ジャミルの友達が姐さんだったら if 3
シルバーは頭を抱えていた。学園の見回りの途中で、急激な眠気を覚えたことまでは覚えている。そこからはプツリと記憶が途切れていることから、そのまま眠りに落ちてしまったのだろう。不甲斐ない事実に頭痛を感じるのもそうであるが、眠りに落ちた先の世界に、非常に見覚えがあったのだ。
木々の続く一本道。石畳で整えられた道の先には、立派な屋敷―――――神社が見える。祭りのような賑やかな営み。道行く異形達は皆、面布やお面を被っている。そこは、以前シルバーが“夢渡り”をしてしまった“あわい”であった。
「…………また、ここに来てしまったのか……」
ツバキの夢でなくて良かったという想いと、どうやって抜け出せば良いのだろうという不安で頭を悩ませる。前回はたまたま用事のあったツバキが親切でナイトレイブンカレッジまで送り届けてくれたのだ。偶然が重なることなど、そう何度もあるわけがない。今後もこういったことに巻き込まれる度に助けて貰うわけにはいかないだろう。今回は、己の力で何とかせねばなるまい。
しかし、どうやって抜け出したものか、検討も付かない。マレウスを通して伝えられたツバキの助言では、自身のユニーク魔法の練度を上げることを勧められていた。ツバキはシルバーのユニーク魔法を知らないが、大体の当たりは付いているようで、彼のユニーク魔法が異界を出入りする手助けとなると考えているようだった。話を聞いたマレウスとしても、その可能性は大いにあると賛同していた。尊敬するマレウスと、専門家であるツバキがそう言うのなら、そうなのだろうとシルバーは納得していた。それからは己のユニーク魔法について思考を巡らせたり、ユニーク魔法に関する研究書や論文を読んで勉強しているけれど、成長の兆しは未だに見えないままだ。要は、お手上げの状態である。
どうしたものか、と頭を悩ませていると、ザリ、と地面を踏みしめる足音が聞こえた。わざと立てたであろう音を聞いて顔を上げると、そこには白い面布を付けたツバキが居た。わずかに持ち上げられた布の下から覗く顔は、少し困っているように見えた。
「君、また迷い込んでしまったんだな」
「ツッ………!?」
苦笑するツバキに驚いて、シルバーが声を上げる。思わず名前を呼んでしまいそうになったが、あわいで名を呼ぶのは拙いのだったかと、慌てて口を塞ぐ。そんな行動にきょとんとしたツバキが、少し考えて納得したように頷いた。
「私の名前は呼んでも大丈夫だよ。私は自由に出入り出来るし、ここの住人にも名前は知れ渡っている。そも、名前だけで私を縛れる存在など、どこにも居やしないさ」
「そ、そうなのか……。流石はツバキ殿だ……」
「君、あんまり分かっていないだろう」
ツバキの指摘通り、シルバーはあまり事情を把握していない。名前が大切なものであることは、茨の谷でも共通している。けれど、茨の谷では祝福の意味合いが強い。『縛る』などという不穏な響きと上手く結びつかなかった。
「東方の国では、名前は魂に直結すると考えられている。名前を奪われると、魂を握られたも同然なんだ。だから、自分の魂を守る術のない者は、無闇に名前を明かさないし、相手の名前を粗末に扱わない」
「魂を、握られる……」
「ああ。だから、少しでも怪しいと思った相手には、極力名乗らない方が良いな。……それより、お面を付けたらどうだ? 折角あげたものなんだから、使って欲しいんだが」
「えっ?」
ツバキが示した手元に目を落とすと、シルバーの手には、以前あわいに迷い込んだときに貰った狐のお面が握られていた。いつの間に、と驚くも、ここは現世ではない。例え薄皮一枚程度の違いでも、異界であることには変わらない。何が起こっても不思議ではないのが異界だ。現世の道理を当てはめてはいけない。この程度で驚くなど、精進が足りないな、と内心で嘆息しつつ、お面を付ける。お面を付け終わったのを見届けて、ツバキが踵を返す。
