ジャミルの友達が姐さんだったら 4






 お祓いのために通っていた日々も、今日で終わる。約2週間に及ぶジェイドの解呪が、ようやく完了するのである。


「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」


 清めの水で濡らした布で塗布するように傷口を濯ぐ。それが終わったら大幣を振り、短い祝詞を捧げる。
 この頃になると傷口は殆ど塞がっており、細かい傷は目立たなくなってきていた。
 お祓いが完了すると、呪いが完全に消え失せたことを確認するために、軽い治癒魔法を掛ける。するとみるみるうちに傷口が塞がって、呪いが完全に解けたことが窺えた。


「よし、解呪はこれで完了だ。あとは、校医なり何なりに見て貰って、きちんとした治療を受けてくれ。長い間、お疲れ様」
「いえ、こちらこそ。危険地帯に赴いて救出していただいたばかりか、解呪にまでご協力してくださって……。なんとお礼をしたら良いか……」
「気にするな。どうしてもお礼がしたいというなら、もう巻き込まれないのが一番のお礼になる」
「ふふ。ええ、僕も呪いを受けるのは二度とご免ですから」


 長いような、短いような日々だった。呪いなんてこりごりなのに、もう終わってしまうのかという不満のようなものがあった。
 慈しまれるような丁寧な扱いが心地よくて。澄んだ声から紡がれる言葉を聞くと心穏やかでいられた。
 一日の終わりに差し掛かった頃に訪れる、ほんのわずかな時間だったというのに。その短い時間が無くなってしまうのが、ほんの少しだけつまらないような、寂しいような気がした。


「本当にありがとね、オルカちゃん」


 フロイドが、珍しく穏やかな笑みを浮かべてツバキに笑いかけた。
 ちなみに、“オルカ”というのは、ツバキのあだ名である。ツバキのことをなんと呼ぼうか、とフロイドが首をひねっていたときに、ジャミルから「オルカなんてどうだ」と提案されたのである。何でも「シャチは報復行動を取るだろう。あいつにぴったりだ」と言うことらしい。
 シャチは、海の王者と呼ばれている。海に天敵はいないとされており、例え魔法を使える人魚でも彼らと敵対する行為は避けるほどだ。けれど、ツバキをその名で呼ぶのを、フロイドは不思議と過大評価だとは思わなかった。何せツバキは、実力の底が見えない。どんな相手でも、何となく楽しそうな相手つよいつまらない相手よわいか分かるのに、ツバキはそれを一切感じ取らせないのである。それは野生の勘に優れたフロイドを相手に、実力を隠しきっているということだ。そんな相手がただの雑魚な訳がないと、フロイドは考えている。


「良かったねぇ。じゃあ先生は保健の先生を呼んでくるから、ちょっと待っててねぇ」


 そう言ってのっそりと立ち上がったのは動物言語学を担当している教師、ノース・グラオザームである。彼はシロクマの獣人で、基本的にはマイペースで穏和な性格だ。
 しかし、彼もNRCに在学していた過去がある教師。切れると手が付けられないだとか、学生時代は常に制服が血で汚れていたなどと言われている。真偽の程は分からないが、怒らせてはいけない相手の一人であることは確かだった。


「ホントに良かったなぁ、ジェイド! お祝いしよう! 回復祝いだ!」
「それは別に構わないが、しばらく間を置いてからにしろ。少し様子を見たいことがある」


 グラオザームが校医を呼びに行くのを見送って、治療の最終日と言うことで、改めてジェイドのお見舞いに来ていたカリムが喜びの声を上げた。そんな彼をジャミルが慌てて制止する。
 はしゃぐカリムを抑えたジャミルが、まっすぐに双子を見つめた。


