ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編
ソリレースに必要なぬいぐるみを作って貰っている間、一行はお祭りに参加することになった。村の人たちが用意した『アップル・ボア』という伝統衣装を身にまとい、お祭りのメイン会場である林檎広場を訪れた。屋根の着いた屋台が建ち並び、林檎の形をしたランプで飾り付けられた、かわいらしい会場である。
屋台村『コッコマーケット』。“コッコ”とは輝石の国の古い言葉で“焚火”という意味があり、その名を表すように広場の真ん中に大きな焚火場があった。そこでは無料の林檎ジュースとアップルパイの提供があり、飲み物で喉を潤いしたナイトレイブンカレッジ一行は甘い匂いに誘われて、焼きたてのアップルパイを貰いに向かった。
直径5メートルもの巨大なアップルパイはこのお祭りの目玉の一つであるという。他には林檎の“赤さ”を競う品評会なども行われているのだとか。
「お、君達もお祭りに来たんだな」
「あ、ツバキサン!」
アップルパイを頬張っていたエペルが顔を上げると、ツバキが手を振りながら歩み寄ってくるところだった。そして彼等の装いが先ほどと異なっていることに気が付いて目を瞬かせた。
「素敵な衣装だな。ソリレースのための衣装だろうか?」
「『アップル・ボア』って言って、豊作村の伝統衣装なんです。今ではケルッカロトのときくらいしか着ませんけど」
「そうなのか。みんなよく似合っているな」
「ありがとうございます! そうだ、今無料で振る舞われているアップルパイが焼き上がったところなんです。とっても美味しいので是非食べてみてください」
「ふふ、是非そうさせて貰うよ」
エペルの言葉に笑みを浮かべたツバキが、その足でアップルパイを切り分けている村人の元に向かう。幾度か言葉を交わし、アップルパイを受け取る。村人は異国の客人に喜んでいるようだった。
アップルパイを受け取ったツバキが監督生達の元に戻ってくる。一番端っこに立っていたジェイドの隣に並ぶ。
「いただきます」
焼きたてあつあつのアップルパイ。湯気を立てる熱さをものともせず、思い切りパイにかじりつく。ザクッ、と耳に心地よい音を立てた。
「…………っ! おいしい……っ!」
サクサクのパイ生地からあふれ出る林檎のフィリングは、熱でトロトロにとろけている。甘さの中に爽やかな酸味を残した林檎は、ほんのりシナモンが香った。
凍えるような寒さの中で食べる温かいスイーツは最高と表現する他ない。こたつに入って食べるアイスを贅沢だと感じるのと同じように、冬の屋外で湯気を立てる食べ物を食べるのもまた乙なのだ。
「はふ、あち……。んふふ、あふ、おいしい……」
はふはふ、あちあち。火傷をしないように気を付けつつ、それでも大口で食べてしまう。サクサクとろり。その矛盾しているはずなのに、絶妙にマッチした食感すら美味しい。大きめに切られた一切れだったが、あっという間に食べ終わってしまった。
最後の一口を食べ終わると、ほぅ、と幸せのため息が漏れた。きっちり冷まして、生地とフィリングを馴染ませたアップルパイも美味しいけれど、ツバキは出来たてのアップルパイの方が好みだった。美味しいものをより美味しい状態で味わえてご満悦なツバキの顔は、輝かんばかりの笑みが浮かんでいた。
ごちそうさまでした、と手を合わせる。ぺこり、と下げられた頭を上げたツバキは、今日一番の笑顔だった。
「………ツバキさんはアップルパイがお好きなのですね」
ツバキがあっという間にパイを食べきったのを見たジェイドが、意外そうに目を瞬かせる。頬を上気させて、キラキラとした瞳でアップルパイを頬張るツバキを見て、自分の分をあげたら喜んでくれたかな、という考えがチラリと浮かぶ。美味しいものを食べるのはジェイドも好きだが、ツバキが嬉しそうな顔を自分に向けてくれるのも、とても素敵なことのように思えたのだ。
ジェイドが自分を見つめていることに気付いたツバキが、幸せな気分のまま大きく頷く。
「ああ、大好きだよ」
「……っ! そ、そうなんですね……」
「ふふ、美味しい林檎を使ったアップルパイなんて、最高じゃないか。林檎はそのまま食べても美味しくて好きだけれど、美味しい林檎を加工して、さらに美味しくするんだ。そんな幸せの味、好きにならないわけがないだろう?」
今まで見てきた中で、おそらく一番の笑顔だった。それを真正面から向けられて、ジェイドがたじろぐ。心臓が高鳴り、頬が熱くなる。何とか平静を保っているものの、分厚い面の下ではどうしようもないほどに動揺していた。
ジェイドと同じように、その素晴らしい食べっぷりに驚いていたエペルが、故郷の味を絶賛されて喜色満面の笑みを浮かべる。その隣では、美食大国出身の監督生がツバキの言葉に全面同意の意味を示していた。美味しいは正義。監督生の好きな言葉である。
