ジャミルの友達が姐さんだったら 3






 フロイドの依頼で賢者の島から極東の手前までやってきた相手は、ツバキと名乗った。
 初めは訳が分からないことの連続で警戒していたジェイドであったが、フロイドから預かったという自分と同じチョウザメのピアスを見せられて、ひとまずツバキの言うことを信じることにして、二人はツバキの箒に乗って山を下りた。
 山の入り口付近にある小さな休憩所に身を落ち着けて、ツバキが用意していた応急処置のための道具を広げる。
 竹筒の水で清潔な布を濡らし、ジェイドの頬にあてがう。傷口に水が沁みて、ジェイドは一瞬眉を寄せた。


「水が沁みているのは、傷口に触れている事だけが理由では無い」
「………それ以外にも理由が?」
「ああ。君は呪いを受けている」
「…………呪い?」


 曰く、ツバキがジェイドの顔を拭うのに使用している水は、霊山として神聖視されている山から汲んできたものだという。それは聖水のようなもので、呪いに犯された傷口に沁み込み、痛みを発しているのだ。
 聖水で冷やされた布で顔を拭われ、甲斐甲斐しく世話を焼かれることに違和感を覚える。いつもなら自分がする立場である。何となく決まりが悪いような気がして、わずかに視線が泳いだ。


「我が国に、イワナガヒメという女神がいるんだ」
「イワナガヒメ……」
「君が本当に登りたかった、東方の国にある山に住まう女神だ」
「…………!」


 泳いでいた視線が、ツバキに固定される。NRCに東方の国の縁者がいるというのは虚言ではなく事実で、縁者に辿り着いたフロイドが渡りを付け、ここにツバキを寄越したのだろう。
 何故フロイドがそのような判断に至ったのかを、ツバキが説明していく。


「その山、立ち入り禁止だったろう?」
「ええ。確か、そこに住まう女神が気難しい方で、気に入らないものを呪うために立ち入りが禁止されていると……」
「ああ、その通りだ。イワナガヒメはとある神に妹と共に嫁ぐことになったのだが、醜女であることを理由に振られてしまうんだ。それからは美しいものを見ると妹君と混同し、呪いを掛けるようになったんだ」


 美しいものはそれだけで罪なのだと、誰かが言っていたのを思い出す。
 ジェイドは自分の見目が周囲からどのように見えているのかを理解し、それを有効活用してきた。しかし、それを罪として、呪いを掛けられてしまうとは、予想だにしなかった事態である。


「しかし、ここは東方の国ではありませんよね? 全く別の山なのに、どうして呪いが発動するのですか?」
「ああ、イワナガヒメとは全く関わりの無い山だ。しかし、女神がおわす山と同名であるが故に、混同視するものもいてな。その影響か、美しいものがこの山に登ると、同じように呪いを受けることがあるんだ」
「この山は、特に立ち入りを禁止されていないようですが……」


 新しい布に取り替えて、今度は額を拭われる。自分で出来ると言うことも出来たが、慈しむような手つきが心地よくて、ジェイドはされるがまま、会話だけを続ける。
 恐ろしい呪いが降り注ぐ山と同じ効果をもたらす山など、即刻立ち入り禁止にするべきだろう。せめて、禁足地に登録し、周知を促すくらいのことはしておくべきだ。


「そうなんだよな。あくまで混同視されているだけだから、被害者もそこまで多くないし、事故死として処理されてしまうんだ。だから、立ち入り禁止の要請を出してはいるんだが、取り合って貰えないんだ。ここは観光地にも近いし、キャンパーにも有名だしな」
「ああ……。そこそこ人気のある山のようですし、キャンプ場を経営している方もいらっしゃるようですから、立ち入り禁止を設けられてしまうと営利目的の方には不都合ですものね……」
「ああ。まぁ、人間というものは自分に直接被害が及びでもしない限り、他人事として処理してしまうきらいがある。この山の管理人もその口なんだろうな」


