ジャミルの友達が姐さんだったら 2
値打ちものと思わしきものを手に入れたラギー・ブッチは、鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌さだった。その足取りは軽く、弾んでいるようにさえ見える。
彼は盗みを働いた。彼はスラムの出身で、金目のものなど何も持っておらず、制服を買うことすらままならなかったからだ。
盗んだ相手は、天下のアジーム家の嫡男。カリム・アルアジームである。本当は財布でも盗もうと思っていたのだが、彼が懐に、財布よりもよほど大事そうに忍ばせているものがあることに気付いたのだ。それは見たこともない刃物の類いであったが、彼が大事に扱っているところを見るに、ただの護身用の武器ではないだろう。
もちろん、盗んだことがバレたときのリスクも考えた。しかし、カリムとの直接の付き合いはないが、彼の様子を観察するに、酷くおおらかな人間性を有しているのが見て取れた。大抵のことは笑って許し、怒ったところなど見たことがない。また、彼は周囲にものを与えることに戸惑いがなかった。だから、彼であれば、スリを行ったことがバレても、自身の出自を出汁にすれば見逃して貰えると思ったのだ。
ラギーは早速換金することを考えたが、彼は質屋などに縁が無く、きちんとした査定を行ってくれる店への伝手もない。そのため、ラギーが換金先に選んだのは、学園内に存在する購買だった。
ミステリーショップと呼ばれる購買部は、サムという男が店主を勤めている。この店は生卵から魔法石まで取り扱っており、予知能力があるのではないかと疑われるほどに、客のニーズに応えてくれる。また、珍しいものを持ち込めば買い取ってくれたりもするので、金欠の生徒達には欠かせない場所だった。
「サムさーん、こんにちはー!」
「やぁ、小鬼ちゃん。いらっしゃい。今日は何をご所望かな?」
「今日は買い取りをして欲しいんスよ! これの査定をして欲しくって」
そう言って取り出した刃物をカウンターに置く。白を基調とした鞘に収められた刃物が、ゴトリと音を立てる。
真っ白な見た目をした刃物は、どこか気品を感じさせる。何やら花びらのようなものも描かれていて、美術品としての価値もありそうな一品だ。流石はアジーム家が所有するものだと、ラギーは改めて実感する。少しばかり、手放すのが惜しいほどだ。
「…………小鬼ちゃん、これを一体どこで?」
驚愕を滲ませた声を聞いて、やはり値打ちものか、とラギーがほくそ笑む。
しかし、人好きのする笑みを浮かべてサムを見上げると、サムは今までに見たこともない表情を浮かべていた。
サムの顔は険しかった。困惑と憤慨、ほんの少しの恐怖。それらが一度に現れて、一つに定まらないようだった。
何故そのような顔をしているのだろう、と考えて、これが盗品であることがバレたのではないかと思い至る。他国にまでその名を轟かせるような大富豪。持ち物だって名のある品である可能性が高い。
サムはラギーがスラムの出身であることを知っている。アジーム家が所持しているような高価なものを手に入れられるはずがないことも。そうであるからして、ラギーが持ち込んだものは盗品である可能性が高く、それを取り扱うと言うことは犯罪の片棒を担がされることに等しいのだ。そのように考えたラギーは、焦りを内面だけに留め、いつも通りの笑みを浮かべる。
「なぁんか勘違いしてません? これはもらい物ッスよぉ。新しいものが手に入ったから、古いものは要らないんですって。要らないって言うから、譲って貰ったんスよ」
ホント、羨ましい限りッスね、とラギーが棘を滲ませた言葉を吐き出す。
カリムとはあまり関わりを持たないラギーだが、彼がものに執着する姿を見たことがない。すぐに替えが手に入り、欲しいものは何でも得てきた証拠だろう。望めば望むだけ手に入ったから、一つのものに執着する必要が無いのだ。
きっと、サムの店に持ち込んだ刃物だって、新しいものが手に入ればすぐに興味を失せさせるだろう。数日後には、そんなものもあったかな、と太陽のように笑うのだ。その顔が容易に想像できたラギーは、心の中でありったけの悪態をついた。
「いいや、それはあり得ないね」
けれど、そんなラギーの見解を、サムはあっさりと切り捨てる。絶対にあり得ないことだと、その固い声は断言していた。
「…………何でそう言い切れるんスか?」
欲しいものは何でも手に入って、替えなどいくらでも用意されていて、満たされているはずなのに。一つのものに固執する必要など無いはずなのに。
「これはそんなホイホイ手に入るような代物じゃない。持ち主はそれをよく分かっている子だ」
きっと相手を分かっているはずなのに。それでもサムは首を横に振った。
「そもそもこれは、新しいものが手に入ったから手放す、なんて扱いは出来ない。それは命を投げ出すに等しい行為だからね」
手に触れるのも烏滸がましいといった様子で、ラギーがカウンターに取り出した刃物に布をあてがう。傷付けないように慎重に手に取って、恭しくラギーに差し出した。
「悪いことは言わないから、持ち主にきちんと返すんだ」
硬い表情は依然として変わらない。
商売柄か、サムはいつも明るく機嫌良く、常に笑みを絶やさない。そんなサムが、見たこともない表情でラギーを見つめていた。それがどのような意味を持つのか。サムとは短い付き合いだが、それが非情に珍しいことであり、相当に拙い事態でもないと見られないものであるというのは、何となく察しがついた。
けれど、ラギーを誇らしげに見送ってくれた祖母や、ラギーと離れたくないといって泣いた幼子達を思い浮かべれば、自首など出来ない。
(だったら盗みなんて働くなって? 金があったらそんなことしねぇっつの)
ラギーはサムが差し出した純白の刃物をひっつかんで、サムを振り返ることなく店を飛び出した。
質屋に伝手などないけれど、購買部で買い取って貰えないならば、学外で店を探すほか無い。けれど、何も収穫がないわけでは無かった。二束三文で売り払って良いような代物ではないことだけは分かったから、ぼったくられることはないだろう。そう思って気を取り直し、ラギーは何事もなかったような顔をして、雑踏の中に紛れ込んだ。