ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編 4
天から降り注ぐ日差しを浴びながら、ツバキは陽光の国のとある街を歩いていた。彼女が歩くのは群青の街。エメラルド色に輝く海は澄み切っており、海の底まで透き通っている。断崖絶壁が続く地形は自然の力強さを示すようで、畏怖の念を抱いてしまう。白亜の壁が続く街並みは、いつまでも見ていられるほどに美しい。『世界一美しい海岸線』と呼ばれるのも納得のいく光景が続いていた。
ツバキがこの街に来た理由は、審神者としての仕事の一環であった。
審神者とは本来、受けた神託を解釈して伝えることだ。しかし、魔法が発展したことによって仕事の幅が広がり、現在の審神者は神と語らう以外にも、たくさんの役割を持っていた。そのうちの一つが、神の御用聞きである。ツバキは今回、とある神の願いを叶えるために、この国に足を運んだのだ。
海岸沿いの狭い土地に作られた街は道幅が狭く、曲がりくねっている。そのため馬車での移動がポピュラーであったが、ツバキは馬車には乗らず、ゆったりとした歩調で坂を登っていた。
美しい景色にのんびりとした空気感。立ち並ぶ店を、穏やかに笑みを浮かべる人々が彩っている。楽しげな話し声が耳に心地良く、自然と笑みが浮かぶ。リゾート地としても人気の高い群青の街は、『美しいものが見たい』という神の願いを叶えるのにぴったりの場所だった。
心地良い海風が髪を浚っていく。日差しの強い陽光の国の気候に合わせて被ったつばの広い麦わら帽子を押さえながら、ツバキは海を眺めた。太陽の光を反射する水面がキラキラと輝き、目に眩しい。祖国と色味の違う海を楽しみながら、ツバキは目的地へと足を動かした。
長い坂道を登り切り、着いたのは『シーグラス・パーク』。陽光の国でも最大級の広さを誇る公園で、観光客はもちろん、地元民にも愛される憩いの場であった。この場所から見える景色は格別だという噂をもとに登り切ったが、それは真実だった。公園から一望した群青の街は、息を呑むほど美しかった。青い海とカラフルな屋根を持つ白亜の街並みが、まるでお伽噺の世界を現実に持ってきたような光景だった。
「凄い……」
―――――なんて美しいのだろう。自然と、群青の街を讃える言葉と共に感嘆の息が漏れた。
いつまでも見ていられるような、夢のような景色を存分に楽しみ、ツバキは公園内の散策に移った。公園内には観光客だけでなく、群青の街に住まう住民達も大勢居た。おしゃべりに興じる婦人達。ランニングに精を出す男性。特によく目に付いたのは、犬を連れ歩く人々だった。
国や地域によって、縁起の良い動物や人気の高いペットは異なる。東方の国は白い動物は神の使いであることが多く、縁起の良いものとされている。熱砂の国は砂漠の魔術師の相棒が赤いオウムであったことから鳥類が人気だ。群青の街では犬がそれらに値する生き物なのだろう。すれ違う度にツバキに関心を示す犬たちに微笑みかけながら歩いていると、東方の国では珍しい種類の大型犬にじゃれつかれ、ツバキは足を止めた。
「ごめんなさいね。犬はお好き?」
「はい、好きです」
「なら良かったわ」
ツバキの匂いを嗅いで不思議そうに首を傾げる犬の飼い主は、柔らかい雰囲気を持つ老婦人だった。飼い主の女性に許可を貰い、毛足の長い犬を撫でさせて貰う。ふわふわともさらさらともつかない手触りが、何とも癖になりそうだった。
「犬を連れている方が多いですね」
「ああ、それはね。人魚姫と結婚した王子様が、犬をとても大切にしていたという逸話があるからなのよ」
「そんなお話があるんですね。初めて聞きました」
「ええ。飼い犬が溺れそうになったとき、危険を顧みずに海に飛び込んだと言い伝えられていてね。その勇気ある行動が人々の心を震わせ、群青の街では犬を飼う人が多いのよ」
「なるほど。素敵な理由ですね」
「あと、単純に犬がかわいいから、きっとそれも理由だわ」
「確かに、人懐っこくてかわいいです」
ツバキの手のひらに鼻先を押し付けてくる犬に頬を緩ませると、婦人も嬉しそうに笑った。
二、三世間話を交わし、ツバキが別れを告げる。
「色々教えてくれてありがとうございます」
