ジャミルの友達が姐さんだったら 16






 中庭と校舎を繋ぐ渡り廊下を、ヴィルは一人歩いていた。時間は放課後で、部活動も大会を控えた運動部を残して終了している時刻である。日中は賑やかな場所だが、この時間帯は人通りもまばらだ。今日はヴィル以外に人はおらず、夕日を浴びた地面はヴィルだけのレッドカーペットのようだった。
 夕暮れの赤い光に包まれながら、喧騒とは遠い場所を歩く。柔らかな金色の髪が赤く縁取られる様は、誰もが感嘆の息を漏らすほどに美しい。残念なことに、それを眺める観客は一人も居ない。結局その一枚の絵は誰にも見られることなく、この世から消え去った。
 校舎の中に入ると、まだ残っている生徒達の姿が見て取れた。ヴィルと同じように、鏡舎を目指す者。することもなく、ただふらついている者。忘れ物をしたのか、慌てたように駆けていく者。それぞれが異なる理由で、同じ学び舎を闊歩していた。
 ふと、騒がしい足音が聞こえて、そちらに目を向ける。用事があるのか、急いでいる様子だった。品がない、と呆れて眉を寄せる。腕章のリボンが自寮のものでないとわかり、ふい、と視線を逸らす。その瞬間、慌ただしい足音が消えた気がした。
 立ち止まったにしても、違和感の残る音の途切れ方。再度目を向けると、件の生徒はヴィルから遠ざかるように駆けていく。音が拾えないような距離ではない。自分の耳がおかしくなったのかと、そっと耳に手を当てた。


「嫌ね……。ストレスかしら……?」


 わざと言葉を口にし、耳の調子を確かめる。けれど、己の声は耳に届いていた。


「え……?」


 今度は、信じられないものを目にした。生徒の姿が一瞬途切れて、再度現れたように見えたのだ。そんなこと、あるわけもないのに。


「見間違い、かしら……?」


 本格的に病院の受診を検討し始めた頃、ふと脳裏を過ぎるものがあった。
 黄昏時、という言葉がある。日が暮れて、辺りが薄闇色に染まり始めた頃合いを指す言葉である。相手の顔が見分けにくくなり、「あなたは誰ですか?」と尋ねる時間帯を、東方の国ではそのように呼ぶのだ。今は、丁度その時間帯だ。


「………やっぱり、見間違いね」


 もう一度耳や目の調子がおかしくなったら病院へ行こう、と心に決めて、ヴィルは颯爽と鏡舎に向かって歩き出した。
 ヴィルは、このときの違和感を放置したことを、後に大きく後悔することとなる。







「ヤバいことになってるなぁ……」
「少しは大人しく出来ないのか、人外共は……」


 ジャミルが学園に復帰してしばらくは、安寧が続く日々だった。学園のあちこちで乱闘騒ぎは起きていたけれど、それはこの学園の日常風景だ。むしろ、魔法が飛び交わずに終わる日はない。そんな一日があれば、それは学園創設以来の異常事態である。それでも、怪異や妖が現れることも、神が降臨することもない日常は至って穏やかだった。例え魔法が飛んできたとしても、それは小石に躓く程度のことであり、ちょっとした不運に過ぎない。学園外では異常事態でも、この学園ではいつも通りと言っても過言ではないのだ。
 けれど、どうやらそんな日常が終わりを迎えてしまったのだ。カリムの苦笑を滲ませた言葉に、ジャミルはげんなりと肩を竦めた。
 現在、ナイトレイブンカレッジは神職関係者が卒倒しそうなレベルの魔窟と化していた。何故なら、新たに出来た異界が、丁度学園の敷地を覆ってしまったのだ。そのため、学園のあちこちに異界へと続く道が出来てしまい、すでに生徒の幾人かが異界に迷い込んでしまっている。これには流石のツバキも絶句し、深いため息をついてしまったのも致し方ない。


「どうしてこう、ナイトレイブンカレッジは良くないものを引き寄せるのか……」
ロイヤルソードアカデミーそっちでは何も起こらないのか?」
「こっちで頻回に起こるのは、ドタバタコメディ劇場だよ。もしくはハプニングのピタゴラスイッチ。どちらも要所ごとにミュージカルが挟まる」
「それはそれで嫌だな……」


