ジャミルの友達が姐さんだったら 番外編
監督生を始めとしたナイトレイブンカレッジ一行は、エペルの案内で輝石の国にある豊作村に来ていた。友人であるエペルの故郷である。監督生達がこの村に足を踏み入れたのは、彼からとあるイベントへの参加を打診されたためである。
―――――『モルン山ケルッカロト』。美しい少女を助けるため、必死に山道を走った動物たち。その健闘を讃えて開催されるソリレースのことである。そのレースに参加するために帰省することになったエペルに招待され、監督生は相棒のグリム、同じく招待されたセベク、ジェイド、イデアとともに彼の故郷に足を踏み入れたのだ。
豊作村は一面の銀世界。山に囲まれた村には見渡す限りの果樹園が広がっており、雪景色の中に林檎の赤が美しい。時折目に付く家々は、監督生の故郷ではあまりお目にかかれない建築様式だ。その光景に、異国に来たことを改めて実感させられた。
「おや?」
エペルの案内で彼の家に向かう道すがら、ふとジェイドが立ち止まった。傍を歩いていた監督生も、釣られて足を止める。
どうしたのだろう、と監督生がジェイドの顔を見上げる。彼の瞳は動揺に似た感情に揺れていた。
珍しい彼の様子に、一体何を見つけたのか、と不思議そうに監督生がジェイドの視線を追う。そこには何となく見覚えのある人間が佇んでいた。
ナイトレイブンカレッジではあまり見かけない濡れ羽色の髪。林檎の木を見上げる瞳は、これまた珍しいオニキスのような漆黒。何より目を引いたのが、身にまとっている衣装だった。その人物は着物を着ていたのだ。監督生の知っているものとは、少し形状が異なるけれど。
ツイステッドワンダーランドにも、監督生の故郷である日本によく似た国があるのは知っていた。けれど、実際に故郷を思わせるものを目にすると、胸に込み上げてくるものがある。事実としては、よく似ているだけで全く別の国なのだけれど。
誰だったかな、どこで見かけたかな、と首を傾げる。それが誰だったかを思い出す前に、ジェイドがふらりとその人物に足を向けた。
「ツバキさん」
ジェイドの口から零れたとは思えない、弾んだ声だった。否、心底楽しそうな声ならば聞いたことはある。何ならここに来る直前に、そのような声を聞いたばかりだ。彼がエペルに同行することになったのは、モルン山という山にある。
彼は片割れに「山狂い」と評される程度には山マニアだった。前々からモルン山に魅力を感じており、いつか訪れたいと考えていた彼はそれを理由にイベント参加を承認したのだ。そのときの声は、確かに常よりもずっと弾んだものだった。
けれど、これは山に対するそれとは違うものだ。湧き上がる歓喜を抑えきれないと言うような、特別な感情を含んだ声だった。
彼女はジェイドの声に振り返り、見知った顔があることに驚いていた。わずかに目を見開いて、目を瞬かせた顔は稚さを感じさせる。その顔に口元をほころばせたジェイドが、柔らかい声でツバキに話しかけた。
「お久しぶりです。まさか、賢者の島以外で会うことになるとは思いませんでした」
「久しぶりだな。私もナイトレイブンカレッジの生徒に会うとは思わなかったから、驚いたよ」
「あまり見かけない衣装ですね。東方の国の衣装ですか?」
「ああ。仕事用のものだから、きちんとした民族衣装とは少々形が異なるんだがな」
「そうなのですね。よくお似合いです」
ツバキが着ているのは、袴と巫女装束の間の子のような衣装だった。雪のような純白と、目の覚めるような赤色が美しい。羽織は千早によく似たもので、銀糸で椿の花が描かれている。柔らかい日差しを受けて、銀糸が雪のように輝いていた。
彼等のやり取りを見ているうちに、ツバキの顔を思い出した監督生が手を打った。ジャミルの幼馴染みだという、ロイヤルソードアカデミーの生徒だ。この世界における日本国のような国の出身で、踏み込んだ話は出来ていないものの、何度か会話をしたことがある相手だった。普段とは雰囲気が異なっており、相手がツバキだと認識出来なかったのだ。監督生と同じく、ツバキだと確信が持てていなかったイデア達も、ジェイドとのやり取りで確信を持ち、それぞれが驚愕の表情を浮かべていた。
「え、え、つ、ツバキ氏……? 何でツバキ氏がここに……? こ、この村、何かやばいものでもあるの……?」
