ジャミルの友達が姐さんだったら 7
晴れ渡る空に柔らかな日差し。けれど、春のような暖かさはなく、東方の国は身を切るような寒さに包まれていた。
茨の谷では見かけない木造建築の街並みには雪化粧が施され、暖かみのない太陽の白い光が、それでも世界を輝かせていた。
「おお~! 珍しい街並みじゃの~!」
東方の国に降り立ったリリアが、行き交う人々や立ち並ぶ店を見て歓声を上げる。世界中を旅したリリアだが、実は東方の国には来たことがなかった。近年まで鎖国をしていた東方の国だが、かつてリリアが旅をしていたときにもその傾向が強く、よそ者に対する警戒心が強いことで有名だったのだ。
リリアが生まれた頃には、すでに神の時代は終わっていた。神は遙か昔に地上から離れて、わずかばかりの名残だけが残されていた。
それでも、今よりも神の気配が色濃い時代ではあったのだ。けれども東方の国ほど、神と直接的な関わりがあった国は無い。それ故に、他国から渡ってきたものが神々に対して不敬を働き、甚大な被害が出たことが幾度もあったという話だ。必要な情報も得られないまま死ぬわけにはいかなかったリリアは、万が一を考えて、東方の国に渡ることはしなかったのだ。そうであるからして、リリアは初めて東方の国に足を踏み入れたのである。
リリアがはしゃぐ横で、シルバーも初めて降り立つ異国の地に目を輝かせていた。見たこともない街並み。嗅いだことのない匂い。行き交う人々も、茨の谷では感じられない雰囲気をまとっている。見るものすべてが目新しく、彼等は胸が高鳴るのを抑えられなかった。
二人はこの旅行期間中に宿泊することになっている宿に荷物を置き、身軽になって外に出た。
「さて、まずはオオカムヅミの社に参りに行くか。果実酒を賜った礼をせねばな」
「はい、親父殿」
オオカムヅミとは、イザナギという神を助けた功績から、神に召し上げられた桃の神様である。イザナギの「苦しんでいるものが居たときには救って欲しい」という命に従い、人々に加護を与えているという。オオカムヅミが祀られている神社では桃の実の入ったお守りを配っており、邪気払いなどのご利益があると言われている。人為らざるものには、以前シルバーが体験したように、幸運をもたらす果実酒を振る舞っている。
オオカムヅミが祀られている神社は参拝客で賑わっていた。“あわい”で見たときとは様相が異なっており、あの場では開かれていた扉は閉ざされており、階段の手前で挨拶をする形となっている。神聖な桃の木に直接触れる事は出来なかった。
賽銭を入れ、この神社で推奨されている拝礼を行う。果実酒の美味を讃え、授かった幸運に感謝を述べる。そして参拝の列から離れようとしたとき、ふわりと芳醇な桃の香りが鼻をくすぐった。
そう言えば、まだ果実酒を飲んでいなかったことを思い出し、列を離れたところでリリアに一言断って果実酒を飲み干す。天上の甘露は、何度飲んでも感動するほどに美味だった。
「さて、お守りを買うぞ! マレウスやセベクにもな」
「はい。きっと、素晴らしいご利益がありますから、お土産にも良いと思います」
「くふふ、果実酒の効き目は抜群じゃったからな。お守りにも期待大じゃ」
マレウスは何気なく立ち寄った場所で新しいガーゴイルを見つけたという。リリアは小さな良いことがいくつもあったとか。セベクに至っては、危うく怪我をするところだったが、何らかの力によって無傷で済んだらしい。シルバーは常にない閃きを持って、探し人の手がかりをいくつも見つけたのだ。効果は人によって様々であったが、確かに良いことがあったのは事実である。お守りにもご利益を期待するのは当然だった。
二人は授与所に行き、並べられたお札やお守りに目を向ける。桃の神を祀っている神社であるからか、桃がモチーフだったり、桃色が使われているものが多かった。
「おお~! かわいらしいのぅ! これなんてわしにぴったりじゃ! おぬしもお揃いで持つのはどうじゃ?」
「俺には少しかわいらしすぎる気が………」
桃色の布地に、黄色の糸で桃が刺繍されている邪気払いのお守りだった。リリアには確かによく似合っていたが、シルバーが持つにはいかんせんかわいらしすぎた。ぶぅぶぅと頬を膨らませるリリアに苦笑しつつ、改めてお守りに視線を落とす。
オオカムヅミは主に厄払いの神だ。他には子宝や長寿のご利益がある。販売されているお守りも、それらが中心だった。
子宝については、シルバーにはまだ早い気がした。相手も居ないわけであるし、そもそも自分が誰かと家庭を作るという想像が出来ないからだ。自分には厄払いのお守りを購入することにした。
マレウスとリリアには、是非とも末永く生きて欲しい。茨の谷の繁栄を願い、二人には健康長寿のお守りを。リリアは隣で自分の分を嬉々として選んでいるが、誕生日祝いに添えることにしたのだ。
セベクにも自分と同じく、厄払いのご利益のあるお守りを贈ることにした。護衛は何かと怪我がつきものなのだ。少しでも負傷が減るようにと願ってのことだ。