「アズール・アーシェングロットが俺に接触してきた」


 アズールはジャミルの成績や評価を調べ上げ、それをダシに自分と契約をするよう迫ったという。おそらくはこれを契機に、アジーム家とのコネを作りたいのだろうというのがジャミルの見立てであった。
 そのことに心当たりがあったらしい双子は、複雑そうな表情で顔を見合わせる。
 呪いの掛かった山からの救出と、その解呪。それについては相手側から請求された分の料金をきちんと支払った。確かに金額は決して安いものではない。けれど、命の代価として考えると、それが釣り合っているとは思えないのだ。故に、彼らはまだ“借り”が残っていると考えている。そして、その救いの手に繋がる糸を垂らしてくれたジャミルには、きちんとした対価を支払えていないのだ。そんな状態の相手に対し、事を起こすのは憚られた。


「いや、もっと最悪を想定した方が良いだろう」


 ジャミルの話を聞いていたツバキが、顎に指を掛ける。


「このタイミングで接触してきたことを考えると、君達に当たりを付けたのかもな」
「まさか、東方の国の関係者だとバレたとでも?」
「可能性の話だがな」


 ―――――だが、最悪を想定するなら妥当だろう。
 ツバキの見立てでは、アズールは他人を利用することに戸惑いがない。その全てを悪いとは言わないが、彼はどこか、自分が損をしなければ良いという考えが透けて見えるようだった。そのためならば、相手がどうなっても構わないと考えている。
 直接対峙した訳ではない。穿ったものの見方をしているのかもしれない。けれど、その程度の想定で臨んだ方が、楽観視して足下を掬われるよりずっと良い。
 ジャミルに向けていた視線を、ツバキは双子に向けた。
 深淵を覗き込んだような黒。石のようで美しく見えていたのに、今はどこか恐ろしさを感じる。
 それは全てを見透かすような、ゾッとするような眼差しだった。


「先に、忠告しておこう」


 澄んだ声に、鋭利さが乗る。突き刺さるような、刃を思わせる声だった。
 ジェイドとフロイドが、思わず身構える。けれど、ツバキに攻撃の意志はないようで、魔法石に手を伸ばす様子はない。


「この二人に危害を加えるならば、私は私の全霊を持って、“敵”を排除することに努める」


 カリムとジャミルを庇うように彼らの前に立ち、ツバキが腰の辺りに手を添える。カチャリ、という金属音が聞こえた気がした。


「それがかつて助けた命だったとしても、私は容赦なく狩り取る所存だ。私と敵対する意志がないのなら、いくつか質問に答えて貰いたい」


 ツバキは本気だった。あたたかい微笑は消え失せ、その目には明確な殺意が宿っている。
 アズールとは確かに縁が深い。彼と特に敵対する理由はない。けれど、ツバキと敵対する理由も無いのだ。何度も言うように、ツバキは恩人である。その恩を返しきらないうちに仇で返すような真似をするほど、彼らは腐っていなかった。


「ん、いーよ。何聞きたい?」
「僕たちに答えられることなら、何なりと」


 一瞬、ツバキが探るような視線を寄越した。しかし、彼らに敵対の意志がないことを見て取ったのか、凍てつくような殺意が納められた。


「まず、君達の正体だ。君達は恐らく海に連なる者だろう。海の気配が濃厚だ」
「えっ、そんなこと分かんの?」
「これは驚きましたね……」


 リーチ兄弟の正体は人魚である。しかし、魔法薬を飲んで陸に適応できるように二本足を手に入れていた。陸で過ごすことにも慣れ、人間とほぼ変わらないまでに動けるようになっていたため、彼らを人魚と勘ぐるものはいなかった。それも、海の気配を感じて、などと言われて、正体を看破されるとは思わなかった。二人は驚きに目を見開いているものの、ツバキの幼馴染みの二人はいつものことと言わんばかりである。この程度のことは、驚くようなことでも何でもないらしい。


「オレ達ねぇ、人魚なの」
「おっ、人魚だったか! 初めて見たな~!」
「熱砂の国にはいねぇの?」
「潮の流れに乗って遊びに来ることはあるけど、元々住んでるような人魚はいないかな」


