ジャミルの友達が姐さんだったら 8
リドル・ローズハートはままならない事態に苛立ちを隠せないでいた。入学して一週間というわずかな期間で寮長にまで登り詰めた彼は、自寮が陥っている事態を把握し切れず、やり場のない怒りを抱えていた。
彼の所属するハーツラビュルでは現在、原因不明の体調不良者が続出していたのだ。また、体調不良の理由も様々だった。ある者は吐き気が止まらないと言い、ある者は不眠の症状を訴え、ある者は頭痛の酷さに辟易していた。その人数があまりにも多いものだから、最初は自身への反発で嘘を付いているのではないか、と疑がっていた。
しかし、実際に彼らの様子を見ると、とてもそれを嘘だと言えない症状を抱えていたのだ。ある者は吐くものがなくなっているにも関わらず嘔吐を繰り返し、ある者は目の下を黒くしてげっそりと頬をこけさせ、ある者は起き上がることさえ難しい状態に陥っていたのだ。
校医に診せても原因は分からず、学外の医者に罹っても匙を投げられる始末。寮長を交代してわずか数ヶ月、まさか自分の代でこのような問題が浮上するとは思わず、リドルは頭を抱えるしかなかった。
「あれぇ、金魚ちゃんじゃん。ちっさい身体を更に小さくさせてどうしたの?」
「……フロイド、君は本当に余計なことをお言いだね」
フロイドとリドルには、入学式からの因縁がある。彼の態度をリドルが注意したことから一騒動にまで発展したのだ。そのときから、リドルはフロイドとは反りが合わないでいた。けれど当のフロイドはそんなことは意に介さず、気まぐれにリドルをおちょくる姿勢を見せていた。合同で授業が行われることになると、ほぼ必ずと言って良いほどに絡まれるのだ。フロイドは楽しそうだが、リドルにとってはいい迷惑である。
フロイドは、嫌そうな顔を隠しもしないリドルをどこ吹く風と言わんばかりに隣に座る。自分が移動しようかとも思ったが、もうすぐ授業開始のチャイムが鳴る。今日ばかりは仕方ないと諦めて、せめて授業中は大人しくしていてくれることを願った。
「そう言えば、同じクラスのハーツラビュルの奴がずっと休んでんだよね。そっちの寮、何かあったぁ?」
嫌なところを突いてくる。リドルは眉を寄せてフロイドに視線を向けたが、彼としては世間話程度のつもりらしく、暇そうにペンを回していた。
「君には関係のないことだよ」
「あ、そう。てかさぁ、ハーツラビュルの奴ら、みんな同じ匂いさせてんだけど、流行ってんの?」
「同じ匂い?」
リドルがばっさりと切り捨てると、会話が飛ぶ。いつもなら不快に感じることもあるが、ハーツラビュルの寮長としては聞き捨てならない話だった。寮内がおかしなことになっている現状、どのような情報でも欲しかったのだ。
寮内で、一つのメーカーの香水が流行っているだとか、そう言った情報は特に耳に入った覚えはない。そのような情報なら、情報通なケイト・ダイヤモンドや幼馴染みのトレイ・クローバーから話があるだろう。
「薔薇の香水かなぁ。ダマスク系の匂い。てか、金魚ちゃんからも同じ匂いするよ?」
「え?」
「金魚ちゃんは薄めだけど、たまにめちゃくちゃ匂いが濃い奴がいんだよね」
―――――昨日早退した奴とか酷かったよ。
そう言ったきり、フロイドは話すことに飽きたのか、ノートに落書きを始めた。
普段なら呆れるなり叱るなりするところだが、今のリドルはそれどころではなかった。思い当たる節があるのだ。
つい先日、寮内の迷路の薔薇が枯れたのだ。どうやら病気をしてしまったらしく、他の薔薇に移ってはいけないと、急いで薔薇の入れ替えを行ったのである。その中に、有害な品種でも混じっていたのだろうか。今日の放課後にでも調べてみよう。脳内でスケジュールの調整を行い終えたところで、授業開始のチャイムが鳴った。
「ウミヘビく~ん! ラッコちゃ~ん!」
「お、フロイド! どうしたんだ?」
授業が終わり、昼休憩前の時間。食堂に向かおうとしているスカラビア寮の二人を見かけたフロイドは、その片方であるジャミルの背中に飛びついた。う、と一瞬息を詰まらせたジャミルが、顔を顰めながらフロイドを見上げる。星空のような瞳で見上げられたフロイドは、いつもの緩い笑みを消し、真面目な表情を浮かべた。
「ウミヘビくんとラッコちゃんも気付いてる? 最近、ハーツラビュルが何か変な感じすんの」
「「…………」」
真剣な表情をしたフロイドの指摘に、二人が顔を見合わせる。勘の鋭いものは気付いてしまうほど、この学園内にはまずいものが入り込んでいるのだ。カリムは困ったように眉を下げ、ジャミルは頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せた。
