ジャミルの友達が姐さんだったら 5
シルバーは最近、本当に困っていた。とある夢を見て以来、同じ人の夢に入ってしまうことが続いていたのだ。
シルバーは、他人の見ている夢と夢の間を渡るユニーク魔法を持っている。自分が眠っており、なおかつ夢の中にいる自覚がある場合にのみ発動される。その他の条件としては、夢の主とシルバー自身が縁で結ばれていることである。
しかし、不可解なことに、シルバーはその夢の主と縁を結んだ覚えがないのだ。夢で何度も顔を見ているが、記憶に引っかかることがない。全くの初対面の相手なのだ。
最初に渡った夢は祝いの席だった。何か、季節のお祝い事だったのだろう。豪華なお弁当を囲んで、花を肴に酒を飲んでいた。
あるときは日常の風景だった。愛するもの達とともに、仕事をしたり、家事をしたり。時にはちょっとしたいたずらをして、みんなで笑い合っていた。
どこか、街に出掛けている光景を見たこともある。あまり見かけない面構えの店が建ち並んだ、異国の景色だった。歩いている途中では知人らしき相手に声を掛けられており、夢の主がたくさんの人を愛し、愛されていたのが窺えた。
どの夢も、幸せに満ちあふれていた。愛しくてたまらないという思いが伝わってきて、見ているこちらまでもが笑みを浮かべてしまうような空間だった。
しかし、彼らの幸せを感じるたびに、これは自分が見て良いものではないのだと、改めて実感してしまう。
これは夢の主の、何よりも尊いものなのだ。胸の奥底に仕舞い込んだ、夢という形でしか取り出せない宝物。他人がおいそれと盗み見て良いものであるはずがない。だからシルバーは、その夢に渡ってしまわないようにする方法を探していた。けれど、夢に関する書籍をいくら探しても、そのような方法は見つからない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、トンと肩を叩かれる。顔を上げてそちらを見れば、そこには同級生のカリムとジャミルが立っていた。
「シルバー? 難しい顔してどうしたんだ?」
「君がそんな顔をしているなんて珍しいな。何か気掛かりでも?」
「カリム、ジャミル……」
カリムが心配そうに顔を覗き込み、ジャミルが顎に指を掛けてシルバーの顔色を伺っていた。
気に掛けてくれた喜びで、ほわりと胸が温まる。それと同時に心配を掛けた申し訳なさでシルバーはわずかに眉を下げた。その珍しい表情に、カリムとジャミルは顔を見合わせた。
「具合でも悪いのか? 顔色は悪くなさそうだが……」
「大丈夫か、シルバー。保健室行くか?」
「いや、体調は悪くないんだ。ただ、少し気掛かりがあって……」
「「気掛かり?」」
声を揃えて首をかしげる二人に、シルバーの口元が緩む。全然性格の違った二人だが、時折酷く呼吸が合う瞬間があるのだ。
二人は主従であり、幼馴染みであるという。彼らは気の置けない関係を築いており、傍目から見れば友人のようにすら映った。
自分にも、長く共に過ごした弟分がいる。これも所謂幼馴染みというやつなのだろう。彼と自分は、周囲にどのように見えているのだろうか。来年同じ学園に通うことになるだろう弟分の顔を思い浮かべ、いつか尋ねてみようと心に決めた。
「悩み事か? オレはあんまり難しいことは出来ないけど、話くらいなら聞くぜ! 誰かに話を聞いて貰うだけでも、気分って変わるしさ」
「ありがとう、カリム。少し、聞いて貰って良いだろうか」
「おう、もちろんだぜ!」
自身のユニーク魔法と、夢の内容は口に出さず、誰かの夢のうちに入り込んでしまうことを告げる。夢の主は全くの初対面。何度思い返しても、夢に現れるのは見たこともない人々だった。
夢の主は、その夢を酷く大切に扱っている。自分がその夢に入り込むことで、相手に何度も悲しい顔をさせている。その夢に入り込むことをやめたいのに、何度も何度も繰り返してしまうのだ。
「荒唐無稽で信じられない話だろうが、夢に関する情報を持っていたら、教えて貰えないだろうか?」
