ジャミルの友達が姐さんだったら 6
校舎に向かうため、カリム達が寮の出入り口である鏡をくぐると、丁度同じタイミングでシルバー達がディアソムニア寮への続く鏡から姿を現した。
「あ、シルバー! マレウスとリリアも! おはよう!」
ぱっと顔を輝かせ、カリムがディアソムニア一行に駆け寄った。元気な挨拶に彼らは笑みと挨拶を返した。
その後を追いかけてきたジャミルも彼らのそばで立ち止まり、軽く頭を下げる。
「おはようございます、先輩方。シルバーもおはよう。身体は大丈夫なのか?」
「おはよう、ジャミル。昨日は突然眠ってしまってすまない。いつものように眠ってしまっただけだから、身体に問題はない。それより、ディアソムニアまで送ってくれたと聞いた。介抱してくれてありがとう」
「いや、問題ないならいいんだ」
そういったジャミルは澄ました顔をしているが、口元には淡い笑みが浮かんでいる。カリムはあからさまにほっとした様子で、シルバーが無事だと知ると、満面の笑みを浮かべた。
心配をかけてしまったことを申し訳なく思うと同時に、その優しさに胸が温かくなる。シルバーの顔にも笑みが浮かんだ。
「そう言えば、昨日話していた夢についてはどうなったんだ? 解決しそうか?」
カリムが声を潜めてシルバーに尋ねる。あまり周囲に広めたくない相談事だと分かっているからか、囁くような声量だった。その気遣いに感謝しつつ、曖昧に頷いた。
あの夢に渡ることは、おそらくもうないだろう。シルバーが美しい夢を踏み荒らしたことを気に病んでいると知っているから、夢の主は思い出に蓋をしたのだ。それ故か、昨夜は何の変哲もない夢を見て、いつものように目を覚ました。
夢の主はあの美しい夢を“思い出の虫干し”と言っていた。色褪せることのないように。美しいままであるように。そのために見るものだと。夢の主はきっと、宝箱から中身を取り出して見つめることも、蓋をして大事にしまっておくことも出来るのだろう。
夢の主にとって、その時間はとても大切なもののはずだ。もう二度とあの景色を見ることは出来ないと。どこか遠い世界で失われたものだから、もう二度と手に入れることは出来ないのだと、愛しさだけを乗せた微笑みを浮かべていた。
けれど、その時間すらも、シルバーは奪ってしまった。なのに、謝ることすら許されない。
「シルバー?」
ジャミルが難しい顔をして黙り込んだシルバーに声をかける。その声にはっとして顔を上げると、カリムとジャミルは各々心配そうな顔をしていた。そんな二人に、シルバーは曖昧に笑みを返した。
解決できそうかと尋ねられれば、「分からない」と答える他ない。こうしたい、という答えはあるものの、それはシルバーの自己満足だ。謝罪が許されないのなら、ありったけの感謝を伝えたい。出来ることなら、夢の主が気兼ねなく美しい夢を見られるようにしたい。
けれど、そのために何をすればいいのか分からないのだ。何せシルバーは、自分のユニーク魔法について、完全に理解しているわけではないのだから。
何と答えたものか、とシルバーは思案する。友人達に心配をかけたままにしておくのは忍びないけれど、話せないことが多すぎるのだ。
「シルバー、きちんと話してやれ」
曖昧な態度で黙り込んでしまったシルバーを見かねて、リリアが声をかけた。
「確かに、あの夢については話せないことは多いじゃろう。しかし、彼等は真摯におぬしの悩みを聞き、寄り添ってくれている。それを、“何も話せない“と突き放すのは筋が通らんじゃろう」
「リリア様……」
「何、カリム達は愚かでもなければ、無粋な輩でもない。きちんと弁えた者達じゃ」
安心せい、と言って、リリアが胸を反らせる。
「マレウスのことは任せておけ。カリム達もずいぶん気を揉んだようじゃし、あやつらには聞く権利がある」
「ああ。僕のことは構わず、彼らの心配を解消してやれ」
「はい、マレウス様、リリア様」
授業に遅れないように、とだけ言い残し、マレウス達は教室に向かった。それを見送って、シルバーはカリム達に向き直る。
