ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編 5






 ナイトレイブンカレッジには、大きな中庭が存在する。美しく整えられた庭木。つやつやとした実を実らせるりんごの木。趣のある古井戸。それらが見渡せる位置には、いくつかのベンチも設置されていた。そのベンチに、黒を基調としたナイトレイブンカレッジには不釣り合いの、純白の衣装を身に纏った少女がいた。その両隣には、黒い制服を着た青年達が座っている。
 膝を抱える少女―――――ツバキの両側で、幼馴染みのカリムとジャミルは彼女にもたれるようにして身を寄せ合っていた。彼等が男女の垣根を越えて仲が良いことを知っているカレッジの生徒達は「またか」という呆れた顔をしながら傍を通り過ぎていく。中には女の子とくっついている二人に嫉妬の目を向ける者もいたけれど、妬みをぶつけるには相手が悪すぎる。そもそもとして、その女の子がツバキであることを考えると、嫉妬の気持ちが萎んでしまうのだ。それは彼女自身が少しばかり難のある女の子だからである。両隣の彼等にかすり傷一つでも付けたならば、全身全霊を持って相手を討ち滅ぼしに掛からんとするのだ。ほんの少しの些細な悋気で人生を棒に振るような真似は出来なかった。
 また、本気で嫉妬に狂っている生徒が複数おり、その相手が学園内でもトップクラスにやばい生徒であることも関係している。その生徒達が血反吐を吐きかけながら、それでも歯を食いしばって耐えているのだ。そんな彼等を差し置いて三人組にちょっかいを掛ければ、彼等の八つ当たりを受けるのは仕掛けた側になるだろう。それもまた恐ろしかった。
 故に、ナイトレイブンカレッジの生徒達は、彼等三人がいつもとは異なる雰囲気を纏っていることに気付きながらも、全力でスルーすることにしたのだ。“触らぬ神に祟りなし“という言葉を、彼等は最近学習したので。


「おや、三人とも、随分酷い顔をしているな?」


 けれど、例外というものは存在する。空気を読んで誰も彼等に声を掛けなかったのに、異様な三人に平然と声を掛けるものが現れたのだ。―――――マレウス・ドラコニア。茨の谷の次期王である。彼は浮世離れしており、空気が読めないのか、あるいはあえて読まないのか。たまに「何故今なのだ」と声を上げたくなるようなタイミングで、とんでもないことをやらかすのだ。今回はおそらく、その両方だろう。単純に、顔見知りの後輩達が暗い顔をしていたものだから、見て見ぬ振りが出来なかったのだ。その中に、ツバキが居たのが大きいだろう。


「マレウス殿下……」


 己の従者の恩人であり想い人の憂いを払おうと、ツバキに顔を上げさせる。そうして正面から顔を見て、マレウスは目を瞠った。その顔があまりにも憔悴しきっていたから。


「…………何があった?」


 珍しく、ツバキが口ごもる。僅かに顔を俯かせ、目を伏せる様はツバキらしさとは程遠いもの。微かに震える唇から言葉が紡がれることはなく、思わず両隣に目を向ける。片方は眉を下げ、片方は顰め面でツバキを挟んでお互いの様子を伺った。
アイコンタクトで会話を交わした二人が、マレウスを見上げる。そして答えを紡ごうとしたとき、ツバキの端末がけたたましく鳴り響いた。
 マレウスがぎょっとするほどの音を立てる端末を、ツバキがのろのろと持ち上げる。カリムが止めようとしたのを制して、彼女は通話ボタンを押した。


『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛アアアアぁぁぁアアアァァアア………!』


 ツバキの端末から、絶叫が迸った。命の危機に陥っているのがはっきりと伝わってくる、凄まじい叫びだった。これにはマレウスだけでなく、周囲で様子を伺っていた生徒が目を見開き、偶然通りかかった生徒達はビクリと肩を跳ねさせた。すわ何事か、と視線がツバキに集まる。けれど彼女は、突き刺さるような視線をものともせず、ぼんやりとした様子で端末から漏れる音声を聞き続けていた。


