ジャミルの友達が姐さんだったら 8
イデア・シュラウドは己の幸運に感謝した。先程までレポート提出のために部屋から出なければならないことに文句を垂れていたが、たまには外を歩くのも良いな、と思ってしまうくらいには良いものを見かけたのだ。
レポート提出に訪れた職員室のある棟は、教師達の寮や、彼らの研究資料が持ち込まれた
イデアも1年生の頃、召喚術を担当する教師―――――ユーラス・ダーラントの研究室をのぞき見しようとしたことがある。彼は魔法生物の研究に熱心で、よく召喚術を執り行っているのだ。その生態を探るべく、喚びだしたままにしておくことも多い。その中には
そして今日、彼は運命的な出会いをしたのだ。
(で、でっかいネコタン~~~~~!!!)
イデアがダーラントの研究室で見たのは、3メートルほどの巨躯を持つ二匹の猫。二匹は光を吸い込む漆黒の体毛をしており、二股に分かれた優美な尻尾を持っていた。瞳は一匹がターコイズより少し緑がかったブルー。もう一匹が青みの強い深いグリーン。深いグリーンの瞳の猫は甘えたなのか、もう一匹に構って欲しそうに擦り寄っていた。緑がかったブルーの瞳のもう一匹は、そんな片方を「しょうがない子」というように構ってやっている。猫好きにはたまらない光景が広がっていた。
(め、めちゃくちゃ美猫様~~~! 猫界のヴィル・シェーンハイトと言っても過言ではないのでは???)
艶やかな毛並みは十分に手入れが施されているのが分かり、触り心地が良さそうだった。お腹に顔を埋めさせて貰えないだろうか、と思いながら猫たちの様子を観察していると、室内には猫以外にも何か居るようだった。この部屋の主であるダーラントと、服装から見てこの学園の生徒であるようだった。その生徒の腕の中にも、小さなもふもふが見て取れる。
(え、もしかしてあの子の使い魔? っか~~~! 羨ましい~~~~~!!)
その羨まけしからん相手は、一体どこのどいつだろう。弟であるオルトのデータベースに該当の人物は居るだろうか、とタブレットで検索を掛ける。特徴的な髪型から、それはすぐに判明した。ジャミル・バイパー。今年入学してきた新入生である。
(新入生が三体も使い魔契約してんの? 将来有望過ぎん? いや、アジーム家の従者ってことなら、あの子達はアジーム家に仕える使い魔って線もあるな……。どっちにしろ、羨まけしからんことには変わらんでござるが!!!)
何か対価を用意したら触らせて貰えたりしないだろうか。いや、まず話しかけられないのだけれども。
そんな風に悶々としていると、ふと頭上から影が落ちる。何、と驚いて顔を上げると、そこには深いグリーンの瞳を持つ美しい猫がいた。イデアが、ヒュッと息を呑む。
猫は、大層愛くるしい笑みを浮かべてイデアのパーカーに噛み付いた。イデアの口から「ひぇっ」と短い悲鳴が漏れる。けれど猫はお構いなしに、イデアを咥えたままダーラント達のいる研究室に入っていった。
抵抗する間もなく室内に降ろされたイデアは、ジャミル達の視線が自分に集中しているのが分かり、さっとパーカーを被って身を縮こまらせた。拙者を見ている暇があったらお猫様を崇めよ。至高の美猫様やぞ。
「ジャミルー! 浅葱ー! 見てみて、人間捕まえた!」
「コラ、萌葱! 人間様をそんな風に扱ってはいけません! ああ、人間様、お怪我はありませんか?」
褒めて褒めて、とジャミルに向かって駆け寄る萌葱と呼ばれた猫。入れ替わるように、浅葱と呼ばれた猫がイデアに駆け寄った。
「弟が申し訳ありません。どこか痛みを訴える場所はありませんか?」
「はわわ……。な、ないれしゅ………」
「それは良かった……。もう、萌葱! 危害を加えてこない限りは人間様に手を出してはいけないときつく言われているでしょう! こちらの人間様に謝りなさい!」
「んみ、ごめんなさい………」
