ジャミルの友達が姐さんだったら 2






 ラギーは名も知らない相手と、学園へと続く道を歩いていた。
 白い制服の人間の後ろを歩くラギーは、断頭台に向かって歩く罪人のような心地だった。
 罪が、白日の下にさらされる。それだけで済むなら構わなかった。けれど、己の罪が、故郷や家族に向かうのは、酷く心苦しい。
 この謎の人物について行くことが正しいことなのかは分からない。けれど、失いたくないから、ついて行くしかない。

 そろそろ校門が見えてくる頃合いだ。憂鬱な想いで顔を上げる。そして目を見開いた。そこには学園長を始めとした教師陣が並んでおり、寮長であるレオナ、被害者のカリムとその従者であるジャミルまで揃っていたのだ。
 想定を超えることばかりが起きて、ラギーはすでに血の気の失せていた顔を更に青くした。
 門前に着くと、教師達の視線が一斉にラギーに集まる。ラギーは俯いて、身を縮ませた。処罰は免れられない。首を落とされなければ奇跡かもしれない、と思いながら。
 でも、それでも。家族に己の罪を背負わせるようなことになるよりは、ずっと良いことのように思えた。


「お初にお目にかかります。此度の事態の解決のために参りました、ツバキ・サニワと申します。どうぞ、よしなに」
「これはこれは、初めまして。私、NRCの学園長を勤めております、ディア・クロウリーと申します。本日はわざわざご足労頂き、感謝いたします」
「友人及び、NRCからの正式な依頼ですから」


 仕事だからこの事態に乗り出したのだと、言外に告げる。澄み切った水のような声だが、温度は氷のように冷たい。ツバキと名乗った人間は、神の怒りが正当なものであると認識しているのだ。ラギーの罪は彼一人で背負えるようなものではなく、彼の家族も共に背負うのが正しいのだ、と。


「まず、先に申し上げておかねばならないことを申し上げておきます」
「何なりと」
「事態の解決のため、と申しましたが、必ずしも事を無事に終えることが出来るという確証はありません。何せ、相手は神そのもの。只人ごときが、神の沙汰を止める等という偉業は為し得ません」
「……そうでしょうとも」


 いつも調子の良いクロウリーが、沈痛な面持ちで俯いた。
 神に抗うのはいつだって人の行いだ。しかし、荒ぶる神を止めるのはいつだって英雄と呼ばれるような特別な人間だ。選ばれたものでもない限り、神と手を取り合うような功績は残せない。
 ツバキと名乗った人間は、きっとそういった特別な人間ではないのだ。だから、口添えは出来ても、それ以上の偉業は為し得ない。


「しかし、神から授かった刀の所有者たるカリムが、沙汰が重すぎると減刑を望んでおります。過ぎた罰を与えぬよう進言することしか出来ませぬが、それでも若い命が散ることのないよう努めることは出来ましょう」
「……! では……!」
「ええ。そのために、まず彼には東方の国に赴いて貰います。そして刀を授けた神に直接謝罪を述べ、その上で、改めて決められた沙汰を受けてもらいます」
「それで、生徒の命が助かるなら」


 教師達に頭を下げられ、ツバキは感情の読めない瞳でその姿を見下ろす。一拍おいて、了承を告げる。
 それから、カリム達生徒の方に目を向けた。ツバキが友人と呼んだカリム達が、ツバキに駆け寄る。


「ツバキ、依頼受けてくれてありがとな」
「忙しいのに悪いな。流石に、入学早々死人が出ることになるのはご免だったから、助かったよ」
「ああ。金屋子神がこちらに直接おいでになる前に場を用意できてよかったよ。お怒りのようではあるらしいが、話を聞いてくれるだけの理性は残っているようだ」
「そっか。じゃあ、ちゃんと謝れば、許して貰えるかもしれないんだな」
「こちらに来ようとするのを引き留めるのに苦労したと言っていたから、みんな本当によくやってくれたと思うよ」
「荒ぶる神を鎮めたのか……。すごいな、東方の国……」
「そういうのは得意なんだ、うちの国」


 気さくに交わされるやり取りに、教師達は目を丸くする。降臨されたわけでもないのにあの存在感だったのか、と口の中が乾いていく。そして、遠い異国にいるにもかかわらず、その怒りを届ける苛烈さ。ラギー本人だけでなく、その周囲にまで広がる祟り。そこまでの感情を剥き出しにした神を相手に、理性を引き戻した東方の国の民の手腕。もうずっと神は地上から消えたと考えていた他国の人間達は、その絶技に舌を巻く。
 会話に区切りがついたところで、ずっと黙したままだったレオナがツバキに歩み寄る。レオナの足音に気付いたツバキが、彼の方を向き直った。


「お初にお目にかかる、極東の使者よ。レオナ・キングスカラー。ラギー・ブッチの所属する寮の寮長を勤めている」
「ご丁寧にどうも、百獣の王よ。夕焼けの草原にも人を派遣したので、ご安心を。先ほど処置に取りかかった旨を伝えられました。直接現地の情報が知りたいのならば、こちらに連絡を」
「感謝する」