すべてを詳細に話すことは出来ないが、と前置きして、シルバーは昨日眠りに落ちた後のことを語り出した。
今まで見ていた夢が、ただの夢ではなかったこと。昨日は特に特別な夢を見ていて、夢と現実の狭間のような場所に迷い込んで、とある人に助けてもらったこと。その人の正体が夢の主で、少し会話をすることが出来たこと。今までのことに関して、謝罪を受け取ってもらえなかったことを。
詳細を伏せて語ったから、きっと不可解なことばかりだったろう。不誠実な行いだと胸を痛めながらも、夢の主を裏切るようなことは出来ない。
虫食いだらけの説明を、それでも真剣に聞いてくれるカリムとジャミルに感謝しながら、シルバーは最後まで言葉を紡いだ。
「そっか、夢の主に会えたんだな」
「ああ。でも、謝罪は不要だと、言われてしまったんだ……」
それも当然だろう、とシルバーは納得している。大切な思い出を踏み荒らされて、謝罪のみで許されそうだなんて虫が良すぎる話だ。許せるものではないし、許されるべきものではない。
けれど、夢の主は許したのだ。シルバーが背負うものではないと言って。
「だから、感謝を伝えることにしたんだ。謝罪が出来ない分まで」
このままで終わりたくない。謝罪が許されないのなら、ありったけの感謝を伝えたい。何度も傷付けた自分を、それでも助けてくれたことを。
「探してみようと思うんだ。その人はきっと、そう遠くないところにいる気がする」
―――――実際、近くに居るんだよなぁ。
シルバーの話を笑顔で聞きつつ、気取られないようにジャミル達が顔を見合わせる。
彼等に害意はない。純粋に感謝しているようだった。お礼を言いたいから会いたいと言うことなら、ツバキとて否やとは言わないだろう。
けれど、ツバキはシルバーと再び顔を合わせることを想定していないようだった。おそらく、“あわい”で出会ったことを問題視しているのだろう。縁とは不思議なもので、人と人の繋がりだけには留まらない。物だったり場所だったり、果ては特定のシチュエーションにまで縁を繋いでしまうことがあるのだ。ツバキはシルバーと“あわい”との縁を、必要以上に結ばせたくないと考えているのだろう。“あわい”に迷い込むことを繰り返せば、より深みに迷い込む可能性だってあるのだから。
また、彼等に害意はなくとも、その周囲がそうではないことを考えているのだろう。自身を害そうとするだけならまだしも、ツバキは自分の懐に入れた相手が傷つくことを容認出来るタチではないのだ。
「ジンジャという宗教施設がある場所だったから、そこに縁のある人だと思う。もしかすると、噂の東方の国の人間がそうなのかもしれない」
笑顔が引きつりそうになるのを必死で隠しつつ、シルバーの話を聞いていた二人の笑顔が完全に凍り付いた。
おそらく、この閃きはオオカムヅミの果実酒の影響だ。
ツバキがシルバーに果実酒を持ち帰らせたことは、昨日のうちに聞いている。そしてシルバーは、そういった他人からの親切を無碍にする男ではない。だからきっと、彼は早速飲んでみたのだ。幸運をもたらす天上の飲み物を。
ツバキはきっと、ちょっとした親切のつもりでオオカムヅミの果実酒を分け与えたのだろう。訳の分からないことに巻き込まれた不運を憂いて、気分が晴れればいいとでも考えたのだろう。
オオカムヅミの果実酒は幸運をもたらす効果があるが、それが何に対して働くかは誰にも分からない。ある人は天才的な閃きを持って煮詰まっていた研究を飛躍的に進め、ある人は嫌な予感を覚えて行動を控えたことによって九死に一生を得た。そのように、どのような幸運が降り注ぐのかはそのときになってみなければ分からないのだ。
「捜索については、マレウス様達も手伝ってくださるそうだ。あのお二人がご助力してくださるのだから、きっとすぐに見つかるだろう」
―――――どうやら天は、シルバーに味方をしたらしい。この一件をもって、ついに、ディアソムニアまでもが東方の国出身者の捜索に乗り出した。そう遠くない未来において、夢を介してではなく、面と向かってお礼を言われるツバキの姿が二人の脳裏を過ぎった。