「これも何かの縁だろう。送るよ」
「……すまない、何度も迷惑を掛けてしまって」
「別に構わないさ。帰り道だしな。その代わり、荷物持ちをしてもらうけれど」
「ああ、もちろんだ。それに、きちんとお礼もしたい」
「それなら、茨の谷の美味しいものが食べたいな。茨の谷のものって、あまり見掛けないから、気になっていたんだ」
「承知した。ツバキ殿が気に入ってくれるようなものを探しておこう」
二人はオオカムヅミの社に向かって歩き出す。今回も前回と同じように出店が立ち並び、客の楽しげな声や、出店の主人の威勢の良い声が聞こえてくる。人の営みと酷似しているのに、そこにいる者達は人ではない。首のない犬。服を纏ったトカゲ。ふよふよと浮かぶ炎の塊。この世のものではない、異形達だ。
人ではないナニカ。普段は交わらない現世とあわい。その中に、生者であり人間である己が紛れ込んでいる事実。何とも言えない不思議な心地だった。奇妙な感覚を胸に抱きながら、シルバーはツバキの隣を歩く。
ふと、頭上に大きな影が落ちた気がした。
「こんばんは、清庭んとこのおひいさん」
背後から、それも随分と高い位置から声が聞こえた。驚いて上を向くと、そこには巨大な人型のナニカが二人を見下ろしていた。
のっぺりとした、黒いナニカ。影が、地面から起き上がったような異形だった。
咄嗟に、ツバキを後ろに庇うようにしてシルバーが前に出る。マジカルペンを仕込んだ警棒に手を伸ばそうとして、その手を他ならぬツバキに止められる。ツバキの顔を見ると、ツバキは面布の下で淡く微笑んでいた。
「こんばんは。いい夜だな」
「そうだねぇ。よく晴れていて、月がよく見える。こんな日には良い酒が欲しくなるね」
「ふふ、美しい月夜だものな。今宵は一等果実酒が美味しく感じられるだろう」
知り合い、だったのか。シルバーが身体から力を抜くと、ツバキもシルバーをいさめる手から力を抜いた。
「おや、いつもとは違う人の子を連れているね。いつもの子達はどうしたんだい?」
「いつもの二人は用事があって。今日は彼が付き合ってくれたんだ」
「そうなのかい。珍しい色合いの子だねぇ」
大きな影がシルバーに顔を向けた。目や口と言ったパーツはないものの、何故だか見られているとはっきりと分かった。おそらく、お面の下の顔までもを。
目が合った気がして、ぎくり、と身体が竦む。じっとりとした汗がにじみ出て、心臓が早鐘を打った。
ふい、と顔が逸らされて、ツバキと二、三言葉を交わし、異形が別れを告げる。自分たちを追い抜く巨大な影を見送って、シルバーはようやく息をついた。
「彼……? は、一体……?」
「怪異みたいなものかな。まぁ、彼は特定の条件下でのみ脅威になるものだから、ここでは危険は無いよ」
「……危険、ではあるのか」
「条件が揃えば、な。よくあるだろう、やってはいけないことを、やってはいけない場所でやると、怪物が現れる、というやつ」
「ああ、なるほど。そういうものは聞いたことがあるな。禁足地に指定されている場所なんかは、特に多い気がする……」
「それだけ危険だからな。彼はそういった場所に存在するものだ。彼の恐ろしさを目の当たりにしたくなかったら、禁足地には踏み込まない事を薦める」
ツバキの言葉に、身体の芯からゾッとした。気さくな様子でツバキに接する姿は親戚のような振る舞いだったが、シルバーが感じた嫌な予感は正しかったのだ。それほどまでに危険なもの。ツバキがシルバーを制した理由がよく分かった。アレには、未熟な魔法士では敵わない。
危険なものと相対しても、まったく動じる素振りを見せないツバキに感嘆する。平時と変わらず、焦ることすらしなかった。先ほどなど、あの影に微笑んですら見せていた。内心まではうかがい知ることは出来ないが、その堂々たる振る舞いは見習いたいものだった。