 連絡先が書かれていると思われるカードを差し出す。レオナはそれを受け取り、目礼した。
 レオナはそのあとも何か言いたげにしていたが、結局は口に出さず、一歩後退する。そんな様子を、ラギーは驚いたように見つめていた。
 ツバキはレオナが下がったのを見て、これ以上用はないと判断し、改めてクロウリーを見上げた。


「では、これより東方の国に向かう手筈を整えます」
「こちらで提供できます。緊急事態ですから、闇の鏡の使用が認められます」
「いえ、向かうのは荒ぶる神のおわす場所ですから。闇の鏡に万が一があっては拙いでしょう」
「……なるほど、それは確かに、どのような影響が出るか分かりませんね。出過ぎた真似をしました」
「いえ。お心遣い、感謝いたします」


 丁寧に頭を下げてから、ツバキがジャミルに声を掛ける。ちょっとした打ち合わせのようなやり取りをして、ジャミルが地面を均し始めた。彼と共に、手筈を整えようというのだった。


「ラギー・ブッチ。刀をカリムに。それをいつまでも君が手にしているのは神にとって気に入らない事実だ。誠心誠意の謝罪を」
「は、はい……」


 ラギーがカリムの方に向かったのを見届けて、ツバキはジャミルと共に地面に魔法陣を書き上げていく。
 陣を作成する途中で彼らに目を向けると、カリムは穏やかな笑みを浮かべていた。きっと、彼を許したのだ。
 寛大な男だ、と感心しながら、ツバキは慣れた手つきで線を重ねる。
 召喚術で使用する魔法陣によく似た、けれども明らかに異質なそれ。ツバキ達の作業を見守っていた大人達は怪訝な表情を浮かべている。それで本当に、術が成り立つのか、と言いたげだ。


「よし、出来たな」
「俺の方も確認してくれ。万が一間違っていたら拙い」
「……ん、問題ない。助かったよ、ありがとう」
「なら良かった。ここからが大変だろうが、頑張ってくれ」
「ふふ、もちろん。そうだ、今度の休みに遊びに行こう。RSAの近くに、珍しい魔法具のお店があるんだ」
「いいな。空いている日を連絡するから、詳しい日程はそれから」
「ああ」


 一つの大きな魔法陣を書き上げた二人は、小さく笑みを溢しながら魔力を注ぎ込んでいく。すると魔法陣が魔力を帯びて輝き、その向こうに大きな気配を感じ取ることが出来た。この陣の向こう側に、怒れる神がいる。
 そちらに直接赴くことになっているラギーは、その強大な気配に尻込みしそうになる。けれど、行かなければならない。許しを請い、謝罪を受け入れて貰わなければ、彼は家族を失ってしまう。震える身体を押さえ込み、崩れそうになる膝を叱咤する。そうして何とか、自分の力で立っていた。


「…………思ったより落ち着いているな?」
「ホントだな~。東方の国の人達、めちゃくちゃ頑張ってくれたんだな! 報酬の上乗せするか?」
「いや、今のままで十分だよ。それに、問題はこの後だしな。彼の出方次第では、夕焼けの草原で原因不明の死者が大量発生することになる」
「そっか、そうだよな。じゃあ、上乗せ分は結果を見てから決めよう!」
「良いと言っているだろうに……」
「それだけの仕事を熟してくれたんだ。貰っておいて損はないだろう。上乗せ分で美味しいご飯でも食べたらどうだ?」
「……そうだな。そうさせて貰おう」


 とんでもないことを、耳にした気がする。
 これで、怒りが抑えられている方だと、彼らは言う。随分と落ち着いているのだと。陣を隔てていても、怒りが漏れ出ているというのに。


「さ、行こうか。あまり待たせると、怒りがぶり返してしまいそうだし」
「は、はい……」


 ツバキに促され、一歩を踏み出す。
 自分はもう、ここに帰ってくることは出来ないのかもしれない。神を前にしたわけでもない、神のおわす地に足を踏み入れてさえいないというのに。それでもラギーは、不吉な思考で脳が埋め尽くされてしまった。


「ま、なるようになるさ」


 行ってきます、とツバキは散歩にでも出掛けるような気軽さで、陣の中に足を踏み入れた。ラギーもそれに続いたけれど、彼の足取りは非常に重たいものだった。







 陣を出た先は、酷く神秘的な場所だった。そして酷く恐ろしい場所だった。
 あまり見かけない木造建築。樹齢何百年を数えるような大木。大木の前には祭壇のようなものが用意されており、きっとそこに神が降りてくるのだ。
 否応なしに畏怖の念を駆り立てる場所だった。そこには神の怒りが充満していて、それがラギーの肩にのし掛かっている。神はまだ、ラギーの前に姿を現してすらいないのに。