 傷口を拭き終わり、特に深い傷にガーゼを当てていく。


「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」


 ガーゼの上に手を翳し、治癒魔法に似た、ジェイドの知らない癒やしの魔法が掛けられる。ほっとするようなあたたかさを感じて、ゆっくりと目を閉じた。
 夢見心地というのだろう。微睡みの中で聞こえる澄んだ声が、子守歌のようだった。
 顔全体に散らばっていた傷が、深いものを残して癒えていくのは分かる。幾度か祈りのような言葉を繰り返し、頬に触れていた手が離れていく。


「うん、応急処置は済んだ。後はお祓い……解呪を受けたら完了だ」
「ありがとうございます」


 手早く荷物をまとめ、ツバキが立ち上がる。ジェイドもそれに習う。
 手の大きさから小柄な人物であることを予想していたジェイドは、思ったよりも視線が近いことに気付いた。
 オニキスのような瞳が、ジェイドを見上げる。


「解呪と言っても、これは神による呪いだ。一朝一夕で解けるようなものではない。また、解呪後であっても、完全に解呪したわけでは無いから、しばらくは治癒魔法も効かない。完治までには少し時間を要することになる。そこは理解してくれ」
「承知いたしました」
「完治するまでは、こちらが責任を持って面倒を見るよ。清めの水で拭ったり、簡易なものでも毎日お祓いをしていれば、呪いが薄まるのが早まるから」
「おや、そこまでしてくださるのですか?」
「呪いは毒のようなものだ。一刻も早く取り除くに限る。呪いが完全に除去されれば、治癒魔法も効くようになるから、それを見届けて、ようやく私の仕事は完遂だ」


 感情を読ませない、澄ました顔が一変する。ニッと、ツバキは意外と男くさい笑みを浮かべた。


「さぁ、東方の国に向かおう。お祓いの準備は整えてある」


 そう言って差し出された手を取り、ジェイドは促されるままに東方の国に向かった。







 お祓いの場所やお祓いの様子についての記憶は、秘匿されるべき場所で行われたために、封印措置が取られることとなった。お祓いは東方の国の宗教施設神社ならば割とどこでも請け負って貰えるらしいのだが、今回は相手が高名な神であったために、場所を選んで行われたのだという。そこでは一般人のお祓いは行っておらず、今回は特例であるために情報が外部に漏れたら拙いと言うことだった。ジェイドはそれに納得し、封印措置を取ることや、諸々の契約に同意して契約書に署名した。
 そう言った一連のことを終えて、東方の国から学園に戻ると、校門の前にはフロイドを始め、教員達にレオナ、同級生のカリムやジャミルまで揃っていた。
 一早くジェイド達の帰還に気付いたフロイドが、ジェイドに向かって駆け寄ってくる。


「ジェイド!」


 焦りを感じさせる声に、随分と心配を掛けたことを察する。彼は危機を察知する能力がずば抜けて高いから、その分神経をすり減らしてしまうときがあるのだ。
 走ってきた勢いのまま飛びつかれ、わずかに上体が仰け反る。けれども、意地でも倒れないように地面を踏みしめて、しっかりと片割れを受け止めた。


「も~! ジェイドの馬鹿! 何したらこんなことになるわけ!? 傷だらけじゃん!」
「申し訳ありません、フロイド。どうやら呪いをかけられてしまって。でも、きちんとオハライというものをしたので、心配は要らないそうです」
「呪い!? 山登っただけで!? 何それどういうこと!?」
「詳しい話は私がするよ」


 ツバキが説明を引き継ぎ、先程ジェイドにしたように、事の次第をフロイド達に伝える。説明を聞いた大人達は皆難しい顔をして唸り、フロイドは垂れ目を釣り上げて険しい表情を作っていた。
 フロイドから漏れ出る剣呑な空気に気付いたジャミルが、空気を変えようとツバキに声を掛ける。


「つまり、しばらくはこちらに通うか、彼がRSAに通うことになると言うことか?」
「ああ。一応、私がこちらに通うつもりでいる。顔の傷だし、人目につくのは憚られるだろう。それに、うちの学園でこんな傷を見せられた日には、一日中囲まれて大変な目に遭うこと請け合いだ」
「想像に難くないな……。しかし、うちの生徒はRSAの生徒をライバル視している奴が多い。学園内に出入りするのは拙いんじゃないか?」
「ああ、そう言えばそうだったな」


