ジャミルの友達が姐さんだったら 16
ナイトレイブンカレッジから清庭家に正式な依頼が入ったのは、カリム達と学園の現状を話し合った翌日のことだった。
教師達は学園の様子が可笑しいことには気付いていた。気付いていたのだが、いかんせん、その“可笑しい”という感覚が、違和感程度のものでしかなかったのだ。疲労故の見間違い、目の錯覚。そんな理由付けで片付けられてしまうくらいの日常の不和。故に、事の重大さに気が付いたのは、生徒の幾人かが異界に入り込んでしまった後だった。
そんなわけで、大慌てで事件解決の依頼を出されたツバキは、異界探索に赴いていた。ナイトレイブンカレッジと重なった異界の全容を見るためである。夕食を終えて、腹ごなしついでにゆったりと異界を歩く。隣には、護衛を申し出たこんのすけが歩いていた。
「見たところ、深さはないな」
「ええ、そのようで。しかし、深さの割に瘴気が濃いように感じます」
「そうだな。だがまぁ、許容範囲だ」
「ですが、この濃さですと、一介の魔法士では身体が持ちません」
「ああ。人が迷い込んでいないか、もう少し見回ってから帰ろうか」
「はい、お供します!」
瘴気とは、穢れである。人の心と身体を蝕むものだ。それに対する抵抗力の値として、瘴気耐性というものが設定されている。E~SSSの8段階でランク付けされており、魔力という抵抗力を持つ魔法士は、最低でもCランクの耐性があるとされている。一般人よりはるかに高い抵抗力を持っているが、ナイトレイブンカレッジに重なった異界はA+ランクに相当する。魔法士のたまごどころか、熟練の魔法士でさえ活動するのも厳しい場所だった。
他愛ない話をしながら学園と異界の接合部を確認していく。なかなか複雑に絡み合っており、引き剥がすだけでも一苦労しそうな具合だった。更に、ツバキの想定よりも広大な面積を誇っている。異界の主との顔合わせは後日行う予定だが、なかなかに大物であるようだった。
「…………思ったより広いな。清庭家からも人員を回して貰わないと、取りこぼしが出てしまいそうだ」
「承知致しました。牡丹様には私めからご報告させていただきます」
「ああ、頼むよ」
すぐに手配を、とこんのすけを下がらせる。こんのすけは一瞬躊躇したが、この異界にツバキを害せるものは存在しない。紅紫苑も佩刀している。彼女に真に危険が迫ることはないだろう。それでも、よくよく注意するように言い含めて、彼はすぐに当代当主の元に向かった。
こんのすけを見送って、ツバキは探索を続ける。学園で働くゴーストが一人と、見覚えのない生徒が一人見つかった。ゴーストは異界の影響を受けていなかったが、生徒は意識を失っており、浅葱を呼び出して背に乗せた。ゴーストには教師達に状況の説明をお願いして、浅葱と共に先行して貰った。
もう少し見ておこう、と更に歩を進める。すると、真っ青な顔で周囲を伺う生徒が一人。シャンパンゴールドの髪にアメジストの瞳。美しい顔を、恐怖と困惑で歪めていた。
(見たことある顔だな……。確か、俳優だったか……)
マジカメやテレビなどで、クラスメイトのネージュ・リュバンシェとともに、よく見掛ける顔だ。―――――ヴィル・シェーンハイト。子役時代から活躍する、プロのモデルにして俳優の青年だった。
いつからここにいたのか、彼は既に憔悴していた。早く外に出すべきだろう、と足を向ける。
「こんばんは、ナイトレイブンカレッジの学生さん」
突然声を掛けられたヴィルは、大袈裟なまでに肩を跳ねさせた。
彼はツバキを認め、マジカルペンを構える。相手が人間だと分かると、僅かに強張りが溶けたように見えた。
「………アンタ、何者?」
「ただの通りすがりの学生ですよ。丁度帰り道ですので、ご一緒します?」
瘴気渦巻く異界。ゆったりとした装いで、平然と佇む少年とも少女ともつかない生き物。
ヴィルの瘴気耐性は、決して低くない。魔法士は、魔力という盾で守られているからだ。そこから更に、ヴィルは持ち前の精神力を持って、強い瘴気耐性を獲得していた。彼のランクはAランク。異界に取り込まれても、活動にしばらく支障を来さない程度の耐性があった。
けれど、この場の瘴気はその盾を容易く貫通し、ヴィルを蝕んでいく。ここに留まっていては、肉体的にも精神的にも限界を迎える。それも、そう長くはない時間で。自分の身体に防御魔法を掛けてあるけれど、それも気休めだ。
