ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編 3
神との対面を行う当日。エペルは既に疲れ切った顔でツバキとの待ち合わせ場所に現れた。その様子に、ツバキが苦笑する。
エペルが外出届を提出する際、事の次第はツバキの口から伝えられた。生まれ変わった神がモルン山に連なる村の人間との対面を望み、その代表にツバキがエペルを指名したのだ。それは大変栄誉なことであり、歴史に名を残すような偉業である。ただ、この事実を公にすることは出来ないのだけれど。
彼が疲れ切っている理由は、ツバキも把握している。神と対面するという一大事に、学園の教員達が発狂一歩手前の暴走をした。神職関係者が目の前に居るというのに、関係各所に連絡を取り、挨拶の仕方から神との対面に相応しい装いまでを調べだしたのだ。その際にポムフィオーレにも情報が漏れ、寮長であるヴィルまで飛んでくる始末。ツバキは呆れ、エペルは気が遠くなるような感覚を覚えたという。
東方の国の民にとって、神とはどこにだって存在するものである。畏怖の対象でありながら、同時に良き隣人でもあるのだ。往来を堂々と歩く神々に平然と挨拶を交わすことだって珍しくない。故に、理解は示せても、海外の人間にとって神々がいかに遠い存在であるかを正しく認識出来ていない。そんなにかしこまらなくても良いのだと説明しても、彼等は「そんなわけにはいかない」と頑なに譲らない。最終的に「お忍びで城下に降りた王族を相手に、往来で跪いて大声で正体を明かすような暴挙である」と説明して、ようやく彼等を沈静させたくらいである。王族を相手にそんなことをすれば首を刎ねられる。相手を神に置き換えて考えて、彼等は神の意に反する行いをしようとした己の所業に頭と肝を冷やしたのだ。
しかし、彼等にも譲れないものがある。最大の譲歩として、せめて立ち振る舞いだけは、とエペルは礼儀作法を一から指導され直したのだ。今朝も最終確認という名目で、外出時間のギリギリまで礼儀作法の指導が行われていたという。疲れ果てるのも無理はない。
「まぁ、礼儀作法を覚えて損をすることはない。寛容な神とは言え、無礼者に対して己の寛大さを見せるものは少ないからな」
「は、はい」
「それは人間相手にも言えることだ。今日までの学びは、社会に出たときに必ず君の糧となって助けてくれる。他の学生より先んじて覚えられたのだと、先を見据えて喜んでおくと良い」
「はい!」
では行こうか、とツバキが朗らかに笑う。パン、と一つ柏手を打ち、魔法陣を展開させる。モルン山へと繋がる一本道だ。ツバキに促されて中に入ると、そこは奇妙な空間だった。次元が捻れているのか、一歩進むごとに目まぐるしく景色が変わっていく。そのことに目を丸くしながらツバキの後ろを歩いていると、だんだんと見覚えのある景色が浮かび上がってくる。輝石の国の山々だ。
凄い、とエペルが感嘆の息を漏らす。転移魔法の一種だろうか、と目を凝らす。けれど、エペルの魔法解析では何の術式も見えてこない。魔法士は術式や構築式、魔法の痕跡を隠すものである。しかし、ここまで何も見つからないと、いっそ恐怖すら覚える。これは本当に魔法なのだろうか、とすら思ってしまう。
「さぁ、着いたぞ。一応、体温保持の魔法を掛けておくよ」
「あ、ありがとうございます! ツバキサン、本当に色んな魔法が使えるんですね……」
「まぁな。幼い頃から様々な訓練を積んでいるから、大抵の魔法は使えるよ。体温の低下は命の危機に直結するから、早いうちから習得しておいたんだ」
「な、なるほど……」
少しばかり、想像のつかない世界だ。確かに体温の低下は深刻な問題に直結する。それは雪深い輝石の国の民ならば誰だって理解できるものだ。けれど、ツバキの言う命の危機は、それとは少し違うものだろう。彼女の家業そのものが、危険極まりないのだ。その中で、体温を奪われ命の危機に陥ったことがあるのだろう。幼いうちから、身を守る術を学ばなければならないというのは、一体どういった心地なのだろうか。考えてみても、自分の置かれている環境と違いすぎて、曖昧で漠然とした感想しか思い浮かばない。
出口となる魔法陣に姿を消したツバキを負って、エペルも外へ飛び出す。そうして飛び出した先には、一面の銀世界が広がっていた。
モルン山の深奥。雲が程近い程の標高。春を目前にした季節であったが、山の頂上付近は埋もれてしまいそうなほどの雪が積もっていた。
「ここから先、君のことは“姫林檎”と呼ばせて貰う。名を告げるのは魂を差し出す行為だから、絶対に口にしないように」
「は、はい!」
「かのお方はここから少し進んだ先で、山間の村の様子を眺めるのが日課であるようだ。5分ほど歩くが、問題ないか?」
「はい。雪道は慣れています」
「ふふ、それもそうか」
サクサクと慣れた足取りで雪道を進む。エペルは地元であるが故に問題なく歩けるが、彼はツバキも雪深い道を造作もなく進んでいくことが意外だった。はて、東方の国も雪の多い国だっただろうか。ちらりと考えるものの、彼は極東の島国について詳しくなかった。