 むしろ、ロイヤルソードアカデミーの方が精神的にきついかもしれない。ただでさえ疲れているところに、動物たちと手を取り合ってミュージカルなどやっていられない。想像だけでもげんなりしてしまう。カリムは少し興味をそそられていたようだが、ジャミルは絶対に御免だった。


「まぁ、RSAうちのことはいいから、NRCこっちのことを話そうか」
「そうだな」
「それで、ツバキはこの事態をどう見てるんだ? 新しく出来た異界が、どうして学園を覆うような事態になっちまったんだ?」
「詳しく話すと長くなるんだが、異界に巣くう者が新しい住処を作っているんだ」
「「新しい住処?」」
「ああ」


 人がそうであるように、人ならざるものとて多種多様である。人が屋根と壁を建てるように、異界に住まう者とて住処を求めるのだ。ただ、人の理とは別のところにある存在であるが故に、その様相は大分異なっている。人の目では住処と認識出来ない場所を住処と定めるものも居るのだ。そのような存在の住処であるから、建築作業も大いに異なるのは当然だった。


「建築途中で穴だらけ。その上、現世と常世を繋ぎ合わせてしまっている。このままだと、ナイトレイブンカレッジが異界に引きずり込まれるか、同化してしまいかねない」
「それ、めちゃくちゃヤバくないか!?」
「ヤバいが?」
「……ナイトレイブンカレッジは呪われているのか?」
「呪いの気配はないな」
「むしろ、あってくれた方が安心出来た」


 カリムとジャミルが顔を青冷めさせる。けれど、呪われている様子はなく、これが健全であるという。これならばいっそ、呪われていた方がマシである。これが平常であるというなら、もう手の打ちようがない。


「面倒だが、協力要請を掛けなければな……」
「うん? サニワ家で対処しないのか?」
「清庭家でも対処は可能だが、うちはその専門ではない。完全に破壊することは出来るが、そうなると、異界の住人との折り合いが悪くなる」
「あー……。それはあんまり良くないな……」
「押し潰して縮小するか、現世と繋がる部分を切り離して他所に移すのがベストだな」
「そんなこと出来るのか?」
「それを生業とする者達ならな」


 その者達を“紡ぎ屋”という。所謂、異界専門の建築業者だ。清庭家と懇意にしている紡ぎ屋は、つむぎという姓を名乗っており、東方の国一を誇る技術を持っている。この手の案件に遭遇したとき、清庭家が真っ先に繋ぎを取るのが、この紬家だった。
 まだまだ東方の国を受け止めきれない異国で、あまり大っぴらに動きたくないというのがツバキの本音だった。故に、ツバキとしては、もう一つの案を推したい。その案というのが、七代目当主を神の国から引っ張り出すことである。七代目当主は現人神であり、清庭家の敷地を異界と繋ぎ合わせ、拡張した実績があるのだ。そのお方は直系親族であるツバキを大層気に入っており、ツバキの呼びかけならば重い腰を上げてくれるかもしれない。だが、国から出ることを嫌がる引きこもり体質で、自国内ならまだしも、他国にまで出向いてくれる可能性は限りなく低い。さるお方を説得するよりも、人間の力で解決する方が早いだろう。
 また、清庭家で対処するよりも、それを生業としている者達が手を加えた方が、完成度が違うのだ。隔たれた世界の向こうのもの達も、やはりよりよい環境で暮らしたい。向こう側のもの達のためにも、他家を頼るのが得策だった。


「私も昔、神の社を作るのに立ち会ったことがある。神は己の力で神域を作り出すことが出来るが、中には不得手な者だったり、人の力で作ったものをよしとする者も居る。そう言った神々のために、それを生業にしている者達が居るんだ」
「へぇ、そんな人達がいるんだな!」
「ああ。彼等は魔法と結界術を併用し、神の寝床を作り上げるんだ。複雑に編み上げられた魔力と構築術式は、一種の芸術作品のようだった」


 色々と思うところはあるものの、最優先すべきは隔たれた世界に住まう隣人と、大切な友人達である。他国が東方の国に害を為す兆しが見えたならば、何をしてでも止めれば良いか、とツバキは友人達に微笑んだ。攻め入られたならば、迎え討つまで。大義の名の下ならば、ツバキはいくらだって手を下せるのだ。


「何でもありだな、東方の国……」
「神のことなら何でもござれ。そうでなければ生きていけないからな」


 神と共存する国の国民は、そう言って得意げに笑った。




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