「いいのよ。こちらこそ、お話相手になってくれてありがとうね。是非、群青の街を楽しんでいってちょうだい」
「もう十分楽しませて貰っています」
「それは何よりだわ」
最後に犬を一撫でして、ツバキは老婦人と別れた。その足で、シーグラス・パークを後にする。その先にあったのは、『パート・イン・プラザ』だ。こちらも群青の街の人々の憩いの場で、人通りも多く賑やかだ。人形劇を披露している一角もある。自由に参加出来るようで、立ち見客の中から飛び入りで参加する者もチラホラ見受けられた。祖国との違いを楽しみながら、土産物屋を冷やかす。タイルで出来た雑貨が並ぶ雑貨屋。陶磁器で出来た商品が飾られた焼き物屋。古いタイプの望遠鏡を売っている店や、馬に関連した商品を取り扱った店も多く見られた。
「ふふ、素敵な街だな」
そっと、右目の目元を撫でる。日差しを受けているためか、その瞳は松葉色に見えた。
ふと顔を向けた先に、海に浮かぶ白い船が見えた。甲板には正装した人々がいるのが窺える。距離があるために、どのような催しなのかは分からない。けれど、真っ白な花で飾られた大きな船は、きっと慶事のためのものだ。
「綺麗な船だな」
「あれは船上結婚式だよ」
何かのパーティだろうか。ツバキが白い船に目を奪われていると、近くの土産物屋の主人が人の良い笑みを浮かべた。
「聞いたことはありますが、見るのは初めてです。群青の街では船上結婚式が多いのですか?」
「あれは特別さ。この辺は海の魔女の逸話が多く残っていてね。彼女に付き従っていたウツボの逸話は知っているかい?」
「いくつかは。けれど、詳しいわけではないので、お教え頂けると助かります」
「種族違いの恋をした人魚に愛の試練を与え、想い人との絆を深めさせたと言う逸話があるんだ。恋人達の乗ったボートを転覆させた話なんだけれど」
「それなら知っています。陸の王子と恋をした人魚のお話ですよね。確か、デートで手漕ぎボートに乗ったとき、ウツボ達がボートを揺らして転覆させ、そのおかげで二人の絆が深まったという」
「お、詳しいねぇ。その言い伝えから『エタニティ・フロート』と言う風習が生まれたんだけどね。セレモニーで逸話を再現するのさ」
「つまり、手漕ぎボートに乗り込んで、ウツボにボートを転覆させると言うことですか?」
逸話の再現と聞いて、ツバキが目を瞠る。色味の違う瞳を瞬かせると、店主が豪快に笑った。
「はは、それが出来たら一番良いんだろうけどね。ウツボの人魚だって早々いないから、招待客がウツボ役を務めて、みんなで水を掛けたりするんだよ」
「ああ、なるほど……」
「この逸話に憧れる人魚が多くてね。あの恋人達も、エタニティ・フロートに憧れた一組というわけさ」
「セレモニーの流れで、そのまま船上結婚式をするのですね」
「そういうことだね」
「ありがとうございます。勉強になりました」
「良いってことよ」
店に戻っていった店主の背中を目で追い、再度海に目を向ける。松葉色に染まった右目にもう一度手をやって、ツバキは魔法石を取りだした。箒を呼び出し、ひらりとまたがる。地面を蹴って、空へと飛び上がった。
カモメと併走しながら海へと向かう。結婚式の邪魔にならないよう、十分な距離を取って、ツバキは海の上を旋回した。純白に身を包んだ新郎新婦。幸せに笑み崩れる人々。美しい花々で彩られた白い船は、二人の門出を祝って輝いている。遠くからそっと見守る椿の顔にも、自然と笑みが浮かぶほどにまばゆい光景だった。
美しい光景をしばらく眺め、誰にも気付かれないようにそっと距離を取る。折角海に来たのだから、としばらく会場を飛び回ることに決め、ツバキはそのまま水面の上を飛び回った。
魚を捕るカモメ。何処かを目指す渡り鳥。仲良く並んで泳ぐイルカの親子。港町ならではの光景を楽しみ、ツバキは群青の街へと踵を返した。その途中、手漕ぎボートが一艘。漕ぎ手に見覚えがある気がして、ツバキは箒のスピードを緩めた。頭上に影が掛かったことでツバキの存在に気付いたのか、漕ぎ手が顔を上げる。相手の青年は一瞬目を瞠って、すぐに笑みを浮かべた。
「やぁ、マドモワゼル・ヴェリテ! 久しぶりだね」
「こんにちは、ハント先輩。陽光の国で顔を合わせるなんて、凄い偶然ですね」