ジャミルに甘えていた萌葱が、兄の浅葱に叱られてしゅんと耳を垂れさせる。大きな身体を縮める様がかわいくて、イデアは思わず胸を押さえた。
そして、「ん?」と顔を上げた。あまりにもナチュラルすぎて違和感を無視していたが、彼らはあまりにも流暢に人語を解している。相当高ランクの使い魔であることが窺えた。
「シュラウド……。またお前か………」
ダーラントが深い溜息をついた。チラリとそちらを見れば、萌葱を撫でながら、ジャミルが困惑したような顔でイデアを見つめていた。彼の腕の中にいた小さなもふもふも、こてんと首を傾げていた。白と金色の毛並みに、顔に特徴的な模様が描かれている。こちらも、ただの動物ではなさそうだった。
「えっと、先輩、でしょうか……? この子がすいません。お怪我はありませんか?」
「ひぇ、だ、だだ、大丈夫……。だから拙者に構わないで……」
「は、はぁ……。それなら良かったです……」
未だ困惑が抜けないのか、ジャミルの言葉尻は曖昧だ。彼が首をかしげるのに合わせて、腕の中の狐が彼と同じ方向に首をかしげた。猫こそ至高だと思っていたイデアだが、狐もなかなか悪くないと認めざるを得ないかわいさだった。
「えっと、ダーラント先生に御用でしたか? 俺はあとでも構いませんので、先に用事を済ませてください」
「い、いや、あの、と、特に何もなくて……。だ、ダーラントが何か召喚してないかなって見に来ただけで……」
「気にするな、バイパー。あいつは放っておいて構わない。書類に不備はないか確認するので、少し待っていてくれ」
「はい、分かりました」
本人と教師から放っておいて構わないと宣言を受けたためか、ジャミルはイデアに構わないことにしたようだった。書類確認を行っている間、彼は腕の中の狐を構ってやることにしたらしい。顎を撫でると、狐が嬉しそうに目を細めた。それを羨ましげに眺めていると、浅葱がイデアの顔を覗き込んだ。突然、美猫のご尊顔を間近で見ることになったイデアは、何の心構えもできておらず、びくりと肩を震わせた。
「ふぉ……、マジで美猫……。えっと、アサギだっけ……。ど、どうしたのかな~?」
「ああ、いえ、申し訳ありません。人間様の毛並みが珍しいものだったので、つい……」
「あ、ああ、これね……」
浅葱の視線はふわふわと揺れる髪の先端に釘付けだ。ねこじゃらしの感覚なのだろう。彼は理性的な猫であるようで、飛びかかってくる素振りは見せないが、遊びたいという欲求が見て取れた。自分に正直そうな萌葱の方だったら、とっくに飛びかかられていたことだろう。この巨躯なら押しつぶされてしまいそうだが、ぷにぷにの肉球の下敷きになるなら、それはそれでご褒美である。
「なになに、浅葱ー! おしゃべり? ボクも混ぜて!」
「私めも混ぜてくださいまし!」
萌葱が、浅葱の背中に負ぶさるようにじゃれつく。その足下では、小さな狐がぴょこぴょこと飛び跳ねていた。
「ボク、萌葱。こっちは兄、浅葱。ちっこいのこんのすけ」
「ワタクシとしたことがご挨拶を忘れていました。ご紹介にあずかりました、浅葱と申します」
「こんのすけでございます! 人間様のお名前もお聞かせいただきたく!」
「はわわ、もふもふパラダイス……。ぼ、僕はイデア・シュラウド……。よ、よろしくね……」
「いであ!」
「よろしくお願いします!」
萌葱が嬉しそうにイデアの周りを一周する。後頭部の辺りに擦り寄られ、イデアの相貌がでろりと溶けた。そっと掌を差し出すと、萌葱は目を細めてその手に擦り寄った。彼は随分と人懐っこい気性の猫のようだった。
近くで見て、改めて美しい生き物だと実感する。上等な毛並みはほんのりと魔力を帯びており、格の高い使い魔であることが見て取れた。
しかし、種類が分からない。猫の魔物と言えば、有名なのはケット・シーである。けれど、彼らがそうでないのは明らかだ。
