ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編 2
オクタヴィネル寮内に展開されるリストランテ―――――モストロ・ラウンジでは、ジェイド・リーチは主にホールを担当することが多い。にこやかな笑みは人当たりが良く、物腰も穏やかで接客向きであるからだ。
彼の本性の一端でも知ってしまえば、決してそのようには思えないが、彼は一見すると見目のいい好青年でしかない。彼のほんの表面だけをなぞれば、どこまでも紳士的な顔しか見えてこない。それほどまでに、本性を隠すのに優れているのだ。そうであるからして、彼の仕事はホールでの接客が主だった。
本性を知られてしまえば、上記の旨味がなくなってしまうかと言えば、そうではない。何せ、モストロ・ラウンジが併設されているのはツイステッドワンダーランド中から集められた悪童達の集う学び舎―――――ナイトレイブンカレッジである。むしろ、彼の持つ荒々しい一面を見せることで、厄介なお客様への牽制になるのだ。店内で暴れたり、いちゃもんを付けるような輩が現れたときに、肩を叩くだけでいい。それだけで、彼の凶暴さを知る者達は簡単に引き下がってくれるのだ。二面性というのは、そのギャップが激しいほど、より強く印象に残る。それが恐怖であれば、尚更である。
けれど、彼には本性を知った者にこそ驚愕を与える真のギャップというものが存在していた。それは、彼とてただの17歳であり、屈託なく笑うことが出来ると言うことである。
「こんにちは。久しぶりだな、ジェイド」
それは休日の出来事だった。ただの私服というにはフォーマルな装いを身につけた人物が、モストロ・ラウンジに訪れたことによって発覚した事実である。
モストロ・ラウンジで優雅な休日のランチタイムを過ごしていた生徒達は、ジェイドに対して親しげな様子を見せるその人物に釘付けとなっていた。一体誰だ、と顔を見合わせるものの、店内にその顔を知るものは誰一人として存在しなかった。学園の生徒ではないのか、と首を傾げていると、その中の一人が首から提げている入校許可証に気が付いた。彼の父兄だろうか、とジェイドの方を見やると、彼にしては珍しく、心の底から驚いているのが分かる表情で目を丸くしていた。
「お久しぶりです、ツバキさん。ようこそいらっしゃいました」
ふわり、とジェイドが微笑む。思わず息を呑んでしまうほどに、鮮やかな笑みだった。声も、とろりとした甘さを含んでいて、その声を耳にした者達はそわそわと落ち着かなくなり、顔を赤らめる者も居たほどだ。
ツバキと呼ばれた人物は、決して父兄などではない。恋人か、それに限りなく近い存在だ。そうでなければ、そんなあからさまな態度を取るわけがない。ツバキに会えて嬉しいのだと、彼の持ちうるものすべてを使って、そう訴えている。
けれど、その笑みを向けられたツバキは涼しい顔をしていた。喜びの色は見て取れるけれど、恋人との再会を喜ぶような熱はない。数日ぶりの友人を目の前にしたときのような、さっぱりとした態度だった。
「綺麗な店だな。調度品もセンスがいい。細部にまでこだわりを感じられる」
「ふふ、ありがとうございます。内装にはとてもこだわっているので、そう言っていただけると嬉しいですね」
「料理も期待していいか?」
「ええ、もちろんです。今日はフロイドがキッチンを担当しているのですが、珍しいくらいに調子がいいんです。ツバキさんが来ていると知ったら、きっと張り切って作ってくださいますよ」
「ふふ、それは楽しみだな」
ジェイドに手を差し出され、そっと指先を預ける。エスコートされることに慣れないツバキは内心で苦笑しつつ、常より浮かれた調子のジェイドに手を引かれる。一見すると性別が不明なツバキは、どちらかと言えば男性に間違われやすい。そのため、エスコートを受ける機会が少ないのだ。また、遙か遠い世界での記憶では、その文化に触れることが殆どなかった。文化の違いというやつで、どうしても複雑な気持ちになってしまうのだ。故に、ツバキは基本的に、エスコートやレディファーストは断るようにしている。