 NRCの野蛮さは野生児の収容施設と揶揄されるレベルである。
 そんな野生児達が一致団結して潰そうとするのがRSAの生徒だ。事情を知らないNRC生が校内でライバル校の制服を見かけようものなら、教師達が目頭を熱くさせるレベルの連係プレーで攻撃魔法の弾幕を作るだろう。
 そのことを容易に想像できた教師達は、揃って天を仰いだ。


「それなら、不都合の無い場所に魔法陣を設置させて貰えないでしょうか。そうすれば、誰にも見られることなく学園内に入れますから。不法侵入が心配なら、教員の誰かに魔力を注いで貰わないと発動しないものにすれば良いでしょう」
「それで構いません。我が校の生徒の治療のためですから」
「魔法陣は教員寮に設置しよう。君の都合の良い時間に連絡してくれれば、すぐに君を招く用意を整えておこう」
「ジェイド・リーチ。君の治療だ。出来る限り、サニワ殿の都合に合わせるように」
「ええ、もちろんです」


 生徒の命を救い、治療まで行ってくれるという相手に怪我を負わせるわけにはいかない。教員の幾人かはすぐに、魔法陣を設置する手筈を整えるために校舎に向かった。もちろん、ツバキへの感謝の言葉を述べてからだ。
 それを見送って、ツバキがポケットを探る。目的のものを取り出して、ジェイドにひっついて離れないフロイドに声を掛けた。


「フロイド、だったな。大切なものを貸してくれてありがとう」


 ジェイドとお揃いの、チョウザメの鱗で作られたピアス。彼らの髪の色と同じ、コバルトブルーの飾りがキラリと光を反射した。


「んーん。ジェイドを助けてくれてありがとね。でも、ピアスなんて何の役に立つの?」
「理解不能な事態に陥ったとき、人は混乱するだろう? しかし、見知ったものを見ると安心するし、探し人に馴染みの深いものだと縁を辿りやすいんだ」
「えん?」
「人と人の繋がり。これがなかったら、発見が遅れていただろう。本人に自覚は無いようだったが、結構深いところにまで迷い込んでいたし、実はかなり危なかったんだよ。この呪い、結構酷いというか、無惨なものなんだ」
「むざん」
「自分で自分の顔を削ぎ落として、発狂しながら死んでいく呪い」


 何でもないことのように告げられた言葉に、一同の視線がジェイドに集中する。特に酷い傷はガーゼで隠されていたが、それでも顔を容赦なく掻き毟った痕はくっきりと残っており、ベロベロと皮膚がめくれ上がっている。美しい顔が無惨なものに変貌する途中のように見えて、傷跡をじっくり見てしまった面々は顔から血の気を引かせた。血や傷が苦手な者は、必死に吐き気を堪えていた。
 教員達の間で視線が交わされる。無言のやり取りの中で、傷が治るまでの間は、教員達が交代で魔法を掛け、傷がないように見せかけるという結論が出された。顔を合わせるたびにあんな傷を見る羽目になったら、自分達の精神が危うそうだったので。その決定は過去に類を見ない早さで決定された。


「イワナガヒメの呪いだもんな……。それくらいするよな……」
「何だ、そのイワナガヒメってのは」
「永久不変を象徴する女神だそうです。寿命継ぎの神として崇められているのだとか。確か、東方の国の国歌のモチーフにもなっていたはずです」
「イワナガヒメは国生みの神より生まれた山の総元締めたる自然神の娘で、東方の国では名の知れた女神です」


 カリムの何気ない呟きを拾ったレオナが問いかける。彼に返答したのはジャミルで、ジャミルの言葉を補足したのはツバキだ。
 ―――――超大物じゃねぇか。その場にいた者達は揃って絶句した。そして、そんな神の呪いを受けていたと知って、ジェイドは感情が抜け落ちたような顔になり、フロイドは真顔でそんなジェイドの頭を抱え込んだ。
 ―――――もう山登んな。それはちょっと。反省しろ。それは大いにしています。双子のテレパシー的なアレで会話をした二人は、お互いをぎゅっと抱きしめて存在を確かめ合う。美しき兄弟愛である。