「ここは清庭家が所有する神降ろしの儀を執り行うための場所だ。神殿みたいなものだと思って貰えれば良い。神社なんかだと必要な手順がいくつかあるのだが、ここは神社ではないからな。手水舎で手と口を清めて、挨拶をして終わらせることが多い」
「か、神降ろし……?」
「ああ。準備が整ったら、神降ろしを行って、君が怒らせてしまった神を喚ぶ。その神に、直接謝罪を述べるんだ」


 ツバキはほんの少しだけ、嘘を付いた。闇の鏡を使用して、この場所を観測されないためである。神の降臨する場所を、誰かに気取られるわけにはいかないのだ。
 また、ツバキ自身が神降ろしを行えるということを隠すためでもある。カリムやジャミルのときは事故を防ぐために、仕方なくその事実を開示したが、本職であるツバキがそれを知られるのは拙いのだ。彼らと違って、確実に神降ろしが決行できるからである。
 人の悪意は無限に広がる。一つ潰えても、また別の悪意が生まれる。悪人にとって神降ろしが行える人間の利用価値は計り知れず、その利用方法はいくらでも見いだせるのだ。
 まぁ最も、最悪の場合の手段は複数用意されているため、どのようなことが起こっても、対処する術はあるのだけれど。以前ジャミルに告げたように、忘却の神の力を借りることも、複数ある選択肢の一つである。

 ラギーはツバキの言葉を聞き、唇を戦慄かせた。神降ろしは神代の奇跡と呼ばれる偉業である。その奇跡の再現を行って、神を喚ぶというのだ。それがどれほどのことかは、勉学に疎いラギーにも察せられた。
 ツバキに対しても畏怖の念が宿り始めていること気付いたものの、それを無視してツバキはラギーを先導する。
 ラギーはツバキの案内で手水舎に向かい、指示されたとおりに手と口を清める。禊ぎの儀式を略式にしたものだという。神の前に出るのだから、身を清め、整えるのは当然のことだった。
 改めて祭壇の前に戻ると、そこには先程はいなかったポムフィオーレの寮服によく似た衣装を纏った面布の一団が揃っていた。おそらく、神降ろしの儀を執り行うために必要なのだろう。


「そこの陣の中央に。私の言うとおりに拝礼してくれ」


 魔法で衣装を着替えたツバキが、地面を示す。そこには魔法陣に似て非なる白線が引かれていた。四方を松明が設置され、注連縄で囲いが為されていた。
 ここがきっと、己の断頭台なのだ、とラギーは直感した。ぎこちない動作で、線を消さないように中央に立つ。ツバキの指示の通りに二礼二拍手一礼を行った。


「さ、準備は整った。神降ろしの儀を執り行おうか」


 そう言って、ツバキが祭壇に登る。そこから先の記憶は、ラギーには曖昧なものとなった。何かしらの舞を舞っていたような、何かしらの呪文を奏上していたような。何かをしていたことは確かだが、それ以上のことは分からない。何故なら、儀式を執り行ってすぐ、偉大な存在がすぐ傍に降り立ったのが分かったからだ。
 神が降りてきたのだと、本能で理解した。
 全身の毛穴が開き、汗が噴き出る。どうしようもないほどに全身が震えてしまっていた。
 その圧倒的な存在感、規格外なまでの威圧感に、ラギーは立っていることすら出来ずに膝をついた。頭を垂れるような形になって、顔を上げることさえ出来なかった。否、許されていなかった。

 ―――――神の怒りが、伝わってくる。

 謝罪をしようにも、口を開くことさえままならない。意識を保っていることさえ、やっとという始末。
 だからラギーは、ひたすらに謝意が伝わるように念じた。それしか出来なかった。


(許してください。オレから何も奪わないでください)


 ひたすらに、そればかりを願う。
 灼熱の怒りが、ラギーの肌を焼き尽くすようだった。
 熱い。あまりにも、熱い。炎が直接、肌を這っている。
 溶けてしまいそうだ。肉も、骨も、そして心も。
 目尻からは涙が溢れたが、それすらもすぐに蒸発した。


(ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください!)


 どれほどの時間が経っただろう。何百回、謝罪の言葉を述べただろう。
 ふ、と。押しつぶされそうなほどの威圧が消える。溶けて無くなってしまいそうな熱が引いていく。
 身体が軽くなったような気がして、そろそろと目を開ける。視界の端にツバキの衣装が目に入って、ラギーは伺うように顔を持ち上げた。
 顔をあげることが許されているとわかり、ラギーが傍らに立ったツバキを見上げる。ツバキは元の制服に着替えながら、ラギーの肩をポンと叩いた。


「お疲れ。命拾いしたな」


 澄ました顔をしていたツバキが、ニヒルな笑みを浮かべる。
 許されたのだという事実を確認したラギーは、ほっと息をついた。そしてそのまま、安堵のあまり意識を失った。

 けれど、そんなに簡単に許されるはずもなく、このあとラギーは一ヶ月もの間、高熱に魘されることになる。




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