ジャミルの友達が姐さんだったら 13






 ざり、ざり、と。金属が擦れるような音が響く。鋭いもので、地面をひっかくような音だ。さり、さり、と。それに続く微かな足音が聞こえる。その音の正体は、赤と黒を基調とした、見慣れない衣装を身にまとった男だった。年の頃は二十と数年を数えた程度だろう。
 その顔立ちは、ツイステッドワンダーランドに生きている者ならば、知らない者は居ないと言っても過言では無い。グレート・セブンに数えられる一人―――――砂漠の魔術師にそっくりだった。像や絵画でよく見掛ける姿をそのまま写し取ったような姿に、彼を見た人々は目を見開いて呆然と立ちすくんだ。
 青年が、ナイトレイブンカレッジの保健室の扉を開ける。中には、青年の主―――――ジャミル・バイパーが眠りにつくベッドが置かれている。その周囲には教員が数名と、彼の幼馴染み達がいた。


「―――――嗚呼」


 軽い足音とは真逆の、重苦しい吐息が吐き出される。引きずっていた刃先を持ち上げ、肩に担ぐ。刀身が、ギラリと不穏に輝いた。
 青年―――――紅化粧が戻ってきたことを確認したツバキたちが揃って顔を上げた。
 トレインから話を聞いていた教員達であるが、実際に目の前に現れると驚愕が勝る。メインストリートの像が動き出したかのような錯覚を覚えてしまう。


「―――――嗚呼、口惜しい」


 けれど、紅化粧は他には何も目に入っていないかのように、まっすぐにジャミルの元に歩み寄る。枕元に手をついて、生気の薄い顔を覗き込む。本体を握りしめた右手から、ミシリ、と嫌な音が響いた。


「私が到着したときには、すでに神罰が下されていた。わずかな滓を残して、目の前で消し去られてしまった……」
「ああ、君も、間に合わなかったか……」


 ツバキの微かな声を耳にした紅化粧が、ツバキに視線を向ける。ツバキは膝の上に乗るこんのすけの背中を撫でながら、ジャミルを見つめていた。その姿を一瞬だけ視界に収め、すぐに逸らされて、ジャミルに目が向けられた。
 ジャミルの顔からは、血の気が引いている。服の隙間から見える首や腕には、ジャミルを連れていこうとしていた指の痕がくっきりと残っていた。か細い呼吸音が無ければ、まるで死人のように見える。
 大量の血を吐いたことを物語る血痕を思い出す。死を連想させるような、凄惨な光景だった。血だらけで崩れ落ちたジャミルは、確実に死に向かっていた。ツバキがすぐに対処しなければ、彼は死んでいたかもしれない。


「嗚呼、嗚呼、嗚呼………!」


 そんな死の淵にジャミルを追い込んだ相手を、紅化粧はどうしても許せなかった。


「あと一歩だったのに………!」


 血反吐を吐きそうな、絞り出すような声だった。憎悪と憤怒が入り交じった声は、耳にした者の背筋を凍らせた。


「落ち着け」


 だが、それ以上に怒りを滾らせている者がいた。ツバキである。その声は落ち着いたものだったが、一枚壁を隔てているように、感情を押し隠していることがはっきりと分かった。
 感情の起伏を一切感じさせない、能面のような顔。オニキスのような瞳からは、人らしい要素が読み取れない。本物のオニキスをはめ込んだような、無機質で、あまりにも冷たいものだった。
 人成らざるものよりも、人間味を感じられないツバキに、クルーウェルは唇を引き結んだ。それだけ深く、ツバキは傷付いているのだ。親友を害されたことに。害した相手に報復することが出来なかったことに。


「ジャミルはこれから、うちに送るつもりだ。完治するまで、彼は清庭家が預かる。カリムには護衛に結羅と黒姫を。ジャミルには君が付いていてくれ」
「…………貴殿は?」
「私は残って、指揮を執る。ジャミルの吐血痕の抹消、イデア・シュラウド及びオルト・シュラウドの記憶処理、トゥレーラ・ラフターラの遺体を家族へ返して、神々への謁見もしなければな……」


 怒りを押し殺して、清庭家次期当主として働く姿勢を見せたツバキに、紅化粧も怒りを飲み込む。そう簡単に飲み下せるものではないけれど、紅化粧はツバキを同胞として見ている。ジャミルを守りたいという想いを共有している。そんな同士が一旦は怒りを収める選択を取ったのだ。紅化粧だけが、騒ぎ立てる訳にはいかなかった。刀を収め、一つ頷く。それで全てを察してくれたらしいツバキも、一つ頷いた。