「我が国最古の呪いを生み出した神の一族です。その孫娘のような立場にある女神の呪いですから、その呪いの強さは言うまでもありません」


 本当に、間に合って良かった。目を伏せて、噛みしめるように言葉を紡ぐツバキに、フロイドがジェイドを抱きしめる腕の力を強める。ジェイドの口から呻き声が聞こえたが、彼は甘んじて受け入れるべきである。


「冷静に考えて、国生みの神が最古の呪いを生み出すってヤバいよな、東方の国」
「生み出すのが得意なんだろ。国すら作ったんだから」
「君、自国を生み出した神の認識がそれでいいのか???」
「私は事実を述べたまでだが?」
「国民がそれでいいと言うならいいか……。まぁ、とにかく、お疲れ。突然依頼して悪かったな」
「構わない。命には代えられないからな」


 ジャミルに拳を差し出され、その拳に自らの拳をぶつける。
 彼らの会話が済んだのを見計らって、レオナがツバキに近付いた。


「おや、お久しぶりです、レオナ殿下」
「壮健なようで何よりだ。先日はうちの寮生と国民達が世話になった」
「いえ。彼らが無事で良かった。しかし、殿下までお出迎えになられるとは思ってもみませんでした」
「俺がフロイドに紹介した形になるからな。流石に仲介人が顔を出さないわけには行かねぇだろ」
「なるほど。殿下は律儀でいらっしゃる」


 そう言って、二人はその後のラギーや彼の家族の様子を確認するやり取りを行う。そして彼らのその後に問題が無いことを確認すると、ツバキはほっとしたような笑みを浮かべた。
 ツバキの家業は慈善活動ではない。そのため、アフターケアにも金銭が掛かるのである。ラギーの一件は学園とアジーム家からの依頼と言うことで、そちらから金銭が支払われている。それ故に、その代価分の働きしか出来ないのだ。
 ちなみに、ラギーはレオナが、彼の家族はレオナの指示で夕焼けの草原の誰かしらがその後の容態を確認している。そのためツバキには、彼らの様子を知るにはレオナに直接尋ねるしかないのだ。
 そうして確認作業を終えたところで、学園内に戻り、魔法陣の設置の準備を行っていた教師達が戻ってくる。今日は、魔法陣の設置が完了したら、これでお開きとなる。教師達に促され、ツバキが校舎へと足を向けようとして、その足をピタリと止めた。そして教師に一言言い置いて、リーチ兄弟の元に小走りで駆け寄る。


「これを君達に」


 何事だろうか、と首をかしげていた二人に、ツバキが竹筒を差し出す。先程もそれを見たジェイドはピンと来たが、初見のフロイドは首をかしげたままだ。


「ジェイドには先程も説明したけれど、これは清めの水……聖水のようなものだ。呪いを受けた影響で傷口が痛む可能性があるから、一応渡しておこうと思って。傷が痛んだり、熱を持っているようだったらこれで傷口を清めてくれ。それで少しは落ち着くはずだから」
「聖水までくれんの? 依頼料、支払えるかな……」
「ああ、これについては料金に含まれていないから安心してくれ。そもそも悪いのは、こちらの要求を呑んで立ち入り禁止にしない例の山の管理人だ。ジェイドは悪くないのに苦しい思いをするのは間違っている。だからこれは、必要措置の範囲内だよ」


 ツバキの持ち寄った清めの水は霊山の湧き水である。言わば神の恵みだ。そこに赴いて汲んで来るという苦労はあるが、誰の所有でもないものを使って、料金を取り立てることはしない。
 ちなみに、この件以外にも多々必要になるため、定期的に清めの水を汲みに行くのも仕事のうちである。それはきちんと給料に反映されているため、無償労働させているわけではないので悪しからず。
 そもそも、ツバキは今回の事例においては、ジェイドに非はないと考えている。そうであるのに、彼が苦しむのは見過ごせない。


「そっか。ジェイドを助けてくれて、本当にありがとう」
「わざわざ危険な場所にまで赴いてくださったこと、心より感謝いたします」
「ふふ、どういたしまして。じゃあまた明日。放課後の、出来るだけ決まった時間に来るようにするから」


 そう言って、ツバキは後ろ手に手を振って、彼らに別れを告げた。




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