ハーツラビュルと断定できるほど、彼ら二人は情報を持っていなかったものの、学園内で確実な異変が起き始めていることには気付いていた。そこかしこから、噎せ返るような花の匂いがするのだ。浅葱と萌葱がその匂いから遠ざかるように誘導するものだから、それを避けるように動いていたのだ。だから、ハーツラビュルと断定されて、どこか納得していた。この匂いは、薔薇の香りだったのだ、と。
そんな二人の様子に、フロイドはこの二人は事態を察知していたことを悟った。
「…………またやばい案件?」
「いや、俺達は詳しい情報を持っていないんだ。むしろ、それを避けるように動いていたから」
「でも、また何か入り込んでるっていうのは聞いてるんだ。その入り込んだ奴が、ハーツラビュルで悪さをしてるんじゃないかな」
「またぁ!?」
少なくとも3回、NRCは何かしらに入り込まれている。
1回目は9月。入学して間もない頃だ。これはおそらく、ツバキがこの賢者の島に上陸したことに起因する。ツバキの顔を見るついでに、ジャミル達を見に来たのだとフロイドは考えていた。ツバキの言葉から察するに、東方の国の神々は、思ったよりも気安いようであったから。
2回目も9月。これは半ばから終わり頃のことだ。時折、鉄のような匂いが漂ってきたことを覚えている。これはおそらく、ラギーの一件が関わっている。詳細は明かされずとも、彼が一ヶ月の療養生活を送っていたのは学園中が知っていることだ。スカラビア寮の二人やツバキと知り合って、彼も人為らざるものに関わってしまったのだと、フロイド達は考えていた。
そして3回目。これにはフロイド達の幼馴染みであるアズールも関わっている。
学園中が東方の国ブームに染まり、一部の人間がかの国のテーブルターニングを行い、よくないものを呼び寄せてしまったのである。それを利用して、アズールの興味関心を東方の国から遠ざけようという試みが行われたのだ。アズールは詳しく語らなかったが、相当恐ろしい目に遭ったようだった。
そして、とうとう4回目である。学園に入学して、まだ半年も経っていないというのに。驚愕で声を大きくするフロイドに、カリムが苦笑する。
「そうなんだよ。色々相談したんだけど、学園の防衛機構に手を加えられないからって、自衛するしかないってことになったんだ」
「マジかぁ……。オレらも何かやった方がいい? それとも、下手に動くとまずい?」
「対処方法は入り込んでいるものにもよるからな……。俺達が今していることは、匂いから遠ざかることだ。誘い込むための罠だったり、マーキングの可能性もあるから、とにかく匂いが移らないように行動している」
「なるほどね。まぁ確かに、あんまいい感じしないし、オレもそうしよーっと」
「それがいいな」
つまりハーツラビュルは、とてもまずい状況に陥っているということになる。その匂いがするとき、いつもハーツラビュルの腕章を付けた生徒がいる。
けれど、二人はそれをどうにかしようだとか、そんなことは言わない。この学園ではあり得ないほどにお人好しなカリムでさえも。それはきっと、自分では手に負えないということを理解していると言うことだろう。そうでもなければ、彼はきっと救いの手を差し伸べようとするだろうから。
ツバキと関わることで、今までにもこういった経験をしてきたのだろう。生い立ち由来のものかもしれないが、彼らは理不尽とか不条理とか、そういった厄災を乗り越えて生きてきたのだ。だから、自分が手を出すべき時じゃないことを知っているのだ。
「そう言えば、先生達は知ってんの? オレが気付いているってことは、先生達も気付いてはいるんだろうけどさ」
「ああ。自衛手段の申告をしたときに、先生方には伝えてある。そこからどうするかは大人達の話し合い次第だろうな」
「自衛手段の申告?」
「ツバキに使い魔を借りたんだ! それで一時的な使い魔申請をしたんだよ」
「マジ!? オルカちゃん、使い魔までいんの!?」
フロイドの好奇心がそわりと疼く。本来なら恐怖なり嫌悪なりの感情を芽生えさせるだろうけれど、フロイドにとって底が読めない相手というのは、どうしようもなく心惹かれる存在だった。一度派手にやり合ってみたい、というのがフロイドの本音である。
ちなみにジャミルもその枠に収まっているのだが、彼は家柄上、カリムを優先させなければならない。そのため、彼は必要以上に能力をひけらかさない。ほんの少し、本来の実力の一端を見せたかと思えば、すぐさま平凡な優等生の皮を被ってしまうのだ。それが逆にフロイドの興味を引いているのだが、彼はそのことに気付いていないのである。