 でも、オレは直接見たことないんだ、とカリムが残念そうに眉を下げる。
 彼にも、フロイド達に敵対する意志がないと判断されたのか、いつも通りの対応だ。いや、彼の場合、どのような相手でもそれが通常運転なのかもしれないが。


「東方の国にもいないな。人面魚とか、“人魚”という概念の化け物ならいるが」
「…………何か聞いたらいけない気がする」
「興味が沸かないとは言いませんが、今回は僕も同意します」


 聞き覚えのない言葉に、ちょっと嫌な予感のしたジェイド達はそれ以上踏み込む事はしなかった。ツバキも無理に聞かせるようなことはせず、ただ少しばかり意味深な笑みを浮かべていた。


「ところで、君達が何の人魚か聞いても?」
「オレ達はウツボの人魚だよ~」
「おお、ウツボか。いいな」


 美味しいよな、とは言わないでおく。ツバキの考えが読めたジャミルには胡乱な目を向けられたが、純粋に褒められたと思ったらしいフロイドはご機嫌に笑っている。
 ちなみにジャミルもウツボを食べた経験がある。ジャミルはウツボ料理ならば味噌煮が好きだった。唐揚げも美味。刺身も美味しいと聞いたので、いつか食べてみたい。
 閑話休題。


「そしてアズールは、人魚の中でも珍しい、タコの人魚です」
「タコの人魚か。グレート・セブンと同じなんだな」
「そうそう! いいよね、タコちゃん。美味しいし!」
「分かる。タコって美味しいよな」
「おい、脱線するな」


 そのまま料理談義に移行しそうな気配を察知して、ジャミルが口を挟む。ツバキは食べることが大好きなので、美味しいものに目がないのだ。
 また、料理をすることも嫌いじゃない。美味しいものを食べるためならば、手間を惜しまないのがツバキなのである。
 自分でも脱線してしまいそうな事を自覚していたのか、一瞬だけ申し訳なさそうな笑みが向けられる。ジャミルがそれでいい、と頷いたのを見て、再度人魚達に視線を向けた。


「タコの人魚、ということは、アズールとやらは力自慢かな。確か、タコは全身がほぼ筋肉で構成されていたはずだ」
「そうなのか!? あんなに柔らかそうな見た目なのに!?」
「ええ、その通りです。彼は体力には自信がありませんが、純粋な握力ならば僕たちも適いません」
「超馬鹿力! 人間の頭くらいなら、簡単に潰せちゃうかもね」
「なら捕まらなければ良いだけの話だ。万が一の時は、捕まえられないように達磨にでもしよう」
「だるま?」
「東方の国の縁起物だよ。まぁ、今言ったのは別の意味だが」


 達磨とは、厄や災いを払う縁起物である。見た目としては手足のない置物。そこから転じて、ツバキは達磨のような見た目四肢を欠いた状態にしてやると言ったわけである。その意味を正しく受け取ったカリムは顔面蒼白し、ジャミルは少し引き気味にツバキを見つめた。
 二人の反応から「あ、これも聞いちゃいけないやつ」と察したフロイドは次の質問に移るように促す。彼らとは2週間程度の付き合いであるが、何となくの人となりが読めてきていた。ツバキは一見穏やかで大人しいが、実はかなり物騒な人間のようだった。そして恐らく、有言実行と言う言葉を体現するタイプだ。


「彼は実力行使に出るタイプか?」
「基本的には“お話し合い“で済ませるけどぉ、どうしてもってときは、ちょっとね?」
「なるほど、荒療治が君達の役目か」
「ええ、まぁ。彼も出来なくはありませんが、積極的には行いません。ですので、僕たちがこちら側にいる以上、その可能性は低いものと考えていただければ」


