ジャミルの友達が姐さんだったら 4.5






 ぽふり、ぽふり。イワナガヒメの呪いを受けたジェイドは、清めの水で濡らした布で傷口を拭われ、呪いを濯がれる。呪いがまだ残っているためか、清めの水が傷に沁みた。
 痛みを感じていることに気付かせないようにしていたが、傷口を拭うツバキには隠し通せず、ツバキは清めの水を塗布する手を止めた。


「すまない。まだ呪いが残っているから、傷口に沁みるよな。出来るだけ力を入れないようにしているのだが……」
「いえ、大丈夫ですよ。このくらいなら大したことはありません」
「いや、大したことなんだぞ?」


 イワナガヒメは永久不変を象徴する女神だ。東方の国では寿命継ぎの神として崇められている。国生みの神より生まれた山の総元締めたる自然神の娘で、東方の国では名の知れた女神である。
 彼女はとある神に妹と共に嫁いだのだが、彼女だけが醜女であることを理由に振られてしまうのだ。それに怒ったイワナガヒメは妹を呪い、美しいものを呪い続ける荒魂と成り果てた。そして美しいものが山に入ると、妹と混同して呪いを振りまくのだ。
 イワナガヒメの呪いを受けたものは、自分で自分の顔を傷付け、最終的には発狂死すると言われている。そのためイワナガヒメの住まうとされる山は立ち入りが禁止されているのだ。
 しかし、近隣諸国に、イワナガヒメの住まう山と混同視される山がある。その山は名前が同じなだけで、イワナガヒメとは何の関わりもない。けれど、そのように考えるものも少なくはない。そのため、こちらの山に登っても、同じように呪われてしまうことがあるのだ。
 ジェイドは混同視されている方の山に登り、この呪いを受けたのだ。あと少しで手遅れになってしまうほどの、強い呪いを。
ツバキが困ったように眉を下げながら、傷口を濯ぐ作業を再開する。先ほどよりも柔らかくなった手つきに、ジェイドの口元が緩む。


(誰かに世話をされるというのも、悪くないですね……)


 ジェイドは基本的に、誰かのサポートに付いていることが多い。こんな風に世話を焼かれる機会は少ないのだ。


「これくらいの力加減なら大丈夫だろうか?」
「ええ、問題ありません」


 澄み切った声が、耳に良く馴染む。高すぎず、低すぎない声は、ずっと聞いていたくなるような、酷く心地よいものだった。
 この声を聞きながら眠りたいな、と思いながら、ジェイドが目を閉じる。
 閉じた瞼の上を、そっと撫でるように拭われる。どこまでも優しくて、柔らかくて、硝子細工にでもなった気分だ。
 ゆったりとした、静かな時間が流れる。退屈とも、贅沢とも取れる、柔らかくて穏やかなひととき。


「……ようやく傷が塞ぎ始めたな。夜とか、痛まないか?」
「そうですね、初日は痛みがありましたね。ですが、分けていただいた聖水がありましたから、すぐに落ち着きましたよ」
「そうか。何か不調が出たり、気になることがあったら報告してくれ。命に関わることだから、絶対に隠したりしないように」
「はい、承知致しました」


 こんなものかな、とツバキが布を置く。大幣に持ち替え、短い祝詞を唱える。


「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」


 たったそれだけの短いものであったが、確かに効果があるのだから凄いものである。山から救出されたときとは比べ物にならない程に傷口は綺麗になっており、痛みも引いている。完治までに、そう時間は掛らないだろう。


「さて、今日の治療はこれで終わりだ」
「お疲れさまでした。毎日、ご足労ありがとうございます」
「気にしないでくれ。そもそも魔法陣を使っているから、移動は一瞬だしな」


 また明日、と言って、ツバキが手を振った。ほんの少しだけ、さみしいような悲しいような心地になって、思わず引き留めそうになる。はく、と口を開いたジェイドを見て、ツバキが不思議そうに目を瞬かせた。その顔を見て、我に返ったジェイドは、いつものように笑みを浮かべた。


「いえ、また明日、よろしくお願いいたします」
「ああ、お大事に」


 もう一度手を振って、魔法陣の向こうに消えていく。ツバキの居なくなった教員寮は酷く静かで、つまらない空間に早変わりした。ツバキが居たとしても、特別なことなど何もしないのに。だというのに、たったそれだけのことで、こんなにも色褪せてしまう。
 刺激的な毎日は魅力的だ。ジェイドは平穏や予定調和を好まない。弾けるような極彩色の日常こそが、彼が求めて止まないものである。
 いつも何かが起きて、心弾ませる事態が尽きない毎日。目まぐるしく過ぎていく日々。ナイトレイブンカレッジは、ジェイドにとっては夢のような場所だった。
 けれど、ツバキとの間に流れる穏やかな時間も悪くないと、そう思うのだ。


(…………明日は、思い切って引き留めてみましょうかね)




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