ジャミルの友達が姐さんだったら






 それはジャミル・バイパーが6歳を迎えた年のことである。エレメンタリースクールの入学式にて、彼は生涯長い付き合いになる友人との出会いを果たした。
 その人物は同じクラスの女子生徒で、ジャミルの左隣の席だった。
 少女は自己紹介の折、ツバキ・サニワと名乗った。
 ピカピカに磨いた石のような艶やかな黒髪。オニキスを填め込んだような漆黒の瞳。黄色みがかった白い肌。彼女は異国からの留学生で、名前の響きも、肌の色も、熱砂の国では珍しい人間だった。
 熱砂の国の絹の街。ここは熱砂の国の中心部に位置しており、観光地として国内外問わず人気が高い。観光都市として発展しているため、様々な国から訪れる人を見る機会が多いけれど、その中でも滅多に見ない容姿だった。
 ジャミルも同じように黒髪だが、彼の髪は光に当てると、ほんのりと赤みが混じっているように見える。しかし、ツバキの髪は光を受けても尚、黒く輝く。光を纏う、吸い込まれそうな美しい黒。
 ―――――日の光に焼かれて、変わってしまったりしないかな。そんな風に心配してしまうくらい、彼女の黒髪は珍しいものであり、また美しかった。
 特別目立つ容姿でもないのに、それでも彼女は酷く人目を惹く人間だった。珍しい色合いはもちろんのこと、名のある家の出身だと言われても納得してしまうような凜とした佇まい。堂々とした立ち振る舞いや丁寧な所作も、人の目を惹く要素だった。
 そんな彼女は、幼いジャミルの好奇心を刺激して止まなかった。


「なぁ、」
「うん?」
「サニワ、だっけ」


 授業前の休み時間。席について、次の授業の準備をしていたツバキに、ジャミルは思い切って声を掛けた。


「ああ。君はバイパーだったな」
「ジャミルで良いよ。聞きたいんだけど、東方の国ってどこにあるんだ?」
「私もツバキで良いよ。東方の国は熱砂の国から海を渡って、東の果てにある」
「東の端っこってこと?」


 ツバキが机の中から歴史の教科書を取り出す。その一番後ろのページには世界地図が載っており、彼女はそのページを開いて見せた。
 白い指が、熱砂の国を示す。そこから東に向かって指を滑らせる。東、と記されたページの隅。そのすぐそばでツバキは指を止めた。そこに、小さな島国が浮かんでいる。


「…………本当に端っこなんだな」
「ああ。極東、とも言われている。私は世界の最東端から、海を渡って、大陸を越えて、ここに来たんだ」


 今度は、東方の国から熱砂の国までを指をなぞる。それまでの道のりには海があって、いくつもの国があって、地図上ではごく近くに見えるけれど、現実ではきっと果てしない距離なのだろう。とんでもなく大変な長旅になるのだろう。


「どうして熱砂の国に来たんだ? 東方の国の学校には入れなかったのか?」


 子供らしい無遠慮さで、ジャミルが質問を重ねる。
 故郷から遠く離れて、全く見知らぬ土地で暮らすというのは、きっととても大変なことだろうに。慣れ親しんだ場所で、そのまま暮らしていく方がずっと簡単なことのはずなのに。どうして、と黒曜石の瞳を瞬かせる。そんなジャミルに、ツバキは淡く微笑んだ。


「東方の国で学んでも良かったんだけど、世界を知りたかったんだ」
「世界を、知る?」
「ああ。世界は、広いだろう? 東方の国にはないものを見て、様々なものに触れて、祖国では出来ないような経験をして、自分がちっぽけな存在であることを、改めて確認したかったんだ。私を知る者なんて誰もいない、遠いところで」


 ―――――そうして、自分が驕ることのないように。誤った道を進まぬように。そのようになったとき、首を落としてくれる者はいないのだから。
 ツバキの口の中だけで呟かれた言葉はジャミルには届かなかった。彼も、ツバキが誰のためでもない言葉を落としたことに気付かなかった。