イデアが白い顔から、さらに血の気を引かせる。彼とツバキの出会いはナイトレイブンカレッジで起こった事件の中でも飛びっ切り悲惨な事件が切っ掛けだったため、ツバキの顔を見ると、どうしてもその一件を思い出してしまうらしい。寒さとは違うもので、彼の身体が震えていた。
わらわらと近寄ってきたナイトレイブンカレッジの生徒達の顔を見回し、その中で不安げな色を見せるイデアに苦笑してみせた。
「いえ、そういうわけではありません。そういうものがないかの調査です」
「あ、そ、そうなんだ……」
「まぁ、問題があっても、今日は家の者達も伴っていますし、そうそう大事にはなりませんよ」
ナイトレイブンカレッジ生にとって、清庭家案件というのはなかなかにトラウマだ。特に酷いのはラギーにアズール、イグニハイドだろう。何かしらの異常事態が発生してツバキがこの場にいるわけではないと分かって、イデアがほっと胸をなで下ろす。
けれど、それを聞いて黙っていられなかったのがエペルだ。
「この村に危険なものなんてありません」
かわいらしい顔を不満げに歪ませて、抗議の声を上げる。そんなエペルを見て、ツバキが顎に指を掛ける。少し考えるそぶりを見せてから、まっすぐにエペルの瞳を見つめた。
「こういう山間の村は、特有の価値観や習わしがあったりするだろう? そういう場所には、その土地固有の信仰が生まれやすいんだ」
「土地固有の信仰、ですか……?」
「何なんだゾ、それ?」
「そうだな……。例えば、ある村に神秘的な木があったとする。その村では、村人達はその木に神が宿っていると考えている」
「ああ、なるほど。よくあるやつですね」
「よくあることなんだゾ?」
肝心のエペルは不思議そうな顔をしていたが、その説明で監督生は納得する。何でもかんでも神様にしてしまう国、日本。やべぇ奴も祀っとけば何とかなる精神で様々な悪霊を鎮めてきた国だ。その手の話には事欠かない。ちょっと調べればツバキの言うような例え話だって見つかる国である。その手の話が迎える結末だって、彼は知っている。
「ああ、よくあることだとも。そして、そんな木がある日、雷に打たれて焼け落ちてしまう。そうすると、村人達は守り神を失ったとして、村に災いが降り注ぐのだと悲観する」
くりくりの目を瞬かせて監督生とツバキの顔を交互に見つめるグリムに、ツバキが深く頷く。
「―――――そんなとき、一人が病を患ってしまうんだ」
声を落とし、重々しくツバキが告げる。ここでようやく、先の展開が見えてきたイデアとジェイドがはっと息を呑んだ。
セベク達はまだ、先が読めていない。よく分からない、と言うように先を促す。
「それが家族に移って、近隣の住民達に移っていったら?」
―――――それが村全体に広がってしまったら?
その言葉に、グリムが言いようのない恐怖を感じて、全身の毛を逆立てる。そろそろと監督生に近づいて、その足にぎゅっとしがみついた。
「村人達はそれを、守り神を失ったことによって降り注いだ災いだと信じてしまう。そして、新たな神を得ようと生け贄を捧げたり、呪いを生み出してしまうんだ」
「新しい神を立てようとするのは分かるんですが、呪いを生み出してしまうってどういうことですか?」
「いや、生け贄を捧げてまで新しい神を立てようとするのも分からんのだが!!???」
「嘘でしょ、監督生氏は理解できるの???」
ここで、監督生にとって予想外の言葉が出てきた。その疑問を解消すべく質問を投げかけると、セベクとイデアからぎょっとしたような表情を向けられる。
今まで神にすがって生きてきたのだから、新たにすがるものが無ければやっていられないと考えるのが自然ではないだろうか、というのが監督生の談である。けれど、これを口にしても同意が得られないことは分かっている。カルチャーショックというか、異世界ギャップというやつだ。曖昧に笑いつつ、ツバキに視線を戻す。彼女も監督生と同じような笑みを浮かべていた。流石異世界版日本人、見事なアルカイックスマイルだった。
「“災い”という概念が現実味を帯びてしまうんだ。実際には偶然風邪を引いてしまっただけなのに、村人達が“そうである”と信じてしまったことによって、それが事実として固定されてしまうということさ」
口元だけの笑みを消し、真剣味を帯びた瞳でツバキが告げる。それはとても恐ろしいことだった。想いの力が形を為す。それはおそらく、ツイステッドワンダーランドだからこそ起こりうることだ。魔力という力ある物質が存在し、イマジネーションによって発揮される魔法という出力装置がある。条件さえ揃えば、無から有が生み出されてしまうのが、この世界だった。
