つかる前に、対策を取るのがサイバー課の仕事である。もちろん、事前に防げないことも多いけれど。
今回上げられていた報告書は、“とあるサイトに掲載されていたおまじないについて”である。
やってはいけない時間にやってはいけないことを重ねて行うおまじない。それは最早おまじないなどというかわいらしいものではなく、呪いそのものであった。
「こんなものが出回るようになってしまったのか……」
ツバキは、東方の国が開国したことを喜ばしいことだと思っている。当時は反対も多かったらしいが、狭い国の中だけで発展していくのは無理がある。緩やかに衰退していくか、賭けに出て発展を手に入れるか。この国はその賭けに勝ったはずだった。
しかし、世は情報化社会であった。インターネットやマジカメなどのSNSが急速に発展し、世界中の人々が、世界中の情報を手に入れられる世の中になっていった時期だったのだ。それ故に、国内で留まっていたものが山を越えて海を渡り、今や世界中が知り得ている。開国のタイミングが悪かったとしか言い様がない。
呪い同等の悪質なおまじないについては、情報はサイトのみで完結し、マジカメなどには広がっていないようだった。そのため、一応ネットミームは防げたという判断が為されている。
しかし、防げたことには防げたようであるが、そこそこ閲覧数の多いサイトに掲載されていたため、油断出来ないというのが現状である。定期的かつ継続しての巡回は必須であった。報告書にも、そのように記載されており、巡回経路に組み込むと締めくくられている。
「また、巡回経路に組み込まれる案件が増えたな………。今度、何か差し入れを送るか………」
ぐったりと脱力したツバキを心配してか、使い魔であるこんのすけがひょっこりと顔を出す。膝に乗り上げ、ぐりぐりとお腹に頭を擦り付けられる。くすぐったさに身をよじり、その小さな身体を抱きかかえて背中に顔を埋めた。黄金の毛並みは、お日様の香りがした。
「くすぐったいですよぅ、主様!」
「ふふ、君が先にくすぐってきたんだから、お返しだよ」
こしょこしょ、と指先で顎を撫でる。こんのすけは気持ちよさそうに目を細めた。リラックスした彼の様子を微笑ましげに見つめながら、改めて端末に目を落とす。
「それにしても、“成りたい人“か……」
自分の力で成りたい自分に成るというのは理解できる。美しくなりたいから自分を美しく見せるファッションを学んだり、身体を鍛えたりするのは誰だって経験があるだろう。ツバキだって、“強い自分”で居たいから研鑽を怠ることはしない。
けれど、別の誰かに成りたいと思ったことがないツバキは、そう考える人間の思考が理解できない。「ああいう人になりたい」、「こういう人に憧れる」ということはあっても、“その人そのものに成りたい”とは思い至らない。それはきっと、自分がとても恵まれているからだ、ということは分かるけれど。それでも、どんな境遇であろうとも、別の誰かに成り代わりたいと考える自分というものが想像できない。
「どういう人が、そういう風に考えるのだろうか………」
チラリと考えてみたけれど、いくら考えても分からないだろう事が分かったので、ツバキはその思考を止めて、差し入れは何が良いかを検討することに思考を切り替えた。
***
ナイトレイブンカレッジの植物園にて、ツバキはカリムとジャミルとともに夕飯を食べていた。少し前に一騒動起こったとき、使い魔達を貸し出してくれた御礼である。ちなみに、使い魔であるこんのすけや猫又兄弟は妖に属するため、普通の動物ではない。人間の食べ物を食しても問題ないため、彼等もご相伴に預かっている。
教師達にも許可を取っており、現在の植物園は立ち入り禁止の立て札が掛けられた状態だ。これは魔法薬学で教鞭を取っているクルーウェルの計らいによるものである。少し前に起こった一騒動―――――ハーツラビュルの一件は、結局ツバキの善意で厄災を退けたのだ。つまり、完全に無償なのである。学園長であるクロウリーは浮いたお金にほくほく顔だったが、いくら専門家とは言え、子供を矢面に立たせた事実は変わらない。今までは報酬を払っていたために、そこまで罪悪感を持つことはなかったけれど、無償労働をさせてしまったことに、ある程度良識のある大人達は胸を痛めていたのだ。友人達との交流を深める時間を取らせるくらいの融通は利かせるというもの。その心遣いを有り難く受け取って、彼等はこの食事会を開いたというわけである。
「はぐぅ~! おいひいです、ジャミル様! 流石でございます!」
「ありがとう、こんのすけ。いっぱいあるから、そんなに慌てなくて大丈夫だぞ」
「はい!」
