ジャミルの友達が姐さんだったら 2
サバナクローの寮長であるレオナ・キングスカラーは、この異常事態の正体に気付いていた。実家の王宮からもたらされた情報により、現在賢者の島に東方の国の国民がいることが知らされたのだ。おそらく、機会があれば接触して欲しいと言うことだろう。かの国は、他国との断絶期間が長く、まだまだ分かっていないことが多すぎる。
情報こそ少ないが、何も分かっていないわけではない。東方の国は、神代の終わりを迎えていない国である。神との距離がごく近くにあり、良き隣人として接しているという。そんな国の国民が、遠く離れた異国に降り立つことになったのだ。本来ならばあり得ないことであるが、神が様子を見に来ることが無いとは言い切れない。東方の国とは、そう言う国なのだ。
東方の国の国民は、RSAに通う1年生であると聞かされている。何故、大いなるものの気配がNRCで感じられるのかは定かではないが、東方の国に関わる人間がこちらに通っているのかもしれない、とレオナは当たりを付けていた。
少し前に学園長のもとに客人が訪れたという情報も入ったため、レオナはその考えが正解に近いものだと確信していた。おそらく、東方の国の使者だろう、と。
故に彼は、寮全体に命令を出した。東方の国に連なるものには手を出すな、と。寮生たちは揃って首をかしげたものの、レオナが無駄な指示を出さないことを知っているもの達は、しっかりと頷いて見せた。そんな上級生の姿を見た新入生たちも、戸惑いながらも従う様子を見せていた。
しかし、何かしらの事が起こってしまった。
(鉄の匂いがする……)
ふとしたときに、それは香る。血の匂いに似た、独特の異臭。嫌悪を催すような、噎せ返るような匂いだ。
今までならば、治安がスラム街と揶揄されるNRC内でのことだから、誰かしらが流血沙汰でも起こしたのだろうと考えていただろう。しかし今回は、きっと大いなるものの引き起こしたものであるとレオナは確信していた。
それは今までに起こったことのない現象だった。新たな神が来訪したのか、凶兆を示すものであるのか。神などと言う理の外に在る存在を感知したことのないレオナには、それが何を表すのかを理解出来なかった。ただ漠然と、事が起こったことだけを確かに感じ取っていた。
レオナは、寮生たちにその匂いの出所を探らせていた。その匂いを辿れば、何が起こっているのかを知るきっかけとなることを予想して。
レオナ自身も、その匂いの発生源を探っていた。自分の予想が正しいものであるならば、一刻も早く解決しなければ、どのような結末を迎えることになるか。きっとろくな事にならない。それこそ、少なくはない命が潰えるような、悲惨な末路だってあり得るのだ。
「なぁ、最近変な匂いしねぇ?」
「ああ、鉄くさいって言うか、血の匂いみたいな……」
談話室の隅で、新入生がそんな会話をしているのが聞こえた。混乱を避けるために、新入生にはこの件に関わらせていない。
しかし、1年生達も、この妙な事態を感じ取ってしまっている。何かしらの手を打つべきか、と顎に指を掛ける。
「それさぁ、ラギーから匂わねぇ?」
「ラギー?」
「ハイエナの獣人。確かスラム出身の奴」
ハイエナの獣人に、レオナは覚えがあった。十分な栄養が摂れていないことは見て取れる、小柄で肉付きの悪い細身。制服を買う余裕すらないらしい。制服を着ていなかったから、周囲から注目を浴びていた新入生がいたのだ。
その新入生からは周囲の人間をカモに、ずる賢く生きてやろうという思惑が見て取れた。その気概は嫌いではなく、レオナの記憶に何となく残っていたのだ。
しかし、まだ手を出してはいけない相手というものを、完全に理解してはいなかったらしい。あるいは、その手の失敗をしたことがなかった故の慢心か。
まだそうと決まったわけではないが、手掛かりを見つけたレオナは口角を上げた。
「おい」
「「「っ!!?」」」
「その話、詳しく聞かせろ」
突然、自寮の王に声を掛けられた新入生達は、目を白黒させながらレオナを見上げた。
「ラギーってのはお前か?」
サバナクローは弱肉強食をモットーとしている。その頂点に立つのは百獣の王と呼ばれるライオンの獣人だ。