他愛ないことを話ながら歩を進める。いよいよ神と対面することになるのかと、エペルの心臓は高鳴りっぱなしだ。そこでふと、どうやって神と対面するのだろう、という疑問が脳裏を過ぎる。その昔、神は人と共に在ったという。その頃は人の目にも天上の存在が映っていたと言うが、現代を生きる人々の目に神の姿は映らない。ツバキのような特殊な人間ならばいざ知らず、エペルは一般人である。神を見ることなど不可能だった。
率直に疑問をぶつけると、ツバキは「問題ない」とあっさりと言ってのけた。
丁度そのとき、神との約束の場所に辿り着いたようで、ツバキが足を止める。木々を抜けた先。切り立った崖の上。そこに神が居るという。やはりというべきか、残念ながらと言うべきか、エペルの目には何も映らない。
「普通、神の姿は人の目に映らない。神代が終わり、その姿を目に映す必要がなくなったためにな」
その昔、人と神はこの地上で共存していたとされている。どのような経緯を経て、神々が地上から手を離したのかは分からない。神代の終わりはどうやって訪れたのか。それは数千年の時が経っても判明していない。決別の儀が行われたためだとも、神の代わりに人にツイステッドワンダーランドを統治させるためだとも言われている。だが、それが本当かどうかは分からない。真実を知る術もない。
これに関しては、東方の国の民ならば知っているかもしれないが、彼等は真実を知っていても、口を閉ざさざるを得ないときがあるのだ。故に、彼等の口から得られる情報はない。強引な手を使って情報を得ようとした無法者も過去にはいたと言うが、東方の国の民は、自らの脳を破壊することで真実を守ったという。今なお神と共存する彼等は、悍ましいまでの覚悟を持って、彼等と共に生きているのだ。
そのうちの一人であるツバキが、エペルに笑いかける。オニキスのような瞳が、澄んだ青空の下で宝石のように輝いた。
「今日は私の目を貸す。私の目を通して、君達を見守る神を見つめてくれ」
「め、目を貸すって……?」
「視覚を共有するんだ。リンク魔法の一種だよ」
「それ、凄く高度な魔法なんじゃ……」
「高度なだけだよ。使えない魔法が後世に残るものか」
彼女の言葉は正しい。正しいけれど、釈然としないものがある。その“高度な魔法”を、どうして学生の身分で使えるというのか。
「気分が悪くなったら言ってくれ。私の魔力は純度と濃度が高すぎて、受け付けない者も居るらしいから」
「は、はい!」
ツバキがエペルの背後に回り、側頭部に手を添える。何となく目を閉じて、ツバキから送られてくる魔力を受け入れることに専念した。
ツバキの手のひらから、じんわりと魔力が送られてくるのが分かった。譲渡する魔力を量っているのか、少量ずつ送られてくる魔力。その純度に驚いた。透き通る湧き水のような透明度。混じり気が一切ないのだ。酷く美しい魔力を受け取って、エペルは思わず目を開けた。そして、再度驚くこととなる。
何だ、この、極彩色の世界は。あまりにも色鮮やか。いつもの景色を見ているはずなのに、その美しさはあまりに現実離れしている。―――――自分の目は今まで、この世界の何を映していたのだろう。
けれど、それ故に浮き彫りになる、この世界の残酷さ。その落差に、眩暈がした。
「うぅっ……」
「すまない、魔力を注ぎ過ぎたか?」
「いえ……、色彩が、世界が、僕の視界と全然違ってて……」
「ああ、なるほど……。私の目には真実が映る。虚像の一切を排除する。隠されているものも暴いてしまうから、普通の人間とは視界が異なるんだ。それが君にはきつかったんだな」
ツバキの目を通して見た世界は、言葉に表せないほどに美しかった。けれど、それと同時に、この恐ろしい瞳の真実に気付いてしまった。普通の人間の視界にも残酷だと映る出来事が、ツバキにはもっと明確に、色度も彩度も恐怖も憎悪も嫌悪も、何もかもがこの明度で映し出されてしまうのだ。意図的に曇らされている現実を、虚像を隔ててみる世界を、ツバキは全て取り払われた状態で見ることになる。それはなんて美しくて、悍ましいことなのだろう。
これは特別な人の瞳だ。特別であることの代償だ。普通の人々が見ない振りをして過ごせるものを、ツバキは全て受け止めなければならない。
これは選ばれた人間にのみ与えられる力だ。そうして選ばれてしまったが故に背負うことになる、あまりにも大きな苦しみ。それはなんて高潔で、悲しいことなのだろう。
「―――――っ!」
目まぐるしく揺れ動いていた感情が、一瞬にして無になった。否、衝撃が強すぎて、何も考えられなくなったのだ。
―――――美しいものを見た。今まで見た、何よりも。
「あ、ああ……っ! あああ……っ!」
ガクリ、と膝が折れる。目からは滂沱の涙が溢れ、口から漏れる声は形にならない。
―――――美しいものを見た。美しい、神を見た。モルン山の化身たる、荘厳なお方を。日差しを浴びた銀世界のごとき姿を。
涙で滲む視界の中、神が微笑んでいるのが分かった。手を伸ばして、幼子のようにあやされているのが分かった。いつもなら子供扱いするなと怒鳴り散らしたくなるのに、このときだけは素直にその手を受け止めていた。
「ああ……っ! ああ~~~~~っ!」
春の訪れを感じさせる日差しに包まれた銀世界の中、エペルの幼い泣き声だけが響いていた。