「全く見ず知らずの人の夢に入り込んじまう、かぁ……。確かにこれは悩んじまうなぁ」
「それこそが夢、と言うことはないのか?」
「それも考えたんだが、俺の全く知らない風景を詳細に映し出すんだ。夢とは、記憶の整理のために見ると聞く。それなのに、全く見たこともないものを、夢としてみるのはあり得るのだろうか……」
「確かに、それは不可解だな」
夢を見る理由は諸説ある。その中でもよく言われているのが記憶の整理のためである。脳内に溜まった記憶と記憶が結びつき、眠っている間に処理されたそれらがストーリーとなって映像化したもの。それを人は“夢”というのだ。
夢というものを記憶の集合体だとするなら、全く見たこともない風景を夢に見ることはないだろう。ならば、何故そのような夢を見るのだろうか。
「何か、外的要因があるんじゃないか?」
「外的要因?」
「ああ。例えば、夢に関するマジックアイテムに触れてしまったとか、誰かに魔法を掛けられたとか」
「…………そのような覚えはないが、俺が眠っているうちに魔法を掛けられていたら分からないな」
「一度、寮の先輩方か先生に見て貰うのが良いだろう。今は夢を見ているだけのようだが、何かが起こってからでは遅いからな」
「ああ、そうしてみる。ありがとう、ジャミル。カリムも、話を聞いてくれてありがとう」
「オレは話を聞いただけだし、気にすんなって!」
「俺も出来ることは無いが、君の問題が無事に解決することを祈っているよ」
「いや、十分助かった。早速話を―――――」
くらり。目眩がした。いつものように、突然凄まじい眠気に襲われたのだ。全身から力が抜ける。慌てたように声を上げる二人に問題ないことを告げようとするも、シルバーはそのまま、眠りの世界に落ちていった。
その日の夢は、いつもと随分と趣が違っていた。
見たこともない風景。賑やかな営み。道行く人々は皆、面布やお面を被っていた。
木々の続く一本道。石畳で整えられた道の先には、立派な屋敷のようなものが見える。そこに向かうまでにいくつもの出店が出されており、雰囲気としてはお祭りのように見えた。
「おやぁ?」
にゅっと、やけに長い首の女がシルバーの顔を覗き込む。その人とは思えない容姿に、シルバーは思わず身構えた。咄嗟にマジカルペンに手が伸びるものの、相手から敵意は感じられない。
ごくりと喉を鳴らす。背筋に嫌な汗が伝った。
「お前さん、人間さんかい? 人間さんがオオカムヅミの果実酒を頂戴しに来るなんて珍しいねぇ」
「お、オオカムヅミ……?」
「おんやぁ? もしかして、迷子の子供だったかい?」
どうしたものかねぇ、と面布で顔を隠した異形の女が首をひねった。その際、首が180度ほど回っているのを見て、シルバーは目眩がする思いだった。
異形の女はやや困ったような雰囲気で背後を振り返る。長い首を更に長くして周囲を見回したと思ったら、近くに居た一団に声を掛けた。その一団も、彼女と同じように異形の集まりだった。
「おぅい、誰か、清庭んとこの子供を見なかったかい? 朝倉んとこの坊主でも、厳原んとこの娘っこでもいいんだがね。人間さんの子供が迷い込んじまってるんだよ」
「朝倉んとこの坊主は今回は来ねぇとよ」
「厳原んとこの娘っこはさっき帰っちまったなぁ」
「そうなのかい? 困ったねぇ……」
ここに居るものたちは、みんな異形のようだった。しかし、人間であるシルバーに危害を加える様子はなく、自分の知らない魔法生物のような存在なのかもしれない、と自分を落ち着かせる。
依然として冷や汗は止まらず、心臓は痛いほどに高鳴っているが、異常事態にこそ冷静でいなければならない。深呼吸を繰り返していると、ざり、と地面を踏みしめる音が聞こえた。
「こんなところで立ち止まってどうしたんだ? 何かお困りごとか?」
「おやぁ、清庭んとこの! あんたを探してたんだよぉ!」
「私を?」