寮長であるレオナは、ラギーの出身国である夕焼けの草原の第二王子でもある。
天上と見まごう王宮で生まれ、裕福に育ったライオン。最低といっても過言ではないスラム街で、地を這うように生きてきたハイエナ。
彼と自分は何もかもが正反対で、決して交わることのない存在であると思っていた。そんな相手に声を掛けられ、ラギーは大きな目を丸くした。
「…………何か用ッスか?」
薄汚いハイエナに声を掛けるなんて、何かあるに決まっている。まさか、悪事が彼の耳にも届いたのだろうか。
やましいことがあるラギーは、胡乱な目でレオナを見つめた。
「お前、最近妙な匂いがしているのには気付いているか?」
「妙な匂い……?」
予想もしなかった返答に、ラギーは目を瞬かせた。そして、質問の内容に覚えのなかった彼は、不思議そうに首をかしげた。
獣人である彼らは、人間よりも五感に優れている。何かしらの異臭がすれば、誰よりも早く気が付く自信があった。分からない、と首を振るラギーに、レオナが肩を竦める。
「鉄の匂いだ」
けだるげに告げられた言葉に、ラギーは心臓が捕まれたような心地になった。鉄の匂いならば、心当たりがあった。匂いの出所は、例の刃物だ。
匂い消しまで使って、完璧に隠し通せていると思っていたのに。
「お前、何を隠し持ってる?」
探るような、けれど確信を持った目で見つめられ、ラギーは後ろめたさと反発心が混ざり合った瞳でレオナを見上げた。
何かしらものが無くなったとき、事件が起こったとき、真っ先に疑われるのはいつだってハイエナである自分達だった。彼が何の確証を持ってラギーに声を掛けたのかは分からないが、それがもし、“ラギーがハイエナであるから”という理由だけで自分に声を掛けたならば、それは耐えがたいことだった。
「何のことッスか? 言いがかりはやめて欲しいんスけど」
「言いがかりだぁ? 獣人の鼻を誤魔化せると思ってんのか? 匂いの元がお前であることくらい俺以外にも気付いてる。他の連中がお前に絡みに行く前に、優しい俺がわざわざ声を掛けてやったんだろ?」
酷薄な笑みを浮かべ、レオナが冷たい目でラギーを見下ろす。
「…………流石、王子様。余裕のあるお金持ちがお優しいってのは本当なんスね」
へらりと笑いつつ、その笑みの下では怒りと侮蔑が現れないように必死だった。
こんな風に誰かを気に掛ける余裕があるのなら、故郷のことを気に掛けてくれれば良いのに、と思ってしまう。夕焼けの草原のお偉いさん方は日の当たる場所にばかり目を向けて、薄暗がりで身を寄せ合って生きているラギー達には目も向けない。自分達のように生きることが精一杯で、他者を顧みる余裕も無いわけではないのに。彼らは綺麗なものしか見たくないのだ。
この王子様だってそうだ。これは自分を気に掛けているのではなく、自分の評価とか、誰かに対する忖度のために動いている。気に入らない、と腹の中がぐつぐつ煮える。
「でも、オレは一人でも対処出来るんで問題ないッスよ。その程度のこと、スラムでは日常茶飯事なんで」
「お前が良くてもこっちが良くねぇんだよ」
暗に関わらないでくれ、と告げたラギーの言葉は、鋭い一言で一刀両断された。
「お前が何をしたかは知らねぇが、この学園で異常事態が起きていやがる。お前がやったことが原因だ。お前は手を出しちゃいけねぇものに手を出しちまったんだよ」
そりゃあ、天下のアジーム家だもの、とラギーが内心で舌を出す。かの家を敵に回せば、経済に大打撃を与えられるだろう。
ああ、なるほど、とラギーは納得した。お国の経済が傾くのを気にしているのか。そりゃあ、お金は大事だもの、レオナが必死になるのも頷ける。
しかし、異常事態などには心当たりがない。言いがかりも甚だしい、と思わず本音が漏れそうになる。
「お前は気付いちゃいねぇのかもしれねぇが、それはおそらく東方の国に連なるものだ。謝罪なり何なりして、さっさと許しを請うてこい。でないとお前、死ぬぞ」
―――――ああ、本当に、どいつもこいつも嫌になる。
死が身近にあるのなんて今更だ。故郷のスラム街では、明日の命を繋ぎ止めることで精一杯だったのだから。
「そんなこと知るか」と吐き捨てて、ラギーは脱兎のごとく走り去った。