こんのすけについてもそうである。狐の魔物もいくつか存在するが、彼がそのどれに当てはまるのか、見当もつかない。
召喚術は得意だと思ってたのにな、とイデアは内心でがっくりと肩を落とした。
「あ、コラ、君達! 先輩に迷惑をかけるんじゃない!」
「んみ、ジャミル、ごめんなさい……」
書類確認が済んだのか、イデア達の様子に気付いたジャミルが慌てて駆け寄ってくる。ジャミルに注意されて、萌葱は素直にイデアから離れた。許して、とジャミルの頬に自分の頬をすり寄せる。仕方ないな、とジャミルが眉を下げて、お叱りは終わった。
いいなぁ、と羨望の眼差しで使い魔達とジャミルの戯れを眺める。魔法生物への好奇心で教師にまでなったダーラントも、イデアと同じように羨ましげな視線を送っていた。
「申し遅れました、スカラビア寮所属のジャミル・バイパーです。彼らの相手をしてくださってありがとうございます」
「ひっ、い、イグニハイド、イデア・シュラウド……。べ、別に、い、良い子達だったし……」
「そうですとも! 私め達が悪さをしたら、主様やジャミル様の名誉に傷がついてしまいます! ですから、このこんのすけ、よい子でいるのです!」
えへん、とこんのすけが胸を張る。ちっこい生き物が自慢げにしている姿がかわいらしくて、イデアはまただらしなく口元を緩めた。
それと同時に、ああ、やはり、と納得する。やはり、彼とは別に主がいるのだ。それもかなり、召喚術に秀でた主だ。
使い魔は基本的に主に従う。しかし、絶対服従というわけではない。主が自分に相応しくないと思えば切り捨てるし、扱いが悪ければ反撃することもあるのだ。けれど彼らは、自らの意志で主の意向に従う姿勢を見せていた。彼らにとって、それだけ魅力的な主であるという証拠である。
「き、君が主じゃないんだ……?」
「はい。俺は仮の主です。契約を交わしている真の主は別にいます」
「そ、そうなんだ……。でも、なんでそんなことに……?」
尋ねてから、踏み込みすぎたかもしれない、と後悔する。天下のアジーム家の従者が、突然使い魔を借り受けることになるなんて、アジーム家で一大事があったからに決まっている。でなければ、人語を解するレベルの使い魔を借り受けるなんて早々あることではないのだ。
イデアの勘は当たっていたようで、ジャミルが困ったような笑みを見せた。
「俺の主人の実家の方で騒動があったらしくて……。それで一時的に使い魔を借る受けることになったんです」
「ひえぇ……。こ、これが噂に聞く熱砂の闇………」
自分の予想が当たってしまったことにイデアは顔を青くさせる。熱砂の国は最新の技術を取り入れつつ、思想は古い価値観を持つ者が多いと聞く。そのため現代では考えられない所業が横行しているという。もちろん、それらは表沙汰になっていないけれど。熱砂の国に関わると、そういう薄暗い部分が見て取れるのだ。
人語を解するレベルの使い魔を寄越すほどの騒動。並大抵のことではない。イデアは背筋を震わせた。
「このことは、どうかご内密に。彼らに興味を持った輩が近付いてくるかもしれませんので……」
声を落としたジャミルに、イデアは深く頷いた。浅葱達のような美しい生き物を従えることをステータスのように捉える輩がいることを、彼は知っているのだ。彼らを目にし、彼らをものにしようと企む輩が出てくる可能性は否めない。誰かの上に立ちたいと考える輩が、このNRCには掃いて捨てるほど存在するのだ。この美しく愛らしい生き物が、そんな輩の毒牙に掛かるなんて許されて良いことではない。むしろ、彼らの毛並みを傷付けるような不届き者が現れたら、消し炭にしてやる所存である。絶対に彼らの存在を漏らさないことを約束して、イデアはダーラントの研究室を後にした。その背中を見送った萌葱が、ぽつりと呟く。
「お花、良い香り」
三日月のように細められた目が、妖らしい怪しさを持って輝いていた。