ジャミルの友達が姐さんだったら 17
異界の瘴気に当てられて、病院への入院を余儀なくされたヴィルは、ベッドに腰掛けながら窓の外を眺めていた。
四方を海に囲まれた賢者の島は、島のどこからでも海が見える。快晴の日には水面の反射で海全体がキラキラと輝き、美しい様相を見せてくれる。けれど普段学園内で過ごすことの多いナイトレイブンカレッジ生は、そんな景色をじっくり見る機会は、実はそんなに多くないのだ。もっと早く知っておけば良かったな、とヴィルは感嘆とも無念とも取れる息を漏らした。
彼は自身の瘴気耐性を上回る瘴気を有する異界に閉じ込められたため、依然として体調は優れない。瘴気の毒気が抜けきっていないのだ。そのため、ここ数日の間は、日がな一日ベッドに横たわっている状態が続いていた。けれど今日は、比較的体調が良い。こんな機会でも無ければ、無為な時間を過ごすことはないと分かっているから、これを機に日差しを浴びながら海を眺めるのも良いかもしれない。
(看護師さんに相談してみようかしら)
誰か近くに居ないだろうか、と立ち上がろうとした瞬間、病室の扉を叩く音が室内に響いた。
看護師だろうか。首を傾げながら返事を返すと、病室の扉が開く。入室してきたのは看護師ではなかった。その姿に、ヴィルが驚愕を顕わにする。
「こんにちは、ヴィル・シェーンハイトさん」
濡れ羽色の髪。オニキスのような漆黒の瞳。切れ長の瞳を持った、端整な顔立ち。少年とも少女ともつかない中性的な雰囲気を纏ったその人は、ヴィルと一つの約束を交わした相手だった。
「あ、アンタ、どうしてここに……」
「入院先がここだと伺いまして、お見舞いに」
「そう……」
どうやって入院先を知ったのだろう、と一瞬訝しむような視線を向けてしまうが、ナイトレイブンカレッジの教師陣と顔見知りである事を思い出す。彼等から情報を得たのだろう、と辺りを付けて納得した。そもそもこの人間は、空間の裂け目に手を入れ、出入り口を作り出してしまうような技術を持っているのだ。何をやってのけても可笑しくはない。
そんな人間から、「お見舞いの品です」と紙袋を渡される。お礼を言って受け取り、軽く中を見る。中身はかわいらしいフラワリウムとドライフルーツの詰め合わせだった。悪くないチョイスね、とヴィルの口元が綻んだ。
「あのときのお礼がまだだったわね。本当にありがとう。あのままあそこを彷徨っていたら、きっと心が壊れていた」
「はい。壊れてしまう前に発見できて良かったです」
「でも、命を助けて貰った上に、お見舞いまで貰っちゃって……。一体いくら請求されちゃうのかしら?」
「ふふ、学園からの依頼のついでにお助けしただけですので……。まぁ、お気持ち程度で構いませんよ」
「…………そういうのが一番高いのよ」
モデル兼俳優として世界的に活躍しているヴィルに、払えない金額というのは早々ないだろう。けれど、命や心の代価だと考えると、自身の全財産を差し出しても足りる気がしない。そもそもとして、価値の付けようがないのだ。命や心に替えられるものはないのだから。
ヴィルが珍しく、本気で困った顔をした。その途方に暮れた顔を見て、ツバキが淡く微笑む。
「ふふ、それでしたら、こちらからある程度の指定をさせていただきましょうか」
「………アタシに用意できるものなら」
「私、美味しいものに目がないんです。友達と食べるのにぴったりのおやつなんかをいただけると、とっても嬉しいのですけれど」
「…………釣り合いが取れるとは思えないのだけれど」
ヴィルが迷い込んでしまった異界は、Aランクを優に超えていた。それは魔力という鎧を持たない一般人ならば全滅の可能性がある瘴気濃度を誇る場所だ。このランク帯は魔法士でも滅多におらず、怪異や異界に対する専門家の最低ランクと言われている。ヴィルはギリギリAランクの瘴気耐性を獲得していたが、その日の体調や精神状態によってはあっという間に衰弱し、精神崩壊を招く。そんな危険地帯で、何でもないことのように命を救われてしまったのだ。それを『友達と食べるのにぴったりのおやつ』で手打ちにされてはたまらない。ヴィルが先程より難しい顔をすると、ツバキは口元に手を添えて小さく笑った。
「正当な報酬は受け取っていますから。それに、あれはお仕事の一環です。あまり高価なものを貰うと、袖の下を掴まされたのだろうと言われかねません。なので、おやつくらいで丁度良いのですよ」
「…………なるほどね。そういうことなら、飛びっ切り美味しいおやつを用意させて頂くわ。でも、どうやって渡せば良いのかしら?」
「用意できましたら、これに魔力を注いで突っ込んでください」
そう言って渡されたのは、魔法陣が描かれた一枚の紙だった。さっと見たところ、転移魔法の一種であることは窺えたが、その魔法陣の複雑怪奇なこと。ナイトレイブンカレッジでも優秀な成績を修めるヴィルでさえ、ほんの一部を読み解くのがやっとだった。
「これは……」
「使い捨ての
「そう……。あなた、優秀なのね」
「ふふ、それほどでも」
そう言って笑う顔は幼く見える。自分よりいくつか年下だろう、とヴィルは予想していたが、出来れば自分よりうんと年上であることを祈った。嘆息が漏れそうになるのを抑えつつ、アレルギーの有無と食べられないものを聞く。恩人と、その友人の食の好みをある程度把握して、ヴィルはいくつかのスイーツ店をピックアップした。あとは実際に足を運んで、自分の舌で確かめて選ぶことを決めた。カロリーが気になるところであったが、命の代価に比べれば、その後のトレーニングや食事制限など屁でもない。
「楽しみにしていますね」
「ええ、必ず満足させてあげるわ」
自信たっぷりにヴィルが微笑む。勝ち気な笑みが何とも彼らしく、とても絵になっていた。
「そうだわ。自己紹介がまだだった。もう知っているようだけれど、ヴィル・シェーンハイトよ」
「私はツバキ・サニワです。どうぞ、よしなに」
自己紹介を経て、二つ三つほど世間話をして、ツバキはあっさり暇を告げた。ヴィルは引き留めるようなことはせず、改めて礼を言って風になびく黒髪を見送った。
手に持ったままになっていたお見舞い品を改めて眺める。淡い紫色にまとめられたフラワリウムは美しく、ヴィル好みの一品だった。チョイスもセンスも悪くない。これはお返しの選び甲斐がある、とヴィルの口角が上がる。
「…………そう言えばあの子、女の子だったのね」
ベッドサイドに飾ったフラワリウムを指先で撫でながら、ヴィルがぽつりと呟いた。
強い女性は好ましいが、女の子に守られたことに、ほんの少しだけプライドを刺激されてしまったのである。