ジャミルの友達が姐さんだったら 15






 全てのものと仲良くなんて不可能だ。そんなものは世間知らずが垂れる、ただの理想論だ。そんなことが可能なら、争いなんてものは起こらない。けれど、シュワルツ・オベールはそれを信じている。そんな奇跡のような世迷い言を、実現出来るのだと。故にシュワルツは、目の前に現れた異形とも、心を通わせることが出来ると、心の底から思っていた。
 ぶよぶよとした、肉の塊のようなソレ。赤みの強い桃色の身体。子供が作った砂山のような、不格好で緩やかな三角形。所々から細い管のような触手が生えており、ゆらゆらと意味もなく揺れている。


「縺ェ縺ォ?溘??縺ェ縺ォ?溘??莠コ髢難シ溘??莠コ髢難シ」


 三角形の頭頂部付近には、口のような穴があった。その穴から、甲高い音のようなものが漏れる。音割れしたような高音は、人間の耳には不快極まりないものだった。その上、化け物は何を言っているのか、まったく検討も付かない言語を用いている。普通の人間なら、不気味に思い、恐怖で戦きながら逃げ出すだろう。けれど、シュワルツはそうしなかった。


「は、初めまして。僕はシュワルツ・オベールだよ」


 恐怖心が無いわけではなかった。けれど、相手は敵意を見せることなく、興味津々でシュワルツを見つめている、ような気がするのだ。目のような器官が見当たらないので、触手のようなものがシュワルツを探知しているのだろう。ふらふら、ゆらゆら。意味もなく、けれど確かに、そこにシュワルツが居ると分かって揺れていた。何本かの触手が、先端をシュワルツに向けて揺れているのだ。
 顔の近くを漂う触手に向け、シュワルツが手を差し出す。触手が、初めて意味のある動きを見せた。探るような、訝しるような動き。


「握手しよう。よろしくね」
「縺ェ縺ォ?溘??縺ェ縺ォ?溘??縺上l繧九??溘??縺上l繧九??」
「握手が分からないのかな? 手を握り合うんだよ」


 にこにこと屈託ない笑みを浮かべて、シュワルツが目の前の触手を握った。触手は一度ビクリと身を震わせたが、それ以上の反応は示さない。三角形の頭頂部が、ぐりん、と横に倒れた。それは人が首を傾げる仕草に似ているような気がした。


「縺上l繧九??溘??縺上l繧九??溘??蜷帙?縺薙→縲∝ヵ縺ォ縺上l繧九??」
「何て言っているんだろう? 挨拶してくれているのかな?」
「縺ェ繧牙ヵ縺ョ?√??莉翫°繧牙ヵ縺ョ?√??蜒輔??√??蜒輔??√??蜒輔???シ?シ」
「ふふ、何て言っているのか分からないけど、喜んでくれているみたいだね」


 ―――――ほら、やっぱり。例え言葉は通じなくても、心を通じ合わせることは出来るんだ。
 喜色を現わす化け物に、シュワルツが微笑みかける。心の底から化け物を信じる姿は、酷く歪だが美しい。
 唐突に、ぐい、と腕を引かれた。「えっ?」と声を上げて驚くも、肉の塊のような異形はシュワルツを掴んで離さない。シュワルツを引き摺るようにして、ずるずるとどこかへ向かおうとする。


「ど、どこか連れて行きたい場所があるのかい?」
「蟶ー繧阪≧?√??蟶ー繧阪≧?√??陦後%縺?シ√??陦後%縺?シ」
「で、でも、もう夕方だし……。あ、明日にしない?」


 頭の中で、警鐘が鳴り響く。引っ込んだはずの恐怖心が、再び顔を覗かせた。
 その恐怖心が、抵抗を見せた。ほんの少しだけ、拒絶するように腕を引いたのだ。すると、腕に絡みついていた触手が、シュワルツの腕を捻り上げるように締め付ける。肉に食い込み、骨が軋む。あまりの痛みに、シュワルツの口から悲鳴が漏れた。


「い、痛いよ……! もう少し緩めて! お願いだから!」
「縺ゥ縺楢。後¥縺ョ?溘??縺ゥ縺薙↓陦後%縺?→縺励※縺?k縺ョ?溘??繧ゅ≧蜒輔??√??蜷帙?∝ヵ縺ョ?√??蜒輔?繧ゅ??√??蜒輔?繧ゅ???シ?シ」
「わ、分かったから! ついていくから! お願いだから締め上げないで!!」


 シュワルツが抵抗をやめると、異形は満足そうに触手に込めていた力を緩め、ずるずると身体を引き摺るようにして歩き出した。シュワルツは逃げ出したい気持ちを必死に抑え、震える足を叱咤しながら肉塊の後を追う。
 ああ、どこに行こうというのだろう。そもそもここは、一体どこなのだろう。うっそうとした木々が生い茂る場所。ロイヤルソードアカデミーの周辺に、そのような場所はない。島の反対側に位置しているナイトレイブンカレッジの周辺が、そのようになっていたことを思い出す。けれど、そんな場所にまで足を運んだ覚えはない。―――――ならば、ここは一体どこなんだ? そもそも、何故自分はこのような場所に居るんだ?
 己が覚えのない場所に居て、そのことを自覚するまで、そのような事態を可笑しいことだとすら思わなかった。明らかな異常事態だ。足下から、恐怖が迫り上がってくる。
 目の前の異形が、そのような魔法を施したのだろうか。この異形は、友好的な存在ではないのだろうか。


