ジャミルの友達が姐さんだったら






 一通の書状を受け取り、ナイトレイブンカレッジに激震が走った。見なかった振り一旦保留をしていた一件が、向こうから顔を見せに来たのである。
 ある教師は頭を抱え、ある教師は使い魔の毛並みに顔を埋め、面倒事が大嫌いなクロウリーは机の下に潜り込み、完全に防御姿勢を取っていた。
 そもそもだ。何故NRCに東方の国から書状が届くようなことになるのか。万が一を考えて生徒達の出身国や経歴を洗い直したものの、東方の国に縁のある生徒は確認されなかったのだ。何かの間違いではないだろうか。ぐるぐると言い訳や書状を見ない理由を探すものの、現実問題として、確認しないわけにはいかない。
 机の下から這い出たクロウリーが、イヤイヤながら中身を確認する。そして書状を投げ捨てた。
 東方の国より届いた書状を要約すると、“特使が送りたいので都合のつく日を伺いたい”という旨が書かれていたのだ。どうしてこうなった。







 対談を求められたら断るわけにもいかず、イヤイヤながらも書状に返答して数日。とうとう東方の国よりNRCに特使が送られてくる日がやってきた。

 東方の国―――――それは東の海の果てに存在する小さな国である。長い鎖国の果てに、ようやく他国との交流を是とした謎多き島国。
 国が開かれてから約100年。他に類を見ない独自の技術と感性は、度々他国の度肝を抜くことで有名である。その全貌は未だ見えず、果てしなく広がり続けているのだ。
 更に、長年他国を拒絶する姿勢を取っていた名残故か、東方の国の民は今でも国外に出ることが少ない。世界有数の魔法士養成学校として名を馳せるNRCの入学証さえも突き返される始末である。観光客などを迎え入れたり、永住を許可するなどの措置はあるものの、東方の国は秘匿技術が高く、国民全体を見て口が堅い。知りたいところは全て上手く隠されており、内情を知る術は殆どない。
 そんな国から、使節団が送られてきたのだ。いくら数々の修羅場をくぐってきたNRCの教師陣達とて、事前情報の殆どない国家相手では、背筋に冷や汗が伝うのも仕方のないことだった。
 しかも、東方の国の数少ない情報の中に、他国ではとっくに終わりを迎えた神代の名残が残っているという話があるのだ。天皇―――――他国では皇帝の地位にある者は神の血を引くとされている。そんな国からの特使を相手に、粗相など出来ようはずもない。
 特使を迎えるために、NRCの教師達はいつもの華美な服装を脱ぎ捨てて、社交界にでも出席するのかと問いたくなるようなグレードのスーツを身に纏う。その顔は皆一様に硬いものだった。

 そして迎えた特使達は、異様な雰囲気を醸し出していた。特使として学園にやってきたのは5名。誰もが面布で顔を隠し、表情を読み取ることすら困難な様相を呈していた。
 衣服は民族衣装と思われる、大陸では見かけない独特なものだった。それがどのランクの装束なのかも見当がつかない。
 けれど、仕立や生地の質を見るに、随分と上質なものであることが窺えた。

 白い面布を付けた一人が、応接室のソファに腰掛ける。残りの黒い面布の4名はソファの後ろに控えていた。NRC側もそれに倣い、学園長であるディア・クロウリーのみが対面に座した。
 挨拶を交わし、用意された紅茶を飲む。一息ついたところで、特使は本題に入った。


「実は、折り入って頼みたいことがございまして」
「頼みたいこと、とは?」
「まず確認を。こちらの紅玉の子と、黒曜石の子はご在籍ですか?」


 そう言って見せられたのは写真だった。映っているのは商家の跡取りであるカリム・アルアジームと、その従者のジャミル・バイパーであった。
 何故、石の名前をあげたのだろうかと考えて、瞳の色かと納得する。
 しかし、名前で呼ばないのは何故だろうか、と内心で首をかしげていると「私が呼ぶと障りがあるのです」と面布の下から苦笑が漏れた。
 さらっと心を読まれたことに肝が冷える。顔に出てしまっていたのだ、とクロウリーは無理矢理自分を納得させた。


「二人とも、我が校の生徒です」


 クロウリーが自信を持って頷くと、特使は口元を緩めた。
 はて、この二人に何があるのか。クロウリーは内心で首をかしげる。
 二人は熱砂の国の出身である。身内に東方の国の民がいるという情報も無い。あるとするならば、アジーム家が商家として東方の国と綿密なやり取りをしている可能性だ。アジームと言えば熱砂の国を代表する商家の一族である。かの一族の影響力を考えれば、神秘の島として知られる東方の国と縁があってもおかしくはない。
 けれど、それは果たして、わざわざ特使を寄越す理由になるのか。