 アズールは自分の領分というものをわきまえている。運動方面全般を苦手としている彼は、その手のことは双子に任せていた。そのため彼らがその手を行使しないことを確約している以上、アズールに実力行使という選択肢は無いと言っても良い。
 しかし、それでも懸念はある。


「しかし、手が無いわけでは無いんだろう? 俺だけならともかく、カリムに何かあるのは拙い」
「でも、うちとのコネが欲しいんだろ? だったら、オレに何かするって言うのは無いんじゃ無いか?」
「暴力に訴えないとは限らないだろう。積極的には行わないというが、可能性がゼロではない限り、完全に排除するのは浅はかだ」
「ああ。それに、この世には精神に作用する魔法も存在するんだ。それを行使されて、アジーム家に不利が及んだらどうする?」
「……ん、そうだな。そう言う奴もいっぱいいるし、気を付けないとな」


 いや、物騒だな、というのが双子の正直な感想である。海は弱肉強食の世界。勝つか負けるか、食うか食われるか、実力がものを言う場所だ。物騒だとか野蛮だと言われる事も多いが、陸だって大差ないことを最近になって実感し始めていた。
 陸は一見平穏に見えて、実は海と変わらないくらいに命が消費されている。海と違って、目に見えて数が減らないだけで、裏側では毎日のように人が減っているのだ。特にアジーム家のような、利用価値のある一族はそう言ったものに巻き込まれやすいのだろう。
 海は食物連鎖で命が奪われる。陸は策謀や因縁で命が奪われる。どちらが良いとは言えない、どちらもどちらの世界であった。


「しかし、何もしていない相手に脅しを掛けるのは脅迫罪に問われる可能性がある。こちらはあくまでも正当防衛という体でいなければ」
「RSAの制服でNRCみたいなこと言われると脳がバグるんだけど」
「なら顔だけ見ていろ。それか視線を外せ」


 純白が眩しい制服で、まるでNRC生が宣いそうな発言が飛び出してくる。その違和感たるや、フロイドが思わず目頭を押さえたほどである。
 ツバキも自分がRSAの制服を身に纏っていることに違和感があるのか、純黒の制服を見つめる目はほんの少しだけ羨ましそうだった。


「しかし、正当防衛を狙うなら、向こうから仕掛けさせなければならない。そうなると、こちらもある程度は情報を晒さなければならなくなるぞ」
「でもそうすると、アズールはますます躍起になると思うよ? アズール、東方の国にも興味持ってるし。ただでさえ興味持たれてるラッコちゃん達が情報漏らしたら、めちゃくちゃ粘着してくると思う」
「あー……」


 下手に刺激して、余計に相手の好奇心を煽ることに繋がるのは避けたい事態だ。
 途方に暮れる一同の中で、ツバキが顎に指を掛けて独り言のように呟いた。


「意識を分散させる、と言うのもありかもな」
「意識を分散させる?」
「ああ。目的のものが複数あった方が、一つ一つに対する意識が薄くなるだろう」
「確かにそれなら、他のものに意識が逸れている間に対策を打つことも出来るな」
「アズールは割と視野が狭くなりがちだから、それはありかもね~」


 ジャミルの意向としては、まずアズールの意識をカリムから外すことである。そのための予防線はすでに張ってある。恐らく彼は、カリムより自分に意識を向けたはずだ。そこから更に、自分への意識も薄れさせることが出来れば幸いだ。接触が多くなるにつれ、彼の興味も膨らんでしまうだろうから。


「他の案だったら、彼が嫌がることをする、と言うのもありだな。要は、こちらとの関わりを忌避するようなことを謀れば良い」


 名案を思い付いた、と言わんばかりの表情だった。輝く笑みが眩しい。
 一足先に嫌な予感を感じ取ったジャミルが、額を抑える仕草を見せた。


「丁度良いのが、紛れ込んでいる」


 そう言ってにこりと笑うツバキに双子は顔を引きつらせ、カリムが苦笑する。一人、額を抑えていたジャミルがツバキの頬を抓りあげた。




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