食事会のメニューはツバキたちのリクエストに応えて、いなり寿司である。カリムが東方の国から食材を取り寄せて、ジャミルが腕を振るって作られたものだ。いなり寿司を頬張るこんのすけの頭を撫でてやりながら、ジャミルが顔を綻ばせる。小さい生き物が頬を膨らませながら自分の料理を褒めてくれたら誰だって嬉しいものだ。ついでに浅葱と萌葱のおかわりをよそって、ジャミルも席に着く。
おいしいおいしい、と満面の笑みで食事を楽しむツバキたちに習って、ジャミルもいなり寿司を一口頬張る。その瞬間、甘く煮詰めたお揚げから出汁が溢れる。ふっくら炊いた酢飯は爽やかで、プチプチ弾ける白ごまの食感もまた良い。なかなか良い出来だ、と自画自賛しながら、咀嚼し終えた寿司を飲み込む。
「それで? 怪しいサイトが急増しているから注意しろって?」
「んん……、ああ。前々からそういう怪しげなサイトはあったんだが、やはりSNSの普及に伴って、ここ数年は特に酷い。直近で発見されたものだと、“成りたい人”に成れるおまじないが紹介されていたよ。しかも、東方の国の人間から聞いたという謳い文句付きでな」
「確かに東方の国とおまじないって言葉が並べられると、信憑性があるように見えるもんなぁ。まぁ、東方の国に詳しい奴だと、その二つの単語が並べられたら不安になっちまうだろうけどさ」
「神々との縁が続いている最後の地だしな」
地上で唯一神代が続く国。神秘の島。東方の国はそのように言われているのである。しかも、約100年前まで鎖国が続いており、内情が明らかとなっていなかった未知の領域。そのような場所で使われているおまじないならば、確かな効果があるのではないかと期待してしまう人間も少なくはない。そのためか、東方の国が開かれてからは“東方の国の秘術”、“東方の国に伝わる神秘”などという謳い文句で詐欺まがいの商売を行う不届き者も多数現れるようになってしまったのだ。インターネットが普及してからは、それがネット上でも横行するようになってしまったのである。
それが正しい知識、真っ当な商売ならば文句はないのだが、そういった輩は自分が利益を得られればそれで良いのである。噂の真偽など確かめず、安価な偽物を用意して法外な値段で売りつけるのだ。名前を使われている東方の国としてはたまったものでない。国内からは「国際問題にしてやれ」という過激派も一定数現れ始めている。勘弁してくれ、というのがその道の専門家達の意見だった。
「そう言えば、そのおまじないって? どんな風に紹介されてるんだ?」
「丑三つ時と逢魔が時に合わせ鏡をして、その中の自分に“お前は誰だ”をやるらしいぞ」
「最悪の取り合わせじゃないか」
「あとは10日置きに成りたい人から私物を受け取って、それを100日繰り返すんだったかな……。これ、確実に身体を明け渡すための儀式なんだよなぁ……」
「それ、見てる人は怪しいと思わないのかな……」
「俺達はツバキを通じて知識があるからな。その分、他の人達より真偽を見極めるための情報がある。でも、全く知識の無い人にとってはそうじゃないってことだろう」
少し顔色を悪くさせたカリムが、萌葱のお腹に顔を埋める。くすぐったそうに身をよじった萌葱が、身体を丸めてカリムを包み込んだ。一人と一匹のじゃれ合いをチラリと見やって、それからジャミルはツバキに向き直る。
「うちの学園は疑り深いのばかりだからな。まぁ、心配いらないと思うが……。いや、アズールに騙されて契約していた奴もそこそこ居たな……」
「うちの生徒は真正面から信じてしまうけれど、今の自分が素晴らしいと思っている者だったり、憧れる人は居ても、自分の力で憧れに近づかなければ意味が無いと考える者が多いから、こういった方向のおまじないには案外引っかからないんだよな……。誰かを応援するためとか、困っている人を助けるためと言われたら、疑うこともせずに試してしまうんだが」
「こっちは楽して利益を得たいとか、好奇心に任せて試したりとか、暇つぶしで取り返しの付かないことをやりかねないのが怖いんだよな……」
「どっちもどっちだな……」
会話が一区切りついたところで、ツバキが次のいなり寿司を口に入れる。甘い油揚げ。中はタケノコご飯が詰められており、シャキシャキのタケノコの食感が最高だった。
それにしても、何種類の酢飯を用意したのだろう。ツバキが食べたいなり寿司は、全て中のご飯の味付けが違っていた。五目ご飯、枝豆ご飯、白ごま、ショウガ、そしてタケノコご飯である。どれも美味しいけれど、用意するのは大変だっただろうな、と遠くを見つめるような目をした。
「ま、怪しいサイトを信じて試した馬鹿の事なんて放っておけ。依頼が出されたら助ければ良いさ。君が危険を冒す必要は無い。それも無償で行うなんて、命がいくつあっても足りない愚行だ」
「分かっているよ。救世主でもあるまいし、全てを助けるなんて不可能だ。君達が危険に晒されない限り、私も関わりたくないしな」
「懸命な判断だ」
満足そうに頷いたジャミルにだし巻き卵を差し出され、ツバキは満面の笑みでそれを受け取った。