(いや、彼がやったという証拠はないのだし、決めつけてはいけないよね。それに、彼がやったのだとしても、きっと理由があったんだ。さっきだって、僕が帰ろうとしたら必死になって引き留めていたじゃないか。何か困っていることがあって、僕が帰ると困ってしまうんだよ)


 無理矢理己を納得させて、震える足を再度叱咤する。折れてしまいそうな心を奮い立たせ、シュワルツは前を向いた。
 触手を持つ肉塊の後を歩きながら、周囲を見回す。草木の生い茂る森は薄暗くて、ほんの少し気味が悪い。僅かに湿った地面は所々ぬかるんでいて、苔むした根っこの上を歩くと、思わず転んでしまいそうなくらいに足場が悪かった。―――――こんなところに、一体何の用があるというのだろう。
 ぬかるみや苔に足を取られそうになりながら、必死で異形の後を追う。どれくらいの時間が経っただろう。どこまで進んで行くのだろう。肩で息をしながら、そう問い掛けようとしたとき、ようやく肉塊が足を止めた。
 着いた先は洞窟だった。緩やかな下り坂を描く、ゴツゴツとした岩肌の洞窟だ。地面は比較的平らな岩が多かったが、足の置き場を間違えれば、簡単に足を取られてしまいそうだった。鍾乳洞のような、垂れ下がったような岩が天上を埋め尽くしている。色合いは様々で、苔色のものもあれば、珊瑚色のような色の岩もある。一見すると美しいが、なんとも言えない奇妙さも併せ持ち、シュワルツは怖気を感じた。
 異形は、更に先へとシュワルツを導こうとしている。洞窟の奥へと目を向けて、シュワルツは「ひっ」と思わず悲鳴を上げた。苔色から淡い珊瑚色へとグラデーションを描く洞窟。その更に奥は、異形よりも深い肉色をしていた。それは何だか、怪物の腹の中のようで―――――。


「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 たまらず、シュワルツは絶叫した。もう、彼の心に慈悲はなかった。あるのは優しさや博愛を呑み込むような恐怖だけ。渾身の力で触手を振り払い、来た道を駆け戻る。彼は、そうしようとした。けれど、そうすることが出来なかった。いつの間にか伸びていた触手に足を絡め取られ、シュワルツが倒れ伏す。


「縺ゥ縺楢。後¥縺ョ?溘??縺ゥ縺楢。後¥縺ョ?溘??蜷帙?∝ヵ縺ョ?√??蜒輔?繧ゅ??√??蜒輔?繧ゅ??」
「やだ! いやだぁ!! 離して! 離してくれぇ!!!」


 全力の抵抗も虚しく、シュワルツは引き摺られていく。怪物の胃を思わせる、洞窟の奥へと。







 どのくらいの時が過ぎただろう。時間の感覚は、とうに失われていた。
 思わず眉を寄せてしまうような不快感をもたらす触手の感覚。けれどシュワルツは、身体を這い回る触手にただただ恐怖を覚えるばかりだ。
 ガクガクと手足を痙攣させ、ヒィヒィと細切れの呼吸を繰り返す。歯の根が合わず、ガチガチと奇妙な音が鳴り響く。涙でぶれる視界の中で、彼は自分の身体に起こった異変を確かに捉えていた。胸の真下から下腹部に至るまで、パンパンに膨らんだ腹部。その姿はまるで妊婦を思わせるものだった。


「蜒輔?蟄撰シ√??蜒輔?蟄撰シ√??蟄輔s縺??√??蟄輔s縺??」


 怪物が、甲高い声を上げる。金属をすり合わせたときのような、頭痛を覚える音。


「霄ォ邀?繧ゅl?√??霄ォ邀?繧ゅl??シ√??繧ゅ▲縺ィ?√??繧ゅ▲縺ィ?√??繧ゅ▲縺ィ??シ?シ?シ?シ」


 あり得ないことが起こっている。自分の身に、本来起こりえないことが起こっている。器官がないのに子供を身籠もっている。それも、化け物の子供を!
 ただ腹が異様に膨れているだけだと思いたい。けれど腹の中で、その存在は己を主張するように蠢くのだ。お前の腹の中で、自分は確かに育っているぞ、と。
 吐き気を覚えて、胃の中身をぶちまける。胃の中は空っぽで、胃液ばかりが吐き出される。胃液で喉が焼けた。その痛みが、これは現実だと訴えかけてくる。
 気が触れてしまいそうだった。狂えるものなら狂ってしまいたかった。少しで良いから、この現実から逃げ出したかった。


「……………………ひ、ひひひ……」


 今になって、ツバキの言葉が蘇る。異形の者達を“住む世界が違う”と言った、彼女の言葉が。
 コレらは理が違う。人間の尺度で測れるものではない。コレらは、人が理解できるものではないのだ。


「い、いひひ……! い、いひゃひゃひゃひゃひゃひゃ………!」


 シュワルツの壊れたような笑い声だけが、洞窟の中に虚しく響いた。




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