白い面布で顔を隠した人物が首の長い女に声を掛ける。新たに現れた人物は、一見すると人間だ。男女どちらかは定かではないが、この人物も無害そうな生き物だった。
「そうなんだよぉ。人間さんが迷い込んじまったみたいでねぇ。元の場所に帰すことは出来るかい? まだ小さいのに、迷子なんてかわいそうだろう?」
「人間が?」
異形の女に意識を向けられ、身体が強張る。人間に見える人物もこちらに注目し、酷く驚いた様子を見せた。
「分かった。私が責任を持って、きちんと元の場所に帰すから、安心してくれ」
「助かるよぅ。お礼は何が良いかね?」
「では、お面を一つ。彼に似合うものを」
「あの人間さんにも参加させるのかい? なら、瓢箪も買ってあげようねぇ」
「ありがとう」
異形の女と、人間らしき生き物のやり取りが終わる。異形の女はそのまま屋台の方に向かい、面布を被った人間はシルバーの方へと歩み寄った。思わず一歩後退さるものの、こちらの生き物からも害意は感じられなかった。
「こんにちは。その制服、NRCの学生さんだな」
「え、あ、ああ……。その、こんな質問をするのは失礼なんだろうが、あなたは人間、だろうか……?」
「ああ。君と同じ生き物さ」
ちらり、と面布を持ち上げられ、わずかに顔が見える。そうして見た顔も中性的で、性別は依然不明だった。けれど、見た限りは同じ人間のようで、どっと安堵が押し寄せてくる。異形に囲まれた中で、自分と同じ生き物がいるという事実がシルバーに安心感をもたらしてくれたのだ。
一瞬見えた顔に脳裏を過ぎるものがあったが、その安心感に押し流されてしまった。
「ここで名乗り合うのはやめておこう。名は魂に直結している。こことの縁が強くなれば、何度もこのような場所に迷い込んでしまうことになる」
「わ、分かった。そうしよう」
「とりあえず、君をきちんと元の場所に帰すから安心してくれ。その前に、ちょっとだけ寄り道をさせて貰うけれど」
「構わない。感謝する」
会話に一区切りついたとき、首の長い女がお面と瓢箪を抱えて戻ってくる。それに礼を言って受け取り、そのまま去って行く女を見送った。
「はい、君のお面だ。これを被って、私についてきてくれ」
「ああ。……しかし、何故お面を?」
「言ってしまえばトラブル防止のためだな。どこの世界にも、見てはいけないものというのは存在する。それを見ないように、見なかったことに出来るように」
「………なるほど」
渡された狐の面を被り、歩き出した少年だか少女だかの後をついていく。
言われた言葉の意味はあまりよく理解出来なかったが、人には見られたくないものもあるのだろう、と深く考えないことにしておいた。追求したところで、きっと深くは教えて貰えないだろう。
「それで、ここは、一体どこなんだ……?」
「あわい、と呼ばれている場所だ」
「あわい……?」
「まぁ、言わば空間と空間の間だよ。異界とも呼ばれているな」
「異界……!?」
異界はこの世のものではないものが跋扈する場所の総称である。基本的に生者は渡ることが出来ず、ゴーストや怪物のようなものしか行き来できないとされていて、とても危険な場所として知られている。
しかし、ここはそのような危ないものの気配を感じない。お祭りを楽しむような雰囲気で、屋敷のような場所を目指しているだけだ。
お面の下から周囲を見回す。縦にも横にも大きな二足歩行の蛙。影のように、向こう側が透けた半透明の犬。ランタンのような、炎を灯した照明器具が一本足で飛び跳ねるように進んでいるのも目に入った。その誰も彼もが、浮かれたような顔をしていた。
「異界にも種類がある。深度もある。ここは比較的表層にあって、人も迷い込みやすいんだ。ここは安全な場所だし、迷い込んでも帰りやすい場所だから安心してくれ」
「そ、そうなのか……。しかし、俺は異界に入り込んでしまうようなことはしていないはずだ。図書室で急に眠気に襲われて、そのまま……」
「ああ、なるほど。どうやら君は夢渡りをしてしまったのだろうな」
「夢渡り、とは……」