「……ツバキ、大丈夫か?」
「君こそ。君は、目の前でジャミルが血を吐くところを見たんだろう?」
「ん、まぁな……」


 無理矢理作ったような、歪な笑みでカリムが苦笑する。彼の痛ましい笑みを見たバルガスは、思わず目頭を押さえた。
 ツバキとカリムがお互いの手を握り合って、身を寄せ合う姿は胸を締め付けるような心地にさせる。大人達は、何も出来ない無力さに打ちひしがれていた。
 保健室にいた教員達は、生徒達のメンタルケアのためにいた。大人がいた方が、彼等も安心するだろう、という配慮だ。この一件で、特に心に傷を負ったのはツバキとカリム、シュラウド兄弟だろう。シュラウド兄弟は現実を受け止め切れていない様子で居たため、“目にした光景”と“現実であるという事実”がイコールで繋がったとき、彼等の心がどうなるか分からないのが恐ろしい。気が抜けない状態だ。彼等は教員寮のある棟で保護している。
 残りの教員達は、現場保存と事態の収束のために学園中を駆けずり回っている。けれど、人の口に戸は立てられない。すでに噂は学園中に広まっているだろう。暗雲立ちこめる未来に、教員達の心にも暗い影を落とした。


「主様……。カリム様……」
「ん、ありがとな、こんのすけ」
「心配してくれてありがとう。結界は私が引き継ぐから、君は休んでいてくれ。ジャミルを移送するときに、また君の出番が来るから、少しでも体力を回復させておいてくれ」
「……承知致しました。ジャミル様は私が責任を持ってお送り致しますので、ご安心下さいね」
「ああ、よろしく頼む」


 そう言って、こんのすけが煙に紛れて消える。結界に込められた魔力が、彼のものからツバキのものに切り替わる。世界有数と言われるナイトレイブンカレッジでも、滅多にお目にかかれないほどに上質な魔力だった。
 改めて、ツバキの異様さに目を瞠る。まだ、カレッジに入学して1年も経たない子供であるにも関わらず、人語を解する使い魔を持ち、ユニーク魔法を完成させている。神を当たり前のものとして扱い、人成らざるもの達と対峙し、それに対して適切な対処が取れるだけの知識量と実力があるのだ。ナイトレイブンカレッジにも規格外な生徒は存在するが、ツバキは彼等に引けを取らないものがあった。
 そんなツバキが、突然顔を上げる。そちらを見ると、魔法陣が浮かんでいた。魔力が込められた魔法陣から、東方の国特有の衣装を身に纏った女性が現れる。かつてナイトレイブンカレッジに訪れた使節団と同じ面布を付けており、顔を窺うことは出来ない。


「―――――椿様」
「準備は?」
「出来ております。後は、より安全に黒曜石の君をお送りできるよう、調整をしているところです」
「そうか、ご苦労。それで、例の一族は?」
「すでに事が起こった後でございました」


 カリムと繋いだ手をそっと隠し、毅然とした態度で面布の女性と接するツバキと、部下らしき女性とのやり取りに、クルーウェル達は顔を見合わせた。彼等の顔色は一様に悪く、嫌な汗が流れている。彼等の頭には、ラギー・ブッチの一件を浮かんでいた。ラギーの一件で、夕焼けの草原のスラム街は、一時期原因不明の高熱患者で溢れたのだ。今回はきっと、それよりももっと酷いことが起こっているはずだ。何せ、神のお気に入りと言われているジャミルに手を出してしまったのだから。
 ツバキが、チラリと教師達に目を向ける。逡巡の後、その目は面布の女性へと向けられた。


「では、報告を頼む。彼等にも聞いて貰おう。神のお気に入りジャミルに手を出した奴らの末路を」
「では、そのように」


 そうして語られたのは、トゥレーラ・ラフターラを始めとした、ラフターラ一族の末路だった。
 ラフターラ一族は、トゥレーラの兄一家を残して全滅したという。ある者は波に呑まれ、ある者は瓦礫の下敷きになり、ある者は崖から転落したそうだ。
 生き残ったトゥレーラの兄の家族が幸せかというと、決してそのように表現することは出来ない。まず、夫婦はハンドル操作を誤って、車で自損事故を起こしたらしい。身体には障害が残り、介護無しにはまともに生活することも出来ない状態に陥ってしまった。そして、生まれたばかりの赤子にも病気が見つかって、莫大な手術費が必要になるという話だ。一族はもう、滅んだと言ってもいい。
 だが、完全に滅びるのはまだ先の話だろう。“末代まで祟る”という言葉がある。死んだ後も許さないという意味だ。本人は当然として、その家族をも巻き込んで、徹底的に苦しめ続けるのだ。神々が祟ることに飽きる、そのときまで。