そんな場所で、目の前の子供は自然な顔でうっすらと微笑んでさえいる。
ヴィルは考えあぐねていた。普段なら「遠慮するわ」と一蹴するが、今日は場所が場所である。異界なんてもの、一学生にどうにか出来るものではない。それも、Aランクを誇るヴィルの耐性を、容易く突破してくる瘴気渦巻く隔たれた世界。考えている暇すらないのが現状だが、こんな場所で平然としている相手を、ただの人間だと捉えて良いものか。返事に窮し、彼は押し黙ることしか出来ない。
「まぁ、ここで朽ち果てるのがお好みなら、私はお暇します。明日も学校がありますから」
「…………本当に、ここから出られるの?」
「もちろんです」
きっぱりと、迷いもなく言い切った言葉に、心が揺らぐ。そこに自信はない。あるのは、それを「当たり前のこと」と捉える余裕だ。
逡巡があった。警戒もあった。けれど、それ以上に、これ以上は身体が持たないという危険信号が鳴り響いていた。一縷の望みを掛けて、ヴィルは救いの手に縋った。
「…………案内してくださる? 無事にここから脱出できたら、きちんとお礼はするわ」
「ふふ、では行きましょうか」
幸いにも、出入り口はそう遠くない。こちらです、と道を示し、ツバキはヴィルを伴って歩き出す。ヴィルは戸惑いがちに、けれど遅れまいと足を動かした。
ヴィルは一歩先を進む人間の横顔を見つめる。華やかさはないが、整った顔立ち。性別を感じさせない中性的な雰囲気を纏っている。切れ長の目元が涼やかで、見れば見るほど美しさを感じる顔だった。ナイトレイブンカレッジの学生なら、ポムフィオーレに入寮していただろうか。せんないことを考えながら、ヴィルは不思議な子供の後を追った。警戒心は抜けきらないが、鏡の内側から世界を見ているような、奇妙な空間。この薄気味悪い場所から出られるなら、背に腹は代えられなかった。
「さぁ、着きましたよ」
「…………ここ?」
空間の裂け目とも、歪みとも言えるような僅かな隙間。人が出入り出来るとは思わない空間のひび割れに、案内人はいとも容易く手を入れた。その手は高純度、高密度の魔力を纏っており、本来触れられるかどうかも分からないものを掴んで見せた。そして、窓をスライドさせるような仕草で隙間を広げる。簡単に行われたあり得ない現象を前に、ヴィルは唖然としてしまった。
―――――本当に、何者なのか。そもそも、本当に人間なのだろうか。
呆然としたまま、促されるままに外に出る。そこには、見覚えのある景色が広がっていた。学園の医務室だ。養護教諭とトレイン、学園で働くゴースト。そして、ベッドに寝かされた生徒が一人。とんでもなく大きな猫もいるが、おそらく誰かの使い魔だろう。
―――――ああ、自分は戻ってきたのか。安心故か、異界の影響か。とんでもない疲労感と倦怠感に襲われたヴィルは、その場に崩れ落ちる。異界から脱出する手助けをしてくれた恩人に受け止められ、膝を打つことは免れた。
「シェーンハイト! まさか、君まで異界に……!」
「意識はあるね。流石の瘴気耐性だ」
ツバキが養護教諭にヴィルを任せ、浅葱を労う。浅葱は嬉しそうに、誇らしそうに喉を鳴らし、元いた場所に戻っていく。それを見送って、ツバキはトレインに声を掛けた。
「異界は深度こそないものの、かなりの広さを要しています。また瘴気が濃い。A+ランクはあると見て良いでしょう。Sランク以上でないと危険ですね」
「Sランクか……。我々教師の中でもSランクは早々いないぞ……」
「使いに探索班を設けるように連絡して貰いましたので、取りこぼしは防げるかと」
「それはありがたい……。早急な対応、感謝する」
「本当に助かるよ。しかし、A+ランクか……。君に影響はないのかね?」
「A+ランク程度で影響を受けているようでは、この仕事は勤まりませんよ。私の瘴気耐性は
「相変わらずとんでもないな……」
教師達の知り合いだったのか。飛びそうになる意識の中、ヴィルが鈍った脳で話を聞く。学生と言っていなかっただろうか。そう言えば、まだお礼も言えていない。約束だってしたのに。必死に抗うヴィルに気付いたのか、ツバキがそっと彼に歩み寄る。ベッドに寝かされた彼の枕元で、うっすらと微笑んだ。
「しばらく忙しくなるので、先程の約束はまた後日。今日はゆっくりと休んでください」
穏やかな声に誘われて、ヴィルはコトンと意識を闇に落とした。