「これは私の祖国では稀にあることなんだが、夢渡りとは他人の夢に入り込むことを言うんだ。夢を通って、別の場所に訪れてしまうこともある。大抵が夢に纏わるユニーク魔法を持っていたり、そういったアイテムが勝手に作用してしまったり、色々理由はあるんだが」
夢渡りとは、他人の夢に入り込んでしまったりすることである。あるいは意識だけ、魂だけの状態で別の場所に訪れてしまうことを指す。
夢に縁のある人に起こりやすく、他国でいう
「そのようなことがあるのか……。俺もまだまだ勉強不足のようだ。もっと精進せねば」
「はは。君は本当に真面目だなぁ」
一瞬、眉を下げた笑みを幻視した気がした。面布で顔を隠しているのに、どうしてその顔が想像できるのだろう。また、言葉選びにも違和感があった。自分達は初対面であるはずなのに、まるで自分を知っているような物言いだ。
気になって声を掛けようとしたとき、その前に相手が口を開いた。
「さぁ、着いたよ」
「…………!」
遠くに見えていた屋敷が、いつの間にか目の前にあった。これほど近くにあっただろうか、と疑問に思うものの、この場所そのものが不思議な空間なのだ。目で見た距離と実際の距離が違うと言うこともあるだろう。
その建物は、基本は木造で作られていた。屋根は石を平たく伸ばしたようなものが積み重なっている。シルバーの住まう茨の谷ではあまり見かけない建築様式だった。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。ほんのりと酒気を帯びた匂いだった。
「ここは神社と呼ばれる、言わば宗教施設だな。本来はこのような作りではないんだが、ここは“あわい”。人成らざるものの世界だ。様相も、そちらに合わせられている」
「ここで、何を?」
「ああ、その説明がまだだった。ここはオオカムヅミという神を祀っている神聖な場所でな。今日はその神が幸運をもたらす果実酒を振る舞ってくださる日なんだ」
「か、神………?」
「さぁ、行こうか」
階段を上り、開かれたままの扉をくぐる。その先には、大きな桃の木が一本あった。たくさんの異形がその木を囲い、器や瓶を掲げている。その器に枝が寄り添い、たわわに実った桃から、黄金の液体が溢れているのが見えた。
「あれが、幸運をもたらす果実酒……」
「ああ。あれを貰ったら用は済む。その後にきちんとNRCに送っていこう」
「そうか。よろしく頼む」
首の長い女に貰った瓢箪を渡され、それを受け取って桃の木に近付く。不思議な人間を真似て、蓋を開けた瓢箪を差し出すと、そこに枝が降りてくる。甘い香りを漂わせた桃の実が、果実酒を滴らせた。
透き通った黄金。あまり酒に馴染みはないものの、上等なものだろうと一目で分かった。事実、天上の甘露と言っても過言ではない飲み物なのだから、最上級の一品だろう。
こんなに惜しげもなく与えられるものなのか、と目を瞬かせる。手の中の瓢箪は、そこそこの大きさがある。しかし、溢れてしまいそうなほどなみなみと注がれているのだ。慈悲深い神なのだな、とシルバーは感嘆の息を漏らした。
「いつもありがとう、オオカムヅミ。あなたにも多くの幸いがあらんことを」
「お、俺もありがとうございます」
桃の枝が、少年とも少女ともつかない人間の頬を撫でる。我が子を慈しむような仕草だった。
もう一本の枝がシルバーに向かって垂れ下がり、さわり、と髪を撫でていった。柔らかく、あたたかい、ほんの一瞬の触れあい。それは幸運をもたらす恵みを与えるのも納得がいく優しさを持っていた。
「手伝ってくれてありがとう。そろそろ帰ろうか」
「あ、ああ」
夢を、見ているようだ。否、実際に夢の中を歩いているのだろう。夢を渡り、別の場所を訪れている。
シルバーのユニーク魔法と酷似した、けれど別の何か。知らない場所を訪ね、見たこともないものに出会う。わずかな時間ではあったが、実に稀有な体験をいくつも重ねた気がする。