「実は、この二人には召喚術の授業を受講させないで欲しいのです」


 ―――――特に、黒曜石の子は。
 そう言って、白い面布の特使はわずかに顔を俯かせた。面布の下で、目を伏せているだろう様子が窺えた。


「それは致しかねます」


 悲しげな様相であったが、そんなものは関係ないと、クロウリーはバッサリと切り捨てた。

 召喚術は必修科目ではない。召喚術は向き不向きがはっきりと現れるもので、適性のない者は術を発動させることすら叶わない。そのため、1年生の時分に見極めのための授業を行い、2年生以降の選択授業で「適性ありと判断された者のみ受講可能」という形式を取っている。
 適性が無ければ別の道を。適性があるならば、その先に広がる未来を提示する。興味があるならば、その興味を育て、慈しむ。そうやって、彼らは未来ある子供に、一つでも多くの行く先を与えるのだ。それが教師の役目の一つ。故に、先があるかないか分からなくとも、その確認すらさせない所業を、彼らは容認できなかった。


「子供達から学びの機会を奪うなど、あってはならないことです」


 後ろに控えていたモーゼズ・トレインと、召喚術を担当するユーラス・ダーラントも深く頷いた。
 一癖も二癖もあるNRCの生徒達。喧嘩は絶えず、足の引っ張り合いも日常茶飯事。教師達を出し抜こうと躍起にある生徒も現れる始末。
 悪態をつきたくなる日々。憎たらしい顔を殴ってやりたくなることだってある。
 けれど、彼らは腐っても教師なのである。どんなに生意気な生徒でも、受け持ったからには最後まで責任を持つつもりで指導に当たっているのだ。彼らには、導く者としてのプライドがあった。故に、特使の言葉に頷くわけにはいかなかったのだ。
 けれど、特使はそういうことではないのだと、首を横に振った。


「いえ、彼は召喚術ならばすでに行えるのです」


 さらり、と告げられた言葉に一同は目を丸くする。
 ジャミル・バイパーに魔法士としての高等教育を受けた記録はなかった。エレメンタリースクール、ミドルスクールともに一般の学校に通っていたと記載されている。一般の学校で特別に魔法の修練を行うカリキュラムはないはずだ。数ある魔法の中でも、困難を極める召喚術を成功させるに相応しい知識を持っているとは、とてもではないが思えなかった。

 召喚術は命を扱う魔法である。それ故に生来の気質、才能の有無で大きく異なる結果をもたらす魔法だ。特別な訓練を受けたものでも、才能がなければ魚一匹召喚することすら叶わない。
 また、才能がないのに無理矢理召喚術を実行すれば、大きな代償を支払うものである。
 つまり、召喚術は講師がいない環境で行えるような、安易な魔法ではないのだ。だと言うのに、魔法士養成学校にも通ったことのない少年が、何故召喚術を行えたのか。

 ―――――まさか、東方の国が意図的に実行させたのか?
 教師達の視線に、剣呑な色が乗る。殺気立つ彼らに気付いているのか、居ないのか、白い面布の特使は小首をかしげた。


「いえ、少し違いますね。召喚術よりももっと高位のもの……。彼は、擬似的な神降ろしが行えるのです」
「か、神降ろし……!?」
「馬鹿な! 一個人の神降ろしなど、神代の奇跡ではないか!」


 東方の国では、神降ろしが行えることでも有名だった。
 しかしそれは、本職の人間が数十人集まって行うもののはずである。もしくは一年を掛けて魔力を溜め、その魔力を使用して神降ろしの儀式を執り行うとされている。一個人に行えるようなものでは決してないはずだ。
 そもそも、他国にとっては神降ろしなど、神が地上と密接に関わっていたとされる時代の奇跡である。かの国がこの情報を公開したときは、それこそ各国首脳が腰を抜かしたという話だ。


「対外的には神職の人間にしか出来ないとされていますが、我が国は神との距離が近いのです。中には隣人と呼べるほどに身近な存在も居ります。実は、我が国では神降ろしは子供でも可能なのですよ。もちろん、全ての人間が行えるわけではありませぬが」


 ―――――気まぐれに、神自らが降りてくることもままあることです。
 教師陣が、目を見開き、驚愕に染まった顔で硬直した。あり得ない、とその顔が物語っている。
 そんな中、ふ、と特使の口から息が漏れる。それは笑みだった。一見苦笑のように見えたが、面映ゆさを隠したものだった。
 黒い面布の者達の空気も和らいでいる。親に褒められて、くすぐったそうにはにかんでいる子供のようだった。


「またこの子達は、我が国の審神者―――――神の御用聞き役と仲が良くて。その縁で、我が国の神々との交流が盛んなのです」
「―――――は、」
「特に、黒曜石の子は神々のお気に入りで、召喚術など行おうものなら、喜び勇んで降りてきてしまうのです」