ふと、自分の手に、ツバキの手が重なっていることに気付く。先ほどまでは影に気を取られて気にしていなかったが、その事実に気付いたシルバーは狼狽した。ツバキもすっかり忘れているのか、手が解かれる気配はない。
指摘するべきだろうか、とシルバーは黙り込む。シルバーとしては、この状態は歓迎するところだ。何せ、気がある相手の手が、自分の手と重なっているのだから。嬉しいけれど、黙ったままでいるのは何だか卑怯な気もしてくる。どうしたものか、と考え込んでいると、ツバキが己の手がシルバーの手と重なったままであることに気付いたのか、するりと力が抜けていくのが分かった。ツバキの手が離れていくのが分かったシルバーは、思わずその手を追い掛ける。咄嗟に握りしめてしまってから、シルバーはやっと我に返った。何をやっているのか、と。
弁明の言葉を掛けようと顔を上げると、ツバキは面布の上からでも分かる、何とも言えない感情を滲ませた、複雑な雰囲気を纏っていた。ただ、困っていることだけは伝わってきて、やってしまった、と頭を抱えたい気持ちになる。けれど、自分から手を離すのは惜しくて、手を離すことが出来ない。
「…………君に、聞きたいことがあるんだが」
「あ、ああ……。な、何だろうか……」
「…………これを、私が聞いて良いものかは、分からない」
「お、俺に答えられることなら、何でも答えるが……」
じわじわと、顔に熱が集まってくる。お面を被っていて良かったと、心の底から安堵した。自分は今、とても人様に見せられるような顔をしていない。きっと、情けない顔をしていることだろう。意中の相手には絶対に見せられないような、そんな顔を。
それなら、とツバキが頷く。けれど、ツバキにしては珍しく、言い淀んでいるようだった。それから少し考え込んで、意を決したように口を開いた。
「………君は何故、私を好きになったんだ?」
ツバキからの問いかけを理解したシルバーは、その動揺が表に現れなかったことが奇跡だと思った。心臓はとんでもない音を立てたし、顔は火を吹かんばかりに熱い。全身から汗は噴き出るし、頭は真っ白で何も考えられない。身体が微動だにしなかったのは、そのほかが忙しすぎて、指先一つ動かすこともままならないほどリソースを割いていたからもしれない。
シルバーが完全に硬直してしまったのを察したツバキが、小さく息をつく。
「…………やはり聞いて良いものではなかったな?」
「い、いや、その……あまりに予想外で……。というか、いつから気付いて……?」
「1年の時から知っていたが」
絶句とは、まさにこのことを言うのだろう。二の句を告げなくなったシルバーは、ツバキを見つめてぽかんと口を開けたまま呆けてしまった。
1年のいつの頃から知っていたのだろうか。出会ってすぐに気付かれていたのなら、丸1年程前から気付かれていたことになる。それでも変わらずに接してくれたことを嬉しく思うべきか、意識されていないことを嘆けば良いのか。シルバーは思わず天を仰いだ。
「…………俺はそんなに分かりやすいだろうか。分かりにくいと言われることが多いんだが……」
「ことこの件に関しては。普段は近しい人物にしか分からないんじゃないだろうか」
これも、審神者の力なのだろうか。神の正体すら見通す瞳は、物事の本質を捉えることに優れている。その瞳で見つめれば、人の心など容易く見抜いてしまうのかも知れない。
お面の下で、視線が彷徨う。どう答えたものか、と無意味に口を開いては閉じてを繰り返す。そんなシルバーの困惑を感じ取ったのか、ツバキが小さく苦笑した。
「無理に答えなくて良い。不躾なことを聞いてすまなかった」
「いや、そんなことはない。いつか伝えたいと思っていたことだ。ただ、上手く言葉が出てこなくて……」
「そうか」
そう、いつかは伝えたいと思っていたこと。いつかは言葉にして、届けたいと考えていた想い。