面白い存在が続々と見つかって、ここ最近のフロイドは珍しいくらいにご機嫌であった。ひやりとするようなスリルと、刺激的だと感じるほどのスパイスが効いた日々の方が、平穏無事な日常を送るよりも彼の性に合っているのである。
閑話休題。
「オルカちゃんの使い魔って召喚術で呼び出した奴? 召喚術って馬鹿みたいに魔力喰うから、オレ苦手なんだよね」
「召喚術で呼び出すこともあるが、どちらかと言えばトレイン先生とルチウスの関係に近いな」
召喚術は召喚者の魔力を用いて応召者を留めておく必要がある。そのため、数ある魔法の中でも魔力を消費しやすいのだ。
しかし、ツバキの使い魔達は召喚術で呼び出されている使い魔達とは少し異なる。彼らは自身の魔法を用いて召喚者の呼びかけに応え、自らの意志と魔力でその場に留まっている。ジャミルがいうように、トレインとルチウスを例に挙げるのが最も適切であろう。
見たいなぁ、と期待を込めた目でジャミルを見つめるが、彼に首を横に振られる。何となく断られることは察していたけれど、取り付く島もない。唇を尖らせて不満を訴えるも、彼は頑として譲らなかった。
ちぇ、と拗ねたように頬を膨らませ、今度はカリムにのしかかる。カリムは慰めるようにフロイドの腕を優しく叩いた。
「てか、使い魔借りなきゃいけないほど入り込んでるってまずくない? もうすぐ文化祭もあんのに、どうすんだろうね」
カリムに免じてなだめられたフロイドが、2月の中旬頃に行われる文化祭に思いを馳せる。
全国魔法士養成学校総合文化祭―――――この行事は各校合同で行われる一大イベントで、作品の展示だけでなく、研究発表や弁論大会までもが行われる。さしずめ文化部のインターハイである。
世界有数の魔法士の卵を育てているNRCは各業界から注目を集めており、一般人に紛れて優秀な人材の引き抜きのために訪れるスカウトマンもいるほどだ。その中でも一際注目を集めるのが『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』―――――通称VDCと呼ばれるプログラムである。このイベントからプロデビューが決まることもあるほど注目度が高く、その道のプロを目指す生徒達からは“立身出世のための登竜門”という位置づけだった。つまり、学生イベントを装ったオーディションというわけだ。
「確かになぁ。一般の人も大勢来るだろうし、解決の目途が立たなかったら、正式な依頼を出すことになるんじゃないか?」
「うへぇ……。オルカちゃん大変そう……」
学園側としては、文化祭までに事を納めたいと考えているはずだ。まだ要請が出されていないのは、大人達にも面子というものがあるからだろう。学園として、高名な魔法士としてのプライドが、外部にばかり頼ることを良しとしていないのだ。それにツバキは、自分たちの庇護下にある雛鳥たちと同い年の学生だ。のっぴきならない事態に発展するまで、学園内での解決を図ろうと考えている空気を察することが出来た。それでは遅い、というのがツバキ達神職の意見であるが、これは外野が口を挟めるものではない。早期解決が最も望ましいが、外聞や世論というものがあるのだ。
けれど、いくら優秀な魔法士と言えど、専門外の分野まで一流であるわけではない。この手の事件においては、ツバキに一家言ある。取り返しの付かないところに行き着く前に、考えを改めてほしいところである。その方が、ツバキや神職に携わる人間にかかる負担や危険が少なくなるのだから。
(まぁ、一人で対処出来なくないようだったら応援要請を出すだろうから、そこまで心配する必要はないか。あいつはそういう采配は得意だからな)
もし万が一にもツバキに危機が迫るなら、ジャミルも出し惜しみをするつもりはない。ツバキほど手札があるわけではないけれど、ジャミルとて神々のお気に入りなのだ。自分の声ならば、彼らはきっと応えてくれる。最悪の場合は、対価を払って彼らに助力を請うつもりだ。そうなったらツバキはきっと怒るだろうけれど、それくらい、ツバキの存在はジャミルの中で大きなものなのだ。
「とりあえず、俺達に出来ることはない。あったとしても、それは出来うる限り危険から遠ざかることだ。フロイド、興味本位で首を突っ込まないことを心掛けろ。自分からやらかした馬鹿を無償で助けてやるほど、あいつはお人好しじゃないぞ」
「分かってるって。確かに興味あるけど、流石に神様を相手取ってる子がやめろって言うことに首突っ込んだりしないって」
「…………その言葉、信じるぞ」
「もちろん」
にまぁ、と歯を剥き出しにして笑う顔は信用に置けないものだったが、彼が愚か者でないことを知っているジャミルは、それ以上何も言わなかった。ここまで忠告して、それでも行動に移すなら、それはフロイドがそこまでの男だったと言うだけの話である。