ジャミルの友達が姐さんだったら 12






 ジャミルを保健室に移し、その身体に治療と呪いの進行を阻止する術式を施したツバキは、その様子を見守っていた教師達に向き直った。その顔は、今まで見てきた穏やかな表情とは一変、激しい激情を押し隠した無表情だった。


「此度の一件、今までのようにすべてを救えるとは思わないで頂きたい」


 きっぱりと事実を伝えたツバキに、教師達は息を呑む。
 そもそもの話、今までが異常だったのだ。これまで誰も失わずに済んだということが奇跡だった。それも神々が関わった事案で、命だけでなく、五体満足で息をしているのだから。
 神々が関わった一件で、五体満足で生きている事案というのは少ない。存在まるごと隠されてしまうことが殆どで、例え無事に戻ってきても、心が壊れてしまっていることが多いのだ。
 これまでにナイトレイブンカレッジで起こった事件は、その殆どに審神者ツバキの介入があった。神に通じ、神と語らう存在が居たから、お目こぼしがあった故である。けれど、それにも限度があるのだ。何せ今回は、神々のお気に入りジャミルに手を出してしまったのだから。


「…………この一件、それほどまでに難しい案件なのですか?」
「当たり前でしょう。ジャミルは神々のお気に入り。そんな彼を、死に淵へ追い込んだのだから」


 ツバキの言葉に、教師達は押し黙る。その言葉は、前々から言われていたのだ。わざわざ東方の国から使節団が送られてくるくらいに。
 おそらく、大人達はその事実を軽く考えていたのだ。まさかNRCうちの生徒が神に気に入られるなんて、と。そのためか、この事態すら軽く考えている。今回の一件も“ツバキが居れば何とかなる”と、そのような考えが透けて見えるようだった。
ジャミルは、タチの悪いものに捧げられた形跡があった。悪霊の類いに相当する、人に害を為すものだ。
 どのような理由があって、ジャミルを生け贄に捧げたのかは分からない。カリムを暗殺するために邪魔だから、ジャミルから始末しようとしたのか。彼自身に恨みがあり、少しでも苦しめたくてそうしたのか。それとも、自分のミスを押し付ける相手に、偶然ジャミルが選ばれてしまったのか。
 けれど、はっきりしていることが一つだけ存在する。


「ジャミルか、あるいはジャミルを生け贄にした者のどちらかが、必ず命を落とすことになる」


 否、ジャミルを生け贄に捧げた者が命を落とす。神々のお気に入りであることも理由であるが、そもそもツバキが彼を死なせるつもりがないからだ。
 ツバキにとって、命の価値は平等ではない。世界のどこかで不幸な死を遂げた人に心を痛めるだけの良心は在れど、それだけだ。その死を教訓に、自分や自分の大切な者を守ろうと考えることはあれど、その人のために何かを為そうとは思わない。そんな時間があるのなら、その時間を愛する者達のために充てたいと考えるのがツバキという人間だった。
 命が尊いことは、ツバキとて理解している。簡単に失われていいものではないのだ、と。どのような人間であれ、その命が誰かにとっては大切な“誰か”であることを識っている。
 けれど、それでも、ツバキは人の命に優先順位を付けるのだ。
 命の重さは等しいのだと説く者も多いけれど、それはツバキではない誰かの高説だ。ツバキにとって顔も知らない相手と愛する友の命では、その重さが違ってくるのは当然だった。それがツバキの価値観である。


「私は、相手がいかに尊い生き物であろうとも、ジャミルの命を優先する」


 例えそれが多くを救う英雄であろうとも、誰もが傅く王様であろうとも。―――――この世界を作りたもうた神様であろうとも。
 それが何だというのだ。人を救おうが、国を興そうが、世界を作り出そうが、それはツバキの与り知るものではない。
 それがジャミルに代わるものとなり得るのか。答えは否である。それが世界にとって優先されるべき命であっても、ツバキにとってはその限りではない。ツバキのその選択で、多くの人々が不幸になろうとも。


「私達とて、彼の命を優先します。どうか、我が校の生徒を―――――」
「ジャミルを捧げた相手が、同じ学園の生徒だったとしても?」
「なっ……!?」


 カリムからの報告で、生徒の中に怪しい動きを見せた者がいたことが挙がっている。おそらく、その人物が犯人だろう。誰かを己の代わりに生け贄に捧げるとき、少しでも多くの情報が必要になる。生け贄に近しい存在でないと、己の代わりに出来ないのだ。
 絶句する教師達を見回す。誰も彼もが顔から血の気を引かせ、ある者は唇を戦慄かせ、ある者は頭を抱えている。そんな彼等に対して、ツバキは容赦が無かった。


「私はジャミルの命が助かるならば、ジャミルを生け贄に捧げた相手が地獄に落ちようと構わない。目の前で死の淵に立っていようとも、決して手を伸ばすことはない」


 ツバキの言葉には一切迷いがなかった。付け入る隙もないほどに、どこまでもまっすぐだった。それでも何事かを口にしようとした教師の一人に対し、ツバキは鋭い視線を向ける。年嵩の男が押し黙る程の、厳しい眼差しだった。


「私は絶対でも、完全でもない。英雄でもなければ、聖人でもない。私はどこまでも身勝手な、ただの人間だ」


 英雄ではないから、すべてを救うことは出来ない。聖人ではないから、加害者を許すことは出来ない。ツバキはどこにでもいる、ただの人間だ。だから、相手にどんな理由があろうとも、大事な親友ジャミルを害した事実がある以上、情状酌量の余地はない。
 新たに、ジャミルに守りの魔法を掛ける。その上で、守護に特化したこんのすけを彼の傍に侍らせた。


「こんのすけ、ジャミルを頼む。君の守りなら、外敵はもちろん、この症状の進行を抑えられるだろう」
「お任せください、主様。どのような相手が来ようとも、必ずやジャミル様をお守り致します!」
「ああ、頼りにしている」


 胸を張るこんのすけの頭を撫でて、ツバキがジャミルの顔を覗き込む。彼は苦悶の表情を浮かべ、呻き声を上げている。そっと頬に手を当てて、その呪いの縁を手繰り寄せる。その縁が繋がる先は二つ。一つはジャミルが捧げられた先、悪霊の本体へと続いている。もう一つは、ジャミルを捧げた人間へと向かって伸びていた。
 ふと、妖気が立ち上っていることに気が付いた。ジャミルの懐に仕舞われている刀から、凄まじい怒りがあふれ出している。主を害されて、怒りに震えているのだ。


(―――――連れて行かなければ、私が殺されてしまいそうだ)


 ジャミルの懐から刀を取り出し、紅紫苑に添えるように佩刀する。普段ならばジャミル以外に佩刀されることなど許してくれないが、今はそれ以上に、ジャミルを害した相手を斬り殺してやりたい気持ちが大きいらしい。ツバキがともに連れて行くことを察したのか、大人しく腰に収まっている。
 準備が整って、踵を返したツバキの目には、明確な殺意が滲んでいた。


「―――――人を呪わば穴二つ。他人の命を弄ぶようなことをしておいて、自分だけのうのうと生き延びることは不可能だと言うことを、その身を持って教えてやろう」




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