しかし、明らかに自分に好意を寄せるジェイドのエスコートを拒むのは、何とも居たたまれない気分にさせる。拒まれることに対する不安とどうしようもない緊張を隠しながら差し出す手はいつだってわずかに震えていて、澄ました顔の裏でとんでもない勇気を振り絞っていることが窺えるのだ。そんな相手の手を払いのけるなど、ツバキには出来なかった。
こちらにまで緊張が伝わってきそうなジェイドに促され、席に着く。案内されたのは水槽が一番よく見える、なかなかにいい席だった。
「いい席だな。しかし、一人客の私が占領してしまっていい席なのか?」
「ええ、もちろんです。ツバキさんなら、アズールも文句は言いません」
文句を言わないのではなく、言えないだけなのではないだろうか。ツバキが小さく首をかしげる。
ツバキとのファーストコンタクトが強烈だったアズールは、どうやらツバキに苦手意識を抱いているらしい。何か商売に繋がることだったり、自分の利益を感じるようなことでもない限り、あまり積極的にツバキと関わろうとしないのだ。いやむしろ、そこまで苦手な相手を前にしても、商機があれば逃さないで食らいついてくる商魂に敬意を表するべきか。何にせよ、理由がなければツバキはアズールに避けられているのが現状だ。
反して、ジェイドとフロイドはツバキに好印象を持っているようで、むしろ積極的に関わろうとしている。特にジェイドは、それが顕著だった。
「今日は忙しいだろうか」
「―――――いいえ。確かに普段よりはお客様が多いですが、その分スタッフを増員しております」
「なら、ジェイドのオススメを教えてくれないか? 人気のメニューも知りたいな」
「承知致しました」
嘘だろうなぁ、と横目で店内を見回し、忙しく動き回るスタッフを視界に映す。ここからは見えないが、特に厨房の方は猫の手も借りたい状態だろう。
客の方はジェイドと見慣れないツバキの動向を探っているのか、息を潜めるようにして様子を伺っている。二人の様子が知れるまで、成り行きを見守るつもりであるようだ。特にたいして面白い会話をしているわけではないのだが、とメニュー表に視線を落とす。
「定番メニューのオススメですと、やはりボリュームのある肉類が人気です。ハンバーガーやローストビーフ、タンドリーチキンですね。他には、ボルシチやピザ、パスタ類も人気です」
「お肉いいなぁ。他には何かあるだろうか?」
「それでしたら、現在期間限定でムサカを提供しております。フロイドが試しに作ってみて、スタッフで試食したところ大変好評だったんですよ」
「へぇ、ムサカか。あれ好きなんだよな。でも、作るの大変だろう? だから期間限定なのか?」
「ええ。定番メニューにするには、いささかコスパが悪いと」
「なるほどな。なら折角だし、ムサカを頼もうかな。あとは、もう一品、さっぱりしたものが食べたいんだが」
「では、ガスパチョなどいかがでしょう? 僕個人のオススメですと、キノコとパプリカのマリネも食べやすいのではないかと」
「君のオススメなら間違いないな。ムサカとマリネを頼むよ」
「ふふ、ありがとうございます」
厨房にオーダーを通すためにジェイドがテーブルを去って行く。その背中を見送って、ツバキは水槽に視線を向けた。
美しい光景である。ただ、ツバキは前世が日本人であったため、ちょっとばかり他の客とは目線が違っていたけれど。お刺身にしたら美味しそうとか、そういうあれである。
そんなツバキをよそに、ジェイドは厨房で料理を作っているフロイドに声をかけた。
「オーダー入りました。フロイドにお願いしても?」
「いいよぉ。オルカちゃん、来てくれたんだぁ。良かったねぇ、ジェイド」
「おや、よくお分かりになりましたね」
「そりゃそんな顔してたらねぇ」
「え?」
「顔、茹でられたタコちゃんみたいになってるよ」
フロイドの生ぬるい視線を受けて、ジェイドが咄嗟に口元を手で覆い隠す。けれど、目尻や耳が赤く染まっているのは一目瞭然で、よく訓練されたスタッフ達はそっと視線を逸らした。
しかし、それが出来たのはホールスタッフから事前に情報を渡されていたからだ。そうでなければ、きっと凝視していたに違いない。そのくらい、ジェイドの赤面は珍しいものだった。
「ホールが暗くて良かったねぇ」
「…………はい」
ジェイドの珍しい表情を引き出した本人には、きっと気付かれているだろうけれど。
その事実は口に出さず、フロイドはツバキのオーダーが書かれたメモを受け取り、早速調理に取り掛かるのだった。