『椿様……! 椿様椿様椿様……!』

『つ   ば   き   さ  ま』

『あい、あいして、愛しています! お慕いしています! あああああああああああ椿様アアアアアアアアアアアアアアア……!!!』


 グシャ、バキッ……! ゴリッ……!
 ツバキに愛を叫ぶ言葉を最後に、異音が続く。何かを砕くような、咀嚼音のような。聞いているものの嫌な想像を掻き立てる、身の毛もよだつような悍ましい音だった。
 ブツリ。通話が切れると同時に、辺りに沈黙が落ちる。誰も彼もが、呆然とした表情でツバキが手にした端末を見つめていた。


「………………今のは?」


 やっとの思いで、マレウスが問いかける。流石のマレウスも、このような事態は初めてだった。戸惑いを隠しきれない声音で、形の良い眉が困惑に顰められている。
 問いかけた相手は、ツバキの両隣を陣取る幼馴染み達だった。ツバキは端末を耳に当てたまま、微動だにしない。とてもではないが、答えられるような心境ではないだろう。カリムとジャミルが、チラリとツバキを見て、ゆっくりと視線を持ち上げる。宝石のような瞳に見上げられ、マレウスの指に無意識に力がこもった。


「3年ほど前に亡くなった人の、断末魔です。最期の瞬間に、ツバキに連絡を取ったんです。それから毎年、この時期になると掛かってくるようになりまして……」
「……その相手は、すでに亡くなっているのだろう? なのに何故、このようなことが?」
「それだけ深い想いがあったんでしょう。想いというのは、人が考えているよりも、ずっと力があるようですよ」


 マレウスに答えたのはジャミルだった。カリムは痛ましげな顔でツバキの横顔を見つめていた。
 カリムが、そっとツバキの身体に腕を回す。強張りを宥めるように肩を叩き、そっと背中を撫でる。そうしてやっと、ツバキが耳に当てていた端末を降ろした。


「…………申し訳ありません、マレウス殿下。今日は、上手く話せる自信がありません」
「いや、構わない。このような事態だ。流石のお前も憔悴してしまうだろう」


 元から白い肌が、紙のように白い。それは、見ていて気分の良いものではなかった。そのような顔色に陥っている事態に不快感を覚えるほどだ。けれど、電話の主は既に故人。マレウスではどうしようもない。
 マレウスは、ツバキのことをなかなか気に入っている。シルバーの想い人であることを除いても、面白い人間だと認識しているのだ。そんな少女が、見る影もない姿でそこにいる。思わず魅入ってしまうような光を湛えた瞳が、酷く淀んでいるのだ。それは、何と度し難いことか。
 何と声を掛けるべきか。どのように事を納めるべきか。口をつく言葉が見つからないうちに、またもや端末が悲鳴のようなけたたましい音を立てた。


「ツバキ、貸せ」
「いい。だって、彼女の最期の声だ」
「―――――この先もずっと、そうやって傷付くお前を見つめ続けろと?」


 ツバキの指先がピクリと跳ねる。端末を取り落としそうになった瞬間を見計らって、ジャミルがツバキの手から端末を奪い取った。絶叫が迸る端末を耳に当て、一言。


「うるさい」


 凍てついた声が、ジャミルの口から吐き出された。
 周囲で様子を伺っていた生徒達が、その冷たさに背筋を震わせる。彼を大人しい生徒だと思っていた者達は、少しばかり彼への見方を変えた。


「お前はツバキを愛してなんかいない」
『あ   え      ?』
「お前のそれは愚かなエゴで、ツバキの心を顧みていない。ただの自己満足だ」
『   な     に    ?』
「あいつは何度味わえば良い? 死にゆくお前に対して何も出来ない無力さを。空っぽの棺を見送る虚しさを。これから先、これを幾度となく繰り返すのだと悟ってしまった絶望を。お前はツバキに、何度味わわせれば気が済むんだ?」


 ジャミルの手から端末を取ろうとしたツバキの手を、カリムが捕まえる。その手をジャミルが握り直して、ジャミルの手から、カリムの手に端末が渡った。端末を追って視線を動かしたツバキの目に映ったのは、珍しく険しい顔をするカリムだった。