二人は納得のいく買い物をして、神社を後にする。この後は降臨祭が行われる大社の下見をして、関係者に聞き込みを行うのだ。もちろん、マレウスから受けた視察の命もこなさなければならない。やることはいくらでもあった。
大社までの道のりは、観光地ならではと言った風情だった。道の両側に土産物屋が立ち並んでおり、観光客が楽しげな声を上げている。シルバーもチラリと店先に視線を向けると、東方の国ならではのものが多く、珍しさに目を引くものが多かった。
「あ……」
ふと、目の覚めるような赤が飛び込んでくる。呉服店の店先に並んだ、リボンの髪飾りだった。他の飾りよりもやや小ぶりなコーム式の髪留めで、中央に金色の房紐飾りがついており、華やかな仕上がりだ。
思わず手に取って、まじまじと見つめる。夢の主に似合いそうだな、と脳裏に濡れ羽色の髪が浮かんだ。
夢の主は、あまり飾り気のない人物だった。夢の中で見つめていたときも、“あわい”で出会ったときも。折角美しい髪を持っているのに、それを飾るのは色気のないヘアゴムが殆どだった。まれにリボンなどでまとめているときもあったが、それも無地の単色ばかり。勿体ないな、と残念に思ってしまうくらい、夢の主は自分に対して無頓着だった。
「何じゃ、シルバー。贈り物をするような相手がおったのか? 水くさいのぅ。そういう相手が出来たら、真っ先にわしに報告せんか!」
「い、いえ、そういう相手が居るわけでは……! ただ、夢の主に似合いそうだな、と………」
「ほーう? 夢の主はおなごじゃったか! 勝手に男だとばかり思っておったわ」
「あ、いえ……。相手が女性かどうかは……。中性的で、どちらにも見える人なんです」
濡れ羽色の髪に、オニキスのような漆黒の瞳。切れ長の目元が涼やかだったのを覚えている。
芸能人のような華やかさはないが、整った顔立ちだった。かわいらしいタイプではなくて、美形という言葉が似合う。
美しい所作は女性的だったが、堂々とした立ち振る舞いは男性のように見えた。
“あわい”から帰還するときに触れた手首は細かったが、細身の男性というのも存在する。性別を断定するものにはならない。
けれど、男性でも女性でも、夢の主にはこの赤が似合うと思ったのだ。目の覚めるような鮮烈な赤色が、愛しさで彩られた、花のような微笑みには。
「ではおぬしから見て、夢の主はどのような人物なのじゃ?」
「俺から見て、ですか?」
リリアの言葉に、改めて振り返る。けれど、その人となりを言葉に出来るほど、彼は夢の主を知らない。その事実がさみしいような、苦しいような。胸を掻き毟りたい衝動を抱えながら、シルバーは「分かりません」と消え入りそうな声で呟いて首を振った。そのくらい、彼はかの人について何も知らないのだ。
けれど、この一つだけははっきりと言える。
「でも、きっと、綺麗な人なんです」
どうしようもない程の愛で、世界を作り上げていた人を思い出す。あんな風に心を向けられたら、誰だって想いを返したくなるような、深い深い愛だった。これ以上ない幸せだと微笑む顔の、それはそれは美しいこと。そんな風に微笑まれたら、誰だって愛を知ってしまうだろう。外側から見つめていただけのシルバーの心さえも、激しく揺さぶったのだから。
あの愛は、夢を彩る者達に向けられたものだ。彼等だけが知っていれば良いもので、彼等だけに許されたものだ。本当なら、シルバーはその愛の存在を知ることすらないはずだった。それこそ奇跡のような確率で、夢の主の箱庭に踏み込んでしまっただけなのだから。
「誰よりも、愛に溢れた人なんです」
大切な宝物を抱きしめるような声だった。何よりも尊いものを確かめるような、あたたかいものだけを詰め込んだ声だった。赤子のときから彼を知っているリリアでも初めて耳にする、酷く大人びた声。柔らかい眼差しは陽だまりを思わせる。
その眼差しを見て、彼の胸に尊い感情が芽吹いたことにリリアは気付いた。もうそんな心を育むような年頃になったのかと驚くと同時に、我が子の成長がどうしようもなく喜ばしい。
リリアは、探し物が嫌いだった。何年も何年も、絶望の淵に立たされながら探し物をし続けてきた過去が、重くのしかかってくるからだ。
しかし、愛する息子が、砂漠の中の一粒の砂を見つけようと必死になっている。何事にも一生懸命で、全力で取り組む子ではあったけれど、そんな姿を見続けてきたリリアから見ても、此度の彼はいつになく真剣な眼差しをしていた。それほどまでに、見つけたがっているのだ。たった数度の夢での邂逅。たった一度の夢うつつでの交わり。そんな些細な縁で結ばれた、どこの誰ともしれない相手を。
嫌いだからとか、嫌な思い出だからだとか、そんなことは言っていられなかった。大切な我が子が、こんなにも真剣に取り組んでいるのだ。家族として、それを応援したいと思うのは当然だった。
見つかって欲しいと、心から願う。彼の胸に宿った、あたたかい想いが花開くことを夢見ながら。