 そんな馬鹿な、と笑い飛ばそうとして、出来なかった。
 神というのは、そもそも理解の外側にある存在だ。地上で生きる矮小な存在に、測れるものではない。
 特に分からないのが、時折“お気に入り”という存在を見つけては贔屓し、小さな生き物の人生を狂わせることである。自分の近くで囲っておきたいと、早々に命を摘み取ったり、様々な加護を与え、時代をかき乱すような存在を発生させるのだ。
 ジャミル・バイパーはおそらく、前者の方だ。自分から近づいてくるのがその証拠である。
 後者の場合、神々は地上を観察するに留める。自分達が脚本家を務めた劇を鑑賞するように。時折、スパイスが足らないと、試練を与えることもあるものの、基本的には傍観の姿勢を崩さない。
 しかし、前者は違う。自分の手元に置いておきたい。自分の手で愛でたい。そう言った思考から、積極的に関わろうとする。その結果は、語るまでもない。


「紅玉の子とよく一緒に居られるのを神々も把握しているものですから、紅玉の子の居るところならば黒曜石の子も居るだろう、とお考えです。ですから、紅玉の子にも念のため、召喚術を控えさせて欲しいのです」


 ―――――なんということだ。クロウリー達は顔を覆った。
 それは同情の念などと言うものではない。
 自分達が庇護し、育み、巣立ちの時まで見守る子供が、神に魅入られているという事実。夭折することが決定している若い命。神という埒外の存在を相手には、自分達のなんと無力なことか。
 目の前が暗くなる。絶望にも似た虚無感に、思わず脱力してしまいそうになる。
 それは無念という感情だった。


「つまり彼らは、神代の奇跡の再現が、図らずとも出来てしまうのです」


 ―――――それはとっても、不味いでしょう?
 そう言って困ったような笑みを浮かべる特使に、NRCの教師達は心の中でありったけの罵倒をぶつけた。
拙いなんてものではない。その御業を欲する者は、必ず現れる。そんな人間にとって彼らの命は省みられることはなく、尊厳などないものとして扱われるだろう。
 特使達は選択の余地を与えているような口振りであったが、彼らに選択肢など初めから無かった。







 特使が帰るのを見届けて、対面していた三人は詰めていた息を盛大に吐き出した。


「…………あの方達、人間ではなかったようですね」
「…………ええ、人の心を解していないようでしたな」
「いえ、それもありますが」
「え。…………いつの間に」


 ドサリとソファに脱力したクロウリーが、ティーカップを一瞥して呟く。全てを飲み干した気配はなかった。そもそも口を付けた様子のなかったカップの中身すらも、いつの間にか空になっていた。
 人間ではない。そのような早業、神業を只人が行えるはずもない。魔法を使ったならばいざ知らず、そのような素振りは一切なかった。つまりは、人成らざる何かによる仕業と言わざるを得ない。


「あの面布に認識阻害の魔法でも掛けていたんでしょうかねぇ……」
「ブラフの可能性もありますぞ」
「…………いや、しかし、そもそも魔法の気配などしましたか?」
「「………………」」


 妖精のいたずらというには、あまりにもタチが悪すぎる。神が自分達をからかいに来たのだと言われても、納得するくらいに。
 トレインの問いに対する答えを持ち合わせていなかった二人は、彼の問いを黙殺した。

 ―――――ああ、げに悍ましき東方の国。偉大なるグレード・セブンよ、我らの雛鳥をお守りください!

 柄にもなく祈りを捧げた彼らはすっかり忘れてしまっていた。神に見初められた小さき命が、そんなに生易しい存在ではないことを。自分達と同じく、悪性に傾いた生き物。闇の鏡に選ばれた問題児ヴィランであることを。



***



「なぁ、今日、うちの学校に客が来たって噂が流れているんだが」
「ああ、うちの国の特使だ」
「やはりか……。先生達が普段からは考えられないくらいにきっちりとした服装をしていたんだ。しかし、何の用で?」
「そろそろ召喚術の適性審査を行う時期だろう? 君達に召喚術をさせると、ろくな事にならなさそうだったんでな。実家から要請を出して貰ったんだ」
「ああ……。向こうから、縁を辿ってやってくるのか……」
「そういうことだ。君達に了解を取らなかったのは悪かったと思っているが、神代の奇跡の再現を、一学生に背負わせるのは荷が重いだろう?」
「確かにそうだな……。助かったよ、ありがとう」
「まぁ、どうしようもない事態に陥ったときは遠慮無くやってくれ。後始末は慣れている」
「嫌な慣れだな」
「お互いにな」
「ほんっっっとうにな!!!!!」
「なんて実感のこもった力強い言葉なんだ……。お疲れ様……」
「……ありがとう。しかし、神代の奇跡を再現してしまったとして、それをどう始末するんだ? いくら清庭家でも、目撃者が何百、何千人規模になったら難しいだろう?」
「はは。八百万の神がおわす我が祖国に、忘却の神がいないとでも?」
「あっ(察し)」




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