「お前の愛は、間違っている」
『     い  あ   』
「お前が本当にツバキを愛しているのなら、これ以上ツバキを苦しめないでくれ」
『  や         ち      』
「お前は何も知らないから、そんな酷いことが出来るんだ。ツバキが味わった苦痛を知らないから、お前はそんな自分勝手に振る舞えるんだ」


 カリムの厳しい口調に、ツバキが首を振る。そんなことはないのだと、今にも泣きそうな顔をしていた。
 こんなのは苦しみじゃない。痛みなんかじゃない。それはツバキが受け止めなければならないもので、彼女は間違ってなんかいない。だって、自分は彼女に采配を振るう側で、全ての責を負う立場にあるのだ。例え、この電話の主がツバキの采配で死んだわけではないとしても。この声はいつか、自分の采配でも聞くことになる声なのだ。だから自分には、彼女の最期の声を聞き届ける義務がある。彼女の想いが、昇華されるまで。


「なぁ、お前は満足か? 自分の気持ちだけを一方的にぶつけるだけぶつけて、ツバキを傷付けるだけ傷付けて……」
『わ    た、し       は 』
「ツバキは、もう耐えられないよ」


 ツバキの目から、ついに涙が零れた。それが電話の向こうにも伝わったのか、息を呑むような音が聞こえた。
 躊躇うような息遣い。はくり、と言葉を飲み込んでいるのが伝わってくる。今までとは違うと気付いたカリムが、そっと端末を差し出した。それを受け取って、ツバキが端末を耳に当てる。


『つ   ばき、さま……』

『あい   して、い  ます』

『こ  ころ    より』


 もう一粒、涙が零れる。オニキスのような瞳から、星のような雫が滑り落ちた。美しい涙だった。


「―――――ありがとう」


 澄んだ声が、愛しさに溢れた言葉を告げた。その声に、電話の主は息を呑んだ。


『―――――嗚呼、』


 満足げな声を最後に、プツリと通話が切れた。その音に長い息を吐いて、ツバキが額に押し当てる。しばし目を閉じて、再び瞼を持ち上げたときには、いつもの力強い光が宿っていた。その切り替えの早さに、マレウスは舌を巻く。心が折れてしまいそうな出来事を、それでも受け入れて、再び歩き出す。その強さに、マレウスは惚れ惚れするような心地を覚えた。
 いつもの淡い笑みを浮かべたツバキが、マレウスを見上げる。その夜空のような瞳には、星が瞬いていた。


「申し訳ありません、マレウス殿下。情けないところをお見せしてしまって……」
「…………サニワ、お前は……」
「もう、大丈夫です」


 笑みを深めたツバキが、指先で端末を撫でる。


「きっと、彼女の未練と、私の未練がこの通話を繋げてしまったんです。当時の私は、彼女に何も言えなかった。毎年掛かってくる電話にも、答えることが出来なかった」


 けれど、やっと伝えることが出来た。自分に心を傾けてくれたことに、感謝を伝えることが出来た。彼女も、きっと未練を断ち切ることが出来たはずだ。だから、ツバキは前を向いて歩いて行ける。傷付いた心を忘れずに。彼女の想いを胸に抱えて。
 ああ、これは。シルバーが惚れるのも頷けると、マレウスが微かに微笑む。
 泥に足を取られながら、それでも前へと進み続ける。無様に藻掻きながら、それでも空へと手を伸ばす。身体は傷だらけ。心はもっと傷だらけ。けれど、それでも尚、星のような輝きが失われることはない。その得がたき光の、何と美しい事よ。


「なら良い。無理はするな」
「はい、お気遣い感謝いたします」


 そう言って笑った顔は、もうすっかりいつも通り。そのことにほっとした幼馴染み達が、両側からじゃれついて、ぐしゃぐしゃと髪を撫で回した。その姿を微笑ましげに見つめ、やがて満足したマレウスは緑の燐光を残し、姿を消した。




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