これは告白ではない。それはまたいずれ、きちんとした形で行いたい。これは、ただの質問に対する答えだ。
緊張で高鳴る心臓を抑え付け、深呼吸して呼吸を落ち着かせる。声が裏返らないように気を付けながら、シルバーは口を開いた。
「……あなたの夢に迷い込んでしまったとき、抜け出さなければと思う一方で、ずっとそこに留まっていたいような心地にさせられたんだ」
目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる、美しい夢。いつまでも見ていたくなるような、幸せで満たされたあたたかな景色。そこにはいつだって、花のように微笑むツバキが居た。
「あなたの想いは、とても美しかった。あの世界はとてもあたたかくて、優しくて、幸せだった。あなたの愛に溢れていた。そばで見ていただけの俺にも、その愛が伝わるくらいに」
愛しくてたまらないのだと雄弁に語る瞳は色鮮やかだった。幸せだと綻ぶ笑みは、何よりも美しかった。全身で、心の底から愛を告げる様を見せられて、心を揺さぶられない者はいないだろう。シルバーは、ツバキの愛を知ってしまった。あんな風に心を寄せられたら、誰だって愛を返したくなってしまうような想いを。
溺れるような愛だった。どうしようもないほどの愛で溢れた一幕だった。自分もそこで満たされたいと、そんな風に惹かれて止まない光景だった。
自覚してしまったら、止められなかった。転がるように恋に落ちた。恋い焦がれ、希い、手を伸ばさずには居られなかった。
ツバキの手を、そっと包み込む。武器を使うからか、固い部分の多い手だった。けれど、思っていたよりもずっと細い。その繊細にも感じられる指先を自覚して、さらに体温が上がった気がした。
「………俺も、あんな風に想いを寄せられたい。そう思ってしまったんだ」
些細な切っ掛けかもしれない。取るに足らない理由だと思われるかもしれない。けれどシルバーにとっては、あの美しい景色が、彼等に向ける微笑みが、何よりの理由だったのだ。
こんな拙い言葉で、伝わるだろうか。自分の胸からあふれ出してしまいそうなほどの、彼女への想いが。
幼い言葉では伝わらないかもしれない。納得して貰えないかもしれない。けれどシルバーは、彼女が良い。ツバキの想いを受け取るのは自分が良い。
もっと良い言葉はないだろうかと思考を巡らせると、自然と口が閉じてしまう。伝えたいことはたくさんあるのに、それを上手く形に出来ないのだ。自分の心を抜き出して、直接渡せたら良いのに。そうしたら、想いを全て伝えられるのに。自分の口下手に嫌気が差す。呆れられていやしないだろうかと、お面の下からツバキの顔をそっと伺う。同じように面布で顔を隠しているから、彼女が何を考えているのか、よく分からなかった。
「………そうか。君は、彼らを愛する私を愛してくれたんだな」
そっと、囁くように落とされた言葉は、酷く柔らかいものだった。あたたかさと優しさだけで作られた、どこまでも丸みを帯びた声だ。初めて聞く声音に、シルバーは目を瞠る。
けれど、ここで黙っているわけにはいかない。ただでさえ口下手なのだから、言葉を惜しんでいては、伝わるものも伝わらないだろう。
「そう、だな。彼等の存在あってこそのあなたを、俺は好きになった」
「………ああ、それは、なんて素敵なことだろうな」
夢の中の彼等に向ける愛の一端を受け取った気がして、シルバーは思わず息を呑んだ。だって、綻んだ口元が、夢の中の微笑みと重なったのだ。その笑みが面布に隠れている事実が、こんなにも口惜しい。ずっと、自分に向けて欲しかった微笑みが、自分に向けられているかもしれないのに、それを見ることが出来ないなんて。面布を剥ぎ取りたいような、乱暴な衝動に駆られそうになるのを必死に宥め、その口元を目に焼き付ける。いつか、その花のような微笑みを、真正面から見るのだと、そう心に誓いながら。