セベクはジェイドの様子をどこかで見たことがあるな、と首を傾げていた。ちなみに正解はツバキを前にしたシルバーである。彼の中でジェイドとシルバーがイコールで繋がることが皆無なので、そのことを全く思い出せないでいた。
セベクと同じくジェイドに注目していたイデアは、彼の変化に目を丸くしていた。え、まさかそういうあれ? と本人よりも彼の心情を正確に把握していたかもしれない。そういう感情あるんだ、とか、その相手がツバキであるのは意外だ、とか、大分失礼な理解ではあったが。
ちなみにグリムはアップルパイに夢中で一連の流れには全く気付いていない。
「あんた、調査員の人だろう? 良い食べっぷりだね」
「いやぁ、そんな風に美味しそうに食べてくれると嬉しいね! もう一つお食べ」
若者の一団が珍しい豊作村で、彼等は非常に目立っていた。そのため、彼等のやり取りは注目を集めており、ツバキの絶賛に彼等は非常に嬉しそうにしていた。先ほどより大きく切り分けられたアップルパイを差し出し、ニコニコと笑っている。目の前に差し出されたほかほかのアップルパイに、ツバキがぱっと顔を輝かせた。花が咲き誇るような笑みだった。
「わ、良いんですか? 嬉しい……! 頂きます!」
二つ目のアップルパイも、一つ目と変わらない笑顔で食べていく。美味しいものはいくらでも食べられると言わんばかりの良い食べっぷりだ。その美味しそうに食べる姿に食欲を刺激されたものはこぞって食べ物が売られている屋台やアップルパイの提供されている広場に集い、世話焼きなおじいちゃんおばあちゃん世代がもっと食べさせたくてそわそわしていた。
黙々と、けれど溢れんばかりの笑顔でパイを食べていたツバキだが、半分ほど食べ進めたとき、ふと、その手を止めた。
「ここ、アイスって売ってないかな……」
「アイス? この寒い中で食べるの? 正気???」
「いえ、アップルパイに添えたいなと思いまして。アツアツのアップルパイに冷たいバニラアイスって最高じゃないですか」
いつになく真剣味を帯びた顔を向けられたものだから、イデアは「そ、そうだね」と同意するように頷く。彼女の美味しいものに対する熱量は、どこかオタクが推しに掛ける熱量に似ていた。要は否定すると面倒なことになりそう、という回避行動である。
「分かります」
「だろう? どちらも単体で食べても美味しいが、林檎の酸味にさっぱりしたアイスの甘さは抜群の相性を誇っている。美味しいに美味しいをかけ算すると、いっそ罪なのではと思ってしまうな……」
「何言ってるんですか。美味しいは正義ですよ」
「ああ、すまない。そうだったな。美味しいものに罪などあるはずもない」
「ヨーグルトとか生クリームも美味しいですけど、自分はアイスが至高だと思っています」
「気が合うな、私もだ」
意外なことに、似たもの同士だった監督生がツバキの言葉に同意し、何やら思わぬ盛り上がりを見せていた。
「……意外ですね。監督生さんと気が合うとは」
「人間の出身が東方の国とよく似ているという話だ。もともとの感性が似ているのだろう」
「……なるほど」
残念ながら極寒の地でアイスの販売は行われておらず、結局ツバキはそのままのアップルパイに舌鼓を打った。それでもパイそのものが非常に美味なものだったので、ツバキとしては大変満足したのだった。
けれど、お節介を焼きたい欲が大いに刺激されたお年寄り達の欲求は、パイの一切れでは収まらない。豊作村ブランドの林檎ジュースに始まり、ジャムなどの加工品、林檎をモチーフとした工芸品。最終的には予備として作られたアップル・ボアの衣装までもお土産として持たされてしまったのだった。
「………何だかたくさん持たされてしまったな。こんなに貰ってしまって良いのだろうか」
「貰えるもんは貰っとけば良いんだゾ!」
「そうですよ! 調査のお礼だと思って受け取ってください!」
「……報酬は受け取っているんだが。まぁ、好意を素直に受け止めるのも礼儀だよな」
ツバキが受け取ったアップル・ボアは白を基調としており、差し色に赤が使われているものだった。雪の中で咲く、椿を思わせる色合いだ。もこもことした厚手の生地は触り心地がよく、ぎゅっと抱きしめるとそれだけで温かい。良いものを貰ったなぁ、とツバキは小さく笑った。
予想外にお揃いのものを手に入れてしまったジェイドは、いつもの食えない笑みを浮かべていたが、その内心は浮ついていた。どうせなら着てくれないかな、と考えながら、もこもことした手触りを堪能している少女を見つめる。
けれど、そんなふわふわとした気分を、ツバキが凍らせた。
「………折角だし、ジャミルと一緒に使わせて貰おうかな。この羽織だけでも、十分温かいし」
ぽつりと呟かれた言葉を耳にしたジェイドは、絶対にもう一着分けて貰うことを心に決めた。