「…………まぁ、そんなもんか」


 ツバキは顔色一つ変えること無く、女性からの報告を聞き届けた。それが当然だと言わんばかりに。面布の女性も、それが妥当であると考えているようだった。
 だが、聞いていた教師達はその限りではない。信じられないと、驚愕に目を見開いている。
 ラフターラの一族は、輝石の国の大手家具メーカーで、一族の規模もかなりのものだ。それがたった数時間で、ほぼ壊滅状態にまで追い込まれるなど、考えもしなかったのである。


「ラフターラ一族は、今後も苦しみ続けるだろう。だが、肝心のトゥレーラ・ラフターラはもうすでにこの世にいない。ならば、私にラフターラ一族への関心は無い。経緯を語り、遺体を返したら、後は捨て置け」
「承知致しました」
「君も準備に加わってくれ。ジャミルの治療が最優先だ」
「もちろんです。すぐに終わらせて参ります」


 現れたときと同じように、女性が魔法陣の中に消えていく。それを見送って、ほっと息をついたツバキがカリムの肩にもたれ掛かった。額の骨と肩の骨がぶつかったのか、ゴツ、と痛々しい音がした。カリムが慌てた様子を見せるが、ツバキは彼の肩に顔を埋めたまま、黙り込んでしまっている。顔を上げさせることを断念したカリムが、その髪をそっと撫でた。
 そんな様子を見て、占星術を担当するシャグラン・アンフェールが視線を泳がせる。何か言いたいことがあるのか、口を閉じては開きを繰り返している。やがて、意を決したかのように、アンフェールが口を開いた。


「そ、それは、あまりにも無責任では……?」
「はぁ?」


 髪の隙間から覗くツバキの目に、再び怒りが宿る。それに呼応するかのように、紅化粧も押さえ込んでいた殺気を膨らませた。
 何を言っているのだ、とクルーウェルがアンフェールの背中に拳を打ち付けた。
 再三言うが、ツバキはまだ子供である。仕事に従事しているとは言え、成人を迎えていない子供の責任は、親が持つべきものだ。そもそも、ツバキにラフターラ一族の面倒を見る義理も義務もないのだ。この一連の流れは、トゥレーラ・ラフターラが引き起こしたことなのだから。彼の家族は、その責任を負って、滅びの道を辿ることになっただけのこと。要は、自業自得なのである。


「人を殺そうとした奴が勝手に死んだだけのことでしょう。何故、我が一族がその責任を負わなければならないんですか?」
「すまない、サニワ殿。アンフェール先生は混乱しているらしい。後で言い聞かせておく」


 アンフェールは優秀な魔法士なのだが、少しばかり空気が読めないという欠点がある。また、これまた少しばかり、配慮に欠ける物言いをしてしまうのだ。これが無ければ非常に良き教師なのだが、いかんせん完璧な人間など存在しない。彼はその良い例だった。
 ツバキが口角を釣り上げる。笑みというより、獲物を捕食する直前の獣のような顔だった。


「犯罪者を可哀想に思うなら、あなたが面倒を見ればよろしいのでは?」


 ―――――出来ないくせに。するつもりなどないくせに。高みの見物を決め込む外野が、責任などという言葉を口にしないで貰いたい。
 アンフェールの言葉をバッサリと斬り捨て、ツバキが身を起こす。


「そも、これは神の沙汰です。神々の裁定で、神罰を下すことが決定され、執行されたのです。それにふさわしい罪を犯した、奴の自業自得だ」
「…………そ、うですね。すいません……」


 アンフェールが首を垂れて、身を縮こませる。加害者はトゥレーラ・ラフターラで、被害者はジャミル・バイパー。その事実は覆らない真実だ。どう足掻いても、トゥレーラが殺人未遂を犯した事実は変わらない。刑が重すぎる気はしたけれど、罰を与えたもの達は、人の理から外れたもの達だ。人と同じ尺度で物事を見ているわけではないだろう。そんな彼等が、これが妥当であると判断し、天罰を下したならば、只人に出来ることなど何もない。アンフェールはツバキの言葉を飲み込んで、顔を俯かせた。


(本当に、嫌になる)


 いつだって、そうだった。助けるつもりもないくせに、みんな口ばっかりで。
 刀剣男士の主として、審神者をしていたときからそうだった。殺してくれと言われたこともないくせに、もう人の為に戦えないと言われたこともないくせに。大変な思いばかりするのに、これからだというところで取り上げられるのだ。本来ならば、自分の仕事ではないことをさせられているのに。一番大変なことは他人任せ。なのに、美味しいところだけ持って行くのだ。そんなのってないだろう。


(そのくせ、少しでも失敗すると、鬼の首を取ったように責め立ててくるんだ)