「自分が何者にも成れることを知るために。自分が、自分であることを知るために」


 一度目を伏せて、再度ジャミルを見つめて発せられた言葉は、ジャミルの胸にまっすぐ届いた。
 そのときのまっすぐに伸びた背筋が大人びて見えて、真剣な眼差しが格好良くて、幼いながらに、ジャミルは酷く憧れた。

 ジャミルが“世界”というものに興味を持ったのは、このときの言葉がきっかけである。
 幼い彼にとって、世界とは家族を中心に回っているもので、それ以外の全てを“外の世界”として認識していた。
 彼の言う“外の世界”とは自分の家が仕えるアジーム家であり、幼い彼にはそれがこの世の全てだった。
 少し成長して、学校というものに入学して、家や職場から離れたことで、世界がもう少しだけ大きいことを、彼は初めて知ったところだったのだ。
 もちろん、海の向こうにも国があって、たくさんの人々が暮らしていると言うことは知っている。けれどそれは、彼にとって酷く遠い世界のことだったのだ。自分には一生縁の無いものとして捉えるくらいに。

 世界の果てからやってきた少女は言うのだ。世界は広いのだと。果てしないのだと。自分という存在は、ちっぽけな生き物であるのだと。
 けれど、そんな世界を知るために、海を越え、大陸を横断することが可能なのだと。自分を知る者なんていないような場所に来られるのだと。そうやって、世界が果てしなく広がっていることを、自分の目で確かめることが出来るのだと。彼女はその身をもって証明していた。自分と同じ、たった6歳の少女であるツバキが、そうして熱砂の国にやってきたのだ。

 彼女の言葉を聞いたとき、目から鱗が落ちるような心地がした。このときまで彼は、外の世界というものを上手く捉えることが出来なくて。海の向こう側に住まう人々のことなど考えたこともなくて。まだまだ自分の知らないものがあるのだと、そう言うものに興味関心を向けたことがなかったのだ。
 けれどツバキの言葉で、海の向こう側にも世界は広がっていて、それが子供だましに作られた空想上のものとして捉えていたものが、全て現実として広がっていると言うことを、彼はようやっと理解した。

 ―――――いつか、世界を見てみたい。自分を知る者は誰もいないような、そんな場所に行ってみたい。
 そして彼は、自分の可能性を知りたいと願った。ツバキの言うように、何者にだって成れるのだと、他でもない自分に証明してやるのだ、と。
 こうしてジャミルはツバキとの出会いによって、夢というものを与えられたのだ。







 そんな出会いから約10年。ミドルスクールを卒業する年のことである。本来ならば東方の国に帰る予定だったツバキが留学を延期し、ジャミルと共に卒業を迎えることとなり、感慨深い思いが胸を締める。
 けれど、ミドルスクールを卒業しても、ツバキは東方の国に帰還するつもりはないようだった。ひらり、と一枚の封書を手に、彼女はジャミルに笑いかけた。


「どうやら、私達の縁は、まだまだ続いていくようだ」


 彼女が持っていたのは、ロイヤルソードアカデミーの入学案内であった。その純白の用紙を見て、ジャミルもにやりと口角を上げる。ジャミルは彼女とは真逆の、漆黒の用紙をツバキに見せた。ナイトレイブンカレッジの入学案内である。
 それら二つは、辺境の地に存在する島国―――――賢者の島に設けられた魔法士養成学校である。“素質あり”と判断された優秀な魔法士の卵のみが入学できる世界有数の教育機関で、魔法士を志す少年少女達の憧れの学び舎。そんな学園から、二人は“素質あり”として入学届を受け取ったのである。

 ロイヤルソードアカデミーとナイトレイブンカレッジ。賢者の島の両端に建てられた、白と黒の学園。
 通う学園は異なるものの、同じ賢者の島に存在する学び舎だ。会おうと思えばいつでも会える距離だった。
 寂しさなんてちっともなくて、これからも馬鹿をやって、腹を抱えて笑い合うことが出来るのだと思うと、カレッジ入学が楽しみで仕方ない。


「「これからも末永くよろしく」」


 二人は握った拳をぶつけ合い、満面の笑みを浮かべた。
 少年少女の未来は、眩いばかりに輝いていた。




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