ジャミルの友達が姐さんだったら 2
ラギーの元にその一報が届いたのは、カリムから刃物を盗んで3日目のことだった。故郷の祖母と、彼が慈しんでいた幼子達が原因不明の高熱に魘され、一向に治る気配が見えないと言うことだった。特に幼い子供達は体力をそがれ、水を飲むのも辛そうであるという。このまま治らなければ、命が危うい状態である、と。
その知らせを受けたラギーは、自分のせいだ、と目の前が暗くなっていくのを感じた。さっさと返却せよと言われていたのに。散々忠告を受けていたのに。それでも金に目が眩んで、手放すことを拒んだから。
(どうにか、しないと)
手の中の刃物を見つめ、ラギーは考える。この武器をどうするべきか。
カリムはNRCには似つかない心穏やかな少年だ。謝ればきっと、許してくれるだろう。けれど、彼が許しても、彼の一族が許してくれるかどうかは分からない。自分が犯罪者として捕らえられてしまったら、すでに最悪なハイエナの評価が、更に地に落ちることになる。自分の家族たちも、きっと更に冷たい視線を向けられることになるだろう。
(自首は、出来ない)
今の段階で、自分がこの武器を所持していることに気付いているのはサムだけである。そして、自分が何かしらの事をしでかしたことに気付いているのはレオナだけ。そこからは先には、広がっていないように見える。
(捨てて、しまおう)
考え抜いた結果、出てきたのは名案とは言いがたいものだった。悪手と言って良いかもしれない。
けれど、追い詰められてしまったラギーには、それが最善のように思えた。売り払った記録が残らず、盗んだものが手元にない状況が作れる。ならば、どうとでも言い逃れが出来ると踏んだのだ。
(海に捨てよう)
幸いにも、そこまでの重量は感じない。波が浚ってくれるかもしれない。それに、鉄は錆びるから。いつか朽ちて、何もかもなかったことにしてくれるだろうから。
そう考えたラギーは、ふらふらとした足取りで海を目指す。幸いにも、賢者の島は四方が海に囲まれた孤島だ。どこに向かっても、最後は必ず海に出る。
崖際に立ち、下を覗き込む。打ち寄せる波が派手な音を立て、大きなうねりを産んでいる。
これならきっと、ラギーの罪を遙か彼方に連れ去ってくれる。ラギーは安堵の笑みを浮かべながら、崖に向かって刃を突き出した。そして、手を離そうとした瞬間、背後に人の気配を感じた。
「それを手放せば、君の故郷は火の海に沈むだろうが、君はそれで構わないのか?」
それは男とも女ともつかない声だった。透き通った水のような声で、耳に良く馴染む。
けれど、心を落ち着けるような声とは裏腹に、ラギーの耳にするりと入り込んだ言葉の羅列は、酷く恐ろしいものだった。
ラギーが、慌てて気配の主を振り返る。そこには、自分とは真逆の真っ白な制服に身を包んだ人間が立っていた。
「君が持つそれは、ただの武器ではない。我が祖国、東方の国の神が作り出した神器だ」
東方の国―――――それは最近、寮長であるレオナに忠告を受けた際に耳にした国名だった。
神代が終わりを迎えていない国。神を隣人と呼び、親しんでいる極東の島。謎が多く、開国から100年を経ても尚、計り知れない未知の場所。
目の前の人間は、そんな神秘の地からの来訪者だと言う。濡れ羽色の髪に、オニキスのような瞳は、確かにあまり見かけないものだった。
「君達には、神からの祝福、加護と言い換えた方が分かりやすいか? それの正当な持ち主はカリムだ。彼以外のものが持つことは許されない。故に、今君がそれを持っていることで、君や君の周囲に災いが降り注いでいる」
その自覚はあるか、と尋ねられて、ラギーは俯いた。
自分は、思った以上に拙いものを盗んでしまったのだ。地上の生き物には測れない、大いなるものが生み出した神器。神からの授かり物を奪い、自分のものとして扱った。正当な持ち主でもないのに。
だから、夕焼けの草原で暮らす家族に不幸が訪れた。ラギー一人では背負いきれない報いを受けて。
「何も失いたくないのなら、着いてこい。きちんと謝って、正しい持ち主に返納するならば、減刑の口添えくらいはしてやろう」
真っ白な制服に身を包んだ人間の素性は知れない。けれど、この人間の言うことに従わなければ、取り返しのつかないことになることだけははっきりと分かった。
踵を返し、歩き出した人間の背中を、少し遅れてラギーは追い掛けた。そうするしか、彼に選択肢はなかった。