 あんまりだ。あんまりにも程がある。
 何も知らないくせに。自分勝手に押し付けてきたくせに。文句があるなら自分がやれば良いのに。そんな些細な努力すらしないで、責任の全てをこちらに押し付けてくるなんて。
 目の前で苦しんでいたから、目を背けられなかった。手を伸ばされたから、見て見ぬ振りなんて出来なかった。助かる見込みがあったから、その可能性を信じただけ。そうやって、蜘蛛の糸ほどのか細い糸を、どうにかこうにか掴んできただけなのに。


(今回だってそうだ。私に義理なんてものは一つもない。学園内で起こったことなのだから、本当なら学園が対処するべき事なんだ。それをこちらで請け負っているというのに、なんて言い草だ)


 責任は、十分に果たしている。然るべき機関に連絡を取り、事務的な処理だって行い、遺体を綺麗にして遺族の元へ送ろうというのだ。それだけやれば、十分だろう。ここまでやって尚、文句を言われるならば、全て投げ出して、自分だってジャミルに付き添って自国に帰るのに。
 本当ならそうしたい。けれど、それをしてしまったら、一族に顔向けが出来なくなる。次期当主として相応しいと見上げてくる部下達に、笑いかけることが出来なくなってしまう。そんなのは嫌だから、ツバキは賢者の島に残る選択をしたのだ。


「―――――ツバキ」
「カリム……?」


 カリムが優しい声でツバキの名を呼んで、その身体を抱き寄せる。不思議そうな顔でツバキがカリムを見上げると、彼は優しく微笑んでいた。


「ツバキは何でもかんでも背負いすぎなんだって。それに、何の関係もないツバキに責任があるんなら、一番罪が重いのはオレになる。だって、トゥレーラがおかしくなっちまったのは、オレが優しくしたからなんだろ? だったら、責任の所在はオレにあるはずだ」
「そんなこと……」
「あるんだ、ツバキ。だから、一緒に背負わせてくれ。オレ、誰かに助けて貰わないと、何にも出来ないけど、友達ツバキと一緒なら、何だって出来るからさ」


 あたたかな光に照らされたような気分だった。少しばかり眩しくて、思わず目を細めてしまうような。まるで太陽のようだ。残念ながら、熱砂の国ではあまり良いものとして扱われていないけれど。
 トゥレーラが、彼を想っておかしくなるのも無理はない。カリムはあたたかくて、寛大で、どこまでも優しい。思わず縋り付いてしまいたくなるような、そんな心地にさせるのだ。
 光に照らされて、ツバキは耐えていたものが溢れてしまいそうになる。罪が暴かれて、白日の下にさらされるように。唇を噛んで、必死に耐える。このままでは、子供のように泣いてしまいそうだった。


「…………た、……いてる……?」


 場が静かでなければ、聞き逃してしまいそうなほど、微かな声だった。カリムとツバキが揃って顔を上げると、ジャミルの瞼が震えていた。


「「ジャミル!!!」」
「主!!」


 わずかに意識を取り戻したジャミルが、ゆっくりと瞼を持ち上げる。依然として呼吸は細く、顔色は最悪だ。けれど、目を開くだけの余裕が戻ってきたのは僥倖だ。元凶が消えたことによる影響だろう。あとは、適切な治療を行えば、彼は一気に回復に向かうはずだ。
 暗い顔をしていたカリムとツバキの顔に、わずかに明るい色が差す。二人が椅子から立ち上がってベッド際に駆け寄り、ジャミルの顔を覗き込む。紅化粧も声を上げたが、彼は少し離れた場所で、幼馴染み達の様子を見守ることに決めたようだった。


「…………また……泣いてる、のか……?」


 朦朧とする意識の中で、ジャミルがツバキを見上げる。焦点は合っておらず、きちんと視界が機能しているのかも分からないような有様だった。けれど彼は、ツバキが今にも泣いてしまいそうであることを、正しく感じ取っていた。
 ジャミルが意識を取り戻したこと。彼に涙を指摘されたことで、ついにツバキの涙腺が決壊した。


「……だ、誰の、せいだと……っ!」


 ぼろり、と大粒の涙がこぼれ落ちる。それからは一気に涙が溢れ、白い頬を次々に滑り落ちていく。滂沱の涙という表現がこれほどまでにしっくりくる事はない。そんな涙を流すツバキに、釣られたカリムも同じように涙を流した。


「カリ、ム……怪我、は…………?」
「……っ! オ、レは、大丈夫、だから……! 自分の心配、してくれよぉ………!」


 二人が無事であることを確認したジャミルは、わずかに口元を緩める。再び瞼が落ちていき、ジャミルは暗闇の中へ意識を落としていった。けれど、先ほどまでに比べると、その顔は酷く穏やかなもので、保健室にいた者達を安心させた。
 そんなジャミルに幼馴染み達は彼に縋り付き、「良かった」「良かった」と繰り返し、子供のように泣き続けた。彼等の涙は、ジャミルを東方の国に移送するまで続いたのだった。




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