「ノン! これは運命の出会いさ!」
そう言って青年―――――ルーク・ハントはこの出会いに感激し、謳うように言葉を紡いだ。そこから怒濤の勢いで頭から爪先までを褒め称えられ、ツバキは思わず苦笑する。讃美は確かに嬉しいけれど、度が過ぎれば困ってしまうのだ。讃美の中に松葉色に染まった右目を指摘する言葉もあったけれど、それについては曖昧に笑ってお茶を濁した。
「ハント先輩も良くお似合いですよ。海鳥のネックレスが素敵ですね」
「ふふ、私も気に入っているよ。素敵なご婦人に選んで頂いたんだ」
そう言って、彼は実に楽しげに笑った。
「そう言えば、何故、陽光の国に?」
「実はジェイドくんに誘われて、明日の結婚式のセレモニーのお手伝いをすることになってね」
「エタニティ・フロートの?」
「おや、知っているのかい? そうとも! 麗しの新郎新婦の門出を祝う重大な役目を仰せつかってね」
大ぶりな動作で喜びや感嘆を現わす仕草は、さながら舞台俳優のようだった。けれどそれが嫌味ではなく、随分と様になっている。よく「考えが読めない」と言われるツバキは、こんな風に巧みに感情を表すルークに一種の尊敬を抱いた。国民性故仕方ないとは言え、相手に自分の心が伝わらないのは寂しい。見習うべきかと悩むも、思考を悟らせないのは立場上デメリットにはならないと思い直す。一瞬浮かんだ悩みを打ち消して、ツバキは先程仕入れたばかりの情報に関心を向けた。
「もしかして、ウツボ役を?」
「そうさ! 今から楽しみで仕方ないよ!」
「お二人でウツボ役を為さるんですか?」
「いいや。私とジェイドくん、リドルくんとマレウスくんも一緒さ。監督生くんとグリムくんも撮影係を務めることになっていてね」
「随分な大所帯で……」
思ったよりも大人数で目を瞬かせる。全員でウツボ役をやったら、容易く船が転覆させられてしまうだろう。むしろ、マレウスや人魚たるジェイドがいるのだから、些か過剰に感じられた。
「そういう君は、どうしてここに?」
「所用で少し。美しいものを見るために」
「それはいいね! この町は美しいもので溢れているから、その目的で来たのならぴったりの場所だよ」
「ええ、そのようで」
どんな国に赴いても、その国ならではの美しさというのは必ず存在するものだ。この国の魅力はエメラルド色の海、豊かな幸、大自然の中に佇む白亜の街並みにあるだろう。もっと色々な場所を見て回れば、また違った魅力に気付くことが出来るはずだ。
今回の件は半分旅行のようなものであったが、仕事は仕事だ。「美しいものを見たい」という神の願いに応えるために、ツバキは群青の街に来たのだから。
「時間はあるかい? もう少し君との逢瀬を楽しみたいんだ」
「構いませんよ。急ぎの用はありませんから」
ひょい、と軽い動作で箒を降りる。ぎょっとしたルークがマジカルペンに手を伸ばすも、それより先にツバキが魔法を使った。ちゃぷ、と僅かな水音を立てて、ツバキは水面に着地した。
「…………見事な魔力操作だ。不安定な、足場とも言えない場所に難なく立つなんて」
「ありがとうございます。修行の成果です」
「波打つ水面を地面のように捉える緻密な魔力操作。それを可能にした想像を絶する努力……。凄まじい研鑽を積んだのが窺えて、私は感嘆を禁じ得ないよ……!」
感極まったような、高揚を抑えられない声。頬を上気させ、キラキラとハンターグリーンの瞳を輝かせている。心からの賞賛だと分かる言葉にツバキも笑みを浮かべ、改めて礼を述べる。それから二人は近況を語り、陽光の国の感想を述べながら、少し遠回りをして海岸へと戻った。
ルークにジェイド達と合流しないかと誘われたものの、旅行にしか見えなくとも、ツバキは仕事中だ。神の意見が優先されるべきであり、神は海岸に帰ってくる途中に気になるものを見掛けたという。そちらを見たいという旨を伝えられていたため、二人は海岸に戻った時点で別れた。
『――――――――――』
「はい。明日も幸せへの門出を祝う催しがございます」
『――――――――――』
「はい、もちろんです。きっと彼等なら、エタニティ・フロートを成功させますよ」
是非、見学させて頂きましょうね。ツバキがそう言って目元を撫でると、嬉しそうな返事が聞こえた。