本当に、夢のようだった。けれど、腕の中の重みが、ただの夢ではないことを訴えている。
来た道を辿り、来たとき以上に歩を進める。倍ほどの道のりを歩んだところで、周囲の景色がどんどんと曖昧なものになっていくのが分かった。歩を進めるたびに目まぐるしく景色が変わり、また木々の続く道に戻る。けれど今度は、見覚えのある種類の木々だった。NRCの裏手に生息する木々だ。
「さぁ、賢者の島に着いた。ここまで来れば、もう迷う事はない。あとは目を覚ますだけだ」
「すまない、手間を掛けさせた。助けてくれてありがとう」
「構わない。どうせ帰り道だ」
被っていた狐の面を外すと、相手も面布の紐を解く。そして顕わになった顔に、シルバーは目を見開いた。―――――相手は、夢の主だった。自分が、何度も何度も傷付けて、絶望させてしまった相手だった。
息が止まるような思いで、オニキスのような瞳を見つめる。相手はほんのりと苦味の混じった笑みを浮かべていた。
「やっぱり、顔を見たら分かるよな。でも、そのうち気付いてしまいそうだったから、先にバラすことにしたんだ」
あの美しい夢を思い出す。いつまでも見ていたくなるような、幸せだけで満たされたあたたかな夢を。
同時に、思い出す。悲しくて、寂しくて、どうにかなってしまいそうな微笑みを。絶望を滲ませた、消えてしまいそうな儚いそれを。
自分の存在が壊してしまった美しい世界。己という生き物が終わらせてしまった、夢の主だけの箱庭。
「思い出の虫干しをしていたんだ」
夢の主が、ぽつりと呟く。囁くような、微かな声で。
「色褪せることのないように。美しいままであるように」
―――――もう二度と、あの景色を見ることは出来ないと知っているから、少しでも長持ちするように。
落とされた言葉に、シルバーは目を伏せた。
悔やんでも悔やみきれない思いだった。やはり、もう二度と戻れない世界の夢だったのだ。そう感じたのは間違いではなかったのだ。
どうしようもない程の愛で満たされた、幸せな空間だった。あんな風に心を寄せられたら、きっと誰もが愛を返したくなるような、溢れんばかりの思いだった。それだけが詰め込まれた、大事な大事な宝箱。それを、シルバーという異物が、壊してしまったのだ。
「あれは、どこか遠い世界で失われたものだから、もう二度と手に入れることは出来ないんだ」
―――――もう一度を望まないと言えば嘘になる。そう言って、愛しいという想いだけを乗せた目を細めた。夢で見た、大切なもの達に向けられた笑みだった。
息も出来なくなるほどの深い愛情だけが見て取れる、慈愛の微笑み。あまりにも美しい笑みに、シルバーは訳も分からず泣きたくなった。
「けれど、今の私にも、大切なものがたくさんあるんだ」
何も気にするな、と夢の主は言った。君が背負うことではない、と。
あれは、決して自分が知って良いものではなかった。自分があそこに居て良いはずがなかった。もうどうしようもないものを取り出して、大事に慈しむ時間を、自分は邪魔してしまったのだ。
許さないで欲しい、と切に願った。自分だったら許すのは難しいと分かっているから。けれど夢の主は、恨みや憎しみなんてものを一切抱いていないのだ。なんて酷いのだろう。許しを請うのは筋違いだと、謝ることすらさせまいとしている。
(幸せに水を差した自分を、どうして許せるのだろう。本当なら助けたくもなかっただろうし、見捨ててしまいそうなものなのに)
何度も傷付けてしまったことを知っている。何度も絶望させてしまったことを知っている。それでも、夢の主は手を差し伸べてくれたのだ。
(謝ることを許して貰えないのなら、せめて―――――)
もっと、きちんとお礼がしたい。謝罪が許されないのなら、ありったけの感謝を伝えたい。そう思うのに、意識が遠のいていく。
待ってくれ、と咄嗟に腕を掴む。けれど、覚醒は待ってくれなかった。緩やかに、確実に世界が切り替わる。
そうしてシルバーは、言いたいことも言えぬままに、夢から醒めてしまったのだ。