「これはあくまで“例え”であり、実際に起こるかどうかは分からない話だ。けれど、似たようなことは実際に起こっている。とある村では、世代が変わるごとに概念が現実になっているような場所もあるよ」
「ま、まさか……豊作村も………?」
「いや、今回私が来たのは、そういうことが起こっていないか調査するためだ。ここにはモルン山という神聖視される霊峰があるからな」
ツバキは再びアルカイックスマイルを浮かべた。エペル達は安心させるための笑みだと受け取ったが、監督生だけは別の意味が含まれていることを察していた。おそらく、実際にあったのだ。いつのことかは分からないけれど、概念が実態を持つような、恐ろしいことが。
ここでふと、ジェイドが不思議そうに首を傾げた。
「何も起こっていないのに、調査依頼が出されたのですか? 有事の際に専門家を呼ぶのなら分かるのですが……」
「いや、これは定期的な見回りだよ。昔、同じような立地の村に起こった不幸を耳にした豊作村の人たちが、東方の国を頼ったんだ。それで豊作村とは、十年ごとに実地調査をする契約を結んでな。今年が丁度調査を実施する年だったというだけだ」
「そ、そうなんですね……。知らなかったや………」
「調査は大体終わったけれど、特に問題はなさそうだから安心してくれ。それより、君達はどうしてここに?」
「あ、それはですね……」
代表して、エペルが帰省した経緯を語る。話を聞いたツバキは、納得したように頷いた。
「そう言えば、広場に屋台が並んでいたな……」
「はい。今日は年に一度のケルッカロトですから!」
「それで今日を選んだのか……。全く、揃いも揃って……」
ツバキが嘆息する。額に手をついて、小さく首を振る動作は『私は呆れています』と言わんばかりだったが、その眼差しは優しく、口元には笑みが浮かんでいた。幼い子供の悪戯を、大人が咎めつつも許してしまうときのような、誰かを愛しく思う表情だった。
「む? 本来は別の日に来る予定だったのか?」
「ああ。本当は次の休日に来る予定だったんだ。それを家の者が、他の予定が入りそうだからと前倒ししたんだ。調査報告も夜でいいと言うし、おかしいと思っていたんだが、そういうことか……」
「つ、つまり……おうちの人が、お仕事のついでにお祭りも見ておいでって、予定変更したってこと……?」
「そうなりますね。……全く、私には仕事に私情を挟むなといつも説教をしてくるくせに。自分たちが私情を挟んでどうするんだ。当主母さんに叱られても助けないぞ、私は……」
依頼主にまで迷惑を掛けたんじゃないだろうな、と憮然とした態度を取る。嬉しいことには嬉しいけれど、迷惑を掛けるのは本意では無いのだろう。
ツバキの事情を詳しく明かすと、そもそもこの案件はツバキの関わるところではない。分家筋の者達が行うものだ。次期当主であるツバキが出る幕ではない。それを何のかんのと理由を付けて同行させたのは、おそらく祭りがあることを知って、ツバキに参加させたかったのだろう。手を抜けないところはとことんまで厳しいが、そうでないところはどこまでもツバキに甘いのが清庭の一族だった。清庭家は総じて、懐に入れた者達を心から愛するきらいがあるのだ。特にツバキに対しては、未来の総大将であることや類を見ない才能を持っていることから、他と比べても愛が深い。しかもその愛を丸々受け止めて、それを返そうとするのだから尚更である。
「ふふ、愛されていますね」
「まぁな」
それについて否はない。ツバキが一族から大切にされているのは事実だ。自慢げに笑うと、ジェイドも笑みを深めた。
「ま、まぁ、おうちの人たちも悪気があるわけでは無いと思いますし、夜までいられるのなら、それまではお祭りを楽しんでいってください。むしろ、依頼主の人も、お客さんがお祭りに参加してくれて喜んでいるかも」
「そうだといいんだが。まぁ、彼等の好意を無碍にするわけにはいかないし、折角だから楽しませて貰うよ」
健闘を祈る、とソリレースへの激励を残し、ツバキが踵を返す。いつの間にか、ツバキの背後に面布を付けた者達が揃っていた。ツバキの一族の人たちだろう。彼等は監督生達に軽く頭を下げて、ツバキに付き従って歩き出す。それを見送って、監督生達